seek[1]>>"港町の裏小路";
周囲を取り囲む柄のよくない男たちを見回し、俺は深々とため息をついた。
(あれで済むはずなかったよな……)
フェンのことだ、こうなることを見越していなかったわけがない。やさしく戦い方のレクチャーをしてくれて、それだけで終わるはずなどなかったのだ。俺の認識がまだまだ甘かった。
ざっと百人程度。一対多数の喧嘩なら、手近な数人をこっぴどく叩きのめして相手を怯えさせ、引き下がらせるのがいいのだろうが、戦場でもないのに、人間相手にひどい怪我をさせるような真似はしたくなかった。
だが、そうなると、「後に残るほどひどくはないが戦意は喪失する程度のダメージ」を全員に与えてまわらないといけないわけで……さっき教えてもらった方法でずいぶん楽にはなるだろうが、相当な重労働になることは間違いない。
(それをやれってことなのか……?)
回数をこなして覚えろということか、それとも持久力の訓練なのか。どっちにしても楽しい話ではない。
「おらぁ! 舐めてんじゃねえぞ!」
俺の表情をどう誤解したのか、チンピラの一人が怒声をあげる。
走って逃げても宿は知られている。サヤがいるところを襲われるのも困る。いや、サヤには水神がついているから大概のことは大丈夫だろうが、こんなことでサヤを危険に晒したとなれば、きっと俺がただではすまない。面倒くさいが、ここは地道に戦うしかないだろう。
と、俺が覚悟を固めたそのとき、フェンが思いがけないことを言い出した。
「どれ、ひとつ手本を見せてやろうか」
「手本?」
フェンがどうやって手本を見せるというんだ。ディーの体では小さすぎるだろう。
俺の疑問が見透かせないフェンではない。ばかにしたように嗤うと、フェンはさらに思いがけないことを言った。
「お前の体を貸してみよ」
「えっ」
そりゃ俺の体で実践するのがいちばんだろうが、いきなり貸せと言われても。
俺の考えていることがわかったのだろう。フェンが何かを言いかける。
だが、それとほぼ同時に、目の前に半透明のウィンドウが浮かび上がった。
「フェン さんがアクセスを求めています。許可しますか?」
はい / いいえ
ゲームでよく出てきた選択画面だ。
なるほど、こういうことか。納得しながら視線で「はい」を選び、決定すると、すうっと視点が高くなった。
目の前に、自分の後頭部が見える。幽体離脱したらこんな感じだろうか。
「おっ……おぬし、えらく上手いことやったな」
〈俺〉が、驚いたように言う。
自分の声を外から聞いているので変な感じだし、フェンが喋っているのでさらに違和感がある。それでも分かるくらいフェンが驚いていて、俺のほうがびっくりしてしまった。なんだ。俺はそんなに驚かれるようなことをしたのか。
だが、いつまでも驚いているようなフェンではない。
「なかなか面白いではないか」
俺は背後にいるので表情は見えないが、笑っているようだった。何が面白いのか。
「おい、聞いてんのか? 舐めくさってんじゃねえぞ!」
チンピラが怒声をあげる。そうだった、忘れていたが、チンピラに絡まれている最中なのだった。
「よそじゃどうか知らねえけどな、この街では、女の子にいらねえ悪さするような奴は、俺ら自警団が放っとかねえんだぜ」
「ちょーっと痛い目見てもらわないとな?」
後ろにいるチンピラたちが次々と声をあげる。うーん、いかにも弱そうだ。
しみじみ感心しながら聞いていて、ふと気がついた。あれ、これじゃ、俺のほうが女の子に絡んだことになってないか?
『フェンー、こいつら、なんか勘違いしてない?』
「かもしれんな」
フェンはあっさりと答えた。
『いや、かもしれんなって、勘違いされてるんだったら、誤解は解いたほうがよくない?』
焦りながら言う俺を、フェンは一蹴した。
「必要ない」
「ぁにぶつぶつ言ってんだ? あぁん?」
焦れたようにチンピラの一人がすごむ。
と、フェンは軽く顎を上げ、顔の横に手を持ってくると、くい、と指を動かした。
(うわ……)
完全に煽っている。
「……ぉらああぁあ!! この野郎!!」
激昂した男たちは、いっせいにフェンめがけて襲いかかってきた。
『何もあんなふうに煽ることないじゃない!?』
「手間が省けるじゃろ」
そう答えると、フェンは一人目の男の攻撃を片腕で軽く受け流した。バランスを崩した男は、その隣にいた男を巻き込んで倒れこんだ。なかなかに痛そうだ。
フェンは最初の攻撃を弾いた手を返し、視線をやりもせず、その手を無造作に背後に突っ込んだ。後ろから襲いかかってきた男が顔面に打撃をくらって崩れ落ちる。
『えっ、後ろから来てたのなんて、なんでわかるの?』
思わず尋ねる。無視されるかと思っていたのだが、意外にも答えが返ってきた。
「戦う前に全員の位置を把握するのじゃ。そして動きを見ておく。そうすれば、次にそやつが何をしてくるかが分かる」
しかしまったく参考にはならない。つまり、フェンはこの百人の動きのシミュレーションができているということだ。
次の相手を裏拳で弾き、その隣にいた男に肘を叩き込む。その勢いで体を返しながら、反対側から襲ってきた男の拳を払う。返す手のひらでさらに後ろにいた男の顔に触れると、男は糸が切れたようにへたりこんだ。
『なんか変な効果とか使ってない?』
「使っとらんわ。おまえの能力を越えるようなことは何にもしとらん」
しかしあまりに鮮やかだ。どうやったらこんなことになるのか。
続いて殴りかかってきた相手を、体を入れ替えて避け、ついでに肩で軽く突く。突かれた相手が崩れおちる頃にはすでに反対側を向いて、拳が新たな相手を捉えている。
まるで手品だ。ほとんど力を入れていないように見えるのに、面白いように敵が気を失って倒れていく。
『真似できないな……』
思わずつぶやくと、あっさりとフェンが答えた。
「気を失わせるには、それなりに勘所を掴む必要がある。おまえにやれるとは思っとらん」
『え、あ』
そうなのか。
「このような塵芥どもなら別だが、おまえの普通の攻撃など、大概の敵には効かん。通用するのは、あの妙な技くらいじゃ」
『……そうですね』
分かってはいるものの、正面切って言われるとなかなか辛い。
「だが、あの妙な技を普通の攻撃のように使うには、それ以上に敵に触れて、技に必要なモノを貯めねばならん」
『……あ』
そこまで言われて、ようやく理解した。つまり、フェンが見せてくれているのは、SEを貯めるための戦い方なのだ。
改めてフェンの戦い方を観察する。
軽く身をかがめて襲いかかる拳を避け、通り抜けながら軽く脇腹を突く。体を起こしながら次の男の顎を払い、その勢いを殺さぬまま隣の男の拳を弾く。
動作が流れるようで、無理な動きがない。さっきフェンが俺に言ったように「相手の攻撃を攻撃」しているのだが、攻撃と回避の切り替えがなめらかで、一連の動作に見える。
(なるほど……)
回避は回避、攻撃は攻撃と思っていた俺には、目から鱗だ。
そして、避けながら攻撃し、また次の攻撃を避けながら攻撃するので、攻撃と攻撃の間が短い。これなら短い時間でSEを貯めることができる。
いままでの戦い方と大きく違うわけではない。敵の攻撃を避ける動作の中に、攻撃を組み込むのだ。
しばらく、自分ならどう攻撃するかをシミュレートしながら、敵の動きを眺めていると、次第にフェンのやりかたが飲み込めてきた。
俺が理解したとみたのか、フェンの攻撃がさらに素早くなった。攻撃と攻撃の間がどんどん短くなり、ばったばったとチンピラが倒れていく。
『え、これは絶対俺の能力を越えてるだろ!?』
「よく見ろ」
フェンがそっけなく言う。
が、しばらく見ているうちに、フェンの言葉が嘘ではないことが分かってきた。
基本の動き、敵の攻撃を避けるという動作そのものは、いつもの俺のペースよりちょっと遅いくらいだ。その動きの間に入る攻撃の回数だけが増えている。
(すげえ……)
敵が密集していて、いくらでも襲いかかってくるからできる技とも言えるが、どうもフェンは、敵の動きを予測して、効率よく殴り倒せる場所に移動しているようだった。
フェンの動きを追っていると、俺ならここでこうは動かない、という動きがときどきある。だが、それを見ていると、俺が考えていたルートより多くの敵を倒すことができたり、次の攻撃では結果が大差なくても、その後に多くの相手を捌くことができたりするのだった。
(先を読むって、こういうことなのか……!)
俺はなんだか感動してしまった。相手の意図を読む、相手の行動の先を読む、というのは、やらなければならないが面倒なことだと思っていたのだが、そうではなかった。先を読んで的確に動けば、楽になるのだ。
(リゥ将軍がひとりで魚人の国を滅ぼした、っていうのも納得できるな……)
なんとなく納得する。もちろん魚人たちはこんなチンピラとは比べものにならないくらい強いが、おそらくボルテ軍を殲滅したときのリゥの動きの根底にあるのは、この考え方なのだろう。
敵の先を読まねばならないが、戦闘中にいちいち考え込むわけにはいかない。フェンもリゥも、そんなことをしているとは思えない。俺が、いちいち考えなくても反射で敵の攻撃を避けられるようになったように、おそらくこれにも、考えるより先に分かる何かがあるはずだ。
必死にフェンの動きを追いかける。もう少し、もう少しで何か摑めそうな気がする、と思ったところで、ふいにフェンの動きが止まった。あれ、と辺りを見回すと、百人はいたはずの男たちは皆倒れてしまっていた。
フェンが軽く右手の拳を振る。その時になって、俺はフェンがずっと片手しか使っていなかったことに気がついた。
『すっげー……』
俺はしみじみと溜息をついた。確かに強い相手ではなかったが、百人があっという間に倒されたのだ。あまりの鮮やかさに、他に何も言えない。
フェンはそっけなく言う。
「お前の体を使っとるんじゃ。お前にできることしかやっとらん」
(……あれ)
てっきり「お前にできるわけがない、思い上がるな」とでも言われるかと思っていたので、俺はちょっと驚いた。今日のフェンはやっぱりやさしい気がする。度重なるスパルタ教育で、俺の基準がおかしくなっているのかもしれないが。
しかし、フェンに褒められていると思うと、それはそれで照れくさい。
『あんなふうにはいかないと思うけど、フェンが戦ってるのを見てたら、俺にもちょっとはできそうな気がしてきたんだよなー。二、三人残しといてもらえばよかったかな』
照れ隠しにそんなことを言うと、フェンが笑いを含んだ声で答えた。
「ほう、それならちょうどよかった」
言われると同時に、吸い込まれるような感触がして、次の瞬間、俺は俺の体に戻っていた。
(ちょうどよかった……?)
悪い予感に襲われながら、顔をあげる。と、建物の陰から、野太い声が聞こえてきた。
「ぉらおめえら、やりすぎてんじゃねえだろうな?
声のしたほうから、近寄ってくる影が三つ。声からして男だろう。
男たちは広場に踏み込むと、周囲を見回して驚きの声をあげた。
「おめえら、何やってんだ! 揃いも揃って、こんな小僧ひとりにやられちまったのか?」
野太い声が広場に響きわたるが、チンピラたちは気絶しているので、返る声はない。
見るからにがたいのいい、大柄な男がきっと俺を睨んだ。
「てめえ、ウミネコの女の子にちょっかいだしやがっただけじゃなく、サンデの自警団まで虚仮にしてくれやがって……」
(あ、それもあったんだよな)
思い出す。宿の女の子に絡んだのは俺のほうだというデマは、こいつらのところにまで伝わっているらしい。
垂らした前髪で半分顔を隠した小男が、見えている側の顔をしかめながら口を出す。
「うちの舎弟どもが不甲斐ないとこ見せちまったようだけど、俺らまで同じだとは思わねえでくれるかい」
残るひとりは、赤茶けた髪の毛を頭の上に、ひさしのように大きく盛り上げていた。いわゆるスーパーリーゼントだ。どうやってセットしているのだろう。
盛り上がった髪の下から険しい顔を見せながら、リーゼント男が駄目を押した。
「お前は、俺たちサンデの自警団の誇りを傷つけた。こうまでされて、黙って引き下がると思われたら困るんでな。ちょっくら付き合ってもらおうじゃないか」
(だから、あれで済むはずがなかったよな……!)
内心で叫ぶ。フェンが親切にお手本を見せてくれて、それで終わるわけがなかったのだ。どうせ、こいつらがここにやってくることまで見越していたにちがいない。
自分たちでも自信があるようだが、動きを見ると、さっきまでのチンピラとは明らかに格が違うのが分かる。ウォータ軍に入ったとしたら、ヴォルドとニックには及ばないだろうが、それに次ぐくらいの強さではありそうだ。
殺すつもりで立ち向かうのならともかく、三人を相手に素手で戦うのは、なかなか困難だろう。
だがまあ、やるしかない。
大きく息を吐いて男たちの方を向く。
(ええと……どうだったかな)
男たちに顎を向け、顔の横に手を掲げて、くいと指を動かす。
「そこは真似せんでよい」
懐から、呆れたようなフェンの声がする。
「あ、そうなの?」
「ついでに言っておくが、片手で戦うのも真似んでよいからな」
「……あ、そうなんだ、よかった」
フェンは深々とため息をつくと、そのまま黙ってしまった。
フェンには呆れられたが、挑発は男たちには効果覿面だった。
「ぉらああ! 舐めてんのかああ!」
さすが親分格、反応は似ているが迫力が違う。
怒りに顔を赤くして、リーゼントの男が殴りかかってきた。反射的に避ける。と、横から拳が襲いかかった。小男の攻撃だ。こちらは軽いが早い。
跳んで避けたところに、大男が突進してきた。速さはそこまでではないが何せ体が大きい。迫力に圧倒されながら、どうにかかわす。
この三人は、一緒に戦うのに慣れているようだった。
リーゼントの男はひとりでもなかなか強く、隙がない。たまに隙を見せたかと思うと、そこを大男か小男が攻めてくる。
ゲームで見かけたらいいパーティーだと思っただろうが、残念なことにいまは敵なのだ。
相手の攻撃を防ぎながら、打つ手を考える。
ひとりひとりはそこまででもないが、三人の攻撃を合わせると、ヴォルドやニックより少し早いくらいの速度になる。見た目のわりに威力はそれほどでもないようで、当たっても辛くなさそうだが、こちらも技を使うわけにいかないので、倒しようがない。
そこまで考えて、ふと気づいた。
(……こいつらって、もしかして最高の練習相手じゃないか?)
ヴォルドやニックより少し速いくらいということは、つまりルサ=ルカやリゥ=バゥほど速くはない。そして威力は大したことがない。
こんな理想的な練習相手、そうそういるものじゃない。そう思ったら、なんだか嬉しくなってきた。……どうやったら倒せるのかはよく分からないが。
とりあえず、さっき見せてもらったお手本を実演してみることにする。
「相手の攻撃を攻撃する」のはできるようになった。その間に、こちらからの攻撃を挟んでいく。できるだけ効率的なルートで、できるだけ少ない労力で、できるだけ多く相手を攻撃する。
「馬鹿にしてんのかおらぁ!」
リーゼントが吠える。今日一日で、いったい何回言われただろう。
(馬鹿にしてるつもりはないんだけどな)
だが、例によって当てるだけの攻撃しかしていないので、そう思われるのも仕方ない。ついでに言うなら、新しい戦い方を覚えるのが楽しくて、顔がゆるんでいるのも否定できない。
相手の攻撃をそれほど恐れなくていいこともあり、「手数を増やす」のも意外と簡単にできるようになってきた。もっと強い敵が相手ならどうなるかわからないが。
(ついでに、あの気絶させるやつもできればいいんだけどな)
ちまちま叩いているうちに、そんな欲が出てきて、俺は見よう見まねで、リーゼントの鳩尾のあたりに拳を当ててみた。
「ぐふっ……」
それほど力も入れていないのに、男は腹を押さえ、一瞬動きを止めた。ちょうど殴りかかってきたタイミングだったので、突っ込んできた勢いがそのまま返ったらしい。さすがに一撃で気絶させるとまではいかなかったが、それなりにダメージは与えたようだ。
俺がまともな攻撃をすると思っていなかったのか、背後の二人に一瞬の隙ができた。すかさず飛び込んで、今度は大男の顎を殴る。呻いて後ずさったところを追うように肘を入れると、バランスを崩してひっくり返った。
(あらら……)
あんまりうまくいったのでちょっとあっけにとられていると、背後にただならぬ気配を感じた。跳びのきながら振り返る。
「このぉ……!!
体勢を立て直したらしいリーゼントの男が、すごい形相で襲いかかってくるところだった。
予想はしていなかったが、反射的に手が出た。反転する勢いで左手を払うと、ちょうど甲が鼻っ柱を直撃した。
「…………!
声にならない声をあげて、リーゼントはその場に崩れ落ちた。気を失ったわけではないが、しばらくは動けなさそうだ。
案外うまくいくものだな。フェンがお手本を見せてくれていたのが大きいのだろう。もっとも、ちゃんと理解してやっているわけではないので、フェンのように一撃で気絶させるとまではいかない。むやみに痛い目に遭わせている感じで、男たちには少々申し訳ない気がする。
さて、この隙を無駄にするわけにはいかない。
反転した勢いを殺さず、さらに体を返す。突進してくる小男をかわしながら、すれ違いざま、フェンの真似をして、小男の鳩尾を軽く押してみた。
(あ)
自分でも驚くほど、タイミングが合った、という感じがした。
低い呻き声とともに、小男はぱったりと倒れ込んだ。そのまま起き上がる気配がない。どうやら気絶させてしまったらしい。
(これで片付いたのか……?)
おそるおそる辺りを見回す。周りには累々と横たわるチンピラたち。このまま放っておいていいものか悩むところだが、俺一人でどうにかできる数でもない。
とりあえず、これで戦意を失って、俺のことは放っておいてくれればいいのだが。
「て……めぇえ……!!
帰りかけようとしたところで、絞り出すような声がした。
(げげっ……)
うずくまっていたリーゼントの男が、よろよろと起き上がるところだった。蹌踉たる足取りだが、ものすごい気迫だ。漫画だったら背後に陽炎が立ち上っているだろう。
「よくも……ィルクと……エ…ポを……!!
よろめきながら、リーゼントが殴りかかってきた。ほとんど倒れこむような感じだ。
息も絶え絶えな様子に、反撃するのも悪いような気がして避けようとしたのだが、男の攻撃は予想外に力強く、思っていたよりも一瞬タイミングが早かった。
(間に合わない!)
襲いかかる拳をとっさに払うと、突っ込んできた男が吹っ飛んだ。なまじ向こうに勢いがあったのが災いしたのか、思った以上に飛ばされた。勢いよく壁に叩きつけられて、呻き声をあげる。
(うわ……)
俺はなんだか申し訳なくなった。
これ以上攻撃するのはやめようと思いながら、結果的には意図した以上にダメージを与えてしまったのだ。いや、いくらフェンが煽ったとはいえ、勘違いして襲ってきたのは向こうのほうで、俺は悪くないと思うのだが、それにしてもこれは、見ていてなんだか辛い。
後ろめたさに、俺は男に背を向け、そそくさと広場を立ち去ろうとした。
だが、驚くべきことに、背後から声がした。
「待てよ……まだ、終わって……ねえ、だろ……」
ぎょっとして振り返る。リーゼントが立ち上がって、俺を睨みつけていた。壁を背に、本当に立っているのが精いっぱいという様子だが、全身から立ち上る気配は先ほどの比ではない。
「仲間を……虚仮にされて、黙ってる……れだと、思うな……よ……?」
(うわあ……)
俺は頭を抱えたくなった。この男、柄は悪いし、俺が悪いと決めつけて疑う様子もなかったし、腹が立つことは間違いないのだが、一方で相当仲間思いのようだ。
(そういえば、こいつずっと盾役だったもんな……)
なんとなく納得する。危険な役割は自分が引き受けて、仲間は守りたいのか。いい奴なんだろうな。もうちょっと人の話を聞いてほしかったけど。
しかし、これでは宿に帰れない。フェンが倒した男たちも、いつまでも気絶してはいないだろう。
これは本気でこの男を倒すしかない。
俺が覚悟を決めたのがわかったのか、男の表情が変わった。
鬼気迫る形相で、男が俺に殴りかかろうとしたその瞬間、広場に声が響き渡った。
「…………めてぇっっっ!!!
年若い女の声だ。俺も男も、思わず動きを止めた。
声と一緒に、足音が近づいてくる。
「カツミは、私を助けてくれたの! そいつらが嘘をついてるのよ! 私のために、カツミをひどい目に遭わせるのはやめ……えっ!?!?
一目散に駆け込んできた小さな人影は、広場の真ん中まで来て、電気に撃たれたように立ち止まった。信じられないといった風にあたりを見回し、俺を認めて目を丸くする。
「鳴き交わすウミネコ亭」の女の子だった。目が合った俺は、無事を示すために軽く手を振ってみせた。
「え……どういう、ことなんだよ……」
俺に殴りかかろうとしていたリーゼントの男が、拳を振り上げたまま呆然とつぶやいた。返事の代わりに、埃っぽい風が広場を吹きすぎていった。