表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
裁きの国のニルヴァーナ  作者: ましろ
1/7

愛を求める変態(ゲス)

 男がひれ伏していた。

 母はその男を無言で見下ろした。

 男が何かを言葉にする。

 許してください、許してください、私はどうなっても構いません。どうか、妻や子供たちだけは――――。


 母に自分の名を呼ばれた。摩訶、どうしますか? いきなりのことに戸惑った。おいおい、洟垂れ小僧になんてこと聞きやがる。当然そんな言葉は口にしない。ねーちゃんが俺を睨み付けるからだ。

 全く、とんだ災難だ。気が付けば周りは俺を見つめていた。わかっているな? とでも言いたげに。ねーちゃんが俺を小突く。顔は鬼のようだった。ねーちゃんは怖い、ションベンちびったかもしれない。


「――――人罰」


 やれやれ、と俺はため息をついた。どうせその男は死ぬとわかっている。盗みを働いたからだ。え? それだけで死ぬのかって? それだけで死刑になるのかって?

 なるんだよ。なぜなら、これはそういう物語だからだ。

 人の上に神が存在する国。神が罪を裁く国。誰もが望んだ神のいる、国。

 なぁおい。お前らはそれでも神を信じるか? 信じる者は救われると思うか?


「――――罪刑、天罰」


 ――――盗みを働いたくらいで、そこに住む村一帯を焼き払う神を、あなたたちは本当に信じますか?







 オナニーとは、自慰行為である。

 性交ではなく自らの手や器具を使って自分を慰めるという神聖な行為だ。別名、マスターベーション、自家発電などと呼ばれている。

 ちなみに今日のおかずは隣の席の、超絶美人である久遠ちゃんだ。最近体が妙に女らしくなり、お尻がとても魅力的な安産型の美少女、美少女だ。大事なことなので二回言いました。

 携帯に撮ってある横顔を見ながら必死で右手を高速で動かす。うむ、可愛い……ちなみにこれを撮るために一〇回くらい殴られた。奇跡の一枚だ。

 最近、俺の分身はこの子によって成仏されることが多い。全くとんだ小悪魔だぜ。


「……はぁはぁ、久遠ちゃん……はぁ、はぁ……」


 俺のモチベーションは最高点に達していた。ラストスパートと言わんばかりに電光石化の如く動かす黄金の右手、もはやプロだ。オナニー選手権があったら金メダル間違いなしだ。もちろん一八禁だ。


「く……もうだめだ……! い、く……!」


 久遠ちゃんの淫らな表情を想像する。ビクビクと体を痙攣させ、その子宮に精子をぶちまける。言っておくが想像だ、想像。想像するだけならタダだからな。


「今日もありがとうございます、久遠ちゃん!」


 見事に成仏してしまった大量の分身たちをティッシュで拭きとりほっと一息。しばらく脱力して物事にふける。これぞ賢者タイム。俺はこの時が一番好きだ。すべてのことが上手くいきそうな気がするのだ。


「よし、決めた……俺は、やるぞ」


 下半身丸出しのまま俺は寝ることにした。明日は遂にやることにしたのだ。

 そう、愛の告白というものを!!


「ごめんなさい」

「まだ何を言ってないけど!?」


 昼休み、俺は彼女を呼び出した。そう俺の脳内彼女……じゃなかった彼女予定の久遠ちゃんを。今日も超絶美人だ。黒髪にぱっちりした二重瞼。ふっくらとした胸元が絶対に俺を誘っているとしか言いようがないので一気に告白しようと思ったけど、それすら許してもらえなかった。


「はいはい、じゃあどうぞ?」

「俺と――――」

「気持ち悪いので無理ですごめんなさい」

「……せめて最後まで言わせてくださいお願いします」


 久遠ちゃんは俺を見ると吐きそうな顔で横を向いた。ん? どうしたのかな? 生理かな? だったらラッキ……じゃなかった日を改めるべきだな。


「今日は日が悪いみたいだね。また今度」

「キモ……ねぇ……摩訶、この際だからはっきり言うけど……キモ……」

「キモって二回言ったよね? もうはっきり言っているけど」

「違うの、そうじゃなくて……キモ。私、付き合ってるって言ったよね? 羅刹君と」


 なぜか徐々に距離を離していく久遠ちゃんは口元を押さえながらそう言った。

 がらがらと足元が崩れていく音がした、気のせいだけど。

 まさか、久遠ちゃんはとっくに開発されていたのだ。俺の中の永遠の処女である久遠ちゃんはとんだビッチだった……醜い肉棒によって……ズッコンバッコン……。


「私、何回も言ってるんだけど、摩訶の頭って豆腐なの?」

「好きだ! 久遠ちゃん!」

「ごめんなさい!」

「好きだ久遠ちゃん!」

「ごめんなさい!」

「好きだ久遠ちゃ」

「ごめんなさい!」

「す」

「ごめんなさい……事実を受け止めなさい。いいかげんしつこいわよ」


 本気で怒ったように久遠ちゃんは俺を睨み付けた。久遠ちゃんは怒ると怖い。美人が怒ると怖いっていうのは本当だ。冷たい瞳はどこまでも俺の心を掴んで離さない。そんな目で見つめられてしまった俺は……当然の如く。


「はぁ……はぁ……も、もっと見てくれ。俺をもっと見てくれぇ!」

「う……気持ち悪い! なんであんたみたいなのと幼馴染なのよ……お願いだから私の視界から消えてよ!」


 罵声と共に久遠ちゃんは屋上からいなくなった。俺はと言えば一人ぽつんと、固くなった分身をどう慰めるか悩む。

 とりあえず、トイレで抜くか!!


 俺にだって恥じらいはある。誰かがいるところでオナニーなんてできるわけがない。性的興奮はひっそりと誰にも見られないところで発散させるから意味がある。誰かに見られるのを喜ぶ輩がいるが、俺はそんな変態ではない。変態は死すべきだ。俺のもっとも嫌いな人種なのだ。


「この変態!! 死ね!」

「何!? 誰が変態だって?」

「あんたよ! このキモ男! 女の敵! 汚物!」


 放課後、俺は絵も知れぬ罪を着せられ胸倉を掴まれていた。男にこんなことをされたら速攻で逃げ出すが、相手が女の子なのでご褒美でした。はぁ、はぁ……。


「私の下着、返しなさいよ!」

「な!? 誤解だ! 俺は何もしちゃいない!」

「あんた以外にこんなことするはずないでしょ!」

「信じてくれ! 俺は確かにお前をおかずにしたことがある。だが、一度だって脱ぎたてほやほやのパンツがほしい、などと思ったことは一度もない! 本当だ!」

「あんたねぇ……じゃその、頭に被っている……パ、パンツはなんなのよ!」


 あ、いけね。ついつい下心が働いてしまった。それもこれも久遠ちゃんが悪い。ズッコンバッコンしているなんて……ズッコンバッコン……はぁはぁ……。


「ひっ……気持ち悪い! さっさと返せ、この!」


 俺は再び固くなったそれを隠そうと前かがみになった瞬間、かぶっていたパンティを奪われてしまった。怒りで頭が真っ赤になった。盗人だ盗人! 俺は罪人の罪を裁く御仏様だ。当然このような傍若無人を看過できるはずもない。


「輪廻……おっぱい触らせてくれそうすれば許してやる」

「……死ね!!」


 痛恨の一撃を脳天に打ち込まれ、俺の意識は闇深く落ちていく……。

 だが、後悔していない。蹴りを入れるその瞬間、輪廻の純白な天使をこの目に焼き付けることができたのだから……。

「言っておくけど、これで済むとは思ってないわよね? 摩訶……」


 ……どうやら今夜は寝かせてくれないらしい。既に俺の体が痙攣して揚げられた魚のような状態になっているんですがその辺はしっかり考慮していただけるんでしょうか?


「女の敵! 成敗! 打つべし! 打つべし!」


 女の子に蹴られるなんて俺にはご褒美でしかない。はぁはぁ……輪廻の素足……輪廻の生足……スレンダー美人!


「ひっ……な、なに、それ!」

「おっと……俺の紳士がとんだ失礼を」

「~~~~~! 気持ち悪い! なんであんたが御仏なんてやってんの!? ほんと信じらんない! さっさと失せろ! このクズ!」


 輪廻はモデルのような身長とツインテールが特徴の、学園きっての人気者だ。俺的には久遠ちゃんが一番なんだが、時々輪廻のことも構ってあげたくなる。全く俺の浮気症にも困ったものだ。モテる男は辛いな――なんて一度でもいいからいってみたいものだ。


「二度と私の前に現れないで! 次変なことしたら今度こそ言いつけてやるんだから!」

「すいませんでした……」


 もはや冗談ではすまなさそうだったので、俺は素直に謝った。べ、別にあんたのパンツがほしかったわけじゃ、ないんだからね! ただ、女子更衣室のロッカーからはみ出てたのを知らせてやりたかっただけなんだ……断じてかぶってくんかくんかしたかったわけじゃ、ないんだ……!


「ふん……それより、あんた大丈夫なの? その……そろそろ」

「さてと、そろそろ十八禁の時間だ。よいこは早く帰らなくては」

「おい! 無視すんな変態男!」


 颯爽と輪廻から距離を置き、俺は学校を退散した。輪廻は超絶的に可愛いが、うるさいのが玉にきずだ。こうやって遠くから眺めているだけで俺は十分幸せなのだ……。たまにくんかくんかしたくなるけど。

 久遠ちゃんといい、輪廻といい、今日は目の保養になる出会いばかりだったな。ちゃんと写真に保管しておいて、夜のおか……鑑賞会にとっておこう。


 神様と人間。

 正確には違うんだ。俺たちの祖先は元々人間だったらしい。その人間たちは厳しい修行の末に神通力という力を身に着けた。神通力っていうのは――――人間からすればありえない奇跡を起こす力だ。例えば、死んだ人間を生き返らせたり、何もないところに火を起こしたり、空を飛んだり、海を割ったり……俺たちからすればそんなことは当たり前にできるんだけど、人間たちはそれらに敬意を払い、神通力と名付けた。

 そして神通力が使える者たちを、こう呼ぶ。


「御仏様……」

「ああ、いいよ。ばーちゃん、じーちゃん、頭を上げて……今日はいい天気だったね」

「はい……御仏様もお元気そうで」

「若いからね。元気が取り柄だからね」


 人間たちにすれば俺たちは神様、らしい。だから跪いて姿勢を低くし、決して表を上げない。これが俺たち神様と人間の関係。クールだろ?


「今年も豊作だといいね」

「御仏様のお力のおかげで毎年もいい稲が育ちました」

「いや、俺なんにもしてないし……みんなの努力の賜物だと思いますよ?」


 そんなことを言っても、決して表を上げないじーちゃんばーちゃん。実際、俺は何もしていないしそんな力はない。俺にわかることと言えば、今年は去年ほどの収穫は見込めないということだけだ。要はバランスなんだ。与えすぎれば信仰は薄れ、取り上げれば信仰は離れてしまう。どうやらこの地区の御仏は優秀らしい。人間の信仰は、御仏にとっての大いなる力だ。人間の信仰が篤ければ篤いほど御仏はより強大な存在になるからな――――どうでもいけど。


「またじーちゃんたちの田んぼ、見せてくれ」

「ええぜひ……何もご用意できませんが……」

「いや、別に催促してるわけじゃ……」


 うーん……どうも距離感がある。結構毎日話しているけど……見えない壁みたいなものが俺とじーちゃんたちにはある。おそらくその一線を越えることは不可能なんだろうな。俺が近づいても、じーちゃんたちは一歩下がる。まるで近づいてくる敵からこっそり逃げるように。顔を観察していればよくわかる。早くこの場を去りたい、という気持ちがひしひしと伝わって来るわけで……。

 

「じゃあ、体に気を付けてね……」


 結局いつものお別れの言葉で締めくくる。最後までじーちゃんたちは顔を見せてくれなかった。

 なんていうか、難しいよね。恋愛も、人間関係も。




 よし、まず俺の生い立ちから説明しようか? え? いいって? だが断る! 主人公たる俺の歩んだ道を知ってこそ、この物語は初めて成り立つわけだ。

 俺は御仏だった両親との愛のあるセッ……で生まれた二人目の子供だ。ごく普通の家庭に生まれ、ごく普通の暮らしをして……ごく普通に学校へ通っている男子高校生。

 彼女いない歴=年齢。童貞。趣味……自家発電。現在彼女募集中☆ みたいな、てきな。

 成績は中の下。顔は上の上……イケメンだ。世の中、顔がよければすべての事が上手くいくようになっているからな。


「座右の銘――人は見た目が十割」


 こんなところだろうか。特になんてことはない人生を、俺は謳歌している。目下の悩みは、なぜか彼女ができないということ。さいきん、女の子を見るとムラムラすること。久遠ちゃんがエロ……可愛すぎて辛いことです!!

 なぜだろうか。なぜ、彼女は俺を好きになってくれないのだろうか。俺と久遠ちゃんは幼馴染という縁で結ばれている。相性占いや恋愛占いでも悪いことを書かれたことは一度もない。俺は彼女のことが大好きだし、彼女もきっと俺のことが好きなのだ。

 なのに、なぜ。


「なぜ、俺たちは結ばれないんだ! 久遠ちゃん!」

「それはね、摩訶。私が羅刹君と付き合っているから、あなたが何回も占いをやり直すから占い師が哀れに思って捏造したのよ。あと、あなたの顔は中の中ぐらいだと思うの」

「なるほど……叶わない恋ほど燃え上がるってやつか」

「一生叶わないから燃え尽きて。あ、忘れてた。おはよう摩訶、今日も最高に気持ち悪いわね」


 

 どうやら久遠ちゃんの中で俺の評価が下がったようだ。いくら俺がかっこよくても、久遠ちゃんに認められないなら、宝の持ち腐れだ。


「げ……変態摩訶が今日も久遠を口説いてるぜ」

「久遠が可愛そう……私だったら自殺しているかも」


 どうやら、俺の内に秘めた可能性に誰も気が付かないらしい……。クラスメイトたちは俺の顔を見るたびに哀れな瞳を向けてくる。

 登校早々、俺は傷口がこれ以上開かないようにひっそりと机に座ることにした。


「摩訶、あなた大丈夫なの?」

「久遠ちゃん……やっぱり君は天使だ……」


 天使久遠が俺の前に舞い降りてきた。当然、席が隣同士だったため近くにいるのが当たり前なんだけど……そんな久遠ちゃんが心配そうに俺の顔を覗き込んできた。


「大丈夫じゃない……」

「そう……けど自業自得よ。私にだってどうすることもできないわ」

「久遠ちゃんのおっぱ……大きな胸で慰めてくれ」

「……摩訶、真面目に話す気がないなら、今後一切私に話しかけないで」

「ごめんなさい! お願いだからそれは勘弁してぇぇぇぇぇぇぇ!」


 俺は慌てて久遠ちゃんの膝下にしがみついた。ニーソックスからはみ出した白いふとももは、驚くほど柔らかかった。俺は、死んでもいいと思いました。


「この……! わかったからさっさと離れて!」

「いでで……ゆ、許してくれるの?」

「ゆ、許すから、離れてよ気持ち悪い!」


 久遠ちゃんは羞恥心と嫌悪感を露わにして俺を引き離そうとする。よし、今度から怒られたらこの方法で謝ろう(ゲス)

 コホン、と一つ咳払いをしてから久遠ちゃんは俺に向き直った。その瞳は純粋に俺のことを心配してくれているようだった。


「摩訶、わかっているの? あなた、退学すれすれなのよ? 明日の最終試験で合格できなければ自主退学してもらうってあれほど先生に言われてたじゃない」

「あ、そうだった……」

「あ、そうだった……じゃないわよ! まさか、何も勉強してないわけじゃないでしょうね……?」

「してない……昨日、分身してたらいつの間にか寝ちゃってた……」


 久遠ちゃんは頭を押さえてうずくまってしまった。

 そうだ、明日は試験の日だ。

 なんか、一年生の時の成績で、なんらか科と、なんたら科と、なんたら科に分かれるって言ってたな。

 確か、なんたら科はすごい人が入れるところで、なんたら科は訓練とかがあるくそみたいなところで、なんたら科は絶対にはいっちゃいけないってママが言っていた気がする。


「どうするの? このままじゃ御仏になれないわよ?」

「んー別にいいよ、なりたくないし」


 思わず口が滑ってしまった。これは禁句だ。誰もが御仏になるためにこの学校に入学してくる。偉大な御仏になることを目指して日夜研鑽し、切磋琢磨している仲間たちがいる。

 そして、それは久遠ちゃんだって一緒だ。俺は訂正しようと口を開きかけたが、何も発することができなかった。

 久遠ちゃんに、嘘をつくなんてできないからだ。

 俺は、御仏なんてなりたくない。くそくらえとすら思っている。



「……摩訶、嘘だよね? また、ふざけてるだけだよね? 御仏になれないなら、あなたは何になるっていうの?」

「人間」

 

わかりきったことを久遠ちゃんは諭すように問いかけた。どうやら今の今まで、俺は久遠ちゃんにいらぬ心配をかけていたようだ。

 これで決心がついた。俺は明日、御仏をやめて人間になる。じーちゃんやばーちゃんが必死で働いているように、俺も汗水垂らして地を這って生きる。そう思うとなんだかオラ、わくわくしてきたぞ?


「……そう……決意は……変わらないのね?」

「うん、最後に久遠ちゃんのおっぱい触らせてくれない?」


 俺はいつも通り軽い口調でセクハラ発言を繰り返した。だけど、久遠ちゃんは何も言わなかった。それは肯定という意味ではないことはわかっている。だから俺も、これ以上会話を続けるつもりはない。誰が何と言おうが俺は御仏にはならない。久遠ちゃんが裸で迫ってきても、おっぱい揉ませてくれても、嫌なものは嫌なんだ。


「も、揉ませたら、考え直してくれるの?」

「もちろん!! じゃなかった今のなし! い、いくら久遠ちゃんのお願いだからって無理なものは無理!」

「そう……そうよね。摩訶は……そういう人だものね。その程度で揺らぐような気持じゃないことくらいわかってる。ごめんなさい」


 今めっちゃ揺らいでましたごめんなさい。危うく煩悩に苛まれるところだった。やっぱり俺は御仏に向いていないらしい。欲望に塗れた世界こそ、俺にはふさわしいようだ。


「摩訶、例え人間になっても私たち……友達よね?」

「ああ、恋人だよ」

「知り合いよね?」

「うん、久遠ちゃんがそう思ってくれるなら」


 ふざけていたらどんどん好感度が下がっていくので俺は真面目にそう答えた。

 人間になっても、友達。

 そんなことはありえないと、俺も久遠ちゃんもわかっている。わかっているからこそ、俺たちは確かめた。御仏を侮辱した俺のことを、久遠ちゃんは絶対に許さないだろう。

 もし次に会えるときは、きっと久遠ちゃんは俺の罪を裁く時なのだろう。

 その時、彼女はどんな顔をしているのだろうか。

 あの、無機質な、何の感情も持たない人形のようにその小さな口で告げるのだろうか。

 

 ――――――塵芥のように命を弄ぶ、神様たちのように。





「摩訶! 摩訶ってば!」


 放課後、俺はさっさと帰宅することにした。どうせ明日でおさらばするなら余計な感情は持ちたくない。とはいっても思い出なんて何一つ持ち合わせていないことに気が付いたが、なんだか悲しくなったのであまり考えないことにした。そんなやさぐれた俺の心を救うかのように明るく賑やかな声が廊下に響き渡る。


「輪廻……どうした? 俺に会いたくなったのか? よし、今から俺んち来いよ!」

「ありえないし、いきなり自宅に誘うとか、下心しか見えない」


 半眼で俺の心を優しく抉ってきた。相変わらず、久遠ちゃん並みに厳しいやつだ。だけど可愛いからOK。


「あのさ……明日のことなんだけど」

「明日? 確かデートの予約はまだだったはずだけど」

「そんなつもりはない! しかも予約って何よ! じゃなくって…………試験よ試験!」


 テンポのいい声が俺の耳を掠める。からかいがいのある奴だ。女の御仏には慎みと奥ゆかしさが求められる。まるで昔の花嫁のようなことを言うが、そういう人がだいたい出世していい役職に就くのがこの世界のルールだ。当然、女には女の役割がある。俺の言いたいことが、諸君にはわかるだろうか?

 ところが輪廻はその価値観をぶち壊すかのように、そこに存在している。俺はそんな彼女のことを尊敬している。もちろん、輪廻は御仏を目指している。だが、自分という存在まで捻じ曲げることはしない。それはすごいことだ。なかなかできることではない。


「まさかとは思うけど……あんた」

「うん。俺、明日学校やめるわ」

「……そんな、明日バイトやめます、なんていきなり言い出すゆとり学生みたいに言わないで」

「……嫌に具体的だけど、気分的にはそんな感じ。もう決めたことだから」

「バカ! せっかく入学したのに……もうあきらめちゃうわけ!?」

「いや、別に俺は好きで入ったわけじゃ……」


 その次の言葉を、俺は飲み込んだ。あやうく久遠ちゃんの二の舞になるところだった。

 確か、輪廻はかなり苦労してこの学校に入ったと聞いている。そんな彼女に、自分は顔パスで入学したなんて口が裂けても言えない。コネって怖い。


「とにかく、もういいんだ。輪廻、今まで友達でいてくれてありがとう」

「な、何よ。本気なの? 嘘だよね?」


 俺は無言で輪廻を見つめた。その真剣な眼差しに意をくみ取ったのか、輪廻は黙って来た道を歩き出した。何も言うことはないってことか。あたりまえのことだ。逃げだした奴に何を言えばいいのだろう。どうせなら、罵倒してほしかった。久遠ちゃんにも、輪廻にも。僕は優しい女の子が大好きです。


「摩訶!!」


 突然、輪廻は潤んだ瞳で叫んだ。まるで今生の別れをするかのように切ない響きが校舎にこだまする。そんな顔を彼女にさせてはいけないと、俺の中の紳士が暴れ出す。


「輪廻、離れても、俺たち、恋人だろ!!」

「うん! 離れても、ずっと知り合いだからね!!」


 …………お前もかよ。

 俺の存在は彼女たちにとってその程度らしい。いいんだ、別に……ぐすっ……。




「認識番号五番……さん。認識番号六番……さん」


 大した思い出もなかったが、離れるとなると感慨深いものだ。別に名残惜しいわけでもないが、かといって離れることに未練がない、というわけでもない。それはこれから待つ未来という漠然とした存在に、怯えているだけなのかもしれない。


「認識番号二四番、久遠さん。おめでとう、天神科へ進みなさい」

「ありがとうございます」


 大きな拍手がクラス中に鳴り響く。祝福か、憎悪か、その両方か。将来を約束された少女が堂々と俺の前を通り過ぎていく。もはや、話すことはない。昨日のあのやりとりで、久遠ちゃんと俺の挨拶は終わったのだ。凛として……大きな胸が張り裂けんばかりに強調されていて……あ、こら、男子! いやらしい目でみるんじゃない!

 とにかく、あの胸を揉みしだくことができなかった。それだけが無念だ。携帯の写真はプリントして部屋に額縁で飾っておこう。フヒヒ!


「認識番号三二番、摩訶さん…………」

「あい」


 途端にクラスで嘲笑が響き渡った。お前ら……それでも御仏になる器か? 俺が言うセリフじゃないが、こんな奴らが神様になったら、世も末だぜ。ま、俺にだけは言われたくないと思うけどね!


「摩訶さん…………」


 先生は悲しそうに俺を見た。思えばこの先生にもさんざん迷惑かけた。セクハラしまくったし、授業は聞かないし……さぞ大変だっただろうな。だけど、君が選んだ道なので頑張ってください! ボクハセンセイガダイスキデス。


「摩訶さん…………」


 おーい。ためんなー? そんなにためても意味ないよー? ていうかいつまでも晒し者にしないでー? いじめ? これはいじめですか? よし、PTAに連絡してやる。モンスターペアレントの餌食になってしまえ。ま、うちは誰もこないけどね。


「摩訶さん…………あとで学園長室に行ってください」


 ガクッ……。ああ、学園長直々に俺を追放するってわけか。

 もちろんそんなところに足を運ぶほど、俺は真面目な生徒ではないのだよ。さっさと抜け出して帰ってやる。どうせ、明日から人間として暮らすんだ。もしかしたら、今から俺をいじめてくるやつがいるかもしれないし。学校は怖いところだ。弱者にはとことん冷たいからな。俺のような臆病者は格好の獲物だし。

 しっかりと先生の返事をして、俺は帰り仕度を整えた。教室からいくつもの視線を感じたが無視する。どの目もあまり気持ちのいいものではなかったからだ。もちろん、たった一つを除いては。








 これから何をしよう。どこへ行こう。

 いや、何をするかわからない。どこへも行けない。

 結局、俺はただの子供で、その子供がただ落ちこぼれて途方に暮れているだけだ。

 公園のベンチで一休みする。帰ったところで、誰もいない。薄暗い部屋の中にいるよりは、夕暮れの公園の方がまだマシに思える。

 不思議だ。小さな頃は立派な御仏になりたいと、思っていたはずなのに。

 今では御仏が立派だとは微塵にも思えないし、そもそもそんな器ではないと自覚している。


「俺、どうしたらいいのかな……」


 茜空に問いかけた。俺の自信と夢は、あの日砕け散った。あんなことがなければ、俺はきっと御仏になって久遠ちゃんと結婚して毎日……おっといかんいかん自制しろよ、俺。

 もちろん、後悔なんてしていない。後悔なんてしたら、嘘になってしまうから。

 だから、俺は歩き続ける。真っ直ぐ、己の信じた道を。

 なぁ、そうだろ?



「おい、さっさと謝れ、人間!」


 ふと、顔を上げると近くで声を荒げている男がいる。

 俺のセンチメンタルな気持ちが一秒で吹き飛んでしまった。やっぱり自宅で引きこもってた方がよかったか、腰を上げそそくさとその場から逃げだした。



「聞こえねぇのか? 御仏の俺にぶつかっておいていい度胸だな、おい?」

「…………………」


 関係-ないからー関係ないからー。よくある場面だ。御仏ってやつはついつい自分が神様だから偉いっていう観念に縛られてしまう。確かに御仏は神様だが、別に敬うか敬わないからは個人の自由だ。それを履き違えるがああやってがなり立てる。やだやだ。


「おい、あんた」

「………………」

「おい、聞いてんのか?」

「…………えと、俺っすか?」

「そうだよ、あんただよ。そのガキの所有者だろ?」

「は?」


 気が付けば、さきほど脅されていた小さな女の子が俺のワイシャツの袖を引っ張りながら無表情で見つめてきた。俺は女の子の気持ちなら例え幼女でも完璧に把握できる恋愛マスター(笑)だ。じっと女の子の大きな青色の瞳を見つめ、その心をすくいあげる。


「臭い息をかけないで、おっさん」

「舐めてんのかあんた…………」

「違う違う! この女の子が言ったの! ね?」


 ぶんぶんと高速で頭を横に振る女の子。ほう、聞き取ることはできるのか、と状況を把握している暇もなく、おっさんは俺の襟首を掴みあげ、黄ばんだ瞳で睨み付けてきた。


「そのガキは俺を辱めた。殺せ」

「いや、俺に言われても……ていうか俺、関係ないっすよ……」


 とんだとばっちりだ。俺は正直に無関係を証言すると、男は舌打ちをして、女の子手を掴みあげた。そんなことをされても女の子は悲鳴すら上げない。だけど、体は僅かに震えていた。


「なら、こいつをどうしようが俺の自由だな。ちょうど面白い玩具がほしかったんだ…………」

「ちょっとちょっと…………ただぶつかっただけでしょ? あなたにそんなことをする権利はないはずですが……」

「権利? なら学生さんよ、あんたは無関係なんだろ? こいつをどうしようがあんたに関係ないんじゃないかい?」


 はぁ? このおっさんは何を言っているのでしょうか? 一つわかっていることはおっさんがロリコンだってことだ。というか、それ以外は知りたくもないけど。

 女の子は俺を真っ直ぐ見つめた。相変わらず無言で、無表情で。

 だけど、彼女は助けを求めている。それだけはわかった。それだけで十分だった。


「ロリコンは犯罪です。警察に通報しますよ?」

「御仏は行政に縛れない。俺を裁くやつなんて存在しないんだよ。そんなこともわかんねぇのか、学生さんよ?」


 三権分立。行政、司法、立法はそれぞれ権力の均衡を保つように独立している。ところが実際は司法である御仏に掌握されているため、警察は御仏を摑まえることは事実上不可能だ。そんなことならまだ優しいほうだ。下手をしたら、女の子が犯罪者に仕立て上げられ、濡れ衣を着せられる可能性もある。この黄色いおっさんならやりかねない。


「知っていますか? 阿修羅って連中を?」


 おっさんが喉を鳴らす音が聞こえた。その眼は先ほどとは比べ物にならないくらい激しく動いている。動揺している証拠だ。なら、追撃しなくてはならない。


「俺の友達に羅刹っていう男がいましてね。そいつはね、大好きなんですよ」

「な、なにが…………」

「わかるでしょ? 殺しですよ殺し。阿修羅は、司法に逆らう者をこの世から消す。あんたは誘拐しようとしている。それは犯罪だ。裁かれるべきだ」

「そいつらだって、御仏だ…………俺を裁いたりなんて」

「いったでしょ? 友達だって? 俺が殺してくださいと今電話すれば多分くるんじゃないですか。いいんですか? 大切な命、無駄にしても? ああでも……そうですね。あなたのような、人を玩具呼ばわりするような御仏なんて死んだ方がいいかもしれませんね」

「ま、まってくれ!! わ、わかった、離す、離すって……ほんの冗談だよ、はっはっは…………」


 俺は携帯に登録してある友人のアドレスに連絡しようとした。だが、おっさんが慌てて女の子を寄越したので中断するしかなかった。女の子の体はまだ震えたままだった。

 とりあえず、釘を刺しておくかね…………。


「そうですね。私も冗談です。だけどあなたが人の命を塵芥に考えている限り、私もまたあなたの命が、羽よりも軽いことを知っています。気を付けてくださいね――――ほんとに」



 我ながらとんだ茶番を演じたものだ。まんまと引っかかった男は間抜けだが、なんとか女の子を助けることができたから良しとしよう。これに懲りてロリコンを自制してくれると、世界の幼女たちが安心して生活できるからな。

 ――――俺は、ロリコンじゃないよ?


「さてと…………幼女よ、怪我はないか?」


 名前がわからないので幼女と名付けておく。幼女は首をこくん、と一つ縦に振った。何とも愛想のない幼女だ。

 だが、とてもきれいな顔をしている幼女だ。髪の毛なんて金色だし。プラチナブロンドというやつだろうか。顔立ち的にはどちらかというと日本人の血が大きいかもしれない。切れ目な瞳から青い色の眼差しを俺に向けている。ボロボロの服とのアンバラスン差が滑稽だった。


「うむ、ならばいい。助けてあげたことは気にするでないぞよ? 例え幼女であっても貴重な女の子に変わりはないぞよ。さぁ安心しておうちに帰るぞよ」


 俺はそう言って女の子の髪を優しくなでた。当然、女の子は無表情で俺を見つめている。なんだか嫌な予感がしたので俺は早々にその場を去ることにした。アディオス幼女! 生きてたらまた会おう! その時はセック……結婚しような!



「今日のご飯はカレーライスぞよ。俺はカレーライスの玉ねぎが大好きなので四玉も入れちゃいました! だけど人参が大嫌いなのでいれてましぇーん! ごめんち!」


 台所で無駄にテンションを上げ、出来上がったカレーを盛りつけた。炊飯器にセットした白米はほかほかと湯気を立てて食欲をそそる。器にご飯を盛りつけて、すぐさま出来立ての黄金ルーを半分残した器に盛りつける。ステップを踏みながらスプーンを手に取りリビングへと戻っていく。


「いただきマンモス!」


 俺はゆっくりと出来立てのカレーを味わった。ほどよいスパイスと野菜のごつごつ感……白米の感触……すべてが完璧だった。

 もはや何も言うことはない。無言でスプーンを掬い、口に運ぶ。その動作の繰り返し。二つのスプーンは競い合うようにかちゃかちゃと音をたてている。

 ん? 二つ?


「幼女ちゃん…………いつの間に俺の隣へ?」


 幼女は返事をする暇もなく口にカレーを運んでいた。スプーンの持ち方は違うし、口はべちゃべちゃだし、服はもうひどいことになっているから敢えて無視。そんなにか。そんなに俺のカレーが上手いのか?

 ぢゃねーーーーーーよ!!

「ち、ちみちみ…………勝手に人のお家に入っちゃダメだって教わらなかったかい?」

「……………………」

「勝手に、人のカレーを食べちゃダメだって教わらなかったかい?」


 こくんと幼女は首を縦に振った。

 うそつけや! と突っ込みそうになったがなんとか理性で押さえつけた。まてまて、状況を把握しろ。幼女と会ったのが公園で、幼女と別れたのが公園で…………あれ、そのあとどうしたんだろ? まるで記憶がない。

 は…………まさか、俺の中のもう一つの俺が、この子を連れ去ってしまったのだろうか。最近よくある二重人格とかいうやつで、もう一人の俺はロリコン変態男で、だから久遠ちゃんも俺のことが嫌いになっちゃったのか、納得!!


「よし、明日は精神科に行こう。とりあえず…………まずは幼女をどうにかしなくては」


 おっさんにあんだけデカい口を叩いておいて、まさか自分が幼女を誘拐したなんてシャレにならない。隠ぺいしなくては……。まだ手……出してない、よ、ね? 処女膜、破ってないよね? 破ってたら首吊って死の。


「ゴホン……あー……これは違うんだ。俺は病気で、だからロリコンじゃない。え、ロリコンは病気だって? とにかく! 俺は無実なんだ!」


 何にも弁解できなかった。くそぅ……口八丁手八丁が俺の取り柄なのに。幼女の無垢なる瞳の前には敗北するしかないのか……。

 いやいや……敗北するなよ。敗北はつまり、俺の人生オワタ状態でしょ。せっかく人間として生まれ変わったのに、もう終わりとか……。しかも……幼女誘拐犯なんて……。


「よし……今ならまだ間に合う。早くこの子をお家に返そう。それの方がいい。その方が、この子の家族も俺もWINWINな感じでしょ?」


 思い立ったらすぐ行動。俺は自分のいい方向へと思考を誘導して、幼女の方へと再び歩み寄った。ところが、幼女はカレーを食べ終わった途端グースカと眠ってしまった。もちろんグースカいびきをかいているわけではない。可愛い寝息に思わず胸キュンしてしまうところだった。


「ま…………もう夜も遅いし。明日聞けばいいか」


 …………というか今頃騒ぎになっているに違いない。遅いか早いかの違いだろう。どうせ明日から暇なんだし。冷静に考えてみれば色んなことが簡単に思えてきた。


「っていうか、なんか、生ごみ臭いなこの子……」


 寝るなら風呂に入ってほしいところだが、起こすのもなんか気が引ける。しょうがないので服だけでも取り替えてあげようとボロ切れをゴミ箱に叩きこみ、俺のワイシャツを着せてあげた。

 勘違いすんなよ? 別に幼女に触りたかったわけじゃないし、今あるのが俺のワイシャツだけなんだ。決して邪な感情はない。ないったらない。

 …………とりあえず、今日は抜けないな。帰ってきてやることが抜くだけなんて、なんて切ない生活だろうか。

 早く、彼女作ろ…………。




























評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ