第二章 キャンディハウスー上
「なあ、そろそろ昼にしねえか?」
声をかけられたので構えた銃を降ろし、壁にかけられた時計を見る。なるほど、そろそろ午前が終わりそうな頃合いだった。
「あー、もう少し撃ってから行くよ。悪いんだけど先行っててくれるかな、鷺沼さん」
そう返すと、非常に不満そうな顔をされた。いやそんな顔をされるいわれは別に無いような……。
あっ。
「えっと、ごめん。先行っててくれる?深夜」
言い直すと、彼女はとても満足げに頷いた。軽く手を振ったあと、再び銃を構える。
***
俺が目覚めてから一週間が過ぎた。
俺は、宙ぶらりんな存在として、今日までを過ごしている。
***
あの後、つまり俺が顕現に一発で成功した後。
俺と鷺沼さんと佐倉さんを残して、鴨川さんと田喜野井さんは、本部長なる人物を呼びに行った。
「…………いや、誰?」
「本部長のこと?ここで一番偉い人だよ。もうおじちゃんだけどね」
佐倉さんが、ズズッとこちらに顔を近づけて言う。
「……へぇ?でも、何でそんな人を呼びに行くの?」
その近さに若干辟易しつつ、後退しながら聞くと、
「んーとね、顕現ができるっていうのは、欠陥兵器として戦場に立つための要因の半分近くを占めてるんだよね。正直、顕現ができるイコール前線に立つ一歩手前、みたいなとこあるし」
「だからって即刻即座にってのも不安が残るだろ?だいたい、こんな早く顕現できるようになる前例なんてねぇし。だから、上の意見をお伺いに行ったのさ」
佐倉さんとは反対側に座る鷺沼さんが、俺からじりじりと離れながら言う。まあ、三人一列に横並びで座っているので、そりゃこうなる。
にしても、おじちゃんか。俺以外の男性の存在を感知するのは、目覚めてから初めてじゃないだろうか。そう思うと、少し感慨深い。
「そりゃそうさ。欠陥兵器の適正が高いのは、理由は不明だけど、女性だからな。多分、この国全体で考えた男女比は、三対七とかだと思うぜ」
相変わらず、俺の疑問や思考は見透かされているらしい。もうリアクションを取る気も起きない。
「…………ズルいなぁ、そういうの」
不意に伸びてきた手が、なかなかの勢いで頬を突いた。佐倉さんが、ふくれっ面をしながら腕を伸ばしていた。
「ズ、ズルい?」
「その、顔を見てやるコミュニケーションの取り方がさぁ、ズルいよ。わたしできないもん」
胸まで揉まれてるのに。
そう、不機嫌そうにグチる。
いや、胸に触れはしたけど揉んではねえよ。だいたい、柔らかくはあれど揉むほどはないだろう。
「サクラ、今こいつめっちゃ失礼なこと考えてるけど、聞きたいか?」
「うん。聞きたい、聞かせて」
「待って待って俺死んじゃう」
両側からの殺意の波動がハンパない。
「と、ところでさ、さっきの話の感じだと佐倉さんの補填兵装は銃器じゃないみたいだけど、なんなの?」
「思いっきり話変えたね……」
呆れたような声を出す佐倉さん。
「まあ良いよ、見せたげる」
そうして彼女は、座ったまま左手を正面に突き出す。
「顕現、煙々羅」
一瞬のうちに、その左手に一振りの刃物が現れた。刀身や柄の部分に、桜の花びらの模様が入っており、見た目は非常に優美だ。日本刀、なのだろうか。短すぎる気もする。
「というか、剝き身なんだね」
「うん。別に補填兵装だから折れたり錆びたりしないし。それにまあ、闘うのにそういうの要らないんじゃない?わたしも詳しくないけどね」
そういうもんなのだろうか。
「で、これがわたしの兵装、煙々羅。鎧通しっていうらしいよ、こういう形状の日本刀のこと」
「鎧通し……」
知らない言葉だ。いや、記憶喪失なんだから仕方ないけれども。
「これ、短すぎて闘い辛いんだよね。そういう意味だと、ひーさんが羨ましいよ」
「ひーさん?鴨川さんのこと?」
「うん。真昼だからひーさん。ひーさんはすごいよぉ、凄く長い刀使ってるんだけど、沼人形の討滅数、確か日本国内の上位五位にはいるもん」
「上位五位⁉……って、凄いの?」
なんとなく驚いてしまったが、いまいち具体的な比較ができないからわからない。
「そうだな、本人は、五十より先は覚えないって言ってたよ。因みにアタシが七で、佐倉が一だ。もっとも、基本的に連携で仕留めるし、あいつは十年近く欠陥兵器として活動してるから、一概に凄いとも言えないけどな」
「いや、それなら十分十二分に凄いと思うよ?」
そうとしか言えなかった。というか、触れたのがあの人の胸だったら、俺死んでたんじゃないか?
そんな軽口をたたこうと、佐倉さんのほうへと向き直って、気づいた。
妙に、真剣な表情をしている。顕現させたままだった煙々羅を、手が変色するほどに、握りしめている。
それは、目覚めたての俺でも、おかしいとわかるものだった。
その俺の隣では、鷺沼さんが、うめき声を漏らしていた。
急に変質した雰囲気に、何か言うべきか否か迷っていると、
「ふむ、どうやら彼女たちは追いつけなかったようだな」
そんなことを言いながら、一人の変態が入室してきた。
そう、変態。変態である。
どこがといえば、入室時のかっこうだ。
なぜか、尻と両足を中空にあげ、膝を二の腕につけていた。いわゆる、ヨガにおける鶴の姿勢だった。
見た感じ、七十前後といったところか。真っ白い髪の、男性の変態である。
「まーた部下と追いかけっこっすか、本部長」
鷺沼さんが、呆れたような声をだす。
そうか、この変態が本部長か…………え?
「ほ、本部長?」
「いかにも。私が、神話戦線関東本部本部長の、逆井堺だ。よろしく」
男性が、ヨガのポーズを崩し(その姿勢でどうやってドアを開けたんだろうか)にこにことこちらに右手を差し出してきた。思わず握り返す。
「よ、よろしくお願いします……」
「うん、よろしく。さて、さっそくだけど君には言わなきゃいけな「足が早すぎますよ本部長‼」いことが……」
バンッと大きな音がして、勢いよく扉が跳ねた。
肩で息をする田喜野井さんと鴨川さんが、そこにはいた。
「いやいや、アラフィフに速度で負けてしまうだなんて、君たちが遅すぎるんじゃあないかな」
だいたい、足じゃなくて手だし。
そう言って、ニヤニヤとチェシャ猫じみた笑顔を浮かべる逆井本部長。
「というか、アラフィフ⁉」
「いえーい」
嬉しそうにピースサインを向けられた。なんだこの軽いアラフィフ。
「ふむ、話の腰を折った女性陣は後でセクハラの刑に処すとして、市川くん。話の続きだ」
「セ、セクハラのけ……グオッ⁉」
男のロマンに興味を示したら両側から殴られた。ちくしょう。
まあしかし、さっきの佐倉さんと鷺沼さんの妙な雰囲気が弛緩してくれて、良かったともいえる。佐倉さんの煙々羅も、いつの間にか消えていたし。
「……話の続きだが、さて、市川くん。君は顕現が既にできるという報告だが、本当だね?」
「は、はぁ。できますけど」
「ちょっと見せてくれ」
先ほどとは打って変わって、本部長は唖然とするほど厳格な顔をしていた。と同時に、自分の背中が湿っていることに気がついた。
冷や汗だ。どうやら俺は、緊張しているらしかった。こんな初対面のチャラいアラフィフに。
しかし、緊張した程度でできなくなるようなことでもないらしく、顕現はあっさりできた。
「こ、こんな感じですけど」
「…………まさか、本当にできるとはな」
驚き一色の表情というのは、こういう顔をいうのだろう。そんな顔を、彼はした。
「どうしますか、本部長」
漸く息を整えたらしい田喜野井さんが尋ねる。
「…………一週間、かな」
「え?」
「一週間待つよ。記憶もないらしいし、その時間でここに慣れるなり訓練するなり、好きに過ごして欲しい」
「それで、一週間経ったら……?」
彼は嗤う。
「うん。一週間経ったら、君は戦線の兵器だ」
そう言って、俺の肩を軽く叩いた。