第二章 キャンディハウスー下
「なんか、普通に訓練とかするより疲れたよ、わたし……」
「それはわからなくもないな……」
佐倉さんと廊下を歩いている。現在、時刻は午後十時を少し過ぎたくらいである。明日から戦線に加わるということで、早く寝るように言われたのだ。佐倉さんは、完全にただの付き合いである。
さて、大抵の欠陥兵器は、付近の哨戒や出撃という任務がなければ、訓練に励む。顕現ができれば事足りるとはいえ、自身の生存率を上げたければ、やはり練度を上げるより他ないそうだ。
「まあ、練乳は認められないよ、うん」
「やっぱりそうなんだねー。今までも、ドン引きされっぱなしだもん」
哨戒と言ったが、これは沼人形の早期発見を目的とするものらしい。もっとも、成果はそこまであがっていないそうで、市民からの通報や、衛星とかそういうのの報告で出撃することの方が多いのだとか。
それでも、暇なのよりは、と訓練に飽きた彼ら彼女らはでかけていく。
「でもわたしは諦めないよ!練乳を布教するんだもんねー!」
「うん、それ絶対無理」
将来、この娘と結婚する人は、メシマズに悩まされそうだ。ご愁傷様である。
「にしても、相変わらず部屋が遠いな」
「仕方ないよ、新米は奥に部屋を置くってのがここのならわしだから」
「ただ効率悪いだけな気もするんだけどなぁ」
毎回毎回、奥の部屋からところてんのようにズレていくくらいなら、空いてる部屋にぽんぽん放り込んでいけば良さそうなもんだが。
「でも、このやり方だとすぐ上の先輩と仲良くできるからちょうどいいじゃん」
ま、わたしのことなんだけどさー。
彼女は楽しそうに笑う。
なんでも、俺が来るまで一番の新米は佐倉さんだったそうだ。初日に俺の寝ていた部屋に押しかけたのも、初の後輩に早く会いたいという理由なのだとか。
その結果、胸に触られていては、あまり笑えない。
「でもさぁ、てことは引っ越ししたんでしょ?大変だったんじゃないの?」
「んー?そうでもないよ?隣の部屋だし」
「そうなの?でもほら、私物とか、趣味の物とか……?」
そう言うと彼女は、困ったように見えない視線を宙に彷徨わせた。
「ほら、視えなくても楽しめる娯楽とか、そんな無いから……」
「………………ッ」
そりゃ、そうだ。
最大に押し込まれていた時期からはマシになったとはいえ、未だ人類は滅亡ラインの付近をうろちょろしているにすぎない、のだという。娯楽自体そこまで無く、その中で盲目の人間でも楽しめるものなど、殆どないのだろう。
「あ、でも、あれだよ!CDとかは何枚か持ってるけどね!」
「そうなんだ?……ありがとね」
フォローされてしまった。情けないことこの上無い。
「……なにが?」
「いや、なんとなく、かな。うん」
「そう?じゃあまあ」
どういたしまして。
さっきまでと何ら変わらない笑顔で、彼女はそう言った。
***
「じゃ、また明日ねー」
彼女の部屋の前で別れる。とはいえ隣室なので、別れるというほどの物でも無い。
自室に戻り、ベッドに倒れ込む。このベッドだけで部屋の半分ほどを占めてしまっているので、まあ、有り体にいってこの部屋は狭い。
初日に田喜野井さんから貰った服を脱ぐ。この服だが、やはり制服であり、渡された一着の他に、部屋の棚の中に二着あった。適度に着回せという意味らしい。洗濯は勝手に事務員的な人がやってくれるそうなので、普通の寮生活とか一人暮らしなんかよりはだいぶ楽なのだろう。
脱いだそれを畳んでしまい同じく棚に入っていた寝巻きを着て、ベッドに横たわる。
「あ、風呂……」
普段は、午前の訓練と午後の訓練のあと、食事を摂る前に軽くシャワーを浴びたり入浴したりするのだが、今日は食堂で時間を潰してしまったため行き損ねた。
というか、女性陣はどうするのだろう。俺よりよっぽど行きたがりそうなものだが……。
いや、ひょっとすると……、
「慣れてるのか?」
前線に立つというのがどういう意味か俺にはよくわからないが、少し風呂に入らないくらいなんでもないのかもしれない。
「慣れるもんなのか?そういうの……」
女性のことは、よくわからない。というか、人類を滅ぼそうとする奴らと闘う戦線に加わる前日に、何で女性の風呂事情について思考を巡らしているのだ俺は。
なんとなく、自分の兵装を顕現させてみる。
電気をつけてない夜の部屋でも、そいつの様子はよく見えた。これが、五感が強化されているということなのだろうか?
なんにせよ、明日かそれ以降か、いつかはこれを握って戦場に立つこととなる。
「……ま、だからなんだって話だけどな」
握りしめた銃を消し、頭の後ろで手を組む。
だいたい、女性が闘っているのに男の俺が闘わない道理はないだろう。しかも佐倉さん――ひょっとしたら深夜も――は歳下なのだ。
「…………なんか、あれだな」
あまり感慨とかがない。明日からはいつ死んでもおかしくないっちゃおかしくないのに。
……あ、そうか。
俺、記憶喪失だからか。
多くの人が死を忌避する理由は、自分の死が怖いという以上に、自分の死により、自分の好きな誰かが、自分の大切な誰かが、悲しむからだろう。そして、その悲しみを想起してしまうが故に、死は痛い。しかし、俺には記憶が無く、過去が無い。つまり戦死に、ひいては死に付随する悲劇とかドラマ性とかが、俺の主観からでは発生し得ないのだ。俺の死で痛む誰かが、俺の死を悼む誰かが、想像できない。
過去が無いから死が辛くないし、生が惜しくない。
なんだろう、ある種一番戦争向きの人材ではないだろうか、俺。
そんな自惚れに浸っていたら、気づいたら寝ていた。