第111話 『matter de sky』(またですかい?)
「静様、スキャニングが完了しました」
カブールから移動する馬車の中、永のコアは祐樹の肉体と同化し、その情報を遠へと送る。
祐樹のゲノムに含まれる『死の因子』の数を計測し、それの書き換えにかかる時間を試算するのだ。
「永の計測したピクセル数から算出しますと、祐樹様のゲノムの書き換えにかかる時間は現代地球時間でおよそ94億6259万2363秒ほどになります」
「…ごめん、遠。もう少しわかりやすい単位に変換して教えて」
さすがの静も、その秒数ではピンと来ない。
「約三百年です」
その数字にまた静はうなだれる。
三百年だ。その頃にはおそらく自分たちも生きてはいないだろうし、いくら眠っているとはいえ祐樹が生きている保証すらない。
静がその顔に落胆の色を写しているその時、それを横で聞いていた結弦が 静にこんな言を言った。
「あ、母さん。でもね、遥が言ってたけど僕たちって再生されてからかなり長い間、冬眠していたらしいよ」
結弦が遥から聞いた話では、どうやら真島家の四人はクローンとして再生されてからすぐに起こされていたわけではなかったらしい。
それをその当時、実際に作業にあたっていた『永遠』であった遠が答える。
「クローン再生はお一人ずつ行われました。四人の成長と年齢を合わせる為、最も長い祐樹様で百五十年ほど、最も短い結弦でも三十年ほど眠られております」
その話に静は『パッ』と顔を明るくする。
「え、じゃあまた私たちを冬眠させる事って可能かしら」
「可能です。問題ありません」
遠の話では実際に低温で冬眠させるわけではなく、深層心理に働きかける、いわば今かかっている『暗示』と同じ類のモノなので、そこに問題はないという。
「そっか。それならまずは安全に三百年眠れる場所を探さなきゃね」
と言う静だが、その話を聞いてもう検討をつけている場所があった。
遥はGPSを使って全ての生体を把握している。彼女から逃げ隠れする事なんてこの地球上では不可能だ。
だがいくら遥がその場所を把握しようと、教会の手の及ばない、それ以外にも人の手の及ばない場所に静は心当たりがあったのだ。
それは結月も同じだったようで
「母さん…まさか…」
「ええそうよ。もう一回行くわよ」
『えええ〜!?』と天を仰ぐ結月。だがあのナワの街からの道中を思い出すと、あれを普通の人間がやってのけるとは思えないし、何よりあの島には『教会』がなかった。ナワの街で最寄りの教会となるとマイルになるのだ。
教会の手を逃れて眠りに就くのにあれほど都合のいい場所なんて他に思い当たらない。
「そっか…まあ仕方ないよね」
またフィナのトコで美味しいものでも食べさせてもらおうかしらと結月も気持ちを切り替え、一同はまた『あの岩山』を目指し、 とりあえずはマイルの街へと向かうのだった。
---
特に教会騎士に追撃されたりする事はなかったのだが、街でカードで支払おうとすると『使用不可』と表示され、さらに教会騎士が押っ取り刀で駆けつけてくるというオプション付き。結局はサバイバル生活を余儀なくされながらマイルへ辿り着いた静一行。
だが、船に乗るには『乗船券』の購入が必須だ。さらに乗船名簿の登録には『個人情報』が必要となってくる。そうなるとまた教会騎士の登場だ。
「まあここは…『あの人』に頼むしかないわよね」
レインの店へと赴いた静たち。結月はフィナと久方ぶりの再会を楽しんでいる。結弦はレインとジャスティンの料理に舌鼓を打ち、その味のクオリティの高さに驚く。
静はレインの妻・リエルと歓談している。どうやらあれ以来、レインは一切ギャンブルには手を出していないようだ。
そんな話をしている時だった。静たちが貸し切りにしていたレインの店に一人の男が来店する。
「こんにちは、シズさん。どうやら大変な事になっているようですね」
「ええ、まあね。だから貴方の力を借りたいの。いいかしら?」
静に『もちろんですよ』と笑顔で答える彼、この街で生まれ育ち、事業で財を成し、そして街の有力者である『ロバーツ』だ。
「で、私は何をすれば?」
「島に渡りたいの。お願いできるかしら」
すると考え込むロバーツ。そしてある事を思い出して顔を上げると
「シズさん、あなたにうってつけの人物がいます。今すぐ出発でもよろしいですか?」
---
昼下がりの港では、ちょうど水揚げを終えた漁船が停泊しており、漁師が自分の港へ戻るべく帰り支度をしていた。その彼にロバーツは話しかける。
「やあ。今日も良い上がりだったみたいだね」
「ああ、ロバーツさん。おかげさまで気持ちよく帰れそうで…」
と、その漁師はロバーツの後ろにいる静たちに気づく。
「シズさん!イミグラに帰られるって話でしたが、どうなさったのですか?」
「あら、なぜ貴方がここに?」
その漁師は静の見知った人物だった。
「教えていただいた定置網のおかげですよ」
軌道に乗ったカンドの『定置網漁』は思いのほか豊漁で、その漁獲高はカンドの市場だけでは捌き切れないほどとなり、ある程度をマイルの港で水揚げすることにしたという。
それは大陸各地に魚を供給しているマイルで歓迎され、なかなか良い値で買い取ってもらえているようだ。
静は簡単に事情を話し、カンドまで乗せてもらえないかたずねると
「ええ、海人様を乗せて帰れるんです、大歓迎ですよ」
「…あなた、わかってて言ってるでしょ、ジェイク」
その漁師は、静が渋々に名を貸すことを了承した事を知るカンドの漁長・ジェイクだった。
---
「遥、彼女らは何処までいったの?」
イミグラの中央教会の先端部、遥の元を訪れる少年。重厚なローブに身を包んだその姿、教皇『ミーツォ』だ。
「再び島へ渡ったようです」
床に映し出しされた衛星映像、島の奥地の岩山あたりにピンが立っている。
「そっか。彼女も考えたね」
そこは魔獣の闊歩する島の最奥地、教会騎士はおろか冒険者でも到達する者はいまい。手を出そうとしても出せない場所だ。
床に映し出された衛星の映像を見下ろすミーツォに遥が声をかける。
「最近、よく来られますね」
ミーツォは『ん?』と顔を上げると
「そうだね。本当なら僕は死ぬまで君たちには会わないつもりだったんだよ。僕が君たちに関わるのは『不自然』な事だからね」
ではなぜ?と問う遥にミーツォは
「だって君たちが起こしちゃったじゃないか、『彼女ら』を」
「それは貴方が私たちを…」
するとミーツォは静かに頭を横に振り
「遥。人に滅びの運命があるのなら、それは受け入れなきゃならない。そこに君たちや彼女らが関わるのは『不自然』な事なんだよ」
「…その考えは変わらないのですね」
遥はその顔に悲しみの色を滲ませる。
「けどね、彼女らはもう目覚めてしまったんだ。だから…僕が彼女らに会ってみて、話をしてからまたその事は考えるようにするよ」
そう言ってミーツォは微笑み、その場を後にした。
教皇の少年・ミーツォ。遥の持つ力も事情も、ある程度知っています。
幼い見た目ながら博識で、彼が民衆から愛されているのはその見た目からくるマスコット的なモノではなく、実務として頼りになるその存在感からきています。