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Make NewWorld /VR /Online;  作者: 山河有耶
5. Stream
52/59

seek[0]>>"新大陸の港町";

 石造りの建物の間を潮風が吹き抜ける。ひしめき合う屋根の上を、海鳥が旋回しているのが見える。

 時刻は昼を少し回ったところだが、日差しはそれほど強くない。

「すごいなぁ……」

 サヤは驚いた様子を隠そうともせずに辺りを見回していた。


 スカンタに騎乗して五日。俺とサヤは、西の大陸の港町、サンデに来ていた。

 首都がほぼ唯一の街であるウォータと違い、グランデにはいくつかの街がある。ここはその中で最も南に位置していた。ここより南に人の住むことのできる場所はほとんどないので、「最南端の街」を自称していたはずだ。南といっても、西の大陸の真ん中よりはだいぶ北になるのだが。

 ゲームでは、グランデの他の街には何度か来たことがあるのだが、ここには、世界一周と称して行ける街をすべて回ったとき以外は来たことがない。あのときはスカンタはもちろんいなかったし、移動の魔法の不便なSAVRでは、ここは遠すぎるのだ。


「こら、あんまりきょろきょろしない」

 軽くたしなめると、サヤははっとして俺を見た。

「ごめんなさい……でもつい」

「まあ、わかるけどさ」

 俺は内心ほっとしながら苦笑した。実はここ数日、サヤには必要最低限の口しかきいてもらえていなかったのだが、初めて見る街並みに圧倒されて、そのことは忘れてしまっているようだ。


 この世界に、ヒューマンの住む国は二つある。一つが東の大陸の「ウォータ」、もう一つが西の大陸「グランデ」。

 ウォータは気候が温暖で、住む人々も陽気で人懐っこいが、反面、文化的にはそれほど進んでいない。たとえば、通常の武器や防具などは、グランデのほうが高いが性能がいい。

 街並みにもそれは表れていて、ウォータには高い建物が少ないのだが、グランデは二階建て三階建ての建物も多く、たいがいは頑丈な石造りで、凝った装飾の施されたものも少なくない。


 そして、グランデの住人は、ウォータ市民ほどお人よしではないのだった。

 ウォータだと、見慣れない顔が不案内な様子で歩いていたら、誰かが話しかけてくる。道案内のついでに飯までおごられてしまうこともめずらしくない。

 だが、グランデで、慣れない様子でおのぼりさん面などしていたらいいカモだ。グランデには自警団もあって、彼らの目が行き届いている場所は至って安全なのだが、裏道に入ると、すりやかっぱらいが横行している。旅人を狙った詐欺やかつあげも度々起こるらしい。


 なので、サンデに入ったら、あまりものめずらしそうにせず、慣れた様子で振舞うこと、と言い含めてあったのだが、まあ仕方ないだろう。ウォータしか知らないサヤには無理な話だ。

 ウォータだって東の大陸ではものすごい都会なのだが、グランデに比べると何もかもが素朴な感じがする。攻略サイトなどの情報で知っていた俺でも、最初に来たときは相当驚いた。ぽかんとしていたら、ランダムで起きるイベントで、手に入れたばかりのアイテムをすられてしまったという苦い思い出がある。


「とりあえず、何か食べよう」

 サヤを引き寄せながら、さりげなくあたりを見回す。ようやく人里にやってきたのだから、人の作ったあたたかいものが食べたい。


 港町だからか、酒場が軒を連ねていた。食事だけ食べさせる店はないようで、よくある酒場兼宿屋という店ばかりのようだ。

 慣れない様子は見せられないので、あんまりしげしげと見比べるわけにもいかない。適当に勘で選ぶか、と思っていたら、懐からすっとんきょうな声がした。

「あそこからいい匂いがします!」

 ディーだ。もぞもぞと這い出したディーは俺の肩に乗っかり、くんくんと匂いをかぐ仕草をすると、

「あそこです! あのお店がいいのです!」

 肩を蹴って飛び上がり、ちょうど店から出てきた客と入れ替わりに、店の中に突っ込んでいった。


「ディ、ディーちゃん……」

 サヤが目を丸くしている。

「仕方ない、あそこにしようか」

 俺は肩をすくめた。他の人には見えないのだ、呼び止めるわけにいかないし、連れ戻すのも話がややこしい。

 それにしてもあれは本当にディーなのか? ディーは確かに相当食いしん坊だが、こんな無茶はしたことがない。またフェンだったりしないだろうか。何か企んでいるんじゃないだろうな。

 ちょっと不安になるが、ここで考えていても仕方ない。俺はサヤを連れて、「鳴き交わすウミネコ」亭の扉をくぐった。


//--------


「魚、食べるんだね……」

 大皿に盛られた揚げものを、サヤは複雑な表情で見つめる。


 店内は薄暗いがなかなか広かった。ざっと百人ぐらいは入りそうだが、半端な時間のためか、客は三、四組くらいしかいない。

 人懐っこそうな店の女の子におすすめを聞いて、その中から適当に注文した。水がやたら高くて、酒のほうが安いので、悩んだ末にサヤは果実酒を、俺はビールを頼んだ。

 グラスに注がれたぬるいビールをすすっていたら、料理がきた。そこで気づいたのだが、頼んだうちの一つが、魚のから揚げだったのだ。


 ウォータでは魚を食べない。マーマンとの協定でそもそも海に近寄ることが許されていないし、魚を獲るなどとんでもない。ウォータでは、魚はマーマンのものなのだ。

 グランデの近海にはマーマンたちがいないので、沿岸部では船も出せるし、漁もできる。となると港町で魚が出てくるのは当然なのだが、ウォータの民であるサヤには驚きだったのだろう。


「グランデは水神の国じゃないからね。マーマンもいないし」

 とはいえ、抵抗があるのは仕方ない。他にも食べるものはあるのだし。俺は魚の皿を自分のほうに引き寄せ、代わりにソーセージの盛り合わせをサヤの前に押しやった。

「……ありがと」

 小さな声でサヤが言う。


 しばらく黙々と食べた。この五日間というもの、携帯用の保存食しか食べていなかったので、普通の料理がとても嬉しかったのだが、全体に味が濃く、汁気が少ない。思わずビールが進む。

 食べ物の味はウォータのほうが好みだな。マイケルの飯がうまかったから、余計にそう思うのかもしれない。

 だが、俺もサヤも空腹だったし、ディーも一緒になって食べるので、あっという間に空の皿が並んだ。魚料理でないものを確かめて追加注文する。

 人心地ついたところで、サヤがふと真顔になった。


「そういえばカツミ」

 グラスの中身を飲み干して、じっと俺を見つめる。

「あの女の子はどういう人なの。ずいぶん親しそうだったけど、カツミとどういう関係なの」

「……エホッ」

 不意をつかれて、俺はうろたえた。飲み込んだ唾が変なところに入って咽せる。

「え、えっと……実は、俺もよくわかってないんだけどさ……」

 なぜだか急に汗がにじむ。手を挙げてサヤの果実酒のおかわりを頼んだ。何もやましいことはないのだが、サヤの目が怖い。


//--------


 ウォータを出発した翌日の、昼過ぎのことだった。東の大陸が見えなくなってずいぶん経った頃。ふいにスカンタが警戒するような声をあげた。

「どうしたの?」

 サヤがぱたぱたと首筋を叩いたが、スカンタは緊張を解こうとしない。


 どうしたのだろうと辺りを見回して、俺は進行方向に散らばる小さな影を見つけた。鳥のようだが、ただの鳥とはシルエットが違う。

(鳥人か?)

 人間と鳥人はあまり仲がよくない。というか、ゲームのときは敵だった。だが、いまは別に敵対したいわけではない、むしろ異種族同盟を結ぼうとしている立場だ。


(しまったな……)

 俺は唇を噛んだ。早くグランデに着きたい一心で、最短距離を突っ切るように飛んできたのだが、おそらくこのルートは、空の都に近いのだ。

 これから同盟を結ぼうとしている立場で、この構図はよろしくない。向こうからしたら、いきなり庭先に入り込まれたようなものだ。心証がいいわけがない。


「サヤ、ちょっと方向を変え……」

 言いながら視線を振って、俺はその判断が遅かったことを知った。左右からも後方からも、鳥の影が迫っている。完全に包囲された形だ。


 俺は背筋を冷や汗が伝うのを感じた。

 いったいどうすればいいのか。できることならどうにか逃げ切りたいが、相手に傷を負わせてしまうと今後がやりづらくなる。後々のことを考えるとできるだけ穏便に済ませたい。警告だけで解放してくれればいいのだが。

 サヤは驚きのあまり声も出ないのか、一言も発していない。いざというときにサヤを庇えるようにと態勢を変えたところで、集団の代表らしき鳥人が進み出てきた。


(えっ……あれ……)

 俺は驚いてまばたきをした。この鳥人には見覚えがある。

 風になびく、ふんわりした髪。黒いミニスカートと長いブーツ。

 もしかしてなんとかなるんじゃ、と口を開きかけたところで、少女は無慈悲に宣言した。

「そこの曲者。みだりに我が国に侵入した罪、万死に値する。おとなしく裁きを受けるがよい」


 可愛らしい声だが、言っていることはまったく可愛らしくない。サヤが息を呑むのが分かった。

(いきなり死刑宣告かよ!?)

 一度会ったことがあるからって、大目に見てくれるような相手じゃなかったらしい。

 とはいえ、俺は別に空の都に殴り込みをかけにきたわけではないのだ。鳥人でもないのに空を飛んでいるところがなんとも怪しいのだが。

 なんとか釈明しなければ。大声を出すために息を吸い込んだところで、耳元でささやき声がした。


『そこの間抜けたち、聞こえてる?』

 小さいが強い声。俺ははっとして、前方に立ちふさがる鳥人を見た。

『あたしがこれから派手に一発かますから、あんたたち、やられたふりして落ちなさい。いいわね?』

 よく見れば、唇がわずかに動いているような気がする。風魔法で声を飛ばしているのか。


「風神に楯突いた我が身の愚かさを呪うがよい!」

 大声での宣告とともに、突風が押し寄せた。

 黒い風の渦が俺たちにぶち当たる寸前に、俺はスカンタに合図を送った。通じるか? と一瞬不安がよぎったが、スカンタはまるで見えない力に打たれたように硬直し、まっすぐに落ちていった。

 胃が浮くような浮遊感。


 続いて衝撃。冷たい海の中に叩き込まれることを覚悟して身構えたのだが、予想に反して、水の感触はしなかった。

(え……?)

 おそるおそる見回すと、俺たちを囲むように、球状の空間ができていた。

「結界……?」

 サヤがやったのか? と思ったが、驚いたように俺を振り向いたサヤと目が合って、彼女ではないのだと分かった。


「スカンタ……なの……?」

 サヤが呟く。まさか、と思ったが、スカンタは首をめぐらせて俺たちをちらりと見、得意げな顔で小さくいなないた。

「すごい……ありがとう!」

 サヤは感激したようにスカンタの首に抱きついた。スカンタは嬉しそうにふごふご言っている。


 そういえば、と俺は思う。

 今頃気づくのも何だが、いままでスカンタに騎乗していて、空を飛んでいるのに大して寒くもないし、風にさらされて辛いとか、空気が薄くて苦しいということもなかったのだ。あれもスカンタが結界を張っていたからなのだろう。

 日常的にこのくらいの防御結界を張っているのか、それとも普段は違うのか、どのくらいの防御力があるのか、気になるところだが、さすがに実験してみるわけにはいかないだろうな。


 スカンタはすいすいと水の中を泳ぎだした。いや、泳いでいるのかこれは? 動作は泳いでいるのだが、スカンタは俺たちと一緒に結界の中にいて、水には触れていないのだ。もしかして、空を飛んでいるときもこんな風なのだろうか?


「え、あれ……」

 サヤが驚いたような声をあげた。

 はっと顔をあげると、辺りが薄暗い。周囲を見回して、岩山に開いた洞窟の中にいるのだとわかった。いつの間にか、海面に出ていたらしい。まったく気づかなかった。


 洞窟の入り口は半分以上海に浸っていて、奥に進むにつれて上り坂になっている。その先、乾いた岩肌が見えるあたりに、見覚えのある黒い影がぶら下がっていた。

 スカンタをうながして、影のすぐそばまで近づかせる。一応助けてもらったのだ。これからのこともあるし、礼くらい言わなくては。

 

 だが、近づくなり、いきなり甘えた声が降ってきて、俺は度肝を抜かれた。

「もう、遅いじゃない」

 さっきの鳥人だ。大きな目で俺を見つめ、唇をとがらせている。

「い、いや、遅いって言われても」

 逃げろとは言われたが、その後のことは何も言われていない。

 というか、このやたら可愛らしい様子はどうしたことだ。前回顔を合わせたのはほんの一瞬だが、そんなキャラクターじゃなかったはずだ。これではまるで、俺と蝙蝠少女の間に何か親密な関係があるかのようだ。俺に向けられたサヤの背中から、刺々しい空気が伝わってくる。


 誤解を解こうと口を開きかけたが、相手のほうが早かった。

「あんまり待たせないでよ。寂しいじゃない」

 こんな状況にもかかわらず、思わずドキッとしてしまうような可愛らしい声。さらに上目遣い、と言っても向こうは頭上にぶらさがっているので見下ろされているのだが、とにかく上目遣いでそんなことを言われて俺は仰天した。

 

「えっ、あっ、あの」

 うろたえてしていると、蝙蝠少女は打って変わってぞんざいな口調で言った。

「そんなことより、そこの小娘に手伝ってほしいことがあるんだけど」

 サヤの顔が凍りついたのが分かった。俺からは背中しか見えていないが、分かる。ものすごく物騒な気配がひしひしと伝わってくる。


「小娘ってなんですか」

 冷たい声で問いかけたサヤを一瞥して、蝙蝠少女は平然と言う。

「名前知らないんだから仕方ないじゃない。おばさんって呼べばよかった?」

「名乗らない人に教えるような名前はありません!」

「あたしはキキよ、おばさん」

「私はサヤです! おばさんじゃありません!」

「別におばさんでよかったのに……まあいいわ、ついてきなさいよ」

 そう言うと、蝙蝠少女改めキキは洞窟の天井から飛び降り、すたすたと歩き出した。


 サヤは無言でスカンタの背からすべり降り、キキの後に続いた。俺もあわててスカンタから降り、追いかける。

「クワァ……」

 うろたえたような声をあげるスカンタの首を叩く。これでは何をしても怒りに触れそうだ。大人しくついていくしかないだろう。


「これなんだけど」

 実に険悪な空気の中、たどりついた洞窟の行き止まりで、キキはサヤを振り向いた。俺のことはまったく眼中にない様子だ。


 キキの持つ魔法の灯で照らし出された岩壁は、そこだけ他の部分と色が違っていた。その表面に、緑色の煙のようなものが浮かんでは消え、浮かんでは消えしている。何か文字を描いているようだが、俺には読み取れなかった。


「これが何だっていうんですか」

 噛みつくようにサヤが言う。

「消せる? って聞いてるのよ、当たり前じゃない、そんなことも分かんないの」

 いや、当たり前じゃないだろうそれ。なんだって火に油を注ぐようなことをするんだ。


 案の定、サヤはかちんと来たらしい。

「そんな言い方しなくてもいいでしょう!」

「消せないの? 消せないならいいんだけど」

「消せます! やったことないけど!」

 だんっと地面を踏み鳴らすと、サヤは背を伸ばして、岩壁に手をかざした。


 最初は何事も起こらないように思われたが、しばらくすると、壁に浮かびつ消えつしていた煙の文字が薄らぎだした。消えてから現れるまでの間隔が遠くなり、浮かんでくる煙がどんどん少なくなる。


 と、キキが指を組み、恐ろしい速さで何かを唱えだした。呪文だろうが、長い。どこで息継ぎしているのか心配になるくらいだ。

 一度も途切れることなく長い呪文を言い切ると、キキは指をほどき、右手を掲げた。


 同時に、バン、と破裂音。衝撃。足元から風が巻き起こる。

 岩の壁は砕けて飛び散り、その奥に、さらに空間が広がっていた。


「なんですかこれ! 危ないじゃないですか!」

 あたりに散らばった岩の破片を見てサヤがつっかかる。

「大丈夫だったんだからいいでしょ」

「大丈夫じゃなかったらどうするんですか!」

「大丈夫じゃないとしたらあんたみたいな間抜けだけよ」

 軽くいなして、キキは開いた壁の奥へと踏み込んだ。


 何もない空間だった。天井は高いが、そんなに広くはない。

 洞窟にありがちな湿っぽさはなく、むしろ乾燥しすぎているくらいだが、埃っぽくて、居心地のいいところではない。

 そして、部屋の隅に、壁に寄りかかるように、何かが座っていた。


 サヤが息を呑む。


 肩からマントを羽織った大柄な人かと思ったが、よく見ると違う。

 マントのように見えたのは、翼。猛禽の羽を持つ、鳥人の屍だった。ほとんどミイラ化していて、顔立ちはよく分からない。

 キキは黙ってその横にひざまずいた。


「こ、これは……」

 思わず口走る。

 答えがあるとは思っていなかったが、

「父よ」

 キキが静かに答えた。 


 言葉を失った俺とサヤをよそに、キキが屍を抱き起こした。腰に手を回し、抱き上げようとするが、鳥人の体はキキの倍ほどもある。

 俺は黙ってキキを制した。驚いたように俺を見るキキの目を見返す。一瞬見つめあった後に、キキは目を伏せ、手を引いて、鳥人の屍から離れた。


 脇と膝に手を入れ、そっと抱き上げる。思いがけないほどに軽い。もともと鳥人は見かけよりずいぶん軽いものだし、ミイラ化しているので余計になのだろう。

 いくら父親とはいえ、女の子にこんな大きなものを持たせるわけにはいかないと思ったのだが、そういえばこれは死体なのだった。

 ちょっと後悔したが、ここでひるむわけにもいけない。幸いなことに、腐敗臭などはなく、埃っぽい匂いがするだけで、まるで枯れ木か張りぼての人形でも持っているかのようだった。


 洞窟の入り口まで、誰も一言も発さずに歩いた。

 水がひたひたと打ち寄せるぎりぎりのところで、ようやくキキは足を止めた。暗がりに慣れた目に、外の光がまぶしい。

 打ち寄せる波の音。吹き過ぎる風の音。


 キキは、俺の抱える屍の額にそっと触れた。続いて右の頰に。さらに左の頰に。

 低い声でキキが呪文を唱えると、俺の腕から死体が浮き上がった。ふわりと宙に浮かび、洞窟の入り口まで漂っていく。


 と、キキが強く手を突き出した。

 鉤爪のような黒い指先から、風が湧き出したように見えた。

 風は屍を包み込み、洞窟の外、晴れた空へ乾いた体を巻き上げた。渦巻く風はさらに勢いを増し、目を開けているのが辛いくらいだ。


 屍はしばらく木の葉のように風の中で踊っていたが、やがてその体から、煙のように何かが立ちのぼった。

 煙のようなそれが濃さを増すにつれ、屍は砂糖が溶けくずれるように端から形を失い、やがて、陽の光を受けてきらきらと光りながら空に解き放たれ、風の中へと消えていった。


「空に返したの」

 キキがぽつりと言う。

「鳥の王が、土に縛られて死ぬなんて、……あんまりでしょ」

 なかなかおさまらない旋風に、髪も服も激しくなぶられたが、キキはしばらく空を見上げて立ちつくしていた。「ありがとう」とつぶやいたのが聞こえた気がしたが、空耳だったのかもしれない。


 別れ際に、キキは相変わらずぞんざいな口調で、鳥人に見つからずにグランデに向かうことのできるルートを教えてくれた。

 そこからは何に出くわすこともなく、平和な道中だったのだが、サヤがすっかり機嫌をそこねてしまい、スカンタにもつんけんされ、どうにも居心地の悪いまま、この街にたどりついたのだった。


//--------


「あ、あの人はその、こないだ、『一つ目』に襲われてるところを助けてくれた人がいて、その人の連れだったみたいなんだけど、俺はよく知らないんだ」

「『一つ目』に襲われた? なんだってそんなことに」

 サヤがきっと俺を睨む。まずったな。フェンに修行に出されたのだが、そこから説明していると話が長くなる。


「や、その、ちょっと修行にですね」

「また私に黙って危ないことして!」

 サヤはどんとテーブルを叩いた。グラスが跳ねる。

「あ、こぼれるよ」

「こぼれません! お代わり!」

 サヤが憤然とグラスを空けると、店の女の子がすかさず新しいグラスを持ってきて、俺にウィンクしながら去っていった。


「だいたいカツミはいつも人を心配させすぎなのです! なんにも話してくれないで! 知らないとこで勝手に危険な目にあって! 私のことなんだと思ってるんですか!」

「い、いや、あのその」

 口ごもる。


 俺が考えなしに行動をして、散々サヤに心配させてきたのは事実なのだが、今回はフェンの訓練だったし、そもそもサヤに会う暇もなかったし……だが、サヤにしてみれば、俺がまた勝手に危ないことに首を突っ込んだようにしか見えないだろう。怒るのももっともだ。


 別に隠れて危ないことをしようとしたつもりはないのだが、フェンの存在を抜きにすると説明がどうにも難しくて、つい言わずにすませていた、という側面は否定できない。

 と、そこまで考えて、ふと思った。

(サヤに、フェンのことを隠してるのって……どうなんだ?)


 フェンのことを自分から誰かに話したことはない。積極的に隠すつもりはなかったが、リゥ=バゥの半身がアドバイザーというか、先生役というか、とにかくそういう状況なのは、他人にはなんとなく明かしづらかったのだ。

 ディーの存在を知られただけでもニックに疑いの目で見られたし、そもそも俺がこの世界の人間ではないという事情もある。別に話したからって困ることになるとは限らないが、なんとなく語らずに来てしまった。この世界に最初に来たときは、周りはみんなNPCだと思っていたので、特に自分の事情を語る必要など感じていなかったというのもある。


 だが、サヤは俺のことを信じて、俺を相棒だと思ってここまで来てくれているのだ。ディーのことが見えない相手ならともかく、俺の次にディーと親しくしている人間でもある。フェンのことを伝えないのは、サヤに対して失礼なんじゃないか。


 そう考えて、俺はあれっと思った。

(サヤは、フェンのことを知らないのか?)


 サヤは直接フェンと話したことはない。だが、水神はフェンと会っている。

 俺が《プレイヤー》だと指摘したのも水神だし、サヤはそのことは知っている。では、フェンのことは……どうなのだろう?

 サヤが知っていようがいまいが、俺からちゃんと説明するのが大事なのだろうが、……心の準備というものがある。まずはサヤがどこまで知っているのか聞いてみよう。


「あのさ、サヤ……」

 おそるおそるかけた声は空振りした。意を決して顔を上げると、サヤは果実酒のグラスを手にしたまま、うつむいて眠ってしまっていた。

 長旅の後の初めてのちゃんとした食事で、アルコールを何杯も呷ったのだ。寝てしまっても仕方ない。

(ごめん、サヤ)

 俺は心の中で詫びた。強くなるのと同じくらい、俺はサヤを大事にすることを覚えないといけないと思った。


//--------


 どうせ泊まるところも決めなければいけなかったので、上の部屋を取ることにした。どうにかこうにかサヤを寝かせて、俺は残りの飯を食いに、再び食堂に下りてきた。


 サヤがあんななので俺まで酔い潰れてはまずいと思い、二杯目は水にした。あとから、水波能売命石|《輝石》を使えばビールを水にすることもできるなと思ったが、飲食店ですることではないだろう。

 ディーは満腹したのか、俺の懐に戻ってしまった。食べ散らかされた残り物をつついていたら、カウンターのあたりがなんだか騒がしいのに気がついた。


「……じゃん、暇なんだろ?」

「……っとくらい……きあってくれても……」

「困ります……」

「そう堅いこと……わないで……」

 

 俺たちが部屋に上がっている間に、数組いた客のほとんどは帰ってしまい、柄の悪い三人組だけが残っていた。その三人組が、店の女の子に絡んでいるらしい。


「ご主人が帰ってくるまであたし留守番なんです、無理ですってば」

「いいじゃんいいじゃん、帰ってくるまでに戻ってくればバレないってばよぉ」

「そういうわけにはいきません!」

「真面目なんだねー? でもそんなんじゃモテないよぉ?」


 しばらく様子を見ていたが、店主がいないとあって男たちは調子に乗り出したようだ。さすがに放っておけなくなって、声をかけてみた。


「あの、困ってるじゃないですか、やめてあげたらどうですか」

 ……言ってから思ったが、我ながら弱そうな台詞だ。

 案の定男たちは馬鹿にしたような声をあげた。


「ああん? 何意気がっちゃってんの?」

「俺らとおネエちゃんの話なんだからよぉ、邪魔すんじゃねえよ」

「坊やは引っ込んどきな、怪我するぜ」

 絵に描いたようなチンピラだ。あまりにステレオタイプすぎて笑えてくる。こんなモブキャラ、もしかしたらSAVRにいたとしてもおかしくないな、と思うとさらに笑いたくなってくる。


「や、どう見ても迷惑がってるでしょう。そのへんにしといたらどうですか」

「ぁんだお前、へらへらしてんじゃねぇぞ!」

 ここで笑ったら話がややこしくなる……と、頑張って真顔を保とうとしていたのだが、どうも成功していなかったらしい。チンピラたちは激昂し、ひとりが俺につかみかかってきた。


 それなりに喧嘩慣れしているようだが、所詮はチンピラだ。ウォータの正規兵と比べても動きが甘いし、隙だらけだ。難なく避けながら、だがしかし、俺はあることを思い出してはっとした。


(俺、素手で戦えたっけ……!?)

 腕輪は外していないので、アルミュスは手許にある。だが、こんな素人相手に剣を抜くわけにいかない。うっかり大怪我でもさせてしまったらことだ。

(ど、どうしよう……ハリセンとかピコピコハンマーにでもするか……?)

 できるかできないかわからないが、あの騎士が怒りそうだ。だいたい、そんな武器で攻撃されたチンピラも怒るだろう。それはよくない。


「ちょろちょろすんじゃねーぞ! 舐めてんのかおらぁ!」

 穏当に済ませられないかと考えていたのだが、避けただけで怒らせてしまったようだ。男は顔を紅潮させ、本気で殴りかかってきた。

 だからといって困ることはない。たやすく避けられるのだが、

「避けてばかりでは終わらんぞ」

 嫌味な声がした。フェンだ。俺の肩に腰掛け、ふんと鼻を鳴らす。

「こんな塵芥ごときに手こずるでない。情けないわ」


「わかってるけどさぁ……」

 どうしたらいいか分からないから困ってるんじゃないか。

 俺の言いたいことが分かったのだろう、フェンは馬鹿にしたように嗤った。

「まあ、おぬしの練習相手にはこの程度で良いのかもしれんわ」

 なんだかひどいことを言われたような気がする。フェンは気にする様子もなく、さらに続けた。

「避けるだけなら造作もなかろう。ただ避けるだけでなく、相手の攻撃を攻撃してみよ」


(相手の攻撃を……攻撃?)

 どういうことだろう。いぶかしみながら、肩への一撃を避ける。避けながら、繰り出された拳に触れてみた。まともにぶつかると痛いし体勢もくずれるので、相手の打撃を受け流すような感じになる。

「そうじゃ、それでよい」

 フェン先生のOKが出た。


「そうしていれば、お前の使う”技”に必要なものが貯まるであろ」

 フェンに言われて、俺は驚いた。

「え、俺、SEのことフェンに話したっけ?」

「言われんでも分かる」

 即座に言い返されて、俺は深く反省した。フェンに隠しごとができると思ったのが馬鹿だった。隠していたわけではないのだが、ずっと一緒にいるのだし、フェンが考えれば分かることなんだろう。


 しばらくそうやって攻撃をさばいた後、俺はおずおずと切り出した。

「あのさ、フェン、確かにこれでSEは貯まるけど、これじゃぜんぜん倒せないし、あいつらめちゃくちゃ怒ってるっぽいんだけど」

「まあそうであろうな」

 あっさり言われて、俺は脱力した。

 相手の攻撃をかわしつつ、殴りかかってくる拳にちょっとだけ触れる、というのを繰り返していては、からかっていると思われても仕方ない。


「分かってんならなんとかしてくれよ……」

 SEは貯まっているから技は使えるが、それではやはり大怪我をさせてしまう。

 フェンは馬鹿にしたように嗤った。

「これから教えてやるから、そう焦るな」

 意外な反応に、俺はちょっと驚いた。てっきり「自分で考えろ」と却下されると思っていたのだ。今日のフェンは案外親切なのかもしれない。

「攻撃を攻撃したら、そのまま引かずに相手を殴れ。顔でも腹でもよいわ」


 襲いかかってくるチンピラをかわして、手を払う。そのまま避けてしまいそうになるのをこらえ、流れた拳をチンピラの鼻先に持っていった。

 と、それほど力も込めていないのに、相手の攻撃で結構な勢いのついた拳が鼻っ柱を直撃し、チンピラはその場に崩れおちた。


(へえ……)

 知らぬ間に、唇に笑みが浮かぶ。

 相手の攻撃を、真っ向から受け止めずに、受け流す。それだけでなく、相手の力を自分の攻撃に使う。

 これは面白い。


 少ない労力で敵にダメージを与えられる、しかも相手の攻撃をそのまま自分の攻撃に利用するというのが、実に俺の趣味に合っている。今日のフェンはかなり親切な気がしてきた。


「てめえ、この野郎!」

 仲間を殴り倒された上に俺がにやにやしているので逆上したのだろう、残ったチンピラその二とその三が血相を変えて襲いかかってきた。

 顎を狙ってきた拳をはね返して、チンピラその二の頰を殴りつける。続いて殴りかかってきたその三の手首をつかんで引っ張り、背中合わせに回転する勢いで相手の背に肘を叩き込んで、一丁あがりだ。呆気ないほど簡単に、三人を叩きのめしてしまった。


「お、お、覚えてろ……!」

 これまた紋切り型の捨て台詞を吐いて、男たちは逃げ出した。もうちょっといろいろ試してみたかった気もするのだが、大事になる前に引き上げてくれてよかったのだろう。


「大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫! ありがとう!」

 隅っこで小さくなっていた店の女の子に尋ねる。すくみあがって動けなくなっていた女の子は、俺が声をかけると我に返ったようで、しきりに俺に礼を言った。


 店の調度が壊れていないか確かめていると、店主が帰ってきたので、後は任せて、俺は街の散策に出かけることにした。

 街のことはあんまり覚えていないと思っていたが、歩いていると、ああ、そういえばこんなだった、と記憶が甦ってくる。

きっちり敷き込まれた石畳。石造りの建物には、小さいが窓にガラスが入っている。ウォータではあまり見かけなかったものだ。


 八百屋には葉物や果物が少なく、一方で芋や豆や根菜がやたらと多い。パン屋で固いパンと、サヤへのお土産に焼き菓子を少し買った。

 武器屋や防具屋には見たことのないような武器が並んでいた。ウォータには基本的に西洋風の武器しかないのだが、和物もちらほら見受けられる。細工もなかなか凝っていて、出来がいい。

 思わず買おうかと考えたのだが、よく考えてみればアルミュスと水神の防具を上回るスペックの武具防具などそうそうあるものではない。それでも見て回るのは楽しい。


 面白くなってあれこれ覗いていたら、結構遠くまで来てしまっていた。サヤが起きていたらまた怒られてしまう。

(そうだ、ここから宿のある通りまで、近道があったんだよな)

 昔の記憶を頼りに、裏通りに踏み込む。先ほどよりは人通りも少なく、すいすい進める。

 気を良くしながら薄暗い広場に出たところで、行く手を塞がれた。


「よぉ、さっきはよくもえらい目に遭わせてくれたな」

 誰だ? と思ったのだが、紋切り型の台詞で思い出した。さっきのチンピラたちだ。

 しかし懲りないやつらだな。思いながら顔をあげて、俺は自分を取り巻く人垣に気がついた。目の前のチンピラたちによく似た服装と雰囲気の男たちが、俺の周りを取り囲んでいる。その数、ざっと百人。


(マジかよ……)


 男たちの雰囲気は目の前のチンピラと似たり寄ったりで、正直言ってそんなに強そうには見えない。

 とはいえこの人数はな……どうしたものか、と考えていたら、耳元でいやらしい笑い声がした。


「ひゃひゃひゃ。ここからが応用篇、といったところかのう?」

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