第108話 『姉弟』
「ただいま、あなた」
静は寝台で眠る祐樹の傍に跪き、その手を優しく両手で握ると愛おしそうに顔を覗き込む。
半年ぶりに見たその顔は、半年前と変わらない穏やかな寝顔だ。
「あなたごめんなさい、ちょっとだけ大仕事が残ってるの。もう少し待ってね」
そう言うと静は遥に許可を得て、永遠とともに機材室へ篭った。
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「ヅキ姉、どうだった?旅の方は」
飲食店のテラスで結月に旅の話を聞く結弦。
「もう、これ以上ってのがないってほど色々あったわよ」
と苦笑いで結月はドタバタ珍道中を語り出す。
カブールの廃墟の話、母が永遠の首を斬り落とした話、自身が天人扱いされた話、そして母の名が海人様として祀られた話。他にも色々あったが結弦にとってみんなカノンに聞かせてあげたい話ばかりだった。
「そっか。カブールの地下迷宮ってヅキ姉たちが作ったんだ」
この街でもすごく噂になってたんだよ、と結弦は笑う。
「で、目的のものは手に入れたんだよね。後どれくらいかかるんだろ?」
「さあ?そればかりは母さんにしかわからないわよ」
しかし結月も知ってしまったのだ、おそらくではあるが『遥の目的』を。
今、真島家の四人がこのイミグラに留まっているのは危険かもしれないのだ。なるべく早く用事を済ませてイミグラを離れたい。それが結月の正直な感想だ。
だがその日、そして次の日も静は機材室に篭りっきりで帰って来なかった。
「母さん、昨日も戻らなかったわね」
ある朝、まだ母は帰ってなかった。結月がイミグラに戻ってから何度目かの結弦と二人での朝食。
だが結弦にとって、母は前の人生でも大学の研究室にこもりっきりだった。ある意味この感覚は慣れっこだ。
「そういや結弦、あんたずっと教会に通ってたんでしょ、『教皇』って見たことある?」
「教皇?ああ、見たことはないんだけどたしか『ミーツォ様』っていう少年だよね。街で話には聞いたけど…」
だが『教皇』について結弦には一つの推測があった。これはもしかすると遥が人々に言葉を伝えるために創った『アバター』なのではないかと。
要するにあのA.I.の『遥』に次ぐ『ミーツォ』というサブアカウントだと推測している。
「は?なんでそんな事する必要があるのよ」
「だって遥は『神』的な存在なんだよ。その言葉や姿は安売りできないんじゃないかな」
要するに『天人ハルカ様』は神格化しておいて、実際に言葉を伝えたりする窓口として『教皇ミーツォ様』を存在させているのでは?と結弦は考えているのだ。
でもなんかちがう気がするなぁ、と結月は結弦の作ったサンドイッチを口に放りこむ。と、その味に感心する。
「しかし結弦、あんた料理なんて出来たのね」
その手元にあったサンドイッチもさることながら、昨夜に食べた『謎の肉の根菜煮込』も繊細な味付けと煮込み加減で結月の舌を唸らせたのだ。
「まあね。ここで半年も自炊生活だったからね」
そして結月も知らない結弦の青年期。母は大学の研究室、姉は結弦が高校進学のタイミングで『早く結婚しなよ』と追い出し、高校に通う頃からは実家でありながら自炊生活をしていたのだ。
さらにはその『謎の肉の根菜煮込』、結弦には忘れもしない『思い出の味』だ。
「しかもコーヒーなんかも淹れちゃって。なんだか今がいつなのかわからなくなっちゃうわ」
と笑い、結月は黒糖と何らかの乳を入れたホットコーヒーを啜る。
「そうだね。父さんが目覚めたらご馳走してあげたいし」
父さんはコーヒーとか好きなのかな?と結弦もコーヒーをブラックのまま啜り、微笑む。
「そっか。あんた父さんと話した事、一度もないんだよね」
話した事どころかその『結弦の存在』すら知らないはずなのだ、祐樹は。
「コーヒー好きだったわよ父さん。よく飲んでたし。料理も好き嫌いなんてなかったわね。あんたが料理作ったら喜ぶんじゃない?」
あ、でもあの人けっこう料理もする人だったから味にうるさいかもね。と結月は意地悪く笑う
「あはは、意地悪だね、ヅキ姉。んじゃあその父さんに会いに行こうよ」
と二人、今日も教会で眠る父に会いに行くのだった。
意図はしていないのですが、ここのところタイトルに二文字熟語が続いています。
それを払拭するというワケでもありませんが、次回タイトルは『電撃ビリビリ秘書官』です。乞うご期待。