seek[5]>>"待つものたちと行くものたち<前編>";
「やあ、そこのきみ! お困りのようだが、僕の手助けが必要かな……って、前にも言ったことがあるね?」
快活なバリトンと共に、銀の光が目の前に飛び込んできた。
光の正体は、宝石のたくさんついた、銀の籠手だった。それが、今しも俺をその顎に収めんとしていた魔物の目玉に突き刺さった。
魔物の眼球からどろどろした液体が飛び出した。籠手をはめた人物はさっと身をかわし、液体は呆然とする俺の顔に降り注いだ。気持ち悪い。
「のこのこと殺されにくるとは、気の毒な魔物どもだな! だが、僕の手によって屠られるのであれば、むしろ幸福というべきではないかな?」
頭からかぶった白い布を額の輪で留め、その間から癖のある黒髪と、浅黒い肌が覗く。
白い布の服の上に簡素な革の鎧。膝丈のズボンに、紐を巻きつけて履くサンダル。
見覚えのある、エキゾチックな装いと容貌。
……それ以上に、この大仰な口調と仕草に覚えがある。
(グランデの第一王子……!!)
一つ目の岩山で出くわした気障男。
まさかこんなところで再会するとは思っていなかった。フェンが言うには、彼らは俺の動向を見守っているらしいから、おかしくはないのか。
「ほぅらカツミちゃん、ぼーっとしている暇はなくってよ?」
「のぉぉううううわぁあああああ」
耳元で囁かれ、俺は驚いてのけぞった。
ぴんと立った耳に金色の目、全身を蒼灰色の毛皮に覆われた、二本の足で立つ狼男が、俺の背後にはりついていた。いつの間にいたんだ。
〈狼〉が太い腕を一閃すると、ゴーレムがぶんと吹き飛んだ。
「ほらほらぁ、ぼんやりしてるとやられちゃうわよお」
俺を振り向いてウインクする。
見れば、俺が迂闊に隙を見せたせいで、これを好機と見た魔物たちが、じりじりと距離を詰めてきていた。
「まあ、このくらいの敵なら僕ひとりで十分なんだがね! 僕の華麗な技を間近で見たいというのなら、止めはしないさ!」
飛びかかる敵をさばきながら、大きく手を広げて〈王子〉が言う。戦っている最中にも、大仰な口調と仕草は変わらないらしい。
事態がよく飲み込めないが、これだけの魔物に囲まれている以上、戦わなければどうしようもない。俺は黙って目の前の敵に専念することにした。
他人と戦うのは久しぶりだし、出会ったばかりの相手と共闘するのはもっと久しぶりだ。だが、ゲームの中でたまにやっていたことではあるので、なんとなく面白くなってきた。
〈王子〉は、装備からも察せられるように武闘家らしかった。銀の籠手をはめた拳で、襲いかかる敵を次々になぎ倒す。
ひとつひとつの動作が大きく、合間に謎のタメや、それは必要なのか? という回転が入る。それは絶対必要ないだろう、という笑顔も入る。
おまけに動きがやけに優雅で、もうなんだかダンスかミュージカルの一場面を見ているかのようだ。
だが、ふざけた動作から繰り出される攻撃は力強く的確で、一撃で確実にダメージを与えていた。
一方、〈狼〉のほうは、とにかく力強かった。
得物はパタ。金属製の手甲の先についた刃で、相手を突き刺す武器だ。パタはショートソードくらいの長さがあるものが多いのだが、〈狼〉のそれは刃が短く、長めのナイフといったところだ。
毛むくじゃらの腕が風を切ると、その先にいた魔物が吹き飛ばされていく。まるで衝撃波だ。
図体はでかいが、鈍重なわけではなく、むしろ速い。重機が高速で襲い掛かってくるようなもので、つまり怖い。
力に物を言わせた攻撃とはこういうものか……と感嘆しつつ、しかし疲れないのだろうか、と観察していたら、意外にも、〈狼〉の動きにはまったく無駄がないのだった。
力と速さだけが頼りの盲滅法な動きに見えるのに、力任せに見える攻撃は次の攻撃に繋がっており、むやみに早いだけに見えて、勢いは攻撃に乗せられている。
(似てるな……)
ふと思った。一方は派手派手しく大仰、一方はパワータイプと、ぱっと見は共通点などないように思えるが、〈王子〉と〈狼〉の戦い方は似ている。
無駄がないといえばフェンの戦い方もそうなのだが、フェンの場合は、動くよりも前にすべてを見通している印象がする。
だが、〈王子〉と〈狼〉の戦い方はもっと動物的だった。目の前の現象に対する反応がものすごく早い、という感じがする。
同じ先生についたとか、流派が同じとかだろうか。
そう思いながら眺めていたら、ふと、自警団の面々ともちょっと似ているな、と思った。そういえば、彼らには「歩くのもやっとな爺さんに見えるのにすっげー強い」師匠がいるという話だった。その師匠と彼らは同じ流派なのかもしれない。
ぼんやり考えながら機械的に目の前の敵を倒していたら、ふとひんやりした空気を感じた。
サヤの魔法だ。さっきから何度も避けてきて、要領は分かっている。感じた時には、すでにスキルを発動させている。
しかし、半ば無意識にバックアタックを使ってから、俺は青ざめた。
俺はいい。これで避けられる。
だが、〈王子〉と〈狼〉はどうなる!?
内心の葛藤とは関係なく、体はターゲットの背後に移動し、自動的に手が振りかぶって切りつける。
その瞬間、突風が吹きつけた。宙に浮いていた俺は、短剣の突き刺さった魔物ごと、横なぐりに吹きとばされた。
(!?!?)
転がりながら身を起こす。短剣を振り抜くのと同時に、サヤの放った水球が炸裂した。返す刃で止めを刺し、〈王子〉と〈狼〉を振り返る。
サヤの魔法に巻き込まれて、無事でいられるはずがない。
しかし、二人は無事だった。俺のように無様に体勢を崩してすらいなかった。わずかに身を低くし、角度を変えて、突風を受け流している。
その脇に、累々と魔物たちが倒れていた。魔物だけではない。立木が倒れ、あたりが水浸しになっている。サヤのウォーターボールの跡だ。
だが、その跡は、途中から不自然に歪んでいた。本来なら俺たちを直撃していたはずの水球が、何らかの理由で軌道を変えたのだ。
(いったい何が……?)
そう思った瞬間、空から声が降ってきた。
「馬っ鹿じゃないの!?!?」
鈴を振るような、可愛らしい声が、まったく可愛らしくないことを叫んでいる。
「盲滅法に魔法使ってんじゃないわよ! あんたのその馬鹿力、当たったらどうなると思ってんのよ!?」
驚いて、空を仰ぐ。宙にホバリングしているグリフォンの傍に、小さな黒い影がある。
「カツミならあれで大丈夫なんです!! 俺のことは気にしないで好きにやっていいって言ってくれましたし!!」
むきになって言い返すサヤの声が聞こえる。
「馬鹿みたいに丈夫なあんたの相方はそれでいいかもしれないけど、巻き込まれる身にもなってみなさいよ! だいたいその前に、あんたの間抜けな相方、死にかけてたじゃない! 馬鹿力はいいけど、ちょっとはそういうの見てやんなさいよ!」
ひらりひらりと左右に振れながら飛ぶ黒い影。逆光になって顔は見えないが、あの声ときつ,い物言いは間違いない。グランデに来る途中で出会った蝙蝠少女、キキだ。
どうやら、水球の軌道を逸らしたのは、キキらしかった。あの突風を、サヤの水球にぶつけたらしい。
〈王子〉と〈狼〉が体勢を崩さなかったのは、この援護を予測していたからなのか。分かっていても、あれを受け流せるのは相当のことだと思うが。
「……!!!!」
サヤは言い返そうとしたらしいが、何も言えなかったらしい。代わりに、立て続けに水の槍が飛んできた。ちゃんと、俺にも、〈王子〉と〈狼〉にも当たらない場所を選んでいるが、恐ろしい勢いだ。よほど腹が立ったらしい。
「味方に当てなきゃいいってもんじゃないのよ! ちゃんと狙いなさいよ!」
「うるさいです! あなた何様なんですか!」
「キキ様よ!」
風を切る音がしたかと思うと、目の前の魔物が血しぶきをあげた。とっさに飛びすさって避ける。半透明の刃が左右に動いて、魔物の体がみるみるうちに切り裂かれていく。キキの魔法だろう。
対抗したのか、すぐ横に水の刃が飛んできた。それと同時に罵声も飛んできた。
「馬鹿、同じ場所ばっかり狙ってどうすんのよ!? これだけ敵がいるんだから、背後を取られないように援護するとか、同じ場所に敵が集中しないように別の場所に誘導するとか、いろいろあるでしょいろいろ!! あんたの取り柄ってその馬鹿力しかないの!? そのぐらいのこと教えてないあんたの相方も大間抜けよ!!」
「カツミのこと大間抜けっていうのやめてください!」
いや、俺が大間抜けです……。
キキとサヤの言い争いはその後もしばらく続いた。
口調はきついがキキの言うことは的確で、それだけにサヤは相当悔しかったようだ。だが、悔しさは魔法の威力に転化されたらしく、結果的に、ちょうどいいタイミングで苛烈な魔法の援護が入ることになった。俺は助かったが、俺がちゃんと教えていればサヤはキキに罵られずにすんだわけで、非常に申し訳ない。
二人で戦っていたのが五人になり、サヤとの連携も取れてきたとなると、敵を倒す勢いも桁違いになる。
おまけに、〈王子〉の動きには迷いがなかった。迫りくる敵を屠りながら、ためらいなく森の奥に踏み込んでいく。気がついたときには、サヤの立てた水の壁も見えなくなっていた。
そうして、どのくらい進んだだろう。
「匂うわね」
〈狼〉がふと顔を上げ、そう呟いた。
「いよいよお出ましといったところかな?」
〈王子〉が過剰な笑顔を振りまく。
森の奥深く、襲ってくる魔物はほとんど原型を留めておらず、それなのに着実に強くなっていた。
この感じは、あれだ。そろそろボスが出てくる頃合いだ。ちょうどNPC(みたいなやつら)もそれっぽい台詞を吐いていることだし。
いい加減雑魚相手も飽きてきたが、この状況をどうにかしないと村には戻れない。ボス戦で一気に片付けられるなら望むところだ。
期待を込めて周囲を見回す。
鬱蒼と茂る木立の陰で、溶け崩れたような異形たちは、もはやどこからどこまでが一体なのかも定かではない。
その中に、ふと人の顔を見た気がして、俺は行き過ぎかけた視線を慌てて逆戻りさせた。
石膏像と見紛うような、彫りの深い、整った男の顔。
だがその顔は、人ではありえないほど大きかった。結構な距離があるはずなのに、ここから見て大きいと思えるのだ。
整った造形と異様なその大きさ。雑魚モンスターだとは到底思えない。
(こいつがボスか!)
こみ上げる、目のくらむような高揚感。
考えるより早く、俺の足は地面を蹴っていた。
「え」
「ちょっ」
駆け出した俺の背後で、思わず漏れた、という感じの声がした気がしたが、まあいいだろう。
溶け崩れた魔物たちの間をかいくぐり、〈石膏像〉へと駆け寄る。気づいた雑魚たちが攻撃を仕掛けてくるが、俺のほうが早い。
「そんな速度でやられるかよ!」
言いながら、浮かれているな、と思う。ひさしぶりのパーティプレイに興奮しているらしい。何よりも、背中を気にせず突っ込めるのが楽しい。
一人だとそれなりに前後のことも考えないといけないし、サヤと二人だったらサヤを守ることが第一だが、そもそも俺は、無鉄砲に突っ込んで未知の攻撃を避け続ける盾役なのだ。行きずりの相手とはいえ、信頼できる腕前の仲間と戦えるのは嬉しかった。
//--------
近くに寄ってみると、〈石膏像〉は、彫刻のような上半身を地面から生やしていた。
近寄ってくる俺を認めると、白くたくましい腕で殴りかかってきた。
だが、俺と〈石膏像〉の間にはまだ距離がある。そこから殴って届くのか……? と思ったら、〈石膏像〉の腕が伸びた。ゴムのようにしなりながら、拳が飛んでくる。
(そうきたか!)
慌てずに、《バックアタック》で避ける。
〈石膏像〉は俺を見失ってあたりを見回していたが、不意打ちで背後から切りつけられ、不審に思うより腹を立てたようだった。体ごとぐるりと振り向くと、ものすごい勢いで拳を振り下ろしてきた。飛びのいて避け、軽く腕に触れてまた距離を取る。
ちらりと視線をやると、〈王子〉と〈狼〉は魔物の群れを抜けるのに手間取っているようだった。
だったら、もう少し遊んでいても許されるだろう。
俺は敢えて大きな攻撃はせず、SEを貯めながら相手の様子をうかがうことにした。
一般に、ボスキャラにはなんらかの仕掛けというかギミックというか、そういったものがあるものだ。
ここまで大掛かりなイベントを起こしておいて、ただ殴ってくるだけの筋肉バカがボスということはないだろう。何か意表を突くような変化があるに違いない。
そうでなくては面白くない。
現段階での〈石膏像〉の攻撃は、激しいが、それほどバリエーションがあるわけではないようだった。
腕が伸び縮みしてリーチが読みにくい。勢いも凄まじい。
だが、基本的に上から殴りつけてくるスタイルで、他のパターンがない。腕は伸び縮みするが、奇想天外な軌道を描くわけでもない。つまり避けやすい。
周囲の魔物たちを倒しながら、〈石膏像〉の攻撃を避けて、触れてはSEを貯め、としていたら、だんだん攻撃を避けるのが楽になってきた。
俺が〈石膏像〉の攻撃に慣れてきたのかと思ったが、そうではなかった。周囲にいた魔物たちが減っているのだ。
元から溶け崩れたようだった魔物たちが、その姿をさらに歪ませ、あちらで一体、こちらで一体と、地中に吸い込まれていく。
(来たか!?)
内心でわくわくしながら様子をうかがっていたら、足元の地面に亀裂が入った。
亀裂はみるみる間に広がったかと思うと、一気に地面が裂けて、何かが飛び出してきた。
「!!」
俺に飛びかかってきたのは、毒々しい深緑色の犬だった。前足が三本。後足はなく、下半身はやはり毒々しい深緑色の、蛇のような体が伸びている。
犬は、一匹ではなかった。あちらこちらで地面が盛り上がり、獰猛な顔つきの禍々しい犬が姿を現している。
そして、犬の蛇のような体は、〈石膏像〉に繋がっていた。
「なるほど、これが下半身なわけね……」
ちょっと感心する。全体的には、蛸の頭が人間、足の先が犬で、足がやたらいっぱいある、といった感じだ。
全身を露わにした〈石膏像〉は、わさわさと足を動かし、俺を真っ向から睨みつけてきた。
足先の犬が姿勢を低くした。うつろな目で俺を見据え、襲いかかってくるのかと思ったその刹那、犬はかっと口を開き、俺に向けて液体を吐きだした。
シュワシュワと不穏な音を立てて、泡立つ薄黄色の液体が飛んでくる。
見るからにただの唾液ではなさそうだ。毒かもしれないが、この感じはおそらく酸だろう。
何か仕掛けてくるだろうと思っていたから、うろたえはしない。タイミングを合わせて、バックアタックかサイドアタックか……と思っていたら、飛んでくる液体が、壁にぶつかったかのように弾けた。
「この馬鹿!!」
罵声が飛んできた。それと一緒に、黒い小さな影が頭から突っ込むようにやってきた。
「何ぼーっとお見合いしてんのよ!! 一人で突っ込んでくんなら、自分の身くらい自分で守りなさいよ!!」
キキは俺の頭上で止まると、すごい剣幕で怒鳴りつけてきた。後から、サヤを乗せたスカンタが追いかけてくるのが見えた。
酸の攻撃が効かなかったと見た犬が、今度は飛びかかってくる。が、その攻撃も、何かに阻まれたように跳ね返された。キキが結界を張ってくれたらしい。
「あ……なんか、ごめん」
思わず謝る。俺は移動系の技で避けるつもりだったので回避のアクションを取らなかったのだが、技の仕組みを知らないキキからしたら、ぼーっとやられるがままに見えたのだろう。
感謝しながら、手近な犬に切りつける。が、弾かれた。柔らかそうな外見とは裏腹に、防御が硬い。
これならどうだ、と、口の奥に剣を突き込むと、さすがにこれは効いたようだが、その隙に、横から別の犬が飛びかかってきた。ソードブレイカーで跳ね返す。
(さすがに手強いな……)
だが、こちらはキキの結界があるので、面倒くさいが脅威ではない。地味に削っていけばすむ話だ。
そのキキは、相変わらず容赦ない口調で、サヤの攻撃のタイミングや種類に指示を出していた。
口調はきついが、実はものすごく面倒見がよくて親切なのではないだろうか。さっきもすっ飛んできて俺を守ってくれたわけだし。
そうこうしている間に、ようやく魔物の群れを抜けた〈王子〉と〈狼〉がこちらにやってくるのが見えた。
ここはせいぜい、相手の注意を引いておくところだろう。
なんの意味があるのか分からない華麗なターンを決めながら、〈王子〉が駆けてくる。その背に追いすがる魔物を〈狼〉が切り倒している。
それを視界の端に入れながら、俺はアルミュスを大剣に変化させた。できるだけ犬の多く集まっているところに突っ込み、《フルムーン・スラッシュ》を放つ。続けて《ダンシングソード》。
一呼吸置いて、乱れ舞う月輪が犬たちを切り裂いた。
怒りの色も露わな〈石膏像〉が、腕を振りかぶった。俺に向けて、伸びる拳の苛烈な一撃が飛んでくる。
その拳をぎりぎりまで引きつけておいて、わずかに横に避けた。行きすぎる腕に切りつける。
その瞬間、〈石膏像〉の背後に、光が飛び込んできた。そんな風に見えた。
「さあ、舞台は整った! ここからは僕のステージさ!」
朗々と響く声で謎の台詞を歌い上げ、必要性の分からない華麗なターンを決めながら、〈王子〉が〈石膏像〉の背中に籠手を叩き込む。
動きを追って、頭からかぶった白い布が翻る。額の輪と籠手に嵌め込まれた宝石が、日光を反射してまばゆく光る。
もう、まるで、王子の周りに、光の効果がかかっているようにさえ見える。
だが、さすがに、〈石膏像〉はそれでやすやすと殺られはしなかった。幾匹もの犬が〈王子〉の攻撃を阻む。
そこに駆け込んできた〈狼〉が、低い位置から正拳突きを放った。遠目にも分かる、力強い一撃だった。
犬たちを跳ね飛ばし、〈狼〉の拳が〈石膏像〉の胴に食い込んだ。振り返ろうとしていた〈石膏像〉の端正な顔が驚愕と苦痛に歪む。
これで決まったか、と思った瞬間、〈王子〉が再び拳を振り上げた。素早い動きで〈狼〉が身を翻す。
「僕の手でおまえに永遠を与えよう! ここで大地の糧となれ!!」
〈王子〉の振り下ろした拳から、金色の炎が吹き上がった。輝くような、宝石がそのまま姿を変えたような炎だった。
炎は〈石膏像〉の白い体を舐めるように走り、触手のような足先まで瞬く間に包み込んだ。俺もあわてて飛びすさり、距離を取った。
次の瞬間、光が爆発した。圧倒的な光量に思わず目を閉じる。
一瞬遅れて、おびただしい数の何かが破裂するような感触。
再び目を開けたときには、日除けの布を風になびかせる〈王子〉の足元に、黒く煤けた石のような塊が転がっているばかりだった。
//--------
〈石膏像〉を倒したら、あれほどいた魔物も、一体すらも残さず消えてしまった。いきなり静かになった気がする。
「ほええ……」
さすがに疲れが出てきて、その場に座り込んでいたら、目の前に影がさした。
「クワアッ!」
いななくスカンタの背から、サヤが滑り降りた。
「カツミ……私、がんばりました!」
頰が紅潮している。
「……おつかれさま」
目だけ上げてそう言うと、サヤが膝をついて俺の顔をぐいと覗き込んだ。
「がんばったよね? ちゃんと、カツミの役に立ててるよね?」
いや、本当によく頑張ったと思う。パーティープレイがどういうものか分からないまま、いきなり中ボスとの戦闘に放り込まれたのだ。
いくらサヤの魔力が桁違いでも、他人と戦うというのは全然違う話だ。途中からはキキが助言をくれたとはいえ、よくやったと思う。
ここはきちんと褒めねばなるまい。顔を上げて、サヤの漆黒の瞳を見つめる。
「うん、サヤはほんとに頑張ったよ。すごいよ」
途端に、サヤの顔が輝いた。喜び、そして安堵の色。
あからさまに反応したことが恥ずかしいのか、ふいと顔を背けたサヤの、肩の線がふっとやわらいだのが分かる。
ああ、やっぱり、俺はサヤをほったらかしすぎなんだな。ちゃんと話して、いろんなことを教えて、ちゃんと対等の仲間になっていかないと。
もう何度目か分からない反省をしていたら、そこに尖った声が降ってきた。
「頑張ってないのはそこの大間抜けよ」
「なんなんですかいきなり」
サヤがきっとキキを睨みつけたが、舞い降りてきた蝙蝠少女は意にも介さない。
「ろくに戦い方を教えもしないで相方をこんなところまで引っ張り出して! しかも途中で放り出して! あんたは戦いに慣れてるみたいだけど、周りも見ずにあんな大物に向かっていくし、弱いうちにに片付けちゃえばいいものを、完全体になるまでぼーっと見てるし! あんた一人で野垂れ死ぬのは結構だけど、周りを巻き込むのやめなさいよ!」
……返す言葉もございません。
うなだれていたら、
「いや、あれはカツミの英断だろう?」
輝かしいテノールが割り込んできた。
「どこが英断だって言うのよ!?」
噛みつくキキに、〈王子〉は涼しい顔で応える。
「確かに、あの化け物は、完全体になる前に倒したほうが楽だ。だが、それではあの化け物の持つ力はこの場に残ってしまう」
「どういうこと?」
「本体は消えても、力が残る。つまり、あの化け物が呼び出した魔物たちが残されてしまう、というわけだね。それだと呼び出された魔物を一体ずつ倒さねばならないので、労力としてはその方が大きいというわけさ」
そう言うと、王子はくるりとターンし、俺に向かって謎のポーズを決めた。
「とはいえ、敵が力を増すのを目の当たりにしながら、じっとこらえて機を待つというのは、なかなかできるものではない。僕としては、それをやってのけたカツミの胆力に敬意を表したいところだね」
芝居がかった仕草で、掲げた手をゆっくりと打ち合わせた。拍手なのだろう。
「え……あ……」
こんなに持ち上げられると、「いやあの初見の敵が楽しくてつい遊んじゃっただけなんです」とはとても言えない。
だが、王子の顔は明らかに本気だった。本当に、俺が〈石膏像〉の能力を見切ってやったのだと信じて疑っていない。
横ではサヤが驚きと称賛の入り混じった顔で俺を見つめている。
「ふうん……そうなの。それは失礼なことを言ったわ。許してくれるかしら、カツミ」
半信半疑、と顔に書いたキキが、俺をじっと見つめながら言う。
「えっ、あっ、うっ」
言葉につまっていたら、 毛むくじゃらの腕でがしっと抱きしめられた。
「ああら。カツミちゃんたら、すごいじゃなあい?」
こちらは完全にばれている。
「めぼしいものはないようだし、まずは村の様子を見にいくとしようか!」
そう宣言して〈王子〉はサヤを振り向いた。
「お手数だが、あの壁は消してくれると嬉しいな、お嬢さん」
木立の向こうに、陽の光を反射する水の壁の上端が見えている。まだあったのか。
確かに、あれを消さないと俺たちも村までたどりつけない。というか、あの壁を維持したままばんばん魔法を使っていたわけで、それもすごい話だ。
「あっ、はい」
慌てて杖を掲げたサヤの手を、キキがひっぱたいた。
「痛っ! 何するんですか!」
「あんたこそ何するのよ! いまそのまんま魔法解こうとしたでしょう!」
「だって消さなきゃ村に行けないでしょう!」
「だから馬鹿だっていうのよ! そのまま魔法を解除したら、あの水どこに行くと思ってんのよ!? 魔物を撃退して村を水責めしてたら意味ないでしょう!!」
サヤが言葉に詰まった。確かにその通りだ。
「あの水だってどこかから集めてきたんだから、それを元に戻すだけでしょ! なんであんたこんなことも知らないの!?」
「だからってそんな言い方ないでしょう!!」
「そういうことはその馬鹿力をちゃんと使えるようになってから言いなさいよ! 物騒で仕方ないわよ!」
ぷりぷりしながらキキが魔法の手順を教えて、水の壁は淡い光を放ちながら解け、マウンテの村も無事水責めを免れたようだった。
「では行こうか!」
〈王子〉はキキとサヤを促して前に行かせると、俺の背を押して歩き出した。なので、なんとなく全員が一緒に村に向かうことになった。スカンタに乗ればすぐなのだが、この流れで俺たちだけ先に行ってしまうのも感じが悪い。
来たほうへと歩いていく。大勢の魔物がすっかり道をつけてしまったので、森の中なのに、悠々と並んで歩くことができた。
「それにしてもカツミの強さは思った以上だったよ! 最初に会ったときは守るべき民かと思ったけれど、やはりカツミは守る側に立つ者だったのだな!」
大仰な身振りを加えて言われ、俺は思わず噴き出すかと思った。
「あっ、えっ、いやっ」
「見渡すかぎり一面の敵! それがまさにマウンテに襲い掛からんとしている! そのとき、単身で渦中に飛び込むことのできるものが果たしてどれだけいるだろうか!
僕にはもちろんできる、それはたやすいことだ! だが、カツミ、きみもまた、軽々とそれをやってのけた! 恐怖を微塵も匂わせることなく!」
「いやっ、そのっ」
「僕はカツミの強さを見くびっていたようだ! カツミの戦い方にはよくわからない隙がある! 正直なところ、いまでも、まるで初陣から間もない兵のように見えるときすらある! だが、それすらもカツミの策なのではないかな? でなければ、あれほど果敢に、何のためらいもなく、無謀な戦いに飛び込めるはずがない! 僕の蒙昧さをここに詫びよう!」
「あっ、そのっ」
前を行くサヤがまた目を輝かせて俺を見つめ、キキはやはり半信半疑の顔で眉根を寄せている。
「んふ、カツミちゃんってば、すごいのね? さっすが、ウォータの英雄よねえ?」
〈狼〉は俺の肩に太い腕を載せ、耳元で笑い混じりに囁いた。うん、こいつは信じていないし、明らかに面白がっている。
その後も〈王子〉の賞賛は続き、もうこれは逃げ出そうかと真剣に考え始めたところで、ようやく俺たちはマウンテの村にたどり着いた。
//--------
「アニキいいいいいっ!!」
村に入ると、自警団のメンバーを筆頭に、輸送団の面々が駆け寄ってきた。
輸送団はすでに村に入っており、はらはらしながら俺たちが戻ってくるのを待っていたらしい。
「うおおおおお、アニキ、姐さん、今度こそダメかと思ってましたああああ!!! よくぞご無事で!!」
自警団の面々は半泣きで俺たちを取り囲み、その後ろからマウンテの村民と思しき面子がやや遠巻きに、しかし興奮した面持ちで列をなした。
と、リーゼントが驚きの声をあげ、姿勢を正した。
「あっ、師匠!! いらしてたんですか!?」
師匠。そういえば、彼らには師匠がいるのだと言っていたな。動いてるのがやっとな爺さんだと言っていたが、いつのまに来たのか。
そう思いながら振り向いたら、さっきまで〈狼〉がいたところに、ひとりの老人が佇んでいた。白い髯を胸の下まで伸ばした、言ってはなんだが吹けば飛びそうな、小さな爺さんだ。
(え、なんだ? ていうか誰だこれ?)
俺は狼狽えたぢ、サヤも驚いた顔をしていたが、〈王子〉とキキは平然としている。え、まさか。
「ふぉふぉ。マウンテの受難、あれだけでは終わらぬだろうと思うてな。じゃが、グランデの王子と、ウォータの英雄の前では形無しじゃったの」
そう言って老人は笑い、俺とサヤに向かって、妙になまめかしいウインクをしてみせた。
これは……このノリは、間違いない、あの〈狼〉だ。どういうからくりを使ったのか分からないが、この爺さんは〈狼〉が化けたものらしい。
「うおおおおおお!! すげえっす!!」
自警団のメンバーは、俺たちの驚きには気づかずに盛り上がっている。
そうか、彼らの師匠は〈狼〉だったのか。道理で戦い方が似ているはずだ。
「師匠、帰りは一緒に来てくださるんすよね!?」
嬉しそうにリーゼントが尋ねた。戦いの師匠として尊敬しているだけでなく、人として〈狼〉を慕っているのがよく分かる。いや、〈狼〉はデモン族だから、厳密にいうと人ではないのだが。
爺さんを囲んでテンションの上がる自警団の後ろから、マウンテの住人らしき男が声をかけてきた。
「あの、村を救ってくださり、ありがとうございました! 物資が届いたばかりで大したもてなしもできませんが、どうかゆっくり滞在していってください……!」
何か言いかけたキキを制して、王子がよく通る声で言った。
「お申し出に感謝する。お言葉に甘えて、今夜は世話になろう。だが、明日には我らは発たせてもらう」
「えっ」
リーゼントをはじめとする自警団のメンバーが思わずそう口走り、慌てて口を抑えた。村人たちも意外そうな顔をしている。
周囲を見回し、〈狼〉扮する爺さんが重々しく口を開いた。
「この度の災難は去ったが、このままではまた同じことが繰り返される。ワシはこの災いの源を断ちに行く…。グランデの王子とウォータの英雄と共にな」
「え」
いつの間にそんな話に。ていうかなんで俺が頭数に入ってるんだ。
驚く俺とサヤに構わず、老人は言葉を続ける。
「お前たちは明日、輸送団と共にサンデに戻るのじゃ。今ならさしたる危険はない。おまえたちの力なら十分すぎるほどじゃ。行け、ワシの大事な弟子たちよ!」
「「「うおおおおおおおおお!!!!!」」」
自警団の面々は感極まったように〈狼〉を囲んで叫び声をあげた。
キキは呆れたように肩をすくめ、サヤはどう反応していいか分からないという顔で、俺と自警団の連中を見比べている。
〈王子〉は頭から被った布を払いのけ、白い歯をのぞかせて笑った。
「美しい師弟愛だね! だが、あの様子では、カツミは彼らと一緒に帰るわけにもいかないだろう。もしよければ、もうしばらく僕たちに付き合っていただけないかな? ……そう、この騒ぎの元凶のところまで」