一品目 魔王様と私
唐突ですが、私の一日はかなり長い部類に入ると思います。
朝四時に起床し、そこから城内の清掃に洗濯だけでなく朝食と昼食を作り、昼を回れば庭園の花に水をやって洗濯物を取り込んで風呂掃除。それが終了すれば夕食の準備に取り掛かり、就寝する頃にはヘタをすれば、いえ、ヘタをしなくても日付が変わることがほとんど。
失礼しました。私の名前はユキ・シラヒメ。
魔王様の側近中の側近なのですが、残念すぎることにやっていることは侍女と大差ありません。もっというのであれば、魔王様が私以外をそばに置くか誰かを雇い入れてくだされば私の労働時間はかなり短縮されるのですが、魔王様はいつまで経ってもその件に首を縦に振ってはくださいません。
こうしてはいられません。
朝食の準備と昼食の下ごしらえが終了したので件の魔王様を起こさなければいけません。ええ、目覚ましで起床しろと小言を私もできることなら口にしたいです。起きてくれるのであれば。起きてくれないんですよ、魔王様。以前、人間たちが騒音と呼ぶ音を録音した目覚まし時計をベッドの周囲を取り囲むように配置して一斉に鳴らしたのですが、寝返りうっただけで私のほうが我慢できずに止めてしまいました。
控えめにノックをしてドアを開けます。
魔王様は勝手に入っていいとおっしゃいますが、そこは礼儀。一度でも自分を甘やかしてしまえばそこからは堕落への坂道がヨダレ垂らして待っているのが目に見えています。
「魔王様、起きてください。本日も仕事が山積みです」
肩を揺らしながら声をかけても何の反応も返してはくれません。
私はもう慣れましたが、他の魔族や人間がこの姿を見たら絶句するか顎が外れて意識を手放してしまうことでしょう。ボサボサの髪にいつまでも取れない目の下のクマ。寝顔だけではなく普段の振る舞いからしても世間一般が勝手にイメージされている魔王とはかけ離れていると断言できてしまいます。なにせこの方、普段はパジャマの上からちゃんちゃんこを着こんで仕事します。気温湿度関係なくこたつに頬杖つきながら。
「いい加減起きてください、魔王様」
「ううぅん、あと五年」
「そんな気軽さで千八百日以上寝続けられては困ります。いいから起きてください」
魔王様のわがままを許してしまっては従者の名折れもいいとこ。寝返りうって私から距離を取ろうとしたってそうはいきません。問屋が卸そうとしても私が全力で阻止します。
「ユッキーがおはようのちゅーをしてくれたらあと五分で起きるよ。ディープキスなら下半身ごと即起床」
「なっ」
無意識のうちに一気に体温が上がった気がします。きっと今鏡を見たら顔がトマトや林檎のように真っ赤になっていることでしょう。普段から肉体関係を求めては来ないので時折私を女性として見ていないのではと疑問を抱くこともしばしば。そのくせにこういった甘える癖だけはいつになっても治りません。乙女心をくすぐり続けるタチの悪い方です。できるなら反省させたいぐらいに。
「冗談を口にしている余裕があるんだったらとっとと起きるっ」
強引に布団を引っペがして起床させます。布団ごと魔王様が釣れましたが。
おかげで勢いよく魔王様の体が回転しながら壁に音を立てて激突しました。ところが、あくびをしながらストレッチをして起床した魔王様はノーダメージ。相変わらずのデタラメボディ。少しぐらい痛がってくれた方が私としては気分が安らぐんですけどね。
「ユッキーは乱暴だなぁ。もうちょっと優しく起こしてくれてもバチは当たらないよ?」
「いつまでも起きない魔王様がわるいんですっ」
「だから、おはようのちゅーをしてくれたら素直に起きるっていつも言ってるのに」
腰に手を当てて注意したはずがまた赤面させられてしまいます。
魔王様の冗談は本当に心臓に悪いです。好意を向けてこられる貴族のご令嬢も、その気になれば飴玉に群がる蟻のように来るというのに。この手の冗談を私以外に口にしたりしません。きっと、私の反応を見て楽しんでいるのでしょうね。そう思うと腹立たしいことこの上ありませんが。
「話変わるんだけどさ、ユッキーっておっきくなった?」
「大きくってどこがですか?」
「おっぱい。ここに来た頃はペッタンコだったはずなのに今じゃ程よい弾力とサイズに実っちゃって」
いつの間に移動したのか目では追えませんでした。ただ、メイド服越しに私の胸を後ろから魔王様が揉みしだいていることだけは確かです。ええ、言葉通り一千年前はペッタンコでしたよ。最近ようやく八十の大台に乗ったことも確かです。そこまで考えてから思考が真っ白になりました。
「何晒してくれてんですかっ」
気づいたときには言葉と共に見事な背負投げで魔王様を転がしていました。当然、受身が取れないように投げたはずなのに魔王様は相変わらずノーダメージ。女性の胸は神聖なものでみだりに触れてはいけないと何度口を酸っぱく教え込めば学習するんでしょうか、この方は。
「ユッキー、ちょっとしたお茶目じゃん?」
「お茶目でセクハラされたんじゃたまったもんじゃありませんっ」
「慌てちゃって、本当にユッキーは可愛いなぁ。ピンクってのもナイスチョイスだし」
恥ずかしさのあまり肩で息をする私に対して、右手の親指を立てながら答える魔王様。その視線の先を辿れば私のスカートの中。そうですか、先ほどのピンクというのは私の下着の色ですか。セクハラもいい加減にしてください。
「このままこの光景を目に焼き付けるのもいいけど、それだとユッキーが恥ずかしがって仕事が手につかないだろうからこの辺にしとこうかな」
スカートを押さえながら若干距離をとります。
わざわざだれかの許可を取ったり、ハプニングを演出しなくても魔王様には透視の力があるので見ようと思えばいつだって見れます。こちらのプライバシーなんてお構いなしです。それをよしとしないのは私にはよくわかりません。
「うん、よく似合ってる」
「似合っているとは何がですか?」
「右胸、見てみなよ」
いつもどおりちゃんちゃんこを着て首をしきりに縦に振る魔王様。
言われたとおり視線を移動させてみればその場所には白いバラのブローチが。いつの間に付けたのでしょうか? そもそもこれをいつ用意したのでしょうか? 私にはわからないことだらけです。
「あの、これは?」
「いやね、今日でユッキーがここに来てちょうど千年だから何かしらプレゼントを贈ろうと思ってさ。そんでもって、いろいろな書物漁って作り方を理解したのはいいけど魔力の調節がうまくいかなくって一日かかった。その成果がそれです」
解析の魔法を発動させてみれば、私の右胸に魔王様つけてくれたブローチはブリザーブドフラワー。これを専門の機材無しで一日でやってのけたというのですから、時間凍結か空間凍結のどちらかを使用したことは間違いありません。どちらも魔王様にしか使えない最上位の魔法であり、緻密な魔力操作が必要不可欠。よくよく室内を見てみれば、ゴミ箱に数え切れないほど失敗したのでしょう。砕けたバラがいくつも放り込まれていました。
「そんなわけで、これからもよろしくね。さて、朝ごはんは何かなぁ」
こっちの気持ちを理解する気持ちなどないのでしょう。
いつもどおりの能天気な魔王様が食堂へと向かっていきます。私はといえば、嬉しさと呆れが半々の状態で正直困っています。ええ、魔王様の顔がまっすぐに見れません。
本当に困った方に仕えてしまったものです。