四品目 海と私
なぜ私は白のビキニに着替え、腰にパレオを巻いた状態でビーチパラソルを立てているのでしょうか? こういうことは昔から、力仕事は俺の見せ場的に男性の方が積極的になさるべきだと思います。突然のこと過ぎて思考がついていかない方々も多いかと思いますがご安心ください。私も全くついていけていません。
「いや~、プライベートビーチって使ったことなかったけど、使ってみるといいもんだね。うん、実にいい」
「そう思うのであれば少しぐらい手伝っても、もしくは率先して働くという気持ちはないのですか?」
「サンオイルだったら率先して塗ってあげるよ?」
ダメですね。この人にまともな返答を期待した私が馬鹿でした。手の動きからセクハラを受けることが確定しているので若干距離を取りましょう。分かっていたことではありますが、想像と体感では心に受けるダメージが違います。魔王様に振り回されるというのが私の主な仕事ということをすっかり忘れておりました。
「あんたねぇ、ユキにだけやらせずに少しは手伝いなさいよ」
「だったらそういう気持ちを持ってるロゼが手伝ってあげなよ」
リュカイネン様、ご好意は感謝しますが暖簾に腕押しです。その人に働けという言葉は無意味です。少なくとも私の記憶では魔王様の頭の中の辞書に自分から働くという言葉は記載されておりません。ヘタをすれば労働という言葉すら記載されているかすら疑わしい。ちなみにリュカイネン様はダークブルーのビキニの上から白衣を纏うという素晴らしいレベルでのミスマッチを発揮してくれています。
「それにしても珍しいですね。魔王様がご自分から外出なさるなんて」
「ユッキーは失礼なことをしれっと口にするよね? さすがの俺だって目の保養のためだったら喜んで外出するよ」
そういう回答が返ってくることは既に予想済みです。
だって魔王様ときたらほとんど外出されませんから。一応程度に仕事をこなされているのでニートとまでは言いませんが引きこもり、もしくは出不精ぐらいの表現は口にしてもいいでしょう。
「それで、どうして外に出るつもりになったの?」
「ロゼまでひどいこと口にするね」
「自分が今までしてきたことを思い出してから口にしなさいよ。貴族連中のパーティーに何度招待されても応じない。それだけならまだしも私に代役を押し付ける。裏があるっていつだって思うわ」
魔王様が以前お話してくれたのですが、リュカイネン様は七罪将の最古参にして筆頭。確かに代役としてはベストチョイスと言わざるを得ませんが、日頃から魔王城に届く郵便物を管理している私には苦労がわかります。権力欲とでも言うのでしょうか? 貴族階級の魔族たちは事あるごとに魔王様を自分の領地に招待しようとイベントを興し、その度に招待状を魔王城に送ってきます。その全てに代役を押し付けられたと考えれば心労がどれほどのものか推測すらできません。
「実はさ、こんなものを新聞で見つけたんだよね」
右手の指を軽く鳴らしただけでビーチパラソルの下にいる私たちの前に新聞紙が広げられます。日付からして昨日の新聞なのでしょう。一面には数百年ぶりにクラーケンの出現濃厚と大大的な文字が踊っています。
「これ、ガセじゃないの?」
「ガセですめばいいんだけど、これが事実だったらロゼの監督不行届ってことだよね? 俺はそんなことないって信じたいから自分の目で確かめに来たんだよ?」
クラーケンについての説明は省かせて頂きますが、これが事実だとすればこんなところで暢気にビーチパラソルの下で優雅なひと時を過ごしている場合ではありません。
魔獣。
大概の人間は混同しがちですが魔獣と魔族はれっきとした別種族であり、一緒くたにされることはかなりの侮辱にあたります。私たち魔族と違って魔獣は知能を有してはおりません。全くとは言いませんが、例えるのであれば人間と昆虫ぐらいの差があります。加えて言うのであれば魔獣の生態系は動物のそれに限りなく酷似している為、魔王様の支配下に入っていないのです。
「一個師団投入レベルの魔獣相手にあんた、正気?」
「七罪将が二人もいれば楽勝でしょ?」
しれっとひどいことを口にするのは一体全体誰の口でしょうか?
参考までに魔王様は個人として軍隊を所持しておりませんが、七罪将は私を覗いた六人全員が軍の所有権を持っております。面倒の一言で魔王様に動かれると被害が自分たちで対応した時よりも大きくなることがわかりきっているからです。私に軍の所有権がないことはご想像にお任せいたしますが。
あれ? 飲み物をクーラーバックから取り出そうとした私の体が何かに引っ張られています。重力は横になんて働きません。それになんかやたらくっついてきている? って、これってまさか、
「クラーケン?」
「嘘っ」
気づいたときにはすでに遅いと先人は偉大な言葉を残しました。対処の仕方も残しておいて頂ければ完璧だったと思います。もうあれよあれよといううちに抵抗することもできずに私とリュカイネン様がクラーケンに絡め取られ、
「やっべぇ、本当に出てきたよ。カメラ、ユッキー、カメラはどこにあんの?」
「バッグの中ですが」
「触手と美女。まさかこんなシチュエーションに出くわすなんて、あの馬鹿神にもちょっとだけ感謝しよう。頑張れクラーケン。できればエロス方面の展開に」
「「助けなさいよっ」
リュカイネン様と一緒に叫んでしまいました。
まさか魔王様の脳内がここまでぶっ飛んでいるとは思ってもみませんでしたから。魔王城の立て直しが完了したらアダルティー関係は全て焼却処分しましょう。これは決定事項です。第一、魔王が神に感謝するとか何事ですかっ。ああもう、絶賛ピンチ中だっていうのにツッコミどころが多すぎて思考がうまくまとまりません。
「いいねぇ、その表情。エクセレントってやつだね。じゃあ、少しずつ水着をずらして行ってみようか。一気に行っちゃダメだよ? 扇情感刺激しつつそれで相手を飽きさせないぐらいにじっくりと」
この人、一回ぐらい死んだほうが世界のためなんじゃないでしょうか? 自分に迫ってきているクラーケンの足も気にせずにシャッター切り続けるって。この人の従者でいることがものすごく切なく思えてきて仕方ありません。
「魔王様っ」
どれだけ夢中になってるんでしょうかね、この人。声を張り上げて注意しても一向にクラーケンの動きに気づいていません。もうすぐそこまで迫ってきているというのに。
「獣風情が我が主に牙を剥こうとは。無知と蛮勇はやはり醜い」
正直に言いましょう、私にはその動きが全く見えませんでした。おそらく両手で持っているクレイモアで魔王様に近づいているクラーケンの足を全て切断したのでしょう。誰と言われても私には説明しようがありません。
漆のような光沢を持つ黒髪を背中で一纏めにし、水着ではなく大事な所を褌でかくしている女性。和洋どちらかに傾いていればいいものを若干アンバランスです。
「遅かったねツバキ。とりあえず話は後にして、アレ、片付けてくれる?」
「ご命令とあれば今すぐにでも」
「ベニヒメ」
リュカイネン様の言葉で私は耳を疑いました。聞き間違いでなければ確かにリュカイネン様はベニヒメと口にされたのです。
シラヒメとベニヒメ。
この二つの家名にだけはかなりの意味合いが込められており、各々役割が決まっています。シラヒメは従者であり主の盾、それに対なすベニヒメは戦士であり主の剣。そして、ベニヒメを名乗る者は特別視されています。
「まさか、あれがベニヒメ様ですか?」
「ええ。ツバキ・ベニヒメ。戦闘能力に関してだけは魔王様の影を踏めるとさえ言われていて、私やユキと同じ七罪将の一人」
一瞬のことです。
リュカイネン様が一個師団投入するレベルの危険度と示唆していたクラーケンですが、見事に捌かれました。ただ若干、捌き方が雑なので料理の腕に関しては私のほうが上だと確信しましたけど。