第102話 『ナワの夜祭り』
静達が宿を出る前からそれは聞こえていた。
『歓声と怒号』
低い太鼓のような音が『ドンドコドコドコ』と響き渡り、歓声と怒号に混じり木剣を打ち交わす甲高い剣戟の音も聞こえてくる。
小一時間ほど前だった、宴に居合わせたご近所さんが『表の広場の準備をしてきますね』と言って出て行ったのは。なのに広場の方を見るともう既に多くの篝火が煌々と焚かれ、それに吸い寄せられるかの如く大勢の人が集まっていた。
静はその中に見知った顔を見つけた。さっきの宴にいた近所の商店主のドワーフだ。
「やあ。準備は万全だぜ」
と言うのだが、広場では既に誰かの『手合わせ』が始まっており、大いに盛り上がっている。
「若いヤツが『場を温めておきます!』なんつって始めちまったんだよ」
と笑うドワーフ。どうやらそれを口実に楽しんでいるようだ。まわりの者もそれに便乗して盛り上がっており、近くの飲食店からは酒や食べ物の出店も行われていた。言うならば急遽降って湧いた『祭り』だ。
静は広場の中心に目を移す。若い獣人の女性と彼女と同世代であろう青年が木剣を交えていた。そしてその戦いの盛り上がりに合わせて太鼓を打ち鳴らす者達も。篝火の焚かれた夜の広場は、その人の多さもあって異様な熱気に包まれていた。
「え…こんな中で戦っちゃっていいの?」
と言う結月の顔は案外嬉しげだ。どうやらこの雰囲気にも臆することはないようだ。
と突如大きく響く太鼓の音!
戦いの方に目をやると中々に派手な攻防を繰り広げている。
魔法と剣を巧みに使って派手に攻める青年、それを軽い身のこなしで華麗に躱し、木のナイフを逆手に持って隙を窺う獣人の女性。
と次の瞬間、青年の剣撃をバック転で躱したと思った女性が次の呼吸にはもう青年の懐に入っていた。
そして青年の首元にはナイフが添えられている。
「ま、まいった」
青年は木剣を手放し、手をあげる。
一瞬の静寂の後、歓声と太鼓の音が響き渡る。勝敗は決したようだ。だがそれを見ていた静は渋い表情を見せる。
「結月、私この街の人たちの事をちょっと甘く見てたかも」
戦っていた二人は別に鎧も何も付けていない、旅装ですらなくただの『街服』だ。ただの木の剣と木のナイフを持った『普通の住民』だった。
なのにその攻防たるや静をも唸らせる隙と間合いの奪い合い、そして最後に女性が見せたあのステップ、あれは静とて初見では対応しきれなかったかもしれない。
今は暗示を解けば誰にも負けることのない自信はあるが、彼女と正々堂々やって絶対に負けないかと問われると疑問が残る。
なによりも、そんな手練れがそうと気付かせない雰囲気で街にいる、と言うかこの街の住民達が皆こんなレベルならば街を守護する『レイ』、その強さたるやいかほどだろうか。
「ねえ、あの二人って強くて有名だったりするの?」
静のその質問には、数本の木剣を携えてやって来たレイが答えてくれた。
「うん?あいつぁ向こうの道具屋の息子と…そっちは食堂の娘だな。いや、特に強いってワケじゃあねぇぜ。最近メキメキと腕を上げてるがな」
若いっていいよな、と笑うレイ。広場の二人は互いに讃えあい、そこを取り囲む人の輪の中に消えていった。
「さあ嬢ちゃん、俺たちの番だ。木剣はこれだけ持って来た、好きなの選びな」
と結月に持って来た木剣を見せる。
「レイ、あんたいいかげん私の名前おぼえなさいよ」
それより何、もしかしてあんたそんなのも出来ないほど頭が悪いの?と結月は挑発するのだが
「ふん、お前ぇは自分のケツを触った男に名前で呼ばれて嬉しいのかよ?」
と言ってニヤリと笑うと
「それにな、俺ぁ戦いの相手を名前で呼ぶのは相手を認めてからって決めてんだ」
お前ぇはどうだろな、嬢ちゃん。とレイは挑発を挑発で返す。
「認めてもらう気なんてさらさら無いわよ。あんたみたいなのは実力で斬り伏せて黙らせてしまうのが一番だもんね」
と笑い、レイが持って来た木剣の中から竹刀に近い長さの物をチョイスする。
「そうか。やれるもんならやってみな」
広場の中心で進行役の者が説明を始める。
「それではお集まりの皆さん、お待たせしました。レイが畏れ多くも天人様に戦いを挑みます!」
「なっ!?」
思わず反論しようとする結月だが
「なに心配すんなよ、俺に負けたら皆『なぁんだただの子供か』って納得するぜ?」
ことごとく挑発してくるレイ、そして街の人達の誤解、全てが結月にとって悪い要素だ。
だが結月もいつまでもバカではない。全ての情報を遮断し、今から行う『手合わせ』にのみ意識を集中させると、広場の中央へと歩みを進める。
静まり返った広場の中心で対峙するレイと結月。
「…なあ。母ちゃんに泣きつくなら今のうちだぜ?」
レイのその言葉に結月は無言で木剣を構えることで答える。挑発が意味をなさない事を悟ったレイも武器を持ち、身構える。
その手に持つのはカタカナの『ト』のような形をした木製の武具『トンファー』だ。
「それでは『天人様』vs『ナワの守護神』、始めてくださいっ!」
進行役が合図を出し、人の輪の方へ下がる。
レイは結月の隙を窺うように摺り足でジリジリと間合いを詰める。
対する結月は木剣を正眼に構え、レイを常に正面に捉えるように向きを変えるのみ、その位置は変えない。ただレイの一挙手一投足、そしてその呼吸にのみ集中する。
するとレイが小手調べとばかりに一気に間合いを詰め、攻撃を繰り出す。拳と蹴りの入り混じる『空手』のような連撃だ。それにややリーチの長いトンファーの打撃も加わる、なんとも間合いの掴みにくい攻撃スタイルだ。
だがそれらをよく見極め、紙一重で躱してゆく結月。その立ち位置は変えない。これは母がカブールでゲオを相手に見せた戦い方だ。自身の無駄な動きを一切省き、相手の動きを見極める。
と、結月はレイの連撃の中に隙を見つける。そのタイミングから一気に畳み掛けるように激しい連撃を返す結月。
だがそこは『ナワの守護神』とやら、ことごとく防御される。
「うん、なかなかやるもんじゃねぇか。冷めた顔してるクセに随分とお熱い攻撃だな」
と楽しげに笑うレイ。
「『頭はクールに、心は熱く』戦いの基本でしょ?」
結月は一切笑う事なく言葉を返す。
「そっか。良い言葉だな。俺も使わせてもらうぜ」
レイはそう言うと大きく深呼吸し、顔から笑みを消すと再び身構える。
「ここからが本番だ。ユヅキ、覚悟しな」
一気に間合いを詰めてくるレイ、結月の思っている間合いの外から飛んでくるトンファーの連撃。なんともやりにくい。
とその刹那、踏み込もうとした結月の脳裏によぎる嫌な予感、とっさに後ろへ飛び退く。すると結月の元いた場所に落ちて砕け散る『氷の槍』
「…ほう、今のを躱すのか」
そう呟くレイの顔にはもう笑みは一切ない。今の魔法も結月に回避する実力がなければ死んでいたかもしれない、その攻撃に情け容赦のない事は結月にもわかった。
全身に走る痺れのような緊張感、だがこれに踊らされてはいけない。調子に乗るな、傲慢になるな、『死』はいつだってすぐそこで待っている。
今度は結月から仕掛ける。意識を集中して暗示を解いた、持つ武器以外は正真正銘の本気の攻撃だ。
そのあり得ない神速の速さの連撃、そして見た目より重たい結月の剣にさすがのレイも防御に徹し翻弄され、顔に焦りの色を見せる。
「くそっ、ちょこまかと!やりにくいったらありゃしねぇなっ!」
だがその目にはまだ何かを隠し、窺う様子が見て取れた。結月は連撃を加えながらレイを分析する。
拳と蹴り、トンファー、そして魔法。今のところそれらコンビネーションで攻めてくるレイ。
近接戦闘でそれ以外の『隠し球』となると…アレしかあるまい。
結月の連撃の隙を突き、蹴りを出してくるレイ。とレイの手がトンファーを離し、その手はそのまま結月を掴みに来る!投げ技だ!
「ふんっ、予想通りすぎて欠伸がでるわね」
そう言い放つ結月は既にレイの背後にいた。掴みに来る事を予想していた結月、その手を後ろへ逃げるのではなく前へ突っ込み腕の内側をすり抜けるように躱し、レイの背後へ回ったのだ。
その事態に驚愕の表情で振り返るレイ。だが
「おつりはいらないわよっ!」
「うおっ!?」
とレイのお尻を蹴り飛ばす結月。速さや鋭さより『重さ』に重きを置いた前蹴り。いわゆる『ヤクザキック』だ。
蹴られたレイは10mほど吹っ飛ぶ。レイよりもはるかに小柄な女の子が前蹴りで大男を10mも吹っ飛ばしたのだ、その異様な現象に広場にも沈黙が走る。
すると結月は腰に手を当てて仁王立ちし
「あなた私のお尻をさわったんだもん、これで『おあいこ』よね」
と言い放ち、ニカっと笑った。
とたんに割れんばかり響き渡る大歓声と太鼓の音。
レイはというと、その図体に似合わぬ俊敏な動きでピョンと跳び起き、
「いや、俺そんなに強くさわったか?」
「何言ってんのよ、女の子の身体は繊細なのよ。あんたみたいな筋肉ダルマにさわられたら壊れちゃうんだから」
そう言って結月は不敵な笑みを浮かべ『まだやる?』と聞くが、レイは手を上げて『いや、いい。俺の負けだ』と降参する。
かくして二人の手合わせは結月の勝利に終わった。二人して静とエルマ、ブルースの待つ広場の片隅へ戻る。
「レイ。どうだった、ウチの娘は?」
「ああ。シズさんの娘だ、強いだろうとは思っていたが思ってた以上だったぜ」
と笑うレイ。その違和感に結月は気づく。レイ、彼は母のことを今日の宴の時から『シズさん』と呼んでいる。母も武人であることは当然レイも知っているだろうし、『相手を認めてから名前で呼ぶ』と言っていたのは彼自身だ。
「ん?なんだユヅキ、お前ぇさんも武者修行中って事は武人なんだろ。わからねぇのか?」
え、何だ?知らぬ間に母とレイは戦っていたのだろうか?
「そっか、近くにいすぎると案外わからねぇもんなのかもな。世の中にはな、『絶対に手を出しちゃいけない存在』ってのがいるんだよ。俺も初めてだぜ、そんなのに遭遇しちまったのはな」
とレイは静を見る。
「あら失礼ね。人をバケモノみたいに」
「あっはっは!シズさん、あんたはまごう事なき『バケモノ』だよ。じゃあな、振って湧いた『祭り』だ、楽しんでってくれ」
そう言うとレイはブルースを椅子ごと担ぎ上げてエルマと共に宿へと戻って行った。
「さてと、どうする結月。もう少しこのお祭り見てく?」
広場の中央では既に誰かの手合わせが始まっていた。すると先ほどの進行役の男が結月の元へ。
「あの…すみません。貴女に手合わせを願いたいと申し出ている者がいるのですが?」
と、結月がその男の背後を見渡すと、幾人かの若者が熱い視線を送って来る。その中にはさっきの獣人の女性とその相手の青年もいる。思わず結月は母と顔を見合わせて苦笑する。
「いいわよ。ただし、若者限定でね」
おっさんに触られるのはもう勘弁よ、と笑う。
こうして結月は木剣を片手に、静は酒を片手に『ナワの夜祭り』を堪能したのだった。
結月は許した(?)とは言え女性のお尻をさわるのは痴漢行為で犯罪です。絶対にやめましょう。