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裁きの国のニルヴァーナ  作者: ましろ
7/7

血塗られた道……

 死にたいと思ったことはあるだろうか。

 俺はある。こんなことを言えば自殺志願者と思われるかもしれないけど。昔は本当に死にたい、と願ったことがあった。

 それは生い立ちとか、家族関係とか、様々なしがらみから逃げ出したくなって。

 それで、そう思ってしまった。

 自分がいなくなれば、皆が笑顔になれる。そう、本気で思っていた。

 その考えは、九割方間違っていて、残りの一割は正解だった。

 あんたなんか、死んじゃえば良かったのに、とか。

 どうして生まれてきてしまったの? とか。

 時として、脳の奥底まで刻み込まれた言葉は、幾星霜の時を越えたとしても、己を縛りつける。

 その人を思い出せなくても、言葉は覚えている。


「生きて、生きて、生きるの……約束よ。それが、あなたの罪」


 反駁する誰かの言葉。その言葉に導かれるように、光射す方へ手を伸ばす。

 誰かが笑った気がした。それでいい、と。

 多分、目覚めたらもう思い出せないだろう。

 これはきっと、そういう夢だと、思うから――――。





「ここは…………」


 気が付けば、布団の中にいた。つまり、生きているということを実感するには十分な条件だった。

 自分の部屋、自分の匂い、違う誰かのぬくもり。

 観音は俺の手を握ったまま眠っていた。俺の隣で丸くなっている。まるで猫のようだ。この子を見ていると、自分の中の「何か」が激しく訴えかけているような気がして、無意識に手を伸ばす。サラサラとこぼれ落ちるようなブロンドの髪は人肌の温もりを当たり前のように保っている。


「十九時過ぎ……あれから半日くらいか」


 夜叉、彼女は久遠ちゃんを殺そうとした。あの子はとても危険だ。俺は久遠ちゃんを守るために呪詛をこの身に受けた…………そのはずだ。

 死んだと思った。明確な殺意が彼女にはあったからだ。なのに、なぜ俺は生きているのだろう。両手を握り締めたり体のあちこちを触ってみたが、どこにも異常は見当たらない。

 強いて言えば、少し頭がクラクラするくらいか。あと、異常に股間が疼く……のはいつものことか。


「摩訶…………! よかった…………」

 マイエンジェルである久遠ちゃんのまさかの登場で、俺の股間は最高潮に達しています! 勢いよく抱きしめようと手伸ばすとそのまま関節を決められKO! 基本的に容赦なし。そこが痺れる憧れる!


「調子に乗らないの……全く」


 頭を小突かれてテヘペロっと女子力を高めていたらまた怒られた。どうやら本気で心配してくれているらしい。だったら付き合ってよね! ○ックスしてくれてもいいよね!

 もちろんそんなことを言えるわけがない。素直に嬉しかった。やっぱり、幼馴染という設定はとことん男の子に優しい。困ったときに助けてくれたり、実は主人公のことが大好きで仕方がなかったり、多分このあと料理を作ってくれたりもする。


「…………お粥、作ったけど、食べられそう?」

「……ふーふーしてくれる?」

「死にたいの?」

「特盛で!」


 あんまり調子に乗せてくれないのが、俺の彼女(仮)なのだ。

 あまりにもうるさすぎたので観音が起きてしまったようだ。眠そうな瞼を擦りながら少し恨めしそうにこちらを見ている。基本的に目つきが悪い(鋭い)のでもう怒っているようにしか見えない。ごめんなさい…………。


「彼女、摩訶が起きるまでずっと手を握っていたのよ」

「…………ありがとう、観音」

『どういたしまして』


 だが、観音はスケッチブックを目の前に掲げながらも俺の手を離そうとしない。このままでは俺が動けない。どうしようか思案していたところ、観音の方から動きがあった。


『摩訶、死んじゃったかと思った』


 脱兎の如く俺に体当たりしてきたかと思うと、そのまま動こうとしない。俺の体にぴったりと小さな体を密着させている。

 なぜだろう。この子の体に触れていると、何か大きな力の流動を感じるのは…………? 

 俺は、知っている(何を?)


(お前の全てを捧げろ。何度生まれ変わったとしてもお前は俺の物であるという誓いを立てろ)


(すべてを、あなたに捧げます…………どうか村を助けてください)


 誰の声だ?


(誓います。何度生まれ変わろうとも、あなた様の……贄であることを)


 やめろ…………。


(いいだろう。お前の願い、聞き届けた。我はこれより現世に君臨し、あまねく土塊共に慈悲を与えよう)


 やめろ…………!!


(御心に、感謝します…………)


「やめろ!!」

「!?」


 突然大声をあげた俺にびっくりしたのか、観音は目を丸くしてビクビクと体を震わせている。久遠ちゃんも怪訝そうに俺を見ている。

 俺自身、何が起こったのかわからない。何かフラッシュバック(そもそも過去に起きた記憶ではないが)のようなものが一気に脳に雪崩れ込んできたのだ。膨大な記憶(記憶?)の量に抵抗するため、悲鳴を上げなくては耐えられなかった。


「驚かせてしまったね。ちょっと今、生理現象がひどいから。観音、悪いけど居間で待っていてもらえるか? すぐに行くから」


 優しく髪を撫でると、観音は安心したのか、落ち着きを取り戻し、途中、数回振り返りながらも部屋から出ていった。

 


 

 しばらく時間が経った後、久遠ちゃんが壁に寄りかかったまま静かに一言告げた。


「最低」

「仕方がないよ。久遠ちゃんがいるんだから」

「そのことじゃないわよ。ああ、それも男として最低で気持ち悪いけど、摩訶らしくないわよ、怒鳴るなんて」

「俺だって嫌な時は嫌だって言うよ。恥ずかしいときは恥ずかしいの」

「私、見たことなかったけど、あなたがそんな風に取り乱すの」

「取り乱しまくっているよ、見てよこの股間……いやいや、その刃物はいらないから切ろうとしないでごめんなさい!」




 布団にでかでかと大きな穴を付けた刃物をゆっくりと鞘に収めた久遠ちゃんはすっきりした顔で何もなかったかのように振る舞っている。俺は一生忘れない、さっきまた殺されかけました。男の子として!


「摩訶、助けてくれたことにはお礼を言っておくわ、ありがとう。けど、あんな術くらい返そうと思えば幾らでも返せるの。あなたは神通力が使えないのだから、命を粗末にしてはだめよ」

「…………久遠ちゃん、でも」

「もう、子供の時の私じゃないの。あなたに守ってもらう必要もない。彼氏もいる。ねぇ、あなたが心配する必要なんて、どこにもないのよ」

「でも…………」

「それとも、姉さんが言ったから?」


 俺は何も言うことができなかった。図星だったということもある。だけど、久遠ちゃんが俺を疎ましいと感じているからこそ、知らず知らずにショックを受けているのかもしれない。

 子供の頃とは違う。

 何もかもが変わった。環境も、関係も、心も、体も、俺を除く、全ての世界が変わっていく。俺は置いていかれたのか。

 観音に、久遠ちゃんに。

 全ての、者たちへ。









「今の卑怯だったね。忘れて」


 お粥、温めてくるね――――その言葉に返事もできないまま、俺はしばしの間一人になった部屋で佇んでいるのだった。



 夜叉は、学生に神通力を行使したことが問題になり、異端審問にかけられるのだそうだ。

 十中八九、御仏としての資格を失うと噂されている。

 被害者である俺の言い分を聞かない点については甚だ納得がいかない。そのことを久遠ちゃんに伝えたが、彼女もこの件については負い目を感じているらしく不審に思っている。



「私は、彼女が使った神通力に問題があるんじゃないかと思う」

「神通力に?」

「そう、あの呪詛は、邪神と言われていた最も古い神々を信仰していた者たちが使ったとされている真言よ。彼女は、古い神様の信仰者なのね」

「古い神…………」

「正しくは、キョウリュウ。固い鱗に覆われた体、全てを飲み干す大きな口、凶悪な牙、圧倒的な膂力。爬虫類に分類される私たちの天敵ね」

「でも、彼らは氷河期で絶滅したはずじゃなかった?」

「そうね。私たちの先祖様たちが隕石を落とし、生贄を欲する邪悪な神を滅ぼした、なんていうのが教科書に載っている話だけど」



 かつて、この世界は異形の者たちが支配していた時代があったとされる。

 第一世代は、まだ生物という生物が誕生していなかったとされる時代『植物紀』

 植物が世界を支配していた時代。彼らは彼ら特有の言語を使い、お互いにコミュニティを築き上げていた。ただ、繁栄と平和が続く(そもそも争いという概念が存在しない)この時代はおよそ、数千年に渡りゆっくりと生命の息吹を吹き込んでいく。

 ところが、その時代は突然終わりを告げた。

それが『神生紀』――――神の誕生。



「大地を揺るがし、天を駆け、破壊の限りを尽くした古き神…………」



 哺乳類が生まれたと同時に彼らは突然その姿を現したとされる。

 地上の王として君臨したキョウリュウたちはまず、全ての生命に言葉を授けた。それは、キュウリュウが全能の神である証拠だった。なぜなら、生まれたばかりの哺乳類たちは何の知恵も持たなかったからだ。

 キョウリュウは我らの先祖に告げた。



「人間たちよ。我に従え、我を崇めよ。さすれば、これから先、貴様らに永遠の繁栄を約束しよう」



 キョウリュウは、男女の営み、子孫の繁栄、つまり人間の生きる意味について語る。そして生きるために必要な最低限の知恵を与えた。

 それは、自らの餌を作り出すために与えたのだ。事実、キョウリュウは生贄を欲したと文章に書いてある。

 



「邪神は、そののち、神通力を持つ先祖様たちの力により、消滅した。だけどまさか、信仰者がいるなんてね」



 久遠ちゃんは神妙な表情でつぶやいた。俺には夜叉が唱えた呪詛が古神の力かどうかなんて判断できなかったけど、久遠ちゃんが言うならそうなのだろう。

 だけど俺がやることは変わらない。夜叉がしたことは許されることではないけれど、肝心の俺が、どうなっているのかを判断したうえで、彼女の処遇をどうにかしてもらいたい。つまり、俺には彼女に一言、物申す権利があるのだ。



「俺、学校に行ってくる」

「今から? 今日はもう無理よ。明日からでも――――」

「今日じゃなきゃダメだ。もしかしたらひどい目にあっているかもしれない。俺は、久遠ちゃんと違って、御仏を信用していないからね」

「…………まさか、侵入するつもりじゃないわよね? あなた、そんなことすれば本当に退学よ!?」

「もともと、学校なんてやめるつもりだったんだ。今更、後悔なんてないさ」

「バカ……! 周りにいる人の事も考えなさい! あなたが大変なことになれば心配する人がいることもわからないの?」

「――――――いるの? そんな人?」

「――――――!」


 我ながら、あまりにも卑屈な問いに、久遠ちゃんは押し黙った。

 そもそも、俺がどこでどうなろうが、誰にも迷惑などかからない。姉は多少鬱陶しがるかもしれないが、むしろ喜んでくれるかもしれない。

 父は死に、母も死んだ。家族と呼べる人はもうどこにもいない。



『いるわ、摩訶』


 観音が俺の手に触れた。こんな少女に心配されてしまうほど、今の俺はひどい顔をしているのだろうか。

 とんだ道化だな。摩訶よ。


「ありがとう、観音」


 俺は彼女の手を優しく解き、護衆科で貰った刀を腰に掲げる。刀など振ったことのない俺だが、不思議と手に馴染んでしまうのは訓練の賜物か。手元にあったところで、どうせ役に立たないとわかってはいるが、ないよりは、いい。


「本当に行くの? おかしいわよ……だってあなたを殺そうとした相手なのよ!?」

「助けたら抱かせてくれるかもしれないだろ? ――――行ってくる」


 軽口を叩きながら俺は笑顔で久遠ちゃんと観音に手を振った。果たしてそれはどんな笑顔だっただろうか? きっとひどいものだったに違いない。

 なぜなら、体が震えて今にも逃げだしたいくらい怖いからだ。

 人は、死にたいと思えば思うほど、その性に本能が抗う。死への恐怖が死への魅力勝ることは難しい。

 しかし、体は不思議と前へ進む。夜叉を救わなくてはならない、そう俺の中で何かが訴えている。小さいころからあった謎の違和感。俺には、時々こういった予言じみた感覚が不意に襲ってくることがある。そういう時にはまず確実に危険を示している。よかったと思ったことなど一度もない。役に立たない能力だ。


「待ってろよ……おっぱ…………夜叉! 戻ってきたらお仕置きだ!」



 静寂の夜を駆け抜け、俺は夜叉の囚われている学校へと急ぐのだった。





「あの~すいません。学校に忘れ物しちゃって…………」


 俺はさっそく警備員に捕まり尋問を受けてしまっていた。エージェントでも忍者でもない俺は堂々と校門を潜り、堂々と捕まったのだ。だってなんか夜の学校って怖いんだもん。人恋しくなってしまったのだ! 

 警備員は生徒手帳を見せると少し困ったように薄ら笑いを浮かべて俺を校舎に通してくれた。去り際に何気なく放った言葉は俺の心に焦燥感を与えるに十分だった。


「今日は先生たちも沢山残っているみたいだね。何か会議でもやっているのかな」


 俺はその足で教務室のドアに近寄り耳を傾ける。そこで行われていたのは、やはり俺の思っていた通りに惨劇だった。

 俺は知っている。あいつらがどれほど残虐な性格をしているかを。

 俺は知っている。かつて、そのせいで命を失った大切な少女がいたことを。

 なんだろうか? この、心を満たしていく不思議な感覚は…………?



「邪教の信徒が、よもや学園に侵入していたとは…………なんたる不覚!」

「夜叉といえば…………毘沙門天の眷属であるとばかり」

「だが、あの呪詛は間違いあるまい。かつて我が先祖たちを死に追いやった忌まわしき邪神の力!」

「聞けば、天涯孤独の身だと聞くが…………よもや、転生したのではあるまいか?」

「バカな! ではあの時の小娘と同じ…………何者だ!」


 怒声と同時に強大な神通力が俺の体を中へ引きずり込み、地面へ叩きつける。その拍子に体の中の酸素を全て吐き出され、俺は呼吸活動に全てを注ぎ込まなくてはならなかった。


「こいつは…………確か、在籍番号三九番、確か……摩訶」

「そうだ、仏陀を輩出し続けている一族の…………」

「お、おい、まずいんじゃないか? こんなこと、仏陀に知られたら…………」



 虚ろな瞳のまま周囲を見渡す。そこには椅子に括り付けられた、まるで見世物のように座らされている少女がいる。体のあちこちは赤く腫れ上がり、長時間に渡り拷問されていた形跡がくっきりと残されていた。

 少女、夜叉は虚弱しきった様子だったが、俺が視界に映るとまるで化物でも現れたかのように驚いている。助けに来てあげた身としてはそんな顔をされていることに激しく不満だが、この絶体絶命の状態では言い返すこともできない。

 夜叉の口元がなぜ? と問いかけている。が、その疑問に答える時間もなく、俺の体は再び神通力により拘束された。

 よもや、ここまでの差があるのか、と我ながら情けなくなる。まだ、始まってすらいないというのに。

 そうこうしているうちに、一人の教師が俺を見下ろしながら厳しい表情で尋問してきた。


「摩訶君、ここでの話は全てなかったことにしてほしい」

「別に構いませんよ。ただ、その子は離してください」

「それはできない。彼女は罪を犯した。校則に則って、罰するべきなのだ」

「神通力を使ったことですか? 俺はぴんぴんしています。俺の言い分も聞かずに、随分勝手なのですね。それに、見たところ彼女は暴力を受けていますが…………体罰にしてはいささかやり過ぎなのでは?」

「君には関係のないことだ。立場を弁えたまえ」

「わかりました。では、このことは一字一句、姉に伝えさせてもらいます。おそらく、この学校は廃校になり、あなたたちは神通力を剥奪されることになりますよ。あの人は容赦しないですから」


 もちろん、全くのはったりである。俺の姉は、俺のことが大嫌いなので一切の言うことを信じないだろう。

 それでも仏陀には絶対的な権力がある。大人は権力に忠実であり、それは決して間違った考え方ではない。家族、守るべき者、そういったしがらみを抱える者こそが正しい姿なのだ。

 俺は、そんな彼らの心を平気で踏みにじる。利用できるものは平気で利用する。それが、俺の守り方だから。

 拘束されていた呪縛が解け、夜叉の元へゆっくりと歩み寄る。


「退いてもらいますよ――――」


 椅子に括りつけられた、まるで罪人のような彼女を介抱しつつ、俺は立ち竦んでいる教師たちを睨みつけた。


「どういうつもりですの? わたくし、助けてほしいなどと言った覚えはありませんわよ」

「黙っていうとおりにしろ」

「な、何ですって……!」

「聞こえなかったのか? 死にたくなかったら黙って言う通りにしろ」



 彼女の衣服が無造作にはだけている。傷ひとつなかったはずの肌からは血、あるいは何か硬い物で殴打されたように鬱血して紫色の斑点が出来ていた。

 ――――ドクン。

 ――――ドクン。

 これは何だろうか。

 小さな頃、彼女を失って久しかったあの気持ちにも似ている。

 いや、今はいい。夜叉の体を支えながら俺は歩き出そうとした、がその直後、今もっとも会いたくなかった人物の声にそれは遮られてしまう。


「――――――その男を引っ捕えろ」



 嘲笑うように教務室の扉を開けたのは、学園長だった。

 その表情には嬉々とした欲望が鮮烈に現れている。何がそんなに嬉しいのだろうか? 俺がここに現れたこと? それとも俺たちが初めからこうなることを分かっていたのだろうか。そもそも、邪教徒である夜叉をこの学園長がみすみす野放しにするはずがない。


「ですが、学園長…………」

「構わんさ、そいつは姉と絶縁状態だ。この私が言うんだ間違いないよ」



 教師たちは学園長の言葉に動揺していたが、やがて意を決したように再び俺に対し神通力を放つ。強烈な重力が俺と夜叉の全身に降りかかり、無力にも、俺はまた身動き一つとれなくなってしまう。


「悪く思わんでくれよ。邪教徒は殺さなくてはならん。それが、私たちの使命なのだ」


 歯がゆい。なんて歯がゆいのだろう。自分の弱さに悲観したのはあの時以来だ……。

 連中がどんな理由で夜叉を殺したいのかはわからない。そんなことはどうでもいいのだ。

 ただ、俺は夜叉が死んでもらっては困る。短い付き合いなのに、なぜそこまで執着してしまうのか。


「摩訶、わたくしを捨てて逃げなさい。あなたには何も関係ないわ。彼らも今ならきっと許してくれる」


 苦悶に満ちた表情で、夜叉は懸命に俺へ訴える。

 しかし、俺の心情といえば、この理不尽な暴力に対する“怒り”のみだ。

 “怒り”?

 ああ、そうだ。俺は怒りに満ちている。

 この状況――――夜叉への仕打ち、俺への仕打ち、俺自身の弱さに対する怒り。

 これはいけない。やめろと俺自身が警告を促す。


「まだ、足りんのか…………もう少し力を強めろ。ああ、女の方だ」


 学園長の合図で、神通力を発動している教師はその力を強めた。すると、夜叉の口から悲痛な叫び声と共に関節の砕けた音が聞こえる。

 ――――ドクン。

 ――――ドクン。


「や、やめろ。やめてくれ…………彼女が何をしたというんだ…………」

「彼女は邪神の信徒だ。我々に仇をなした、古き神……いや、化け物の力を得たとされる呪われた巫女の一人。殺されては生まれ、殺されては再び誕生する、まるで何かを待ちわびるように…………彼女が生きていれば邪神が復活する危険性があるのだ」



 邪神。

全てはキョウリュウという古き神が原因だと学園長は言う。

邪神の巫女は、必ず輪廻転生する。

歴史をひも解いてみれば、キョウリュウという神を信仰する集団が必ずと言っていいほどその姿を現す。

 キョウリュウを倒す物語では、その巫女たちは化物のように描かれ、御仏と戦い、敗れる。

 それは一種の洗脳であるように。幼い頃から俺たちは古神を虐げてきた。



「この……力は、わたくしの家に代々伝わる呪術です…………邪神? 笑わせるな。邪神はお前たちだ…………偽りの神に惑わされた愚かなる人間ども。我が、民たちの命を平気で弄び、神を名乗った罪……万死に値する!!」



 夜叉は涙を流していた。それは、あの裁判所で見た光景を思い出しているのだろうか。

 つまらなそうなその瞳の奥では、理不尽な行為に対する煮えくりかえるような思いがあった。

 そうなのか。お前は、誰よりも人間の、俺たちのことを考え、御仏に対して殺すと宣言したのか。

 その行為は、間違っている。

 だが、連中のやり方はどうだろう?

 誰が、どう見ても、間違っているのだ。



「一つ、君に言いことを教えてやろう。勝てば官軍、負ければ賊軍……社会のルールだよ――――――殺せ」



 一切の慈悲もなく、学園長は命令した。その命令が下されると共に、神通力はその力を増し、遂には夜叉の命も消滅するだろう。

 また、守れないのか。

また、失うのか。


 大切な人を。

 懐かしい人たちを。


 俺は、


 俺は…………。







「――――――やめよ」



 誰かの声が聞こえた。

 その声は言葉一つ一つが、聞くことを許されないかのように神聖であり、逆らえない。

 凄まじい力の、神通力とは違う力の渦が辺りを支配する。

 言葉一つで、神通力の効力は全て失われ、教師たちは戸惑う。それもそうだろう、“神通力”が利かないのだから。

 正しくは、彼ら程度の力では歯が立たないのだ。

神通力は致命的な欠陥がある。

どんな力も万能ではない。だからこそ、その力を使う者はその欠点に注意しなければならない。

第一、長時間の神通力の行使には莫大な体力が必要になるため、不可能。

第二、神通力は一人に対して一つ。例外はない。

第三、術者は行使している間は呪詛を唱えているため、無防備になる

第四、どちらかが神通力を唱えている場合、当然、力の強い者が強大な術を発揮するが、呪詛の速度により力は増幅するため、早く呪詛を唱える者がより強力な力を発揮する場合もある。

 

 そして第五。


「遂に現れたか…………摩訶! やはりお前が御仏殺しの犯人か!」


 なぜ、邪教徒は抹殺しなくてはならないのか。

 それは、恐ろしいからだ。未知なる力が。己の範疇を超えた力が。

 人は、理解できないことを恐れ、忌避する傾向がある。

 それ自体が、人間らしさであることを、なぜ気が付かない?

 神通力は、“人が作った技術である”ということ。


「探していたぞ……お前を! 神通力ではない、その力……それこそが私を再び仏陀へ導く光! それさえあれば、あの女を引きずり落とし、またあの輝かしい日々を手に入れられるのだ!」


「…………それが、貴様の狙いか。自らの生徒を虐げ、己の欲を満たす。断じて許すわけにはいかぬ」

「知ったことか! 何者かは知らないが……摩訶、お前を殺し、私がその力を手に入れる! いくぞ、化物!」



 人の叡智の結晶を、女は己の身に纏い襲い掛かってくる。凄まじい闘気と繰り出す炎の弾丸は避けることで精いっぱいだ。

 これほどまでに人間は力を求め、その技術を手に入れた。それは、神のいなかった世界で、人々が生きるためには必要だったからだ。

 なぜ、人は賢く、救いがたいほど愚かな生き物なのか。

 俺は腰に掛けた刀を手にする。



「ほう…………刀を握ったこともない子供が、一体どんな遊戯をするつもりだ?」



 スラリと抜いた刀身は、まるで己の一部であるかのように体に馴染む。

 使い方は分かる。構えは、あの時と変わらない。習った通りの仕草で流れるように闘気を刀へ宿す。

 地面に手を付き、襲い掛かる女を迎えるように構えを取った。


「滅びるがいい! 化け物よ!!」



 自らに炎を纏った女は己を弾丸と化したかのようにこちらへ突進を繰り出す。まるで巨大なマグマが近づいてくるかのように、体は焼けただれ、全身から溢れ出る汗が一瞬にして蒸発する。だが、俺が繰り出す一撃は、相手が接近してこなければ意味を成さない。癪ではあるが甘んじて女の力を受け入れよう。

 目を瞑り、相手の姿ではなく、その力の根幹を知覚で捉える。

狙うは、力。人の手に入れた、罪の象徴。

 女が俺へ触れる寸前で、必殺の刃を女の体へ放つ。

 炎の力は霧散し、刃を受けた女は声を上げる暇もなく頭から股下まで一刀両断された。ずるりと体は半分に割れ、鮮血が俺の顔へと降りかかる。

 血の雨を浴びながら、俺はどこまでも凍てついた感情で目の前の肉塊を見つめる。

 もう、戻れない。戻ることは、できない…………。


「あ…………悪魔」

「御仏を、殺した…………」

「か、神を」

「こ、殺した…………!!」



 教師たちは一斉に叫び声をあげ、我先にと脱兎の如く逃げ失せた。

 無用な殺生はしない。あくまで襲い掛かる火の粉を排除するだけ。



「あなたは…………」

「ゆっくり休め」

「でも…………」

「休め」



 もう、恐れることはないと残された女へ問いかけ、術で眠らせた。

 その体をゆっくりと抱き上げ、俺は来た道を引き返す。体に纏った力を解放すると、俺は自分のやってしまった事実に足元が崩れそうになった。



「こうするしか、なかった…………なかったんだ」


 現実から逃げ出すように先ほどの出来事を頭から振り払う。

 ボロボロと涙が溢れだす。ただ、ただ、恐怖した。


「約束……守れなかったよ。観音…………俺、人間にはなれないみたい」


 今は亡き、彼女の亡霊へ語り掛けたとしても、やはり彼女から返答はない。

 これからのことを考えると俺の頭は真っ白になる。

 それでも、生きなくてはならない。

 なんのために?

 大切な約束があった。

 もう忘れてしまった、胸を引き裂くような約束。

 いずれにせよ、俺は死ぬことは許されない。

 ――――――生きることが罪だから。

 

 

 






 「摩訶! 血まみれじゃない! どうしたのよ!?」



 俺が家に帰ると久遠ちゃんは待ちわびた新妻のように玄関へ走ってきた。どうやら俺が帰るまで、観音の面倒見てくれていたようだ。残念ながら抱きしめてあの豊かな胸の感触を与えてくれるほど俺の彼女(仮)は寛容ではないらしい。無念。



「それに……夜叉さん。いったい、何があったの?」


 こんな時に、優しい言葉の一つでもかけてくればよいものを。

 久遠ちゃんは昔のように、いたずらをした子供を叱りつけるように、俺を問いただす。こうやって何回怒られたか。子供の頃の俺なら観音と一緒に涙ながらに謝っていただろうか。




 もう、子供ではない。望んでも戻れないところまで、俺は来てしまった。

 ならば、やることは一つだろう。


 スッと久遠ちゃんの、久遠の前に立ち、俺はその瞳を上から睨み付けるように見据えた。

 一度でも、彼女をこんな風に見たことがあっただろうか。

 こんな……こんなことは、望んではいなかったのだ。


「なによ……その眼は? あなた、最近変よ? 何か、悪いことでもしているんじゃないでしょうね?」


 俺は、ただこの子を守り、この子の幸せを願っていただけなのに。

 まさか、俺の存在そのものが、この子の脅威になるなんて。



「摩訶、教えなさい! 何があったの!? ねぇ!? どうしたのよ!」


 久遠は威圧から懇願するように変わり、俺がまるでどこかに行ってしまわぬよう、その両手を強く握りしめて離さない。その瞳は、ゆらゆらと揺れていた。一瞬、気持ちが揺らぎそうになるが気持ちを奥底にしまいこみ、最後まで演じ続けると誓った。


「学園長を殺した。俺は、世界を敵に回す。御仏は全て敵だ。わかったら、さっさと失せろ」



 そこにいるのが、本当に俺なのか? という疑問がわかるように大きく瞳を開いた久遠は呆然と俺を見る。信じられないのなら、俺は何度でも言おう。

 俺は、君の敵なのだ、と。


「な、何言ってるの? ま、摩訶ったら、また私をからかって…………」

「信じようが、信じまいが、別に構わない。だが、金輪際、俺に関わるな」

「―――――――意味わかんないわよ!! 何言ってんの!? 帰ってきたら出ていけ? 関わるな? 何様のつもりよ!?」


 不思議と、こうやって喧嘩をしているが、俺には全く不快感はなかった。お互いの気持ちをここまで素直に吐いたのは初めてかもしれない。本当はずっと前から言わなくてはいけなかったのに。こんな惨劇が起きなければ、俺はその決意すらできなかったのだ。

 臆病で、弱虫で、醜い生き物。

 それが、俺なのだと。

 君に触れることすら許されないのだと。


「――――ああ、そう。ならいいわよ。勝手にしなさい。元々、あなたなんか姉さんから言われたから世話焼いてただけだし。あんただって姉さんに言われたから、ずっと私に付きまとってたんでしょ?」



 久遠の悪いところは、頭に血が上ると、すぐに既にいない人の名前を出すことだ。それは亡き者に対する冒涜だ。だけど、今はそれを言及するつもりはない。なぜなら、図星だから。


「…………観音姉さんがいた時みたい。あなたはいつもそうだったわね。私なんか眼中にない。姉さんばかり」

「同じことを何度も言わせるな。失せろ……」



 気の強い彼女は、最後まで俺を睨み付け、右の手を大きく振りかぶり、俺の頬へ勢いよく叩きつける。避ける気も起きない。全ては俺が原因なのだから。


「――――――バカ…………少しは頼りなさいよ」

「……迷惑をかけるわけにはいかない。俺と一緒にいれば、殺されるだろう。羅刹と仲良く……さよなら、久遠ちゃん」


 だが、その手は優しく俺の頬へ触れた。察しのいい彼女は、俺の心を汲んでくれたのだ。ならば、これ以上虚勢を張る必要もない。最初から久遠を欺くのは無理があったのだ。

「…………本当に、さよならなの? もう、会えないの? わたし……」


 俺は久遠の言葉を最後まで聞かず、玄関のドアを閉めた。聞けば必ず後悔する。惨めな思いは、できればしたくない。

 気持ちの切り替えなど到底できないが、体は動かさなくては……今は一分一秒でも惜しい。

 自室へ向かうと、観音は俺の部屋で眠っていた。あれほど男の部屋に無断で入るのは性的に悪いといったはずなのに。

 俺の足音に気が付き、瞼を擦りながらトコトコと覚束ない足どりで近づいてきた。俺の袖口をギュッと握ると相変わらずの無表情で視線俺へと向けたまま動かない。とりあえず、夜叉を布団で休ませ、観音と向き合うことにした。



『摩訶』

「観音…………少し、いいか?」


 今思えば、観音という名前をつけたことに後悔しかない。何を思い、彼女を守ろうと誓ったのだろうか。

 俺といれば危険な目に遭うことはわかっていた。わかっていて、守る、などという体裁のいい言葉で取り繕った。本当は、俺がこの子に助けてほしかったのだ。

 彼女の代わりに、俺を許してほしかった。


「観音…………俺は、人殺しだ」


 小さな体にすがりつくように俺は観音を抱きしめた。幼い少女は、逃げる術を知らない。ただ、ただ、俺の女々しい抱擁を受け入れる。


「俺は、観音と一緒にいることはできない…………できないんだ」

『なぜ? ずっと一緒にいるって言った』

「ごめん…………ごめんな。許してくれ…………」

『いや、私は摩訶といる。ずっといる』

「それはできない。俺はね、やってはいけないことをしてしまったんだ。悪い奴なんだ。観音と一緒にいると、観音まで悪い奴になってしまうんだよ」

「それでもいい。私には、摩訶しかいない。置いていかないで」



 これ以上、言葉を重ねることは意味がない。いっそのこと、術で眠らせてしまおうか。だが、そのあとはどうする? 俺と離れ離れになったところで観音に安全な場所などあるわけがない。

 俺から決して離れてしまわぬよう、観音が袖口を握ったまま離さない。人によっては無愛想ともとれるその表情が俺には泣きそうに見えたのは気のせいだろうか。



「無責任ではないの、摩訶」



 ふと、目を上げると夜叉が目覚めていた。仰向けになったまま視線のみを俺に向けた。傷が痛むのか顔色は決していいとは言えない。

 目覚めたのなら言いたいことは山ほどある。だが、俺の声を遮るように夜叉は立て続けに言葉を発する。

「拾ったのなら、最後まで責任を持ちなさい。育てる自信がないのなら、最初から切り捨てなさい。あなたがやっていることは、後者よりもひどいことですわよ」

「…………知ったような口を叩くな。そもそも、お前が捕まらなければこんなことにはならなかった」

「なっ! 勝手に助けておいてよくもまぁ…………それがあなたの正体?」

「別に……そうならざるを得ないなら、そうするしかない。学園では笑顔さえ保てれば体裁がいい」

「あのバカみたいな性格は、演技だったと?」

「心外だな。どちらも俺だ。性欲には正直だ」


 呆れたようにため息をつく夜叉。

 確かに、最近調子に乗り過ぎたかもしれない。だが、こうなった原因はそもそも幼い頃の思い出がそうさせているわけで……今となっては必要性がなくなった。

 …………もう、人間に戻ることなどできないのだから。



「…………これから、どうするつもり?」

「……この、古神の力が狙われているというのなら、その原因を突き止めるまで。そして、キョウリュウがもし存在するというのなら、俺はそいつを殺す」


 …………御仏が古神の力をなぜ敵視するのかはわからない。おそらく、その力が神通力を凌駕するほど絶大なもので、神通力とは違う、特別な能力であることが原因なのだろう。

 だが、俺にとっては呪いそのものでしかない。この力のせいで、昔から凄惨な思いをしてきた。

 父を殺め、母は病に侵され、姉には敵視され続けた。

 なぜ、俺にこの力が宿っているのか。そして、時々訪れる謎の記憶はなんなのか。

 もう、たくさんだ。力など、持っていたところでひどい目に遭うのなら、いっそのこと捨ててしまいたい。



「――――わたくしも行きます」

「……何を言っている。お前は古神の信徒なのだろう?」

「私は古神の力以外にも、神通力に通じていますわ。そうでなくては学園に入学など、できるはずがありませんもの。それに、私は信徒というわけではありません。私は、神という存在が大嫌いです…………」


 古神も御仏も、夜叉にとっては自分の敵でしかない。古神は自分に呪われた力を与え、御仏は彼女の因子に従い、神通力を授けた。両方の恩恵を授かる彼女はやがてどの陣営からも忌み嫌われる存在となる。そのせいで、彼女の家はいがみ合うようになり、父と母は袂別れ、そして両方の手により死んだ。父は、御仏として、母は古神の信徒として……その命運に従った。

 そう話す夜叉の目には、両親に対する愛情が構見えた。



「嫌われるのには慣れています……それに、あなたは私の護衛でしょう? 勝手にいなくなるなんて、許しません」

「…………全く、ずるいよ」

「あら? 賢いと言ってくれません? さぁ観音さん? でよろしいかしら? 準備をしますわよ。こちらへいらっしゃい」



 当然だな? とでも言いたげに挑発的な目で俺に許可を取る。

 さすがにここまで言われれば身も蓋もない。

 観音はどこにいても危険にさらされる。

 俺と一緒にいたところで変わりはない。

 なら、共に進むしかないのか。


「あまり、時間はない……明日の朝一で出発だ」


 こうして俺たちは都を離れることを決意した。

 それはこの辺一帯の仏陀……つまり俺の姉に対する逃亡であり、反逆……そして、生き残る最善の術であった。

 また、俺はある決意をする。それは、俺のプライドを全て捨て去らなくては成し遂げられない一世一代の恥ずべき行為。

 俺は、昔姉が使っていた部屋の扉を蹴り破り、クローゼットから衣類、下着類を全てぶちまけるのであった。











「摩訶…………あなた、ふざけている余裕があるのかしら? 私たちは逃亡者になるのですよ? いくらあなたにその気があるといっても……時と場合を選んでくれません?」

「お前にそんなことを言われる筋合いはない……が、何を言われても仕方がない。似合わないことはわかっている」



 荷造りが済んだ(といっても観音は小さなリュックサックのみだが)俺たちは、居間に集まり作戦会議を開く。俺としては一刻も早くこの場から離れたいことこの上ないが、致し方あるまい。

 人がいれば、俺の姿がさぞ滑稽に見えるだろう。

 そのせいで昔はさんざんいじめられた。嫌な思い出しかない。


「似合うか似合わないかと聞かれれば、おそらく前者だと思いますけど……なぜ? としか質問できませんわ」

「追手が来るとしても、この恰好なら完全とまではいかないが、欺ける」

『似合っている。素敵』



 俺が身に着けているのは、御仏用の礼装だ。

 お勤め(虐殺行為)に出る時に装着する防具と言っていい。

 昔、姉が御仏として活動していた時のモノだが、まったく傷が見当たらない。返り血が少しこびりついて変色してはいるが文句を言える立場ではないことは分かっているため我慢した。

 防御性は保証できる。薄手ではあるが、術により強化されている。だが、女性用に作られているため、なんというかこう…………色々窮屈だ。ぴっちりしているというか、妙に艶めかしい。



「……はぁ、変態と一緒に旅だなんて、この先どうなるのやら……」

『お姉さまって呼んでいい?』

「えーいうるさい! あとお姉さま禁止!」

 絶対こっちの方が色々便利なんだからいいんだよ…………絶対に。

 けど、なんだろう。男として大切な物を失った気がするのは……。

 


 俺の服装に関してはこれ以上何かを言わせるつもりは毛頭ないので強制的に終了させた。

 問題は、これからの方針だ。

 方針――――つまり、古神についての探索と、その打開策。

 キョウリュウの存在について。

 この力が狙われる原因ならば、消し去るまで。



「古神の信徒たちは……他にいるのだろうか?」

「…………会って、どうするつもりですの?」

「いろいろ聞きたいことがある。この力の……封印についてとかな」

「封印……それが、あなたの目的?」

「そうだ。俺は一生逃亡者として過ごすつもりはない。隠れて暮らすこともごめんだ。この力の原因を突き止め、あわよくば、消滅させる」



 夜叉は腑に落ちないようだったが、共に行動すると言った手前反論する権利はない。

 夜叉にとっては母親との唯一の絆だ。その力を消し去るなど理解できないのだろう。

 俺は違う。御仏の両親から生まれた。自分たちの境遇が違えば考え方も違う。当然のことだ。それをどうこう言ったところで変わらない。


「……ここから先、西の森に里があります。私の母方の故郷だと聞いておりますわ」

「古神の信徒の隠れ里、か」

「ひとまずは、ここを訪れてはいかが? おそらく母の生家も残っているでしょうし……長旅はきっと厳しいでしょう」


 この時代に、森で生活する民など、野盗か罪人の類だけだと思っていたが……。

 夜叉の話では信徒たちは自然と共に生きることを何よりも重視し、それゆえに人工物を嫌い、森に隠れ住んでいるという。もちろん、御仏からの迫害から逃げるため、そうせざるを得なかったという点もあるのだろう。

 確かに、観音がいるのであれば体力的には厳しい面も出てくる。ひとまずは追手から逃れるのが先決だ。森ならば避けようはいくらでもある。


「案内してくれるか、夜叉」

「私も初めてですけど……致し方ありませんわね。さぁ、観音さん参りましょう」



 …………無論、この女を全面的に信用するつもりはない。久遠を殺そうとしたことに関しては本人に直接謝罪するまでは許すことはできない。それと同時に、彼女を頼らなくては生きていけない自分が苛立たしい。

 …………それにしても、観音は思いのほか夜叉に懐いている。先ほどあったばかりなのに手を繋ぎながら仲良く話をしている……といっても、観音が一方的にスケッチブックに書いたものを夜叉が答えているだけだが…………。


『おっぱい おっぱい』

「あらあら……だめですわよ、女の子がそんなはしたないことを書いては……」

『どうしたらそんなに大きくなるの?』

「うふふ……そうね、観音さんなら成長すればきっと大きくなりますわ」

『早く、大人になりたい。摩訶のお嫁さんになるの』



 ……途中から嫌な予感しかしなかったが、やはりそっちの方向へ話が転がった。

 夜叉は笑顔で“それは楽しみですわね”と観音を褒める傍ら、俺に対して汚物を見るような目で睨み付けた。


「この、ロリコン……!」


 この誤解を解くための、旅にもなるのだ……きっと。







 元々、俺以外に帰ってくることのない家ではあったが、離れてみると感慨深いものがある。決して良い記憶などなかったが、それでも帰る場所があるということは心安らぐものなのだろう。

「観音…………怖くはないか?」

『大丈夫。摩訶と一緒なら何も怖くない』

「そうか……お前は俺が守る。だから絶対に離れるなよ」

『わかった、摩訶は私が守るわ』


 少し意味が食い違っているが、心意気だけはありがたく受け取っておこう。目指すは深き森の奥……そこに求めるものはあるのだろうか。












「……薄暗いですわね。今日はこの辺にして宿をとりましょう。夜の森は危険ですわ」

「そうだな、少し早いがそうするか……」


 夕日も傾くくらい歩き続けた結果、どうにか近隣の村まで到着した。驚いたことに、観音は俺たちと同じ速度を保ちながら多少の休憩を挟んだものの、難なく闊歩した。

 懸念であった追手も、今のところは音沙汰がない。不気味ではあるが、焦って大事に至るよりはゆっくり英気を養う方がいいだろう。



「あら、見かけない顔ですが……うちに何か御用ですか?」


 御用ですかとは随分な挨拶だが、俺たちが客であることを告げると女主人は警戒を解きやんわりとした笑顔で迎えてくれた。

 実はこの村に宿らしい宿はないらしく、近くの村人に聞いたころ、村長の家がたまに訪れる行商人を泊めているらしい。小さな村では珍しいことではない。


「ごめんなさいね……あなたが御仏様の恰好をしているものだからつい……」

「いや、驚かせてすまない。ここは人を泊めてくれると聞いたもので……」

「ええ、ようこそおいで下さいました。何もないところですが、ゆっくりしていってください。今、夕食の準備をするところですので」

「村長に、ご挨拶したいのですが……」

「ああ…………主人は今日、村の男たちと狩りに出かけているので帰ってきませんよ」



 ならば勝手に泊まってよいのだろうかと、女主人に聞いたところ、大丈夫だと言っていた。主人が留守の間は、自分が村長の代わりなので自分の決定は主人の決定です。頼もしい限りだ。


「あら……綺麗な髪のお嬢さんだこと」

「まぁ、ありがとうございますわ、おばさま。この私の美しさに気付くなんてなかなか良い目をしています。褒めてあげましょう……」


 女主人は、そんな夜叉に目もくれず、観音に笑いかけた。夜叉は石化したように動かなくなった。とんだ道化だ。ご愁傷様。



「あなた、お名前は?」

『観音』

「そう……お姉さんと一緒にどこへ行くの?」

『森』



 観音は姉であることを否定しなかった。まぁどうでもよいことだが、俺のプライドが少し傷ついたくらいだ。どうでもよいことなのだ……。


「森……? もしかして、西の?」

「そうですが……何か、気になることでも?」

「いいえ、何も……ただ、何もない場所ですから…………」

「そんなわけ――――」

「観光ですよ、都では結構有名なんですよ。だから、一目でいいから見てみたかったんです。なんでも、願いが叶うとか」


 適当にでっち上げた話ではぐらかす。都の話が、ここまで伝わることはまず、ない。なぜなら、圧倒的な格差がそれを示しているからだ。

 都では近代的なテクノロジーを駆使した人工物が立ち並ぶ一方で、辺境の村々では未だに狩りや漁業で生計を立てている者が多い。都へ出稼ぎに行く者もいるが、外部からの労働者への雇用側の対応は冷たい。生まれや教養といった格差が生まれることが現状なのだ。

 犯罪者は必然と、外部の者に絞られる。貧しくなるのは辺境の者たちだけ。こうして、増えすぎた人口は御仏たちにより駆逐される。

 これが需要と供給のシステムである。多すぎた人口に対して、供給が追いつかない。

 この近年、御仏たちのお勤めは件数を増しているという。中には一方的な殺戮を好む集団もいる。

 その表にはいつも俺の姉がいる。あいつがいる限り、この国は安泰だ。内なる犠牲の叫び声を無視した、偽りの平和。それが一体、どんな意味を成すというのか。



「願いが、叶う…………」



 おそらく、この村も何か特別な産業を培っているのだろう。でなければ、今の時代に生き残れる集落など数える程度だ。



「確かに……願いは叶うかもしれませんね……ですが……」



 俺の嘘話に対して女主人は独り言のようなことを口にしたが、それ以上何か言うことはなかった。

 その晩、俺たちは慎ましい夕餉をいただくと、案内された一室に三人一緒で川の字になって眠るのだった。


「だった……ではありませんわよ! あなたは廊下で寝なさい!」



 …………一人寂しく冷たい廊下で横になるのだった。


 恐ろしい銀髪の女に足蹴にされること数時間。どこが寝床でも対して変わりはないが、どうにも違う場所で眠るというのは緊張する。追手が来るかもしれないという焦燥感と相まってすっかり目が冴えてしまった。


「俺がこんなことでどうする…………しっかりしろ」


 自らを叱咤して、少し夜風にあたろうかと外へ意識を向ける。

 


――――気配…………人数までは分からないが、かなりの数だろう。

 全身の汗が一気に毛穴から這い出し、呼吸が荒くなる。

 深呼吸を一つする。落ち着け……どうやら俺たちには気づいていないようだ。

 ……夜叉たちを起こすか? いや、その前に状況を把握してからだ。下手に騒げば気づかれる可能性がある。





 …………外には明りが点々としている。松明をかざしただけの大した明るさではないが、それでも夜の闇を払うには十分すぎるほどだ。

 どうやら、追手ではないらしい。奴らはこんな原始的な照明器具は使わない。何よりも闇討ちなら明りなど必要ないだろう。

 安心して宿に戻ろうと背を向けた途端、怒声や泣き叫ぶ声……赤子をあやす声が次々に聞こえる。



「どうしてだ…………私たちは森で静かに暮らしていただけだ! なぜこのような仕打ちをする!?」

「悪く思うな。これも村を救うため……仕方のない……ことなのだ」



 森? 俺は改めてその場に座り込むと再び会話に耳を傾けた。

 この村で……一体何が起きているのだろう。



「お前たちを都のお偉いさんに渡せば、数年は天罰を受けなくてすむ……そういう手筈なんだ」

「ふ……ふざけるな! あれほどお互いに干渉することのないようにと……お前たちが言っていたではないか……私たちと同じ古神の信徒と思われれば自分たちまで迫害を受けるからと…………だからこそ、私たちは自給自足で補ってきた! 今更、約束を反故にする気か!?」

「…………なんと言われても仕方がない。全ては、村のためだ」



 …………古神の信徒。あそこにいる人間は、全て古神の信徒なのか?

 では……昨晩女主人が言っていた狩りとは……つまり、そういうことなのか。

 ……人身売買、よもや、こんな辺境の村でお目にかかれるとは……。

 だが、一体な何のために? 労働力として? それならば都に腐るほど人が集まるはずだ。こんな辺鄙な村までわざわざ来る必要など皆無。

 分からない。殺すだけなら簡単だ。古神の信徒を集める必要性とは……。





「こ……殺してやる……この……!」



 信徒らしき男は手に縛れていた紐を巧みに解いていたらしく、その手には刃物が握られていた。怒りに我を失った狂人は勢いよく目の前の男に襲い掛かる。

 ひっと喉を鳴らし腰の抜けた男へ咄嗟の出来事であるため、周りは対応できずただ立ち尽くすのみ――――だがその刃物は男の上半身と共に吹き飛んでしまった。一瞬の出来事で何が起きたのか判断できない。わかっていることは、もう男の体が肉塊へと変わったことだけだ。



「こ、これは御仏様…………遥々このような辺境地までようこそおいで下さいました」



 先ほど殺されかけた男は、吹き飛んだ男の躯に目を向けたまま、ギクシャクと人形のようなお辞儀を繰り返す。周りの人々もそれに習い、ひれ伏す。彼らを跪かせるほどの力を、その御仏はやってのけたのだ。

 一瞬にして戦意を削がれた他の信徒たちは、ただその御仏に震え上がるのみ。

御仏は、黙ったままぐるりとまわりを見渡すと、一言告げた。


「――――足りぬな……よもや、これが全部ではあるまい」

「も……申し訳ありません! これだけの数を揃えるのが、精一杯でして……!」




 大きな体格と鋭い目つき……歴戦の戦士を思わせるその男は跪く男の謝罪に鼻を鳴らし、森の方へとゆっくりと振り返る。

 ――――間違いなく、強い。俺のような戦いの素人でもわかるほど、男の雰囲気からそれらを感じるとことができる。

 


「よい……そのために俺が派遣されたのだからな」



 御仏は剛腕から印を結び、真言を唱えた。

 まずい、やめろ、何をする気だ。

 そんな言葉を口にするべきだったのだろうか。

 だが、この時の俺には、そんな勇気な残念ながらなかった。

 いや、一人ならば、相手の前に躍り出で、それを防ぐことも出来たかもしれない。

 後ろに守るべき存在がいた……そんなのは言い訳に過ぎない。

 この時のことを振り返ると、俺はやはり臆病者だったのだ。








「さぁ……邪神の信徒共よ、神の前にその姿を現すがいい!!」



 森が赤く光る。

 周りから段々と赤くなる。

 それは、中心へと追い込むため、逃げ場を無くす一種の戦術だ。

 炎、というレベルではない。全てを塵へと化す、赤い光。

 聞こえるはずのない声が聞こえてくる。叫び声……鳴き声……絶望の声……。

 轟々と鳴り響く煉獄の世界…………あまりにも壮大で、ただ見惚れてしまった。




「狩りの時間だ……行くぞ」



 複数を連れて御仏は森へと侵略していく。その姿はあまりに圧倒的で、成す術がなかった。

 俺は…………俺たちは、いったい、何に刃向かっている? 何に立ち向かおうとしているのだろう。

 想像を絶する御仏という存在に対して、俺はただ、ただ……茫然と立ち尽くす。

 森が、死んでいく。何も言わず、定められたことのように火花を散らす姿は、どこか刹那的な印象を与える。

 フラフラと夢遊病のように来た道を引き返す俺。

 逃げなくては…………逃げなくては! そうだ、逃げなくてはならない。

 夜叉たちを起こし、早々にここを立ち去ろう。場所は……どこでもいい、とにかく奴から離れられるなら、どこへだっていける。

 生存本能が奴を回避しろと叫ぶ。戦ってはいけない、危険だと。

 夜だというのを忘れ、俺は部屋の戸を勢いよく開ける。

 観音は、瞼を擦りながら何事かと目で訴えている。



「観音……急いでくれ、ここは……危険だ!」


 と言いかけて、俺はある人物がいないことにようやく気付く。どうやら気が動転しているらしく、一向に頭が働かない。


「や、夜叉は…………夜叉はどこへ行った?」



 布団はぬくもりを保っている。おそらく俺が起きた後にどこかへ向かったのだ。眠れずに番をしていたのだから間違いない。あの数分間にいったいどこへ……。

 まさか、俺とは違う場所で、あの光景を見ていたというのか? 

 あの森は、夜叉の母親の生家があると聞いていた。


「まさか…………!」


 赤く染まった空の彼方を苦々しく見つめながら、気がつけば俺は岐路に立っていた。












 俺の家々は代々優秀な御仏を輩出する遺伝子を持っているらしく、父親は西の御仏を総括する立場、母親は東の御仏を総括する立場にあった。

 御仏間の対立というか、政治的な取引などが絡まってのことだが、とにかく父と母は望まぬ結婚だったに違いないと思う。実際、姉と俺を生んだ後、父は家に寄りつくことはあまりなかった。



「摩訶、剣をとりなさい」


 神通力の力が皆無であった俺に対して、母は冷たかった。まるで違う生き物であるかのように姉と俺の立場を弁えさせた。俺には、御仏を守る“護衆”と呼ばれる職へ就くべく教育を施した。



 俺は、無能な息子だった。

 もっぱら剣術の訓練は父に習った。だが、俺がいくら頑張ったところで、父が笑ってくれることはなかった。失望を通り越して、興味を失っていたのかもしれない。あるいは、現実逃避がしたかっただけなのかもしれない。

 姉は、どんどん俺との差をつけ、父母のお勤めにも同行するようになった。その頃になると、俺はもう両親の期待に応えることをやめた。外に出て暗くなるまで遊んだ。若者が普通に生活するならば、当たり前のことをした。

友達も出来た…………大切な友達。

かけがえのない友達。

観音という、少女に出会った。

それが、何よりも幸せだった時間であり、絶望に堕ちるまで神様がくれた猶予であったことは、後で痛いほど思い知ることになる。

 こんな力さえなければ、あの時、観音は死なずに済んだ…………。

 俺が、彼女を殺したのだ…………。







『摩訶』

「に、逃げよう、観音……こんなところにいれば、すぐに捕まってしまう。西は……もう無理だ。ひ、引き返すか? いや、それこそ挟み打ちになるな…………ああ、くそ!」




 混乱して頭が上手く回らない。狂っている。どこへ行っても狂っていることばかりだ。なぜ、俺はこんな場所にいる? なぜ俺だけがこんなことになる? 

 なぜ、生きているだけで許されないのだ? なぜ、夜叉は勝手なことをする? 

 俺は、ただ、生きたいだけなのだ…………。



『摩訶』

「……今、考え中なんだ。静かにしてくれ」

『摩訶』

「っ……! なんだよ!」



 観音の呼びかけに煩わしさを感じ、大声を上げる。最低だ…………笑ってしまうくらいに今の自分が情けない。進むべき道を判断できず、恐怖に怯え……立ち止まる。



「……わかっている。助けに行けって言うんだろ? どいつもこいつも、勝手なことばかり……」


 ああ……なぜだろう。俺は、周りに被害が及ぶことを恐れ、逃亡を決意したのに。

 夜叉や観音は今、危機にさらされているのだ。

 答えは簡単だ。

 俺が、その原因だからだ。

 追手が来ないことに安心した。もっと遠くへ逃げればよかった。力の原因など後でいくらでも探せばいい。



「だから……一人でよかったんだ。こんなことになるくらいなら…………」



 体が震える。

 どうしても震える。

 己の命が何よりも惜しい。

 死ぬことは、怖い。

 それを乗り越えることなど、無理だ。

 人である以上、この生存本能から逃げることなど、不可能なのだ…………。





 不意に、少女の体が俺を包み込んだ。金色の髪からが鼻腔をくすぐる。背中には程よい体重がかかり、暖かい。

 どれくらいそうしていたのだろう。

 観音は俺と向き合うように移動した。その眼は優しい蒼色を保っている。


『何も心配しないで』



 発つ前に約束した言葉。何気ないただの軽口。そう思っていたのに。

 そう思っていたのは、俺だけだ。


『あなたは、私が守る』



 小さな少女はスケッチブックをその場に投げ捨て、走り出す。

轟々と燃え盛る炎の森へと。

人間は生存本能に勝つことができない。

 己の命が一番尊い。



「観音!! やめろ! 行くな!!」



 俺の声は激しい暴風と共に消えた。観音の背中が徐々に小さくなる。そして、炎の中へと消えていく…………。

 勝手だと思う。

 人は勝手だ。

 自分の思うように動かず、自分の思うようにわかってはくれない。



「俺を……一人にしないでくれ…………」



 俺もまた、勝手だ。一方的に感情を押し付け、勝手に傷つく。

 大切なことを忘れ、誰かに守られて生きている。

 一人でいたいと願い、また一人でいることに恐怖を感じる。

 




 壁に立て掛けていた刀を持つ。手入れをする余裕も感情も湧いてこなかったため、刀身はいくらか曇って見えた。

 知ったことか。

 誰が、どこで犠牲になろうが。

 俺は正義の味方ではない。

 人から忌み嫌われる力を持つお尋ね者なのだ。

 臆病で、寂しがりで、女の子が大好物な、普通の男だ。

 おっぱいが大きい女のが大好きで、だけど小さな子も最近捨てがたい(ロリコン)なと思っている変態だ。



 ああ、そうだ。思い出した。


「女の子は…………世界の宝(不細工以外)!!」


 今、貴重な人材が世の中から姿を消そうとしている。

 それを知るのは、俺だけ。

 助けられるのは、俺だけ。

 抱けるのも、俺だけ。



 村人は外で森を黙って見上げている。先ほどの男もそれに習い、手を合わせながら何事か呟いている。

 お経だろうか…………? 全て唱え終わった男は、まるで罪が償われたかのように安心した表情で笑っていた。

 俺は周囲に歩み寄り、男に声をかけ、その背中を…………叩き切った。



「いますぐ、森の消火に当たれ、さもなくば……お前たち全員に裁きの雷が下るだろう」



 村人も、古神の信徒も、俺を見て再び震え上がっている。御仏がまた現れたと思っているのだろう。俺の服装は、御仏の礼装だ。神通力がなくても、欺くことくらいはできる。

 怒涛の声を上げ、全ての人が水を担ぎ上げながら森へと向かう。人を救う神が、人を犠牲にする人間を許すわけがない。神が裁かぬというなら、俺が鉄槌を下すまで。


 さぁ、行こう。全身に血を浴びた顔を拭いながら刀を一振り払うと、ぴしゃりと地面が赤く染まる。

 狂っているかもしれない。頭がおかしいのかもしれない。

 合理的ではないかもしれない。理性的な行動ではないかもしれない。

 それでも、人間らしさを超えた先に、本能という最古から備わった機能が叫び続ける。




「女の子を泣かせる奴は、俺が許さん」



 誰かが笑った気がした。女神か、あるいは死へ誘う死者の微笑か。

 勝算は皆無。だが勝たなくてもいい。夜叉と、観音さえ探すことさえできれば。

 絶望の淵から這いあがるように、俺は森へと走る。その体は、もう震えてはいなかった。



 


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