第110話 『静の十八番』
「ありゃ、シズ姐さんじゃないかい。どうしたんだい、そんな大所帯で」
静たちがイミグラから姿を消した翌日、その姿はカブールにあった。
「うん、ちょっとね。迷宮もどうなったのか気になったから寄らせてもらったのよ」
そう語る静だが、その表情でアリエルは静たちに何かがあった事を察する。
「まあ皆まで聞かないよ。ウチに来てよ、大歓迎さ!」
所帯が大きくなったこともあり、ゲオは離を持つ小広い家に引っ越していた。静の訪問の報せを受け、迷宮の管理を終えたゲオも急ぎ帰宅してきた。
「よお、シズ姐さん」
「こんばんわ。久しぶりね、ゲオ。あれから迷宮のほうはどう?」
するとゲオは肩をすくめ
「まだだれも攻略できてねぇぜ」
最深部の『踏破者の証』まで手の届いたパーティは何組かいたようだが、それを取って時間内に戻るというのがなかなかに難しいらしい。
「で、どうしたんだ、シズ姐さん。何か困った事でもあるのなら力になるぜ?」
だが静は首を横に振り
「ううん、別に困っちゃいないわ。ただちょっと旅に出ようかと思って」
と、そこでアリエルがある事に気づく。
「あれ、そういや永遠はどうしたんだい?」
見当たらないみたいだけど、と静の連れている一同を見渡す。
「うん、ちょっと事情があってね」
と茶を濁した静だったのだが
「え、何言ってんだ母ちゃん。トワおっちゃんここに二人いるじゃん」
アリエルの子供、兄の方が遠と永を指差して言う。
「こっちはおばちゃんになっちゃったみたいだけどな」
と永を指差して言うと
「あら、私はおばちゃんではなくお姉ちゃんなのですよ?」
と永はアルカイックな笑顔で言い返す。兄も思わず凍りつく
「あ、はい、そうだね、トワ姉ちゃん」
そんな息子をよそにアリエルはまじまじと永と遠を見比べ、『へぇ〜…』と感嘆の息を漏らす。
「あっはっは!相変わらず退屈しない生活してるみたいだなシズ姐さん。今度はなんだ、ハルカ様とケンカでもしたのか?」
そのゲオの言葉に一瞬止まる静。それを見逃すゲオではなかった。
「…マジかよ。天人様とケンカとはシズ姐さんとはいえ穏やかじゃないな」
「ケンカってワケじゃないわよ。互いの条件の相違ってとこかしらね」
と静は溜め息まじりに苦笑する。
「まあ何であれ俺たちはシズ姐さんの味方だ。できる事があれば何でも言ってくれ」
ゲオはある程度の覚悟を、天人様に背く事になろうとも静の為に戦う所存で言った言葉だったのだが、静から返ってきた言葉は意外に軽いものだった。
「じゃあ離でいいからさ、今夜の宿に貸してもらえないかしら。あとウチの主人のためにベッドを貸してもらえるとありがたいわ」
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「シズ姐さんを嫁に貰うくらいだからな、モノ凄い猛者なのかと思ってたんだが…案外優男なんだな」
祐樹は相変わらず安定した眠りに就いている。
「そうね。戦いじゃ私には絶対に勝てないでしょうね」
馬車の方には、いい大工を知っていると言うウォードに頼んで祐樹の為の寝台を設置してもらっている。ウォードももうすっかりこの街の『顔』だ。
「ふ〜ん。じゃあなんで結婚したんだ?」
少なくとも自分より弱い男とは結婚しなさそうなのにな、と笑うゲオ。
「あら、そんな条件出したら私は死ぬまで独身よ」
と祐樹の手を取ってその寝顔を覗き込み、静は微笑みを浮かべる。
「この人はね、戦いに勝つ人じゃない、争いが起きそうなら起きないように回避するタイプの人なの」
それを聞いてゲオはますます困惑の表情を浮かべる。静の言葉はまだ続く。
「でもね、『物事の本質』を知って、根本的な部分を変えなきゃ二次的な治療をしても意味を成さないとわかっているにもかかわらず、率先して二次的な治療しちゃうような人なの」
静はそう言って祐樹の額にかかった髪をかき分け、愛おしそうにその頬に触れる。
「けどよ、そんなのって意味が…ああ、前にシズ姐さんが言ってた『塒の掃除』と一緒だな」
例えるのなら、器から溢れ出して人々を困らせる水があったとする。その器に注がれる水を止めなければ溢れ出す水を止める事はできない。だがしかし器に注がれる水を止める方法はない。
だからといって『じゃあ何をしても無駄だ』と言って何もしないのではなく、意味がなかろうが偽善だと言われようがその溢れ出た水をすくい続ける、それが祐樹だ。
「なあ、それって言葉は悪いが『馬鹿』なんじゃねぇのか?」
その言葉に静が気分を害するのかと思いきや、破顔一笑すると
「ええそうよ、とびっきりの『馬鹿』よ。そして超がつくほどの『お人好し』なの」
と嬉しそうに語る。
「この人はね、幸せにならなきゃいけない人なの。だから私はこの人の『刀』になったの。そこに私の人生があったのよ」
そして静は意地悪そうに笑うと
「それに貴方もプロポーズの時に言ってたじゃない、『アリエルがアリエルである以上に理由が必要か?』って」
するとゲオは苦笑し肩を竦め
「ははっ、参ったな。降参だ。結婚ってそういうものだよな」
と二人して笑うのだった。
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ウォードも合流したところで、静はあらためて息子の結弦と永と遠を紹介し、ゲオ宅で簡単な再会の宴を催してもらっていた。
そんな時だった。ウォードの元へ一人の訪問者があった。
その男はウォードに耳打ちするとウォードは『そうですか…』と呟き、静に向かって説明を始める。
「シズさん。いま来たこの彼ですが、彼はこの街の教会騎士の団長を務めております」
会釈する騎士団長。そして彼曰く、中央教会から手配書が回ってきており、それによると真島家の四人、そして永と遠の二人に対して捕縛の命令が出ているという。
「あら、そんな事を私たちの前で言っちゃってよかったのかしら?」
その騎士団長にも、もちろんウォードやゲオにも静たちを捕縛しようとする気配は全くない。
「あなた方の事はゲオやウォードに伺っております。いくら教会の命とはいえこの街の恩人に刃を向けることなど出来ません。それに…」
「シズ姐さんにケンカ売るくらいなら俺は中央教会と戦うぜ?」
「だいたいゲオを軽くあしらう貴女をこの街の誰が捕縛出来ると言うのですか」
と三人で笑う男たち。
そしてその話題はそれ以上語られる事もなく、宴は夜半に解散し、静たちもゲオ邸の離に泊まる…
のかと思いきや、皆が寝静まったのを見計らい静たちは表の馬車に集まる。
「やっぱり出して来たわね、『捕縛の命令』」
思っていたより情報の伝達が早かったが、まあそれは静も想定の範囲内だった。
「でもさ、母さん。なんでまたこんな夜中に出発するの?」
前にカブールに来た時も夜逃げのような旅立ちだった。まさにデジャビュだ。
「そりゃあなた手配書の出てる人を匿ったらそれはそれで問題あるでしょ」
それにこのまま滞在したら、ゲオは本当に中央教会にケンカを売りかねない。
今、この街は廃墟から復興の一途の真っ最中で、そこに安定を得て生活をしている人たちが大勢集まる街になった。アリエルの子供達だってそうだ。
そんな彼らを静と遥の事情に巻き込むなんて事は絶対にあってはならない。
見た所、ゲオとウォードはこの街の教会をも抱き込んでいる。ヘタをするとイミグラとカブールの戦いにもなりかねない。
「そんな事になったら…私が祐樹に嫌われちゃうじゃない」
と苦笑し、草木も眠る丑三つ時、静たちは馬車に乗り込んでカブールを発つ。
が案の定、またしてもゲオに悟られて待ち伏せされる。
「なあシズ姐さん。あんた夜逃げが趣味なのか」
と笑顔のゲオ。いつもの曲刀は帯刀していない。
「まあこうするのが一番の良策だからね」
と静も笑う。どうやらゲオも静の考えはお見通しだったようだ。するとゲオは結月の元へ行き
「ユヅキ姐さん。今回は時間がなかったが、また落ち着いたら再戦しよう」
結月も『望むところよ』と握手を交わす。
「ユヅル。お前さんは『男』だ。母と姉を、眠る父に代わってしっかり守ってやるんだぞ」
「はい。ありがとうございます、ゲオルグさん」
そしてゲオは永と遠の元へ行き
「二人の永遠、今は永と遠だっけか。あんたらも達者でな」
と握手を交わす。
「アリエルさんとお幸せにね」
「それでは失礼します」
深夜にもかかわらず、街の入り口にはアリエルやその息子達、ウォード、騎士団長、そして以前に来た時に結月と剣を交わし、仲良くなった獣人の娘達までもが見送りに立ってくれていた。
「なんだ、バレバレだったのね」
と笑う静に
「そりゃ夜逃げはシズ姐さんの十八番だろ?」
と笑うゲオ。
「じゃあね、ゲオ。またきっと寄らせてもらうわね」
こうしてまた静は、深夜にカブールを旅立ったのだった。
本編では触れていませんがこの時、静はアリエルからある相談を受けてました。
それは静も心配していた事だったので、その話を聞いた時に静は『ああ、やっぱり』と思ったようで。
そのくだりはまた後々の話で明かしていきます。