第116話 『神という概念』
結月は珍しい光景を目にしていた。それはある意味異様な光景だ。
母が、結月の中では『霊長類最強』と言っても過言ではないあの母が正座をして背中を丸め、縮こまって説教を受けている。
しかも説教をするのは齢十三歳の、まだ幼さの残る『少年』だ。
「だいたいね、君は昔から軽挙妄動な点が度々見られたんだよ。それは祐樹にも言われた事があっただろ?」
静はただひたすら『はい…』と『仰る通りです…』と言ってぺこぺこするのみだ。
その横で結月と結弦は、遠の作り出したテーブルセットに腰掛け、そこは遠が『永遠』だった頃から勝手知ったるイミグラの塔、彼の用意した茶菓子と紅茶で遥と共にひと心地ついていた。
その様子を静は恨めしそうに横目で見ようとするのだが、その瞬間
「こらっ!中村さん!話はまだ終わってませんよ!」
「きょ、教授、お言葉ですが私はもう『中村』では…」
と静が言い返そうものなら
「そんな事はわかってます!ですが今はその事を話しているのではありません!あなた、ちゃんと私の話を聞いているのですか!?」
と、けちょんけちょんに倍返し。
「静様にも怖いものがあるのですね」
そう言って執事服姿の遠は結月に紅茶のお代わりを注いでくれる。
「あれ?でも遠ってば、ミーツォ様が吉井教授だって知ってたんじゃないの?」
まだ詳しい話は聞いていないが、吉井教授が幼い姿でここにいる、という事はこの人もクローン再生されているのだ。しかも真島一家の四人よりも早く目覚めている。
「ええ、存じ上げております。ですが吉井様は最後にお会いした時にこう仰いました、『私は君たちの事を忘れる、知らなかったことにする。だから君たちも私の事は忘れてくれ』と」
その言葉を愚直に守り、一切漏らさなかったのだ、遠は。ある意味気が利かないやら、ある意味信用できるやら。
吉井教授の説教もひと段落したのか、うなだれた静とともに吉井教授もその席に着く。
「ええと、今は『遠』だったね。私たちにもお茶を淹れてもらえないだろうか」
「かしこまりました」
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「まあ静君も遥に謝ったみたいだし、遥も怒ってないから今回の件は流すけど…」
着席してもなお説教が続きそうで戦々恐々とする静を横目に、少年教皇ミーツォもとい吉井教授は話し出す。
「あんな行動をとった、という事は君もある一定の結論に至ったという事ですよね。聞かせてもらえないだろうか?」
静はカラッカラに渇いたノドを紅茶で潤し、話し始める。
「はい。私の推測ではこの世界の人間、遥の造った生命には抗体情報がありません。よって生物は緩やかに減少を続け、そう遠くない未来に絶滅します」
「そうですね。そこまでは私の推測と合致します」
続きをお願いします、と吉井教授は静に話を即する。
「ですので、太古の頃から情報を蓄積し続けてきた私たちの、さらにその中でも気宇なワクチン接種を施されている祐樹の『抗体情報』を欲した遥が私たちをクローン再生し、サンプルもしくは材料として渇望した、と私は推測しました」
教授は『ふむふむ』と静の推論を聞くと
「そうですね、あなたの推論の半分、いや八割は正解です。ですが残りの二割を間違えてしまったが為に、結果が全く違った景色になってしまったのですよ」
自身の推論にそれなりの自信があった静は、挑むような目で教授に問いかける。
「でしたら教授。貴方のお考え、お聞かせ願えないでしょうか?」
「そうだね。ではその前に静君、君の推論の検証をしよう。この時代の人類を含めた生物が絶滅する、これは正解だ。そしてそれを避ける為に遥が私たちをクローン再生した、これも正解です」
そこまで言うと吉井教授は紅茶を啜り、そして再び話し始める。
「では次にあなたの推論について間違えた部分を説明します」
その言葉に静も思わず生唾を呑む。
「まず遥は私たちの抗体情報を欲したが為に私たちをクローン再生した訳ではありません」
その言葉に静は『ですが教授…』と言葉を挟もうとするのだが、『まあ最後まで聞きなさい』と諌められる。
「そもそも遥の保持している情報は我々のゲノムデータです。そこから再生される我々に多種多様の抗体情報があるという事は遥も知り得ない情報だったのですよ」
「だったら何故…」
吉井教授は再び紅茶を啜り、今度は遥を見て話し始める。
「遥、君はその電算能力で何度も何度もシミュレーションしたんだよね、パターンを変えて。でも『生命の滅亡』という結果からは逃れられなかった」
遥は黙って頷く。
「じゃあここで静君に質問だ。人はどうもしようもなくなった時、どうする?」
静はしばらく熟考すると
「教授。私は『どうしようもなくなる』という考え方はしません。常に実力で切り開きます」
その結果がこの十数億の年月を経た一同の再会だ。
「そうか、君には愚問だったようだね。じゃあ結月君に結弦君、君たちならどうする?」
二人は顔を見合わせて考え、結月が首を傾げながら答える。
「…神に、祈る?」
すると吉井教授はニコリと笑い
「そうだね。最後の最後まで追い詰められた人は『神様、助けて下さい』と願うのが普通だ。それは極めて人に近い思考をするA.I.の遥もしかりだったんだよ」
その言葉に静は過剰なまでの反応を示す。
「『神』ですって?教授、貴方も私と同じ研究者じゃないですか、そんなものの存在を信じるとでも仰るのですか!?」
神が存在するのならばあの時点で祐樹の命を絶つ真似などしない。もし存在した上で祐樹の命を絶ったというのならば、今度は私がその『神』とやらの命を絶って差し上げますわ、と静は妖艶に笑ってみせる。
「ははは。君の信仰心を今更問わないよ。神はどこにでもいるし、どこにもいない存在だからね。それに祐樹も言ってたじゃないか、『神は人の心に住むもの』だってね」
その覚えのある言葉に静は気勢を削がれる。
「まあその話も興味深い話ではある、けど今議論したいのはそれじゃないんだ。私たちの知る『神』という概念は、宗教や思想それに環境によって様々だ。けどね、今この世界に生きる人たちには明確な『神』が存在する。誰だと思う?」
静は迷う事なく即答する。
「『遥』ですよね。一度滅んだ地球に彼女がもたらした生物文明ですもの、神を自称するという烏滸がましい行為はあまり好きではありませんが、創造主である彼女にはその権利があるとは思ってますよ」
その言葉を聞いて吉井教授は笑いだす。
「あっはっは!ここまで話してもまだわからないのかい、静君。じゃあ君にもう一つ質問だ。この世界の『神』である遥、遥が助けを求めた遥にとっての『神』とは誰だ?」
この世界の人々を創造した遥が神であるのならば、遥にとって自身を創造した『神』である存在とは…
「まさか…」
「そうだよ。遥にとって『神の復活の儀式』だったんだ、私たち『古代人類』をクローンで再生する事は」
『神』に縋った遥。
しかしながら遥は『神』が必ずしも自身を救う存在になる、とは楽観視していませんでした。
厄病神や貧乏神、禍ツ神だってみんな『神様』ですもんね。『触らぬ神に祟りなし』とはよく言ったものです。