第三章 ファントムペイン―下
「そっかそっか。討滅できたなら、私から言うべきことは無いかな」
アラフィフは、肚の中の読めない表情で、そう言った。
「じゃあ、解散でいいよ。悪かったね、早朝から。あ、でも、鴨川さんだけ報告のために残ってくれる?」
そんな訳で解散となったが、何かをする気にもならない。
(そういえば、深夜は佐倉さんを田喜野井さんのとこに連れてくって言ってたな……)
実際、あの様子は異常だった。
(見舞いにでも行くか……)
そんな訳で、田喜野井さんの医務室である。八日前に目覚めて以来の訪問となる。もっとも、あの時だって気付いたらいただけだから、訪問ではないのだが。
コンコンと、数回ノックしたのち、入室する。
「……ノータイムで入ってくるなら、ノックする意味ないよね?」
部屋の中には、八日ぶりの再会となる田喜野井さんしかいなかった。
「まぁいいや。どうせ君は後で診察したいから来るようにって放送流すつもりだったしね」
「そうなんですか?ところで、佐倉さんって、どうしました?」
「紗玖羅ちゃんは、自室に帰ってもらったんだよね。もう、私にできることはしちゃったからね。そうそう、深夜ちゃんは部屋に戻って寝直すらしいね。なんでも、早朝の出撃の影響で、鴨川班は臨時休暇になったそうでね。よかったね?」
「あ、そうなんですか。知らなかったな……」
知る機会も無かったから、仕方ないといえば仕方ない。というか、休みの日とか、何をして過ごせばいいんだろう?
「そういえば、紗玖羅ちゃんに何か用だったんだよね?」
「あ、はい。まぁ、そうですね。見舞いに来たつもりだったんで」
「なるほどね。ま、さっきも言った通り、私は君のこと診たかったから、丁度いいんだけどね」
「……俺、ですか?」
思い当たることは、一つしかない。
「何でも、銃弾が出なかったんだってね?」
(やっぱ、それか)
当然の帰結だ。
「まぁ、そうですね。理由はわかんないんですけど」
「そっかそっか、じゃあとりあえず、顕現して欲しいんだけどね?」
「……?別に、いいですけど……」
ベッドから降り、立ち上がる。眼を瞑って腕を前に伸ばす。
しかし、俺の手の中には何も現れなかった。
「……あー、すんません。ちょっと待って下さいね」
出来ないことに焦りながら、そして俺の表情でその焦りが見透かされているであろうことにも焦りながら、俺は更に念じる。
しかし、やはり顕現は出来ない。
本部長の前で顕現を行った時や、佐倉さんにより激痛を起こされた時とも、違う種類の汗がでてきた。
「…………………………できません」
素直にそう告げる。
「そっか」
どことなく安堵したように、田喜野井さんは言った。
***
「もともと顕現っていうのは、君の欠陥に埋め込んだ補填兵装を取り出すものだってのは、知ってるよね?」
コクリと首を縦にふる。現在俺は、田喜野井さんの近くにあった椅子に座っている。なんだか、本当に病院に来たみたいだ。
「だよね。それで、ここからが重要なんだけどね?つまり補填兵装ってのは君の一部なわけだよね。つまり、君のバイタルとかメンタルとかに凄く左右されやすいんだよね」
「俺の……?」
「そう。だから、君が初陣で初めてキチンと見た沼人形に対して怯えたり、死を意識して恐怖したりすると、当然顕現は出来なくなるんだよね」
否定は、なぜだかどうしても出来なかった。
俺の顔から何かを読み取ったのだろう、田喜野井さんは柔らかく微笑んだ。
「別にこれは突飛なことでもなんでもなくてね、例えば、弓矢タイプの子が初陣で顕現させて、いざ矢をつがえたら弦が切れちゃったとか、刀剣タイプの子が顕現させたら刀身がサビでボロボロだったとか、枚挙に暇が無いくらいに普通のことなんだよね」
「……でも、俺、本当に怖くなかったんですよ」
「そうだろうね。うん、本当にそうなんだろうね」
じゃあ、一つ質問。
今までの一週間、楽しかった?
問われて、思い返す。
鴨川さんと、必要書類を書いていた時のこと。
記憶喪失なせいで自分の利き手がどちらかわからないと言ったら、妙にウケていた。結局、その方が格好いいからというよくわからない理由で、俺は左利きになった。
深夜と、銃の訓練をしていた時のこと。
横打ちの格好よさや、補填兵装のネーミングの重要さについて力説された。理解を示したらまずい気がして曖昧な返事をしたら、それでも男かと怒られた。彼女が俺の兵装に付けようと画策していた名前の数々を思い出すと、未だに顔が朱くなる。
佐倉さんと、くだらないことを話していた時のこと。
部屋までの道程での会話は、基本的にアホみたいなことしか話していない。逆井本部長ズラ説とか、鴨川さんが鬼のように麻雀が強いとか、食堂の新メニューのこととか、そんな、どうしようもなくどうでもよくてくだらないことを、ただただ話していた。それだけなのに、妙に楽しかった。
楽しかったんだ。
そして、これからも楽しいに違いない。
視界が歪む。
「まだ、死ぬのは怖くない?」
怖い。
過去が無いというのは、嘘だった。
彼女達が、俺の死で痛むのか、俺の死を悼むのかは、わからない。
だから、この恐怖は、この忌避は、誰かの悲しみのせいじゃない。俺の中から、耐えに耐えたコップからそれでも水が溢れるように、こぼれ出たものだ。
ただただ俺が、俺のために、死にたく無い。
涙腺が熱い。熱した焼ごてを思い切り押し付けられたかのように。
「いいんだよ、泣いても」
そういう彼女の腕に包まれて、初めて泣いた。
産声のように、泣いた。
***
「すんません。もう、大丈夫です」
俺が泣いていたのは、一分にも満たない時間だろう。しかし、たったそれだけなのに、妙に満たされていた。
「ありがとうございました」
「お礼なんて、必要ないね。君はまだ私の患者なんだからね」
「というか、田喜野井さんって外科のお医者さんじゃないんですか?」
「外科内科精神科心療科なんでもござれの汎用人型ブラックジャックとは私のことなんだからね」
「いや、ブラックジャックも普通は人型ですからね?」
ツッコミを入れつつも、ニコニコと楽しそうに笑う田喜野井さんの視線を見るのが照れくさくて、顔を背ける。
「えっと、まあ、それじゃあ俺はこれで……」
「あ、それはちょっと待ってね」
立ち去ろうとした俺の服の袖を、田喜野井さんが摘んで引き止めた。彼女かあんた。
「ちょっと、頼まれて欲しいことがあるんだよね」
「あぁ、別にいいですよ、そのくらい」
今の俺は、すこぶる気分がよく、田喜野井さんへの感謝もふんだんにある。どんな無茶な頼み事だろうと、二つ返事で引き受ける勢いだ。
「そう?じゃあ、ちょっと紗玖羅ちゃんとデートしてもらえる?」
「はい、了解しました!!」