第106話 『無様』
カンドの街はお祭り騒ぎだった。
皆、海の脅威が取り除かれた事に、悪しき因習から解き放たれた事に歓喜し、昼夜を通して街の至る所で振る舞いの酒や食事が提供されていた。
だがそこに静の姿はない。
「綺麗な海ね。いい眺めだわ」
海人様を討った翌朝、カンドの街と広大な海を見下ろす断崖の上に静はいた。傍にジェイクを伴って。
「ねえジェイク。『海人様』について私なりに見解があるの、聞いてくれる?」
ジェイクは黙って頷く。
「あなた『潮流』ってわかるでしょ。この辺りの潮流はね、おそらくだけど四年で一周して帰ってくるのだと思うの」
そしてその潮流に乗って四年に一度、ヤツはやって来ていた。
「これも推測なんだけど、アレは『海域』じゃなくて『潮流』に住む生物だったんじゃないかな」
よく知る生き物でいうならばカツオやブリ、サンマ、そしてイカなどの『回遊魚』に近い生態だ。
「それでね、何がきっかけだったかは知らないけどアレはあの島の周囲で『人』を食べる事を覚えたの」
そして四年で一周の回遊の中で、あの島の周囲に到着したら『人』を食べる事がそのサイクルの中に組み込まれた。
それは約束や決まり事ではなく、四年に一度、ここへ来たら人を食べ、そしてまた回遊するという生物としては極めて原始的な『習慣』だ。
「過去には『花嫁』を捧げなかった年もあったのでしょ? それでアレは人を食べられなかったから、それをあの島の周囲で待ってるうちに『自分の住む潮流』からはぐれちゃったのよ」
そしてあの島の周囲にしばらく居座り続け、船を襲ったり周囲の魚を食べ続けた。その結果として花嫁を捧げなかった年からしばらく不漁が続いたり船の遭難が相次いだりしたのだろう。
「まあ多分、放っておいてもその四年後に同じ潮が通るから、それに乗って去って行ったんだろうけどね」
だがどうせその四年後にはまた来るのだ、アレによって魚を食べ尽くされ、『不漁』の年の原因となる潮流と共に。
そしてまた生贄が捧げられたのだろう。
「だからね、アレを討つことは『仕方がなかった』のよ」
そう言うと静はまた遠く海を眺め、しばしの沈黙の後、再び口を開く。
「あなた達も辛かったんだよね、あんな事を続けるの」
結月に、娘に『母さんはもう少し相手の立ち位置に立ってその人の気持ちを考えた方がいいよ』って叱られちゃった、と静は苦笑する。
「私ね、その事で自分勝手に憤ってたのよ」
カンドの街の、その『弱い者に犠牲を強いる』やり方を知って覚えた『やり場のない怒り』。誰に向けていいのかわからないそれを、わかりやすく悪を背負ったジェイクや漁師達、そして老人達に向けたのだ。
「ごめんね、理不尽にあたっちゃって」
そう言うと静は振り返り、ジェイクを真正面から見据える。
「私はもうあなた達を責めない。あなた達は『犠牲にしてきた娘達』の、その魂を重荷として背負える人達だと思うから」
せめて花くらい海に手向けてあげてね、と静はジェイクに微笑む。
「我々は常にその咎を背負い、これまで生きてきました。今回の事で海の脅威が取り除かれたとて、それはこれからも何ら変わりません」
これからもそれを背負い、我々はこの街で生きて生きます。とジェイクは海を眺め、静に誓う。
「ああ、そうです、シズさん。そう仰っていただけるのならばもう一つあなたにお願いがあるのです。名を、あなたの名を貸していただけないでしょうか?」
唐突に出たジェイクの『お願い』。名前を貸してくれとはあまり良いイメージがない。まさかこんな世の中で『連帯保証人』もないだろうが。
「どういう事?」
「今度は我々『海に住まう者』の守り神として『海人様』を祀りたいのですが、そこにあなたの名を御名として貸していただきたいのです」
要は『この街の神様になって下さい』という話だ。
「断固拒否したいところなんだけど…名前を貸すだけでいいんだよね?」
またヘンなのを祀って生贄を差し出すような習慣が生まれてはたまったものではない。ならばここで形を決めてしまえば後は彼らが勝手に上手くやるだろう。そのほうが静も安心して旅立てる。
「本当はあなたの事を『海人様』だと祀りたい、というのがこの街の漁師の総意なんですけどね」
真白の巫女装束をその身に纏い、物憂げな表情で船の舳先に佇む静。刀を手に海を駆け、一撃の元にあのバケモノを屠ったその姿はあまりにも神々しく、その姿を見た漁師達は皆『あのお方は人の姿を借りて俺たちに救いの手を差し伸べてくれた海人様だ』と街で口々に話したという。
「やめてよね。そんなの柄じゃないわよ」
と苦虫を噛み潰したような顔で静は笑う。
「ええ。あなたはそう言うと思ってました。だから『名を貸して下さい』なのです」
そう言うとジェイクは沖に見える島を指差す。例のアレが居着く島だ。
「あの海人様の島に『あなたの名』をいただいて名付け、祀ります。どうかお貸しいただけないでしょうか?」
静のその人の名は、このカンドの街の漁師達を救い、因習を断ち切ってくれた人物の名である。もはや漁師の中には静が本当に海人様だと信じて疑わない者もいるくらいだ。彼らの反対などあろうはずもない。静としてもそれくらいなら吝かではない。
「まあそれくらいなら…あ、一つだけ条件、と言うか約束ね。私の名を貸す以上、あの島に向かって女の子を小舟に乗せて流すような真似だけは絶対にしないでね」
と笑って言う静だがわかっている、彼は絶対にそんな事はしない。
だが次の世代や、またその次の世代でその信仰がどのように変化するのかは誰にもわからない。
もしかしたら懐古主義でまた『少女流し』が復活するかもしれない。だからそれは約束として残しておきたいのだ。
「ええ、そのような事のないよう必ずや言い伝えていきます」
こうして静は彼らにその名を貸し、あの島には『シーズマ島』という名が付けられ、『海人様の住まう島』として祀られる事となった。
「じゃあ名前を貸すついでよ、『知恵』も貸してあげるわ」
この街にはない新しい漁法よ、と静は懐から用意しておいた筆記具を取り出し何やら簡単な図面を描いていく。
現在、この街で行われている漁法は小さな舟二隻を使った『船引き網漁』、そして大きめの漁船一隻を使う『トロール船漁』、そのいずれかだ。
だがどれも小さな帆掛船なせいで、どちらの漁法も小規模な網しか使えず漁獲も安定していない。
「ちょうどあの島の向かって左側が潮流の上手だから、右側の例あのアレが居着いたあたりが下手よね」
そこは潮流の影響で大きな淀みとなり、長年の様々な堆積物で周囲の海域より若干浅く、海の色も明るい。
「あの海底の起伏には小魚のエサになるものが溜まるから、それを目当てに小魚もあつまるでしょ?だから自然とそれを捕食する魚達も集まり、さらに大型の魚もやって来る。波も穏やかだし、良い『漁場』で間違いないよね?」
ジェイクは静の推測に驚く。海の者には常識でも、それを知る『丘の者』など存在しないからだ。
「それでね、あそこの海底にロープを何本か固定してブイを浮かべて、その周りにこういう形で『網を固定』して置いておくのよ」
と静は今描いた図面をジェイクに見せる。
「これは…?」
「それは『定置網』っていってね、魚が勝手に入ってきて出られなくなる罠の網なの」
大きく翼を広げた鳥のようにも見えるそれには大きく開いた口があり、魚はそこから自由に出入り出来るようにも見える。
「魚ってね、壁にぶつかるとそれに沿って泳ぐ習性を持ってるの。だからココから入った魚はココをこう進んで…」
静が手を添えて説明する図面を食い入るように覗き込むジェイク。
「…ほらね、ここに入っちゃうと出られないでしょ。これなら一日中網を引っ張り回さなくても、一日一回様子を見に行くだけでいいわよ」
ジェイクは図面と海を交互に眺め、密かに興奮する。だがそれは新たに知った漁法の漁獲に期待、ではなく新しいオモチャを見つけてしまった子供のソレだ。
「私はこういうのは専門家じゃないし、あなた達はこの辺りの海のことは知り尽くしてるでしょ?トロールや船引きの邪魔にならないよう上手く設置したらどうかしら」
それからのジェイクの行動は早かった。街へ戻った彼はさっそく漁師達を集めて話し合い、その日の夜には既存の網をつなぎ合わせて、小さくはあるものの『定置網』の原型となるものを作り上げていた。
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カンドの街のお祭り騒ぎは月斜まで続いた。
住民達は静を讃えて昼となく夜となく呑んで騒ぎ、漁師達は新たな漁法を議論し、盛り上がっていた。
そして月陰を挟んだ月出の日、静達は連絡船に乗り、島を去る。
「なんだか後味の悪い島だったわね…」
遠ざかる港で手を振る多勢の人たちを眺め、静は呟く。
「母さん」
結月は眼光鋭く母を諌める。
「いや、違うわよ。彼らの事じゃないの」
今回の件、私はあまりにも無様だったわよね、と静は呟く。
だが結月は思う。母はその身をもってリーゼの命を救い、その力をもって海竜を屠り、そしてその名は『神の御名』として祀られたのだ。
これ以上の英雄譚はない。何をもって『無様』だと母は言うのだ。
「それはね、全部私だから出来た『力業』でしょ」
そんなのインチキでズルよ、と静は言う。
「じゃあ母さんはどうしたかったの?」
結月にそう問われるものの、それがわからなかったからこうなってしまった。
「きっとね、祐樹だったらもっと良い冴えたやり方ができたと思うの」
静はいつも考えてしまうのだ、祐樹だったらどうしただろうかと。
「きっとあの人なら、もっと街の人に寄り添った解決方法を取ったんだろうな、ってね」
そう考えると私は無様よね、と溜め息を漏らす。
そして島へ来た時と同じように、船尾で現れては消える船の引き波を眺めながら誰にも聞かれないよう小さな声でボソっと呟く
「ねえ祐樹。私、やっぱり貴方がいないとダメみたい」
静はこの街に来てその因習に憤りを持ったわけですが、結局は彼らには実行不可能な力業で解決してしまいました。
ですがそれは祐樹の言う『自分の持つ知恵で彼ら自身にできる解決方法を』とはかけ離れたものであり、『強者の目線』で物事にあたった事に自己嫌悪を覚え、その自らの心のバランスを取るためにジェイク達に定置網漁を教えたり名を貸したりしました。
それを、全てを終えた船の上で俯瞰で見た静は、そのあまりにもの継ぎ接ぎだらけの自分の行動に『無様』だと呟いたのです。
でも…人間って大人になっても案外そんなものですよね。