第二章 キャンディハウスー中
「本当に、一週間経っちゃったなぁ」
少し時間が遅いせいか、普段よりは空いている食堂で、カレーうどんをすする鷺ぬ……深夜の正面でカツ丼をぱくつきながら、思わずそう呟く。
「そりゃまあ、起きて飯食って寝て終了を七回繰り返せば一週間経つだろ」
「いや、そうだけどさ」
「…………嫌なのか?」
心配そうに、深夜がこちらの顔を覗き込んできた。
距離の近さに慄き、目を逸らしながら、
「嫌じゃ、ないけどさ」
そう答えた。
なら良かった、なんて言いながらニコリと笑い、彼女は再び昼食に戻る。
………………ほんと、何なんだろうね、これ。コイツ、自分の容姿がかなり魅力的なものだって自覚、ゼロなのか?『ヨソヨソしくて嫌だから下の名前で呼び捨てて』なんてちょっと前に言われたし、無自覚か?
「……随分妙なこと考えてるのには、目を瞑っといてやるよ」
「ハッ⁉」
相変わらず、俺の思考は筒抜けらしい。勘弁してくれ。
まあ、しかし、全く嫌では無いのは事実だ。戦線に加わることも、命がけで闘うことも、その結果もしかしたら死ぬかもしれないことも、別段嫌では無い。
「……随分と、勇敢だな」
「え?そ、そうかな?……照れるな、なんか」
「いや、なんで照れるんだよ。褒めてねえぞ?」
そうなのか?しかし、女性に勇敢と言われれば、大抵の男性は喜ぶだろう。しかも、こんな魅力的な女性に、だ。
「おいちょっと待て何考えてやがる」
「まあ待て、落ち着け」
しかし、深夜のこの魅力は、何なのだろう。佐倉さんのようなカワイイ系とも違う。鴨川さんのようなキレイ系とも違う。なんだろう、これは……。
「心友系?」
「それ主人公とくっつかないタイプじゃねえか‼」
「え?くっつきたいの?」
「んなわけねえだろぶん殴るぞ⁉」
割と真剣な表情で怒られた。というか、不愉快そうだった。
「それに、前に言ったろう?アタシのことはさ」
「……うわ、そうだったな。ごめん。ほんとごめん」
アセクシャル。あるいは、エイセクシャル。
鷺沼深夜の抱える欠陥だ。
なんでも、恋愛感情が存在しないらしい。それが欠陥なのかという疑問は残るが、いずれにせよそんな深夜相手にこういうイジリは、まぁ、極悪非道と罵られても文句はいえない行為だろう。
素直に平伏する。
「あ、いや、そこまで怒っちゃいないけどさ」
「いやでも、今のは俺が完全に悪いから……」
「隣、いいかしら?」
ちょっと場が停滞しかけた途端、そんな声が後ろから聞こえた。
「あ、鴨川さん」
「姉御!こっちこっち。こっち座ってよ!」
深夜は、鴨川さんのことを姉御と呼ぶ。以前聞いたところ、二人は幼馴染だそうだ。理由になってない気もするが、まぁ、人に歴史ありというやつだろう。ともあれ、深夜はよく鴨川さんに懐いている。姉御などと呼ぶと、親分と舎弟のような感じがしてくるが、どちらかというと飼い主と犬に近い。
「あれ、そういや佐倉さんはいないんですか?」
ほとんどの場合、鴨川さんと佐倉さんは一緒に訓練しているため、よく見かけるのだが……。
「あぁ、彼女なら、今自分の料理運んでこっち来てるわよ」
鴨川さんの視線の先を追うと、確かにそこには佐倉さんがいた。おぼんを持ち、スイスイと椅子やテーブルを避けながらこちらに向かってくる。
「相変わらず、目が見えないとは思えない挙動ですね……」
「まあ、欠陥兵器になると五感とか筋力とかが強化されるから、その賜物ってやつじゃないかしらね」
「それでも、初見はビビりましたよ」
流石に、毎日三回その光景を見ればリアクションを取らずに済むくらいには慣れるが。
相変わらずっていうなら、と鴨川さんは俺と深夜の顔を交互に眺める。
「深夜は同年代と仲良くなるの早いわねぇ」
「そうかな?今回は最初好感度がドン底だったから遅いほうなんだけど」
「は、反省してるからそこはいじらないでくれ……」
偶然って怖い。
「ま、普通にいい奴だったからな。仲悪くしてる理由も無かったし。そんなところだよ、姉御」
あっさり言ってのけるが、こいつの切り替えの早さというか、気に留めなさは凄い。竹を割ったような性格というのは、こういう人間に使うべき言葉なのだろう。
「とうっちゃーく」
そんなことを考えていたら、子供が来た。違った、佐倉さんだ。驚くべきことに、このキャラと見た目で十五歳だそうだ。深夜より二つ歳下なだけとか、嘘だろ?
「隣、座るね」
「あ、うん」
ドン、と佐倉さんはおぼんを俺の隣に置いた。
ふーむ。
「相変わらずといえば、相変わらず佐倉さんはよく食べるね」
「そ、そうかな?」
本当に、彼女はよく食べる。男の俺と同じかそれ以上に食う。その割に、胸も背も成長が見られないのが、哀愁を誘う。
「紗玖羅ちゃん、隣の男子殴りなさい」
「うん」
「いや、躊躇無しはおかしグブェ」
腹部を殴られた。痛い。何故だ。
「いや、なんで殴られずに済むと思ったんだよ……」
深夜に睨まれた。くそう。
「そ、そういえば、一つ聞きたいことがあったんですけど、いいですか?」
「……胸に関することじゃないなら、いいよ」
佐倉さんが拗ねてた。可愛い。
「あ、殴らないで下さいね?褒めてるんですから、殴らないで下さいね?」
「何を考えたの……?」
「サクラが可愛いとさ」
「うぇええぁ⁉」
めっちゃいいリアクションだった。……ふむ。
「可愛いね」
そう言うと、佐倉さんの顔がさくらんぼのように真っ赤に染まった。
「とうとう口に出したぞコイツ……」
深夜の口から、心底呆れたという風な声が漏れた。
「バ、バカじゃないの⁉そ、そうだ、聞きたいことあったんでしょ⁉早く聞きなよ!何、みんなのスリーサイズとかかな⁉今なら教えたげるよ‼‼」
「いや、言わねぇよ⁉少なくともアタシは教えねえよ⁉」
「私も言わないわよ」
「というか、聞かないよ!何で佐倉さんは自ら茨の道に踏み込むんだよ⁉」
「い、茨っていうのは酷いよ市川くん!茨じゃないもん!ひょっとしたらワンチャンあるかもだもん‼‼‼」
「にゃー」
「しーちゃんそれはネコちゃんだしワンチャンのワンチャンはワンコのワンちゃんじゃないよ⁉何でそんなつまんないこと言ったの⁉」
「ま、なんであれワンチャンは無いわね」
「鴨川さんそれは一刀両断が過ぎますよ!」
佐倉さんが死んだような目でテーブルに顔を伏せた。可哀想に……。
因みに、佐倉さんにつまんないと言われた深夜も、暗い表情で食器を下げに行った。死屍累々すぎる。
「で、何が聞きたかったのかしら」
「あ、その、この一週間、沼人形って出なかったんですか?」
「え?出なかったけど、なんでかしら?」
「いや、なんかエース的な存在らしい鴨川さんが暇そうっちゃ暇そうだったんで、そうかなと思いまして」
「エースって。まあ、そこは置いとくとして、そうね。沼人形はこの一週間出現してないわ」
「えっと、それって普通なんですか?」
「普通?」
「つまり、沼人形の出現率ってどんなもんなんです?」
「ああ、そういうこと」
そうねえ、と鴨川さんは顎に手を当てて考えだした。
「ある程度は、そりゃ来るわよ、あいつら。でも来ない時は十日とか平気で来ないし。かと思えば二週間連続で現れたりするし」
「そうなんですか?」
「ええ。ま、一週間来ないならちょっと珍しいくらいかしらね」
鴨川さんは、テーブル横の醤油に手を伸ばす。
「これに、ソースをかける人くらいの珍しさよ」
彼女の昼食は、目玉焼き他数品である。
「それで言えば、昼食に目玉焼きをチョイスするのも、それなりに珍しいっちゃ珍しい気もしますけどね」
「というか、ソースかけるのってそんなに珍しいかな?」
自身の身体的特徴に対するイジリから復活した佐倉さんが、ようやく顔を起こした。
「んー、俺は記憶喪失的な意味でよくわからないけど、塩とか醤油よりは珍しいんじゃないの?」
「そっかー。あ、わたしは自分と同じものかけるって人と会ったことないから、珍しいのかなーって」
「え?紗玖羅ちゃんそんな突飛なものかけてるの?」
「んっとね、練乳」
『………………………………はぁ?』
俺と鴨川さんの声が、完全にダブった。
「いや、だから、練乳。コンデンスミルク」
「なんで英語で言ったのかはさておき、本当に練乳かけてるの貴女⁉」
「か、かけてるけど……」
「いやいやいや、おかしいよ!それはどう弁明しようと弁解しようと弁護しようとおかしいよ⁉」
「え?さっき記憶喪失だからよくわかんないとか言ってた人が、そんなこと言うの?」
「言うよ!言わせろ‼これは記憶喪失でも変だとわかる変さだわ‼‼」
「そ、そうなの?いやでも、練乳甘くて美味しいし……」
『それとこれとは話が違うーーー‼』
その後、戻ってきた深夜と共に、午後の時間の殆どを費やして目玉焼き談義に花を咲かせた。
完ッ全に無駄な一日だが、人間、ひいちゃいけないことはあるのである。