seek[3]>>"自警団と山への道";
その翌日、俺とサヤはマウンテに向かう馬車の中にいた。
リーゼントたちは飲み会の後、すごい勢いで輸送団を仕立てあげたらしい。何なら夜中にでも出ていけたらしいが、サヤが寝てしまっていたのと、相手が魔物では夜に動かないほうがいいだろうという判断から、翌朝の出立となった。
「こないだ輸送団が行ったばっかなんで、いろいろ出払っちまってて、馬車もほんと小せえのしか用意出来なかったんす! マジですんません!」
朝、迎えにきたリーゼントが平謝りだったので、いったいどんなものなのかと不安になった俺だったが、実際に見てみて驚いた。
でかい。六頭立ての馬車で、ちょっとした家くらいの広さがある。内装も立派なもので、ここだけの話、マイケルの家より豪華なくらいだった。
これは謙遜なのか? と思ったが、リーゼントは土下座しそうな勢いなので、そうではないのだと分かった。
「ま、まあ、小さいけど仕方ないわね、きゅきゅきゅ急ごしらえならこんなものでしょ」
「申し訳ねえっす! ありがとうございます!!」
サヤは明らかに虚勢を張っているが、リーゼントには通じなかったらしい。申し訳ないが許してもらえてありがたいという表情になり、それに気づいたサヤはさらに複雑な顔になった。
輸送団は、馬車が七台。商人が十数人いて、それぞれが丁稚のような人を数人ずつ連れている。さらにリーゼントの配下が四十人ほど。それから御者とその交代要員。全部で百人近い大所帯だった。
俺とサヤの乗った馬車には、商人が二人と丁稚たち、リーゼントと大男とその仲間たち、それから、昨日の酒場にはいなかった、やつれた顔をした男が乗り込んだ。
馬車は見た目が豪勢なだけでなく、乗り心地もよかった。椅子も適度に柔らかく、振動が頭に響くようなこともない。馬車の性能もそうだが、道もいいのだろう。
だいたい、山間の村に行くのに、この大きな馬車を使おうというのだ。整備された、幅の広い道が通じていなければ無理な話だ。ウォータとグランデの差をまたひとつ見せつけられた気持ちになった。
馬車に乗り込んでしばらくの間、サヤは目を三角にして車内を見回していたが、そのうちに俺の肩に寄りかかって寝てしまった。もう昨日の酒は抜けているはずなのだが。
「その魔物の群れってよう、遠目に見てやべえなって感じだったのかよ?」
「ええもう、一匹や二匹じゃなかったですね。羊の群れとかそんな感じで」
馬車の振動の合間に、リーゼントがあれこれ尋ねている声が聞こえる。相手は馬車の壁にもたれ、憔悴した顔で質問に答えていた。会話の内容を聞くともなく聞いているうちに、やつれた男は、逃げ帰った輸送団の運搬役の一人だったのだと分かった。
「出くわしたのはだいたいどのへんだったんだ?」
「あの、大きな四角い岩山のところです。登りにさしかかるあたりの」
聞こえてくる場所に、心当たりがあるような気がした。
幌の隙間から外を覗くと、荒野のはるか向こう、山の麓に、唐突な存在感を放つ、箱のような岩山が点在しているのが見えた。やはりそうだ。男が言っているのは、あそこのことだろう。
ゲームの中で、この辺りによく来ていた時期があった。ちょうど、あの難関クエスト『創造主への挑戦』をクリアしたメンバーが揃い、固定のパーティーとして活動しはじめた頃のことだ。俺の「回避盾」というプレイスタイルが確立されたのも、思えばその頃のことだった。
この辺りは、岩巨人や亜竜といった大物のモンスターが適度に出現するので、練習にはもってこいだった。
練習にちょうどいいということは、数匹いるともはや勝てないくらいに強い、ということでもある。だが、だいたいそういうモンスターは数匹の群れで出現する。ではどうするかというと、「釣る」のだ。
湧いたモンスターのうち、一匹だけを狙って攻撃を仕掛け、他のモンスターのいない場所まで連れていく。それをみんなで狩る。
この、攻撃を仕掛けて敵を引きつけることを「ヘイトを取る」というのだが、ヘイトを取って安全な場所までおびき出すのが、盾役である俺の役目だった。
「この世界」ではそうはいかないだろうが、ゲームの中のモンスターは、基本的にヘイトを取った相手しか攻撃してこないので、集団から一匹だけを釣ることは、慣れればそれほど難しくない。
だが、うっかり範囲魔法を使ってしまったり、攻撃の相手を間違えたりすると、同時に複数匹のヘイトを取ることになる。
また、一定の距離より近くにいるモンスターのヘイトは連鎖するので、下手を踏むと、一匹だけを釣るつもりが、モンスターがぞろぞろ行列をなして追いかけてくることになりかねない。
もっとも、慣れていないプレイヤーにはめずらしくもないことで、この状態を揶揄して「モンスタートレイン」などという俗称が存在しているくらいだった。電車のように連なる見た目からきた名前だろう。
もちろん俺たちもやらかしたことがある。
(そうだ、あれもこの辺だったよな……)
過去のことを思い出して、俺は思わず首をすくめた。
まだグランデに来て間もない頃。マウンテに向かう山中でレベル上げをしていた俺たちは、周囲に結構な数のパーティーがいるど真ん中でモンスタートレインを作ってしまい、近隣のパーティーを巻き込んでの大惨事になりかけたのだった。
結局そのときは、リーダーにして俺の親友のコタローがモンスターの群に突っ込んでその中を突っ切り、他のパーティーのいないところまで群を誘導して、死ぬ寸前に移動魔法で命からがら脱出したのだった。
コタローは盾のスキル、《絶対防御》が使えたのでどうにか持ちこたえたのだが、ゴーレムやら肉食竜やらに至近距離で囲まれ、ひとつタイミングを間違えばやられるという状況は相当に苛酷だったらしく、「できることならもうやりたくない」と青い顔で言っていたものだった。
あとから思い返すと笑い話だが、そのときはまさに必死の思いだった。死んでも生き返るゲームでそれだけ大変だったのだから、この世界でそんな状況に陥ったらどうなるのか、考えたくない。
思い起こして身震いしていたら、ふいに耳元で声がした。フェンだ。
「えらくあっさり引き受けたものじゃの」
「だって、もともと俺にやらせるつもりだったんだろ? 困ってる人たちを放っておくのも気が引けるし、これも人助けかなって。それに、フェンがやらせるつもりってことは、俺が頑張ればどうにかできるレベルってことなんだろうし」
外に視線をやったまま答える。
「今回はどうかわからんがの」
「え!?」
思わず声をあげかけて、あわてて飲み込んだ。
「じょ、冗談だよな……?」
「戦ってみてのお楽しみなのです!」
えらく可愛らしい答えが返ってきた。これではまるでディだ。
(フェンってこんなふざけ方のできるやつだったのか……)
おそるおそる顔を向けてみるが、視界に入ったフェンは涼しい顔をしていて、何を考えているのかさっぱり読めなかった。まあ、フェンの考えを読もうというのがそもそも無理な話だとも言う。
せっかくフェンが出てきたので、ちょっと気になっていたことを聞いてみることにした。
「そういえばさー、こないだフェンがやってた戦い方あるじゃん。なんか格闘技みたいだったけど、あれ、自警団の奴らの戦い方とちょっと似てるなーって思ったんだけど、あれもフェンが予測してやってたの?」
「ふむ、よく見ておったの」
返ってきたのは、いつものフェンの口調だった。
「確かに、あの程度ならそれも可能じゃが、今回は違う。我らが、あやつらが言っておった『師匠』と戦ったことがあったからじゃな。あやつらのような紛い物でなく、元を知っておったから、使うのはたやすい」
こともなげに言うが、それはそれですごい。
「元を知ってたからって、見ただけで使えるのがただごとじゃないんだよな……」
《最強》の片割れに何をいうかと言われそうだけど、それが実感だ。
「え、でも、フェンと戦ったことがあるっていうけど、その師匠、まだ生きてるよね?」
リーゼントたちの師匠は、半月前の輸送団の護衛についていたという話だった。フェンが戦ったことがあるというのであれば、俺がリゥ将軍と戦ったのよりは前の話なわけで、だとするとその「師匠」は、リゥ=バゥと戦って生き延びたことになる。
「そうなのです! 実に稀なことに、"我ら"と戦って逃げ切ったのです!」
小首を傾げてフェンが答えた。ううん、このネタ、どう反応していいのか微妙なのであんまり引っ張ってほしくないのだが。
それはともかく。
「それってすごいことだよな……あいつらが化け物みたいに強いって言ってたけど、それも言い過ぎじゃないかもな」
「そうじゃな。我らが"逃がしてやった"者以外で、生き残っているのは奴だけじゃな。技の老獪さだけでいうなら、我らを上回っておったやもしれぬ」
フェンは少し笑った。めずらしい。
「フェンがそこまで言うってのもすごいな。あ、じゃあ、今回って、その人に教わることも目的だったりする?」
「それも目的のひとつなのです!」
そう言うと、フェンは俺の懐に飛び込んだ。これ以上話をするつもりはないらしい。
俺は再び外に目をやった。巨大な岩山は、まだまだ遠くにかすんでいた。
//--------
サンデを発ってからの二日間は、実に平穏な旅だった。
自宅より豪勢な馬車に衝撃を受けていたサヤだったが、開き直ったのか、快適な旅を楽しむことに決めたらしい。リーゼントの仲間たちが何かと構いにくるのも楽しいようで、ウォータにいるときより心なしか表情が明るい。
リーゼントの配下たちはグランデの人間とも思えないくらい人がいいので、変に気を使わずにすんで俺も助かった。彼らが俺とサヤをものすごく丁重に扱ってくれるおかげで、商人たちもなんとなく俺たちには愛想がよかった。心中でどう思っているのかは分からないが。
そして三日目の昼に、輸送団はあの大きな岩山地帯にたどりついた。
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草原に、ほとんど直方体をした岩がいくつもそびえ立っている。まるで誰かが巨大な箱を無造作に置き忘れていったかのようだ。
岩と岩の間は、一つ目の岩山のように狭くはなく、輸送団の大きな馬車も悠々と通ることができるくらいの間隔だ。この岩の間を抜けると本格的な山道が始まる。
北の大陸は馴染みのない場所も多いが、このあたりは夜な夜なレベル上げでうろついていた所だから、さすがに覚えている。岩山の配置、移動魔法のポイントにしていた場所、
懐かしさに辺りを見回して、俺はふと違和感をおぼえた。
右手前方、街道からは外れたところに、見覚えのない岩山がある。このあたりの岩はみんな、箱のように切り立っているのに、妙になだらかで低い。しかも、
(動いてる……?)
ざわざわと動く、低い岩山。
それが岩山などではなく、モンスターの群だと気づいて、俺は血の気が引くのを感じた。多い。尋常ではない多さだ。
ウッディやゴブリンのような雑魚だったとしても苦戦するような数で、しかも相手は雑魚なはずがない。ゴーレムに亜竜、この間の岩山のほど大きくはないが単眼の巨人、野牛、大鹿、それらがまるで岩のように寄り集まっているのだった。
その上……さらに恐ろしいことに、この岩は、ただ寄り集まっているのではなく、じわじわと移動していた。俺らの行く手、街道のほうへと。
「……!」
気配で何かを察したのか、リーゼントが物問いたげな顔を向けてきた。そっと手招きして、幌の隙間を指す。
従ったリーゼントは、目を疑うかのように何度も顔を幌に押しつけ、青ざめた顔で俺を振り返った。
「アニキ……!!」
押し殺した声。周りをパニックに陥れないためだろう、この状況でも大声を出さないところがさすがリーダーだと、麻痺した頭の一部でそんなことを考える。
「これは無理だ、いくら何でも俺らにゃ太刀打ちできねーっす! マウンテの連中を見捨てたかねえが、軍でもなけりゃあれは無理だ、輸送団を守りながら抜けられるようなやつじゃねえ!!」
そうだよな。この数で、荷物と非戦闘員を抱えたまま、あのモンスターたちと戦うのは分が悪すぎる。全員が戦えるとしても……と思ったが、俺の口は勝手に動いて、まったく違うことを言っていた。
「大丈夫。俺とサヤが行くから、輸送団を安全なところまで遠ざけて」
「アニキ!?」
リーゼントは目玉が転がり落ちんばかりに驚いたが、俺も驚いた。比喩ではなく、俺の口が勝手に勝手なことを喋ったのだ。
それと同時に、俺の視野がふっと遠くなり、目の前に半透明のウインドウが現れた。
『フェン さんのアクセスを許可しました』
(いきなり確認かよ!?!?)
前回はちゃんと承認画面が出たのに、二回目からは通知だけなんて、そんな設定ありなのか。まあ、フェンが相手なら、抵抗するだけ無駄だろうから、承認画面があってもなくても同じのような気はするが。
すっかり諦めモードの俺をよそに、〈俺〉はリーゼントを丸め込んで、サヤだけを馬車から下ろし、輸送団を少し離れたあたりまで引き返させた。
(手際いいなー……)
もうなんでもフェンにやってもらえばいいような気さえするんだが。まあ、フェンがそんな楽をさせてくれるわけがないか。
俺と二人で残されたサヤは、若干緊張してはいるようだったが、それよりも張り切る気持ちが勝っている様子だった。わざとやっていたわけではないのだが、いままでずっと蚊帳の外にしていて悪かったな、と思う。
〈俺〉はサヤを誘導し、ここから魔法を撃つようにと説明した。
このあたりの岩山は、遠目に見ると巨大な直方体だが、近寄ると凹凸があり、身を隠すことができたり、ルートを選べば上に登ることができたりする。もちろん、うかつに登ると上にも敵がいたりもするのだが。
で、フェンがサヤを連れていったのは、そんな場所のひとつ、俺のパーティーの魔法使いのオキナがよく使っていた場所だった。やや高い岩の上で見晴らしがよく、モンスターの視界には入らない位置だ。よく知っているなと少し感心する。
「俺のことは気にしないで、全力でやってくれていいから」
〈俺〉がサヤに説明しているのが聞こえる。
「でも、大丈夫なの?」
「大丈夫、心配ないよ、安心して」
問い返すサヤに、自信満々に答えている。えらく男前だ。
「好きなタイミングで好きに始めていいからね。……じゃあ、また後で」
そう言い置くと、〈俺〉は動く岩山に向かって歩きだした。
俺の視点は〈俺〉の後方少し上に固定されているので、〈俺〉が歩き出すと後ろのサヤは見えない。気になって思わず振り返ったら、視線が動いた。位置は固定だが、角度的にはどこでも見えるらしい。
〈俺〉を見送ると、サヤは羽織っていたマントを脱ぎ、畳んで足元に置いた。
俺はちょっと驚いた。見たことのない服を着ている。革のブーツに紺色の膝上丈のスカート、上着は白くてちょっと和服っぽい。巫女の服をひらひらさせたような感じだ。きっと水神が持たせたものだろう。
服の継ぎ目から見える肌が妙に色っぽくて、俺は思わず視線をそらし、正面に向き直った。
と、こちらでは、魔物の群れに近づいた〈俺〉がアルミュスを弓に持ち替え、つがえた矢を無造作に放つところだった。
こういうときは遠距離から一匹ずつ倒していくのが定石だから、弓を使うのはよくあることだ。
だが、角度がおかしい。上すぎる。あれでは当たるはずがない。
しかも、放たれた矢は一つではなかった。無数の光の矢が、群れに向かって飛んでいく。《アローレイン》だ。技を使ったのだ。
角度のついた光の矢はぐんぐんと飛び、ちょうど魔物の群れの真ん中に降り注いだ。
その後の反応は、まるで池に石を投げ込んだかのようだった。
群れの中心にいた、矢の当たった魔物がまずこちらを見た。続いてその周囲にいた魔物が攻撃に気づき、さらにその側にいた魔物にそれが伝播した。
ざわざわと反応が伝わって、最終的に、群れ全体が俺に向き直った。
"視線"は"力"を持つ。
そのことを俺は実感した。
あれだけの数の魔物が、俺を"敵"として認識し、こちらを睨んでいる。それだけで倒れそうなくらいの圧力を感じる。
……そしてもちろん、睨まれるだけでは済まない。魔物の群れはいっせいに、〈俺〉めがけて走り出した。
(何してんだよ……!!)
内心で悲鳴をあげる。モンスタートレインどころの話ではない、まるでスタート直後のマラソンだ。こんなに一時にかかってこられて、どうやって切り抜けるというのか。
だが、〈俺〉はいっこうにひるむ様子を見せなかった。俺には後姿しか見えないが、視線だけでなぎ倒されそうな魔物の群れと相対していながら、毛筋ほどの動揺もない。
(これが『最強』なんだ……)
自分の後姿を見ながら、そんな場合ではないのに、俺は感動がこみ上げるのを感じていた。
無数の敵と対峙し、勝利してきた経験がもたらす自信。いや、自信というような気負いすらない。ただ淡々と相手を見極め、戦い、結果として勝利し続けてきた事実が、この背中なのだ。
軽く手を振ってアルミュスを短剣に変え、左手にはソードブレイカー。いつもの俺の装備だ。
それを迫りくる敵にかざし、フェンはいともたやすく敵の攻撃をさばいてみせた。
突進してくる野牛を、相手の勢いを利用して切り裂く。その後ろに続く肉食竜をかわしながら、ソードブレイカーで軽く撫でた。続けてゴーレムの振り下ろした拳を避けて、すり抜けざまに一撃を入れる。
やっていることはチンピラ相手のときと変わらないが、今度は相手もこちらも勢いが違う。おまけに武器も持っている。となると威力が違う。
(だからってどうにかなるような数じゃないけどな……!)
もちろんフェンがそんなことを分かっていないはずがないのだが。でもだがしかし、だったらどうやってこの状況を切り抜けるつもりなのか。
と、そこまで考えて、俺はあわてて振り向いた。そろそろ魔法の援護があってもいい状況だ。サヤは大丈夫だろうか。魔物の群れに怯えてはいないだろうか。
が、背後に立つサヤは、興奮した様子で〈俺〉の活躍を見守っていた。遠目にも分かるくらい目が輝き、頬が紅潮している。俺はなんだかいたたまれなくなった。
(ごめん、その〈俺〉は俺じゃないんだよな……)
確かに俺が見てもほれぼれするような剣さばきだが、これは俺の実力ではない。なんだか非常に申し訳ない。
そうこうしているうちに、サヤはふと我にかえったようで、数度頭を振ると、軽く自分の頬を叩き、右手を前方にかざした。
呪文を詠唱すると、サヤの周囲に魔法陣が浮かび上がる。
(でかっ……!!!)
一般に、魔法陣の大きさは、魔法のランクと魔法使いのレベルに比例する。サヤのいままでの魔法もなかなか大きかったが、ここまで大きいとは思っていなかった。ゲームの中で見てきた、どんな魔法使いのものよりも大きい。
しかもその魔法陣は、サヤが呪文を唱えるにつれ、さらに大きく膨れ上がった。破裂しそうなくらいに広がった魔法陣は、広がりきって一瞬消失し、再び焦点を結ぶと、ものすごい勢いで魔物たちの頭上に飛んでいった。
一瞬、すべてが消えた気がした。
次の瞬間、魔物の群れの上に、凄まじい勢いで水が降りそそいでいた。まるで、どこかの湖をまるごと持ってきて、それをそのままひっくり返したかのような、猛烈な勢いだった。
魔物たちは凍りついたかのように動きを止めたが、一瞬ののち、ふたたび動き出した。
(うーん、そうだろうな……)
衝撃でやられたやつもいるようだが、いまのは本当にただの水をぶちまけただけだ。どうやら気合が空回りしたらしい。
サヤはしばらく首を傾げていたが、気を取り直したのか、再び呪文を詠唱しはじめた。
一瞬の空白の後に振り向くと、目の前に、巨大な水の柱が立っていた。
(こんな魔法あったっけ……?)
そんなことを言ったら、大量の水が降ってくる魔法も俺の知っている中にはないはずなのだが。まあ、サヤの魔法は何かと規格外なので、考えても仕方ないのかもしれない。
水の柱は、ちょっとしたビルくらいの大きさがあった。呆然と見守るうちに、巨大な水の柱は薄れて消えていった。柱のあったところがすり鉢状にえぐれている。真下にいた魔物はやられたようだ。
凄まじい威力だが、いかんせん、敵の数が多すぎる。俺がぽかんとしている間も、〈俺〉は襲いかかる敵をさばき続けているが、それと合わせてもまだまだ追いつかない数だ。
サヤとしても納得はいかないらしい。しきりに首をひねりながら、さらに呪文の詠唱を続けた。
と、次に降ってきたのは、水の槍だった。一本が電柱くらいの太さはあるが、一応槍らしい。数もだいぶ増えている。そのうちの一本がすごい勢いで〈俺〉に迫りくるのを見て、俺はぎょっとした。
(ていうかこれ、俺に刺さったら死ぬんじゃ!?)
この状態で〈俺〉が死んだらどうなるんだ。死ぬのもごめんだが、この状態で意識だけ残されるのもいやだ。一体どうすればいいんだ。
と、一瞬の空白があって、気がつくと俺の左側に巨大な水の槍が刺さっていた。
はっと視線をやると、〈俺〉は短剣を振り抜き、次の敵に斬りかかったところだった。《サイドアタック》を使ったのだ。
(すっげえタイミング……!!)
俺は内心で舌を巻いた。サヤの魔法が発動するタイミングに合わせて《サイドアタック》を使って避けたのだ。
理屈としては、以前俺がサヤの《ファイアエクスプロージョン》を避けたあれと同じだが、今回、フェンはサヤがどんな魔法を使うか知らなかったはずだし、後ろを振り返ることすらしていない。あれでタイミングを合わせられるものなのか。
と、そこまで考えて気がついた。フェンは最初の二回も、技を使って魔法を避けていたのだ。一瞬、周りからすべてが消えたように感じた、あれがそうだ。
(ていうかフェン、技使えるんだな……)
とくに説明してもいないのに、技の存在やら仕組みやらを理解していたのだから、使えても不思議はないのかもしれないが。さすがと言うべきだろうか。
感心していたら、フェンがアルミュスを長剣に変化させた。目前の肉食竜に大きな縦切りを放ったかと思うと、すかさずアルミュスを短剣に戻す。わずかに間を置いて、こんどは大きな四連の縦切りを繰り出した。
(コンボ!?)
俺は息を呑んだ。これはあれだ。神殿の遺跡で、ルサ=ルカの攻撃を利用して使った《パワースラッシュ》と《ラッシュ》のコンビネーションだ。
コンビネーションアタックは、タイミングが命だ。特定の技と技を、コンマ何秒というわずかな時間差で発動させたときにしか発動しない、特殊な効果だ。
《パワースラッシュ》と《ラッシュ》のコンボだったら、《パワースラッシュ》が当たってから0.8秒後から0.9秒後までの間、この0.1秒間に《ラッシュ》を当てたときにだけ、短剣の技である《ラッシュ》に、《パワースラッシュ》の効果がプラスされる。
この微妙なタイミングは、分かっていてやろうとしても、簡単にできるものではない。俺自身、コンボの存在を知ってから、パーティーメンバーと何度も練習して、ようやくつかんだ感覚だ。
それを、見ただけで理解してやってのけた……?
呆然としていたら、また目の前から一瞬世界が消えて、次の瞬間、目の前に水の槍が突き刺さっていた。今度は杭くらいの太さになって、数も増えている。
突進してきた大鹿を軽く斬り伏せ、アルミュスを槍に変えると、〈俺〉は、ひときわ大きなゴーレムに向かってチャージをかけた。
岩巨人を貫いた次の瞬間、槍は弓に変化し、そこから放たれた光の矢が、光の槍になってあたりに降り注いだ。
(うわっ……!!)
俺は思わず、降り注ぐ光の槍から目をそらした。《ハイ・チャージ》と《アローレイン》のコンボ。俺がフェンの妹を倒すのに使ったものだ。
フェンは気にしていないのだろうが、こうして目の前で再現されると、俺としては非常にいたたまれない。
着地して、振り上げた右手に大剣、左手にソードブレイカー。すかさず《フルムーンスラッシュ》、そして《ダンシングソード》。これは水の神殿でルサ=ルカ相手に使ったやつだ。
こんなに技を連発して、SEが足りなくならないのか、思わず心配になるが、流れるように敵の攻撃を払い、こまめにSEを稼いでいる。
フェンはさらに、俺がこの世界ではまだ使ったことのないコンボを使いはじめた。俺の記憶が読めるのか、それとも推測したのか。驚くところなのだろうが、もう散々驚かされたし、フェンだったらそういうこともできるだろう、という気分だ。
技を使ってサヤの魔法をかわし、敵の攻撃を攻撃してSEを貯め、コンボで敵を倒していく様は、いっそ面白いくらいだった。戦いというより、熟練のシェフが厨房に立っているのを見ているようだ。
あのコンボをここで使うのか、そういえばこんなコンボもあったな、などと、感心するばかりで、お手本を見せてもらっているのに、もうほとんど他人事のようだ。
呑気に眺めていたら、〈俺〉が一瞬振り返った。俺の存在は見えないはずなのだが、なんとなく、睨まれた気がした。
(ひえっ)
内心で首をすくめる。こちらを見たのはほんの一瞬のことで、フェンはすぐに敵に向き直り、また鮮やかに敵の攻撃をさばきはじめた。
さっきも使った、《フルムーンスラッシュ》と《ダンシングソード》のコンボ。その直後、フェンがアルミュスを槍に変えた。
次の瞬間、〈俺〉は宙に浮いていた。視点が高い。岩山のてっぺんが目の高さに見える。
空中で一瞬静止した〈俺〉の周りに炎がゆらめき出た。眼下に見える魔物の群れに向けて落下する。
《メテオスラスト》。槍の技。敵の頭上に移動し、炎の塊になって、ターゲットに向かって落下する。SEの消費が大きいのでそうしょっちゅうは使わないが、ここぞというときには役に立つ大技だ。
だがそれをなんで今、と思ったのも束の間。
《フルムーンスラッシュ》と《ダンシングソード》のコンボで現れた月輪の刃が消えようとしたそのとき、無数の炎の槍が降り注いだ。
(三連コンボ……!?)
俺は息を呑んだ。
コンビネーションは、二つの技の連携のみ、というのが、SAVRでの通説だった。三連のコンボが存在するらしい、という噂が囁かれることが稀にあったが、実証されたことはなく、都市伝説にようなものだろうと言われていたのだ。
それを、今日初めて技を使ったフェンが見つけて、実戦の最中に使ってみせた、だと……?
天から降ってくる炎の槍、というだけで相当の威力がありそうなのに、《メテオスラスト》の「敵めがけて落下する」効果が生きているらしく、無数の炎の槍は、まるで意志を持っているかのように、敵を追尾して貫き通した。
(強すぎだろ、これ……!)
こんなコンボ、ありなのか。反則レベルの強さだ。
俺は茫然として自分の後ろ姿を見ていた。
お手本を見せてくれているのだから、フェンはおそらく、俺の能力を超えるようなことはしていない。ということは、俺にもこの凄まじいコンボが使えるはずなのだ。ちょっと信じられないことだし、やれと言われてできる気がしないのだが。
(やってみて失敗したら、フェンに思い切り馬鹿にされるんだろうな……)
なんとなく想像できる気がして、俺はそれ以上考えないことにした。
……大胆すぎるサヤの魔法とフェンの無双のおかげで、敵は当初の半分以下まで数を減らしていた。だが、言いかえればつまり、それでもまだ半分近くが残っている。あまり知能レベルの高くないモンスターばかりなのが災いしたのか、この状況で戦意を失う様子もない。
(で、このあとどうするんだろう……)
《フルムーンスラッシュ》、《ダンシングソード》、《メテオスラスト》と立て続けに使っては、フルに貯めていたとしてもSEがほぼ尽きているはずだった。どれだけまめに稼いでいても、貯められるSEには上限があるのだ。
まあ、サヤのMPが尽きなければ、この調子でやっていけば倒せるのだろうが。
ちらりと振り向くと、サヤはちょうど魔法を唱え始めたところだった。
膨らみきった魔法陣が、耐えかねたように弾けて消える。次は何が降ってくるのかと思ったが、今度はちょっと様子が違った。頭上に飛んでいくのではなく、敵のど真ん中、つまり俺たちのいるあたりの地面に、点々と青い光が灯りだした。
(げ)
この前兆。非常に不穏な気配がする。
何もできないというのに、俺は心中で思わず身構えた。
俺に察知できることが、〈最強〉の片割れに分からないはずがない。フェンは目の前の大猿に素早く連打をくれたかと思うと、《バックアタック》を使った。
ほぼ同時に、目の前に、数え切れないほどの水の柱が噴き上がった。
背後に移動した〈俺〉は、切りかかる動作はせず、右手を前に伸ばした。いつの間にか短剣が魔法の杖になっている。鈍い金色の魔法陣が素早く広がり、スパークしながらすり鉢状の螺旋を描き出した。
(《サンダーストーム》か!)
雷撃系の中級魔法だ。稲妻が竜巻のように渦巻いてダメージを与える。そこそこの威力はあるが、本職の魔法使いならもっと上級の魔法のほうが使い勝手がいいし、ちょっとかじったくらいで到達できるレベルでもないので、使われることの少ない魔法だった。
確かに俺はこの魔法を覚えているのだが、なぜここでわざわざこの魔法を使ったのだろう。ちょっと不思議に思いながら、俺は目の前の稲妻を見つめた。
金色の竜巻が膨らんで、水柱に触れる。
その瞬間、稲妻が水柱を這い上がった。水柱に絡みついて勢いよく放電し、瞬きする間に隣の柱の稲妻と繋がっていく。
気がついたときには、俺を囲むように、金色の網が張りめぐらされていた。
なんだこれは。
水柱に絡みついて螺旋状に這い上がり、そこから四方八方へ広がる鈍い金色の網。それは明らかに雷撃系の魔法によるものだ。
だが、これは俺の知っている《サンダーストーム》の効果ではない。俺の覚えている、他のどんな魔法でもない。
それに、〈俺〉が使ったのはどう見ても《サンダーストーム》でしかなくて、だとしたらつまり、
(魔法同士のコンボ……!?)
コンボは、技と技の組み合わせで起こるもの、というのが常識だった。魔法でコンボができるなんて、噂にも聞いたことがない。
そんな、存在すら知られていないようなものまで、フェンはこの短時間で見つけ出したのか……?
俺はもう言葉もなく、ただ目の前の光景を見つめていた。
水柱の放つ薄青い光と、稲妻の網から発せられる鈍い金の光。それは互いに互いを増幅し、さらに輝きを増しながら、その内側にいる魔物たちを絡めとり、灼きつくしていった。
やがてその光が薄れ、ついに消えたとき、そこに生きて動いている魔物は一体もいなかった。残されたのは、無数の魔物の屍と、大きく抉られ、ところどころ泥濘と化した大地だけだった。




