#include="彼女の部下達"
「カツミ、ここは俺が食い止める、お前はサヤのところへ行け!」
私の剣を槍で受け止め、ヴォルドは背後に立つカツミに向かって叫んだ。
自慢ではないが、膂力において私を上回るものはウォータ軍にもそうはいないと自負している。だが、渾身の一撃を受け流すように止めて、ヴォルドは顔色ひとつ変えはしなかった。
(嫌な相手だ)
この男と戦いたかったわけではない。私の任務はあくまで、お嬢様の命に背いて水神の間に近づいた不逞の輩を退けることだ。だが、それを邪魔するのであれば、ともに排除するまでだ。それが誰であろうとも。
私の気も知らず、ヴォルドは軽薄な笑いを浮かべてひとりごちる。
「いやー、いいねえ、これ一回言ってみたかったんだよなー」
「ふざけるのもいい加減に……!」
後頭部が灼けるような怒りが瞬時にこみあげた。激情のままに斬りかかったが、ヴォルドは軽く避けた。
「サヤのとこまではここからまっすぐだぞー。道中気をつけてなー」
「ごめんヴォルド! ありがと!」
うろたえながら私とヴォルドを交互に見ていたカツミは、ヴォルドの言葉に意を決したようで、ひと声叫ぶと部屋から駆けだしていった。ヴォルドに阻まれて、私は手出しができない。
「いやあ、いいねえ……これぞ漢のロマンってやつだぁね」
「なぜあの男に肩入れするのです」
なおもふざけるヴォルドを、私はきっと見据えた。
「あぁ?」
「あなたのしたことは明らかに命令違反だ。誰も近づけるなと言われていながら、わざわざあの男を水神の間まで連れて行くような真似をして」
ヴォルドは呆れたような笑いを浮かべた。
「おまえさん、頭が固いねぇ。そんなの建前に決まってんだろ? お嬢を見ろよ、あんなやる気満々の格好で待ち構えて、わざわざ俺に情報を流させてさ、どう見ても誘ってんじゃねえか。察しろよなー、そのくらい」
これは挑発だ。分かっているが、乗ってやる。下から切り上げたが、それも軽くかわされた。
「それでも命令は命令でしょう!」
ヴォルドは、巨体に似合わぬ軽い足取りで椅子やテーブルを避け、私の刃から逃げる。ヴォルドの槍が淡く光る。追いかけて、さらに切りつける。
「だぁから頭が固いってのよ。そうやって杓子定規に命令を守って、お嬢が喜ぶと思う? あれか、おまえさん、泣きそうな女の子に『……大丈夫よ、気にしないで』って言われたら、額面通り取っちゃってそのまんまほったらかして、それっきり愛想つかされちゃう奴?」
私は無言で胴に偃月刀の一撃を叩き込んだ。今度こそ当てたと思ったが、ヴォルドはすんでのところでまたも私の攻撃をかわした。
「おおっと、危ねえ危ねえ」
数歩遠ざかると、ヴォルドは顔をそむけ、わざとらしい仕草でつぶやいた。
「いやあねえ、本物だわこの子……」
その後ろ頭に向けて振りかぶる。ヴォルドはさらに避ける。踊るような足取りがこちらをからかっているようで、よけいに腹が立つ。
「お嬢様のためになることなら私とて止めはしません! だが、あんなひよわで考えなしで、逃げ回るしか能のない子供が、いったいなんの役に立つというのです!?」
「ひよわで考えなしな子供が、リゥ=バゥに傷をつけたのかよ?」
「たまたまでしょう!? 運がよかっただけです」
「おうよ、そうかもしんねえなあ。けどな、どんだけ実力があっても、戦場で活かせないんじゃ、ないのと同じだよな。ひよわで考えなしな子供が、あのリゥ=バゥに傷を負わせちまう、そんなおっそろしい運のよさってのはよ、ものすごい実力じゃねえか? そりゃお嬢だって欲しがるだろうよ」
「それは詭弁です!!」
ヴォルドがろくに応戦もせず避けるので、私とヴォルドは最初にいた場所から弧を描くように移動していた。このままもう少し動けば、ヴォルドをこの場に残してカツミを追うこともできる。カツミはもうお嬢様のところにたどりついているかもしれないが、取り押えることならできるかもしれない。
扉に目をやった私に気づいたのかどうか、たたみかけるようにヴォルドが言う。
「それにな、最初に軍に加わったときのカツミは、確かにひよわで考えなしで、ちっとばかし逃げ足が速いだけの子供だったさ。けどよ、おまえ、今日あいつと立ち会ってみて、何にも思わなかったのかよ? この短い間によ、あいつどえらく強くなってるだろ。分かんねえなんて言わねえよな?」
ばかばかしい。買いかぶりもいいところだ。
「私の攻撃を避けたことなら、攻撃してきたとあなたが教えたのでしょう? 多少はやるようになったようだが、そんなに言うほどのものではない」
「俺は何にも教えちゃいないぜ? 最初の一撃を避けたのは、あいつの実力だ」
「では、あのばかげた運のよさのせいでしょう」
言うと同時に斬りつける。ヴォルドは踊るような足取りでそれを避け、衝立の向こう側へ逃げこんだ。
「やだやだ、嫉妬に目の曇った男はやだねえ」
装飾の施された衝立の向こうから、ヴォルドが顔をのぞかせる。私は黙って衝立を蹴り倒した。当ててやるつもりだったが、ヴォルドはこれも軽く避けたので、衝立がテーブルにぶつかってひどい音をたてた。
「壊すなよ、乱暴なやつだな」
ヴォルドは軽く身を屈め、衝立の装飾の破片をこちらに投げつけた。
「神殿のものを破壊するなという命令は受けていません!」
飛んできた破片を避けながら言い返す。
「嫉妬で八つ当たりか? 男らしくねえぞ?」
「何が嫉妬だというのです!?」
「どう考えても嫉妬だろ」
「お嬢様にふさわしい相手なら私もとやかくは言いません! しかしカツミは違う!」
「お嬢はそうは思っちゃいねえだろ?」
「お嬢様がそう思っても、私が認めない!」
言ってから、驚いた。ヴォルドがにやりと笑った。
「ようやく本音が出たな」
//--------
私は、代々ウォータの将軍を輩出する家に生まれた。祖父はウォータ軍の最高司令官、伯父は若くして将軍の位につき、父も将軍ではないがウォータ軍の要職を務めていた。
ウォータ一とも謳われた猛将である祖父と、オーガの将軍だった祖母の、私は最初の孫だった。子も孫も好きな道に進めばいいという主義の家ではあるが、両親や祖父母はともかく、周囲の期待は相当のものだったという。
私は、幼い頃から剣が好きだった。三つの歳には、オーガ用に作られた大きな剣をどうにか持ち上げ、翌年にはその剣を振り回すようになった。
私の家系は強いものを好む。祖母譲りの力の強さの片鱗が見えると、周囲の大人たちは喜んだ。それが嬉しくて稽古に励み、強くなるとさらに大人たちは喜ぶ。気がつけば、子供ながらになかなかの剣の腕を身につけていた。
その一方で、書物を読むのも好きだった。面白半分で文字を覚え、わけもわからないまま物語本をいくつも諳んじるようになった。
オーガは女系種族なので、力の強さや体格のよさなどの特色は男児にはほとんど見られない。また、オーガの血が色濃く顕れると、一般には頭の出来がよろしくないことが多い。
なので、男児でありながら並はずれた膂力を持ち、なおかつ知的にも早熟だった私は、あの頃の一族の期待を一身に背負っていたといっても過言ではないと思う。一族の者は軽々しくそういった話を口にはしないが、兵士たちの「次期家長はニックで間違いないだろう」という噂は、私の耳にも届いていたのだ。
……ルサ=ルカお嬢様が生まれるまでは。
私が五つになった年に、伯父の長女が生まれた。ルサ=ルカと名づけられた女の子は、月足らずで生まれたため体も小さく、周囲は無事に育つことだけを願っていたという。
だが、華奢な体のまま育ったその女の子は、見た目に似合わぬ力を持っていた。
人形よりも剣を欲しがり、ままごとよりも取っ組み合いを好む。大人たちに勝負を挑んでは、転がされては笑っていた。三つにならないうちに、オーガの大剣を楽々と振り回すようになった。歴史の本や兵法書を面白がって読み、小難しい言葉を唱えては喜んだ。
「まだ子供だからどうなるか」と言いながら、周囲の期待が後から生まれた女児に移っていくさまは、五歳の子供にも感じ取ることができた。
嫉妬しなかった、と言えば嘘になる。だが、幼い私の自尊心は、自分より小さな女の子に邪険に当たることを許さなかった。
そして、ルサ=ルカお嬢様は人なつっこい子供だった。人見知りをせず、誰とでもすぐ仲良くなったが、年の近い子供は剣でも取っ組み合いでも相手にならない。自然と、お嬢様は、子供でありながら唯一自分を負かすことのできる私の後を追いかけるようになった。
「ニック、すごい! 強い! もう一回!」
目を輝かせて自分についてくる子供は、いつの間にか、嫉妬の対象から、とても愛しい存在に変わっていった。
強ければ歓迎する家風であるからして、来るものはまず拒まない。家にはウォータ軍の兵士やギルドに所属する冒険者が数多く出入りしていた。胡散臭い者も相当多かったが、祖父たちの目が行き届いているからだろう、屋敷の中で大きな諍いが起こることはなかった。
そして、お嬢様はいつからか、屋敷に出入りする荒くれ者どもにも手合わせをねだるようになった。
見た目は華奢で可愛らしく、黙っていれば立ち居振る舞いも見事な箱入りの御令嬢だ。怪我でもさせたらどうすると、最初は皆が敬遠したようだが、お嬢様の腕前と、見た目に似合わぬ気さくな性格が知られるようになると、本気で相手をする者も現れるようになった。
お嬢様がとりわけなついた相手が二人いた。ひとりは、混血児たちの世話をしているという熟練の冒険者ロック。そしてもうひとり、当代一の槍の使い手と謳われていたウォータ軍の兵士、ヴォルドだった。
当時のヴォルドは、いまのようにふざけた男ではなかった。
恵まれた体格と、その体に似合わぬ俊敏さ。速度と力を兼ね備えた、豪快な戦い方をする男。ただならぬ強さと、強さに見合う自信を持っていた。
いまでは考えられないことに、近寄りがたい空気さえ漂わせていたヴォルドだったが、お嬢様はそんなことを気にするような子供ではなかった。怖じ気づく様子もなくヴォルドに近寄って話しかけ、いつの間にか稽古をつけてもらうようになった。
「ニック聞いて、ヴォルドすごいんだよ!」
お嬢様が稽古の様子を語るときの、輝くような顔。私はそれが羨ましかった。私では、こんな顔をさせることはできない。いまの私では、到底届かない。
私は必死に努力した。強くなれば……もっとずっと、彼らのように強くなれば。お嬢様のあの表情は、私のものになる。
だが、どれだけ必死に稽古しても、私は彼らに追いつくことはできなかった。それどころか、いつからか、私はルサ=ルカお嬢様に勝てなくなった。そんなはずはないと思い、鍛錬を重ねたが、立ち合うたびに、力量の差が大きくなっていくのが分かった。
いったい何が足りなかったというのか。同年代の少年たちの間では、私は相変わらず、圧倒的に強かった。大人の中に混ざっても引けを取らない腕にはなっていた。
だが、あの冒険者やヴォルドやお嬢様には、遥かに及ばない。
短くない年月をかけ、そのことを受け容れた私は、お嬢様を支える副官としての立場に、自分の居場所を見出したのだった。
私の家系は強いものを好む。
だから、お嬢様が強いものに惹かれるのは仕方ない。より強いものを求め、それを越えようとするのが、私の愛するお嬢様なのだから。
だが、あいつは、カツミは違う。
カツミを最初に見たのは、ゴブリンの村掃討戦の前夜だった。誰も気づかなかった抜け道を見つけた冒険者に、お嬢様が興味を示した。目のつけどころがよいといたく喜んでいたが、私の目にはそれほど敏いようには見えなかった。きょろきょろと物珍しげにあたりを見回す物慣れない冒険者は、作戦の説明中にもよくない意味で目立っていたのだ。
ひょろひょろとしたひよわな体つき、装備もほとんどが新品の安物で、熟達した技術を思わせるものは何もない。
マイケルが面倒を見ているというのだから、足を引っ張るほどの素人であれば作戦に加えるはずがない。最低限の能力はあるのだろうが……書物の読みすぎか、身近にいた誰かに冒険譚を聞きすぎたか、知識ばかり蓄えて自分は戦えると思っているタイプの若者だろうと私は判断した。
だから、そのひょろひょろした冒険者が、かのリゥ=バゥに手酷い傷を負わせたのだとお嬢様が言っても、私は信じられなかった。
「お嬢様が一撃で吹き飛ばされた相手に、あの子供が傷を負わせたですって? そんなことあるわけがないでしょう」
「いや、本当なんだ、確かにおぼつかない足取りだったし、殺されるしかないと思っていたのに、カツミは正面からリゥ将軍に立ち向かって、双頭の老人の頭を貫いたのだ……信じられない速さで」
「馬鹿馬鹿しい。お嬢様は記憶が混濁しているのです。傷を負わせたのはお嬢様で、リゥ=バゥの反撃で跳ねとばされて気を失って、それでそんな夢をみたのでしょう」
周囲も私と同じ意見だった。
軍の上層部にはカツミを見知っているものがそもそもいなかったわけだが、屋敷でこんこんと眠っている冒険者はやはりどう見てもひょろひょろしたひよわな子供で、リゥ=バゥの相手になるとは到底思えない。
結局、リゥ=バゥに傷を負わせ、オーガ軍を退けたのはルサ=ルカお嬢様の手柄ということになった。当のカツミも異論を唱えなかったのだから、やはりあれはお嬢様の成したことなのだと皆が納得した。
お嬢様ひとりがいつまでも、納得のいかない顔をしていた。大手柄を挙げたのに、それを自分で覚えていないのだから仕方ないだろう。
だが、お嬢様なら、再び相見えたリゥ=バゥを完全に討ち取ることも夢ではないのかもしれない。
そのときは私が側にいて、お嬢様と共に闘い、よしんばお嬢様がそのことを忘れてしまったとしても、何度でも語りきかせよう。そんな大それたを、ふと思い描いたりもした。
ただ、カツミのことを語ったときのお嬢様の表情だけが気にかかった。
「違うんだ、本当に、あの体の、あの様子のどこからというような、そんな速さだったのだ……私が追いきれないほどの……」
うわごとのようにつぶやきながら空をにらむ目の、熱に浮かされたような輝き。それが、遠い日にヴォルドと立ち合った後の、あの顔に重なって見えたのだった。
だが、その後、軍に加わったカツミは、やはりぼんやりした駆け出しの冒険者、という印象を裏切らなかった。確かに誰も言わないようなことを言いだすが、それは経験が浅いためだろう。気軽に砂丘の偵察を提案し、いつも通りの装備で出て行こうとしてあわてふためくくらいだ。突拍子もない思いつきを否定するだけの経験の裏づけがないのだ。頭でっかちの子供だ。
妖精が見えると言いだし、なぜかお嬢様までそれに同調したことが気にかかったが、お嬢様が気に入ったのであれば仕方ない。私はそばにいて、万が一にもカツミがお嬢様に害をなすことがないように見張るまでだと思った。
実際に近くで戦ってみると、予想よりはずいぶん使えるので、逆に少し驚いた。攻撃自体にさほど威力はないが、なかなか小器用に攻める。
(だが、まだまだだ)
私があの年だった頃の力量には遠く及ばない。もちろん、ロックやヴォルドにもだ。
お嬢様が焦がれるほどの力ではない。
その後、砂丘の砦で別れ別れになったカツミが、オーガの将軍を倒したと聞いて驚いたが、おそらく、水神の加護があったのだろうと思った。オーガの将軍など、ルサ=ルカお嬢様が全力で戦ってようやく勝てるかどうかというところだ。サンドゴーレム相手に共に苦戦していたカツミが、一騎討ちでオーガの将軍を倒したのだとしたら、水神の力を借りた以外の答えはありえない。
だが、お嬢様はそうは考えなかった。
口には出さないが、カツミのことを語るときの目の輝きを見ていれば分かる。
オーガ軍を退けた後、残務処理に追われながら、お嬢様はずっと、何かを考えていた。
……そして今夜、お嬢様は舞台を整え、カツミを神殿へと誘い出したのだ。
//--------
「本音も何も、お嬢様とカツミでは釣り合わないでしょう!」
「釣り合わないって何がだよ?」
からかうように上げたヴォルドの顎に向けて斬りつける。ヴォルドは姿勢を低くして避けた。動きに合わせるかのように槍の装飾が光る。
「ちょっとは手加減してくれよなー、血気盛んな若者と違って、こっちは年寄りなんだぜ」
そう言いながら足払いをかけてくる。
「年寄りだと言うのなら、こんなところに首を突っ込まずにおとなしくしていてください!」
跳んで避け、その勢いで剣を振り下ろす。低い体勢から、ヴォルドは転がってそれをかわした。
「おおっと、危ねえ危ねえ」
素早く起きあがって、にやりと笑う。
「釣り合わないって言うけどよ、カツミちゃんは救国の英雄だろ? お嬢はウォータの将軍だ。市民の夢みる最高の夫婦なんじゃねえの?」
「黙れ!!」
胴に一撃を叩き込む。ヴォルドは避けずに、槍の柄で受け流した。さすがに楽な攻撃ではなかったようで、わずかに顔をしかめている。
「じゃあ誰ならいいって言うんだ? 俺とか? 俺でもいいけどなー、ちょーっと年がいっちまってるからなー、まぁどっちもまだまだ現役だけどよ?」
「黙れ黙れ黙れ!!!」
怒りで目の前が白くなり、気がついたらめちゃくちゃに剣を振り回してヴォルドに迫っていた。
連続する斬撃を、ヴォルドは短く持った柄で防ぐ。小回りの利く得物ではない、それほど続きはしないだろうと思ったところで、目の前からヴォルドが消えた。次の瞬間、気配を察知して跳躍する。避けてから、ヴォルドの槍が足をすくいにきたのだと理解した。
後方に着地し、距離を置いてヴォルドと向かい合う。
「おまえは結局、誰がお嬢の相手だって嫌なんだろ」
ヴォルドはもう笑っていなかった。
「何が足りなかろうと自分がお嬢の隣に立つ、って気概もねえくせに、誰かにその場所を取られるのは嫌なんだろ? 副官って名目で、未練たらしくお嬢の後ろをついて回って、お嬢の相手が出てくるたんびにそうやって駄々こねんのかよ?」
血の気の引くような感触がした。
(この男の真顔など、どのくらいぶりに見ただろう)
どこか他人事のように、頭のどこかでそんなことを思う。
あのへらへらした笑顔の下で、この男はこうやって、ずっと私を蔑んできたのか……?
「……ぅぉぉおおおおおおおお!!!!」
獣のような咆哮。何かと思えば、それは私の声だった。腹の底から沸きあがる衝動のまま、ヴォルドに向かって私は突っ込んだ。
突進はかわされた。が、構わない。避けた方向に肩から飛び込む。ヴォルドの目がわずかに見開かれた。もつれ合うようにして床に倒れ込む。一回転して、そのまま進行方向に抜け、起き上がったヴォルドに振り向きざま偃月刀の一撃を叩き込む。
跳ね返るような手応え。金属音をたてて、ヴォルドの胸当てが飛んだ。
「おおおおっと」
ヴォルドがたたらを踏んだ。すかさず足払いを掛けたが、それはかわされた。
大きく跳んで距離を取り、ヴォルドがにやりと笑った。
「いいねえ。いい顔するじゃないのニックちゃん。そういう顔してるほうが、お嬢も好みなんじゃないかなって、おじさん思うなぁ?」
「やかましい!」
怒鳴りつけておいて、ヴォルドとの距離を測る。
いまの攻防で私とヴォルドの位置は大きく動き、私が扉を背にして立つ格好になっていた。
この位置なら、部屋を出てカツミを追いかけられる。距離を考えても、ヴォルドに追いつかれることはないだろう。カツミはお嬢様と顔を合わせてしまっているだろうが、侵入者として放り出すことはできる。いまなら、まだ。
……だが私は動かなかった。
(何よりもまず、この男を倒さねばならない。そうでなければ、先へは進めない)
胃の腑が灼けるように、その思いが私を突き動かしていた。
「ぁァアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
込み上がる怒りを吐きだすように叫びながら、私は走り出した。再び偃月刀を構え、突進をかける。
尋常に立ち合っても、ヴォルドには敵わない。長年の経験で、それはよく分かっている。
だが、先ほどの攻撃でふと閃いたことがある。私がヴォルドに勝るもの、それは、オーガの血による、人並外れたこの力だ。
ヴォルドは、力、技ともに抜きん出た能力を持つが、昔のように若くはない。
お嬢様には及ばなくとも、ヴォルド相手なら、勝機はある。
偃月刀を握りしめて駆ける。部下にはとても見せられないようなひどい形だが、構わない。ヴォルドの予想を上回る速度を出すことだけを考える。
腹に向けて突っ込む。先ほどの攻撃で胸当てを失ったから、当たれば死ぬかもしれないがそれでもいい。
ヴォルドはかわそうとしたが、避けきれなかった。むき出しの胴に私の肩が入る。そのまま倒れるかと思ったが、しぶとくも槍を床について態勢を立て直した。石突きが床に当たる硬い音。槍の装飾がまた淡く光る。
時間が倍になったような感覚。高速で動いているのに、ひとつひとつの動きがはっきり分かる。
踏み込んだ足を支点にして向きを変え、そのまま反対の足で蹴りを放つ。倒れはしなかったが、ヴォルドははっきりと顔を歪めた。蹴られた側をかばいながら後ずさる。
上から斬りかかったが、ヴォルドは椅子からクッションをつかみ取り、盾の代わりに投げつけて難を逃れた。
「外面気にしなくなると、やることがえげつねえな……」
肋のあたりを押さえながらヴォルドが言うが、無視する。
ヴォルドの武器は槍で、見たところ短剣などを持っている様子もない。屋内だというのに迂闊なことだと思うが、私には都合がいい。
槍は攻撃範囲が広いが、小回りがきかない。使わせないためには、間合いを詰めて戦うに限る。
じりじりと距離を取ろうとするヴォルドの懐に飛び込む。ヴォルドは手の中で槍を滑らせ、短く握った穂先で受け止めた。
右から左から、間断なく斬りつける。ヴォルドは後ずさって距離を取ろうとするが、それを許さずさらに追い込む。
槍の石突きが衝立に引っかかった一瞬の隙を見逃さず、一撃を叩き込んだ。ヴォルドは腕をかざし、籠手で受け止めたが、勢いは殺しきれず、そのまま後ろへ倒れこんだ。
追いかけようとしたところに、衝立を蹴り込まれた。衝立を避ける一瞬の間に、ヴォルドは転がって逃げる。衝立を飛び越えてヴォルドを追う。
まだ起き上がれずにいるヴォルドに飛びかかる。床に押さえ込もうとしたが、読まれていた。逆に体を返されるが、力ならこちらのほうが強い。腹を蹴り飛ばして引きはがす。
いつの間にか私たちはぐるりと一周して、最初に対峙した場所までほとんど戻ってきていた。
ヴォルドは槍の石突きを床につき、それを杖にして起き上がった。槍の装飾が光る。
「やってくれんじゃないのよ、もう……」
口調は軽いが、肩で息をしている。体力的にはそろそろ限界のようだ。
「いいかげん降参したらいいでしょう」
言い放ったが、ヴォルドは痛みに顔をしかめながらもふざけた調子を崩さない。
「俺に任せろって言っちゃったからねぇ……そういうわけにもいかないのよねぇ」
そう言うなら、力ずくで屈服させるまでだ。
正面に偃月刀を構える。ヴォルドは槍を床につきながら、ふらつきだした足を踏みかえて、ゆっくりと移動していく。
タイミングを計りながら、私はふと、違和感をおぼえた。そういえば、ヴォルドは先ほどから一度も、攻撃らしい攻撃をしていない。
奴の目的はあくまで私をここに留めることであり、倒すことではない。だから、といえばそうなのだが……本当にそれだけなのだろうか?
もつれるように足を前後させながら、ヴォルドは元いた場所へと近づいていく。槍の装飾が薄青く光る。
あの槍はヴォルドがいつも使っているものだが、あんなふうに光るのを見たことはない。ヴォルドはあんなでも水の神官の資格を持っており、あの槍も水魔法で加護された、魔法の杖の役割も果たすものだと聞いていたが……魔法の杖?
胸がちりちりする。いやな感じだ。悪い予感がする。
ちょうど最初にいた場所まで来て、ヴォルドは槍を大きく掲げると、石突きで強く床を突いた。
再び槍の装飾が光り、そこから広がるように、青い光が床の上に円を描きだす。ちょうどさっきヴォルドが動いた軌跡をなぞるように。
(魔法陣……!?)
「そんな、神殿で魔法が使えるはずが……!?」
思わず口走る。
神殿の中では、魔法は使えない。使えるのはほんの一握り、水の神官でも特に高位のの者に限られるはずだ。
なのに、なぜ……!?
ヴォルドがにやりと笑った。
「それができちゃうのよねー、ほら、俺って天才だから?」
言いながら背を伸ばす。先ほどまでの苦しげな様子は微塵もない。
「神殿の中ってのはな、水神様の本拠地だから、全体が水の力で満たされてるのな。んだから、力のバランスが他の場所はちょっと違うわけよ」
言いながら槍を掲げ、ゆっくりと何かを描きだした。
「いつものとおりやったんじゃ魔法がうまく働かねえんで、ここでは魔法は使えませんよーって言われるとみんな信じちゃうんだけどよ、実は効き方が違うっていうだけで、コツさえつかめば、水魔法なんかは実は、いつも以上の効果が出たりするんだなぁ」
つまり、ろくに反撃もせずやられるままだったのは、魔法陣を描くための時間稼ぎだったというわけか。手も足も出ないふりをして、私がヴォルドを圧倒していると勘違いしているのを見て、してやったりとほくそ笑んでいたのか。
「……どれだけ、人を馬鹿にして」
食いしばった歯の間から、声が漏れる。ここまでの侮辱でも限界だったが、本当に、本当に、この男だけは心底許せない、と思った。
ヴォルドの魔法は間もなく完成する。魔法陣の位置からして範囲魔法だ。攻撃系の魔法だとしたらヴォルドも巻き込まれてしまう。この局面で使うのだから、移動の魔法とみた。おそらく、私を連れて神殿の外へと転移するつもりだ。
その前になんとしても、一矢報いなければ気がすまない。
床を蹴り、走り出す。低い姿勢からの突進。槍を掲げたまま、ヴォルドがこちらを見る。まとった光を振り払うように宙に槍を突き上げ、手首を返して攻撃を受け止める体勢に入る。
普通なら到底間に合わないが、この男なら防ぐ。半ば確信して突っ込む。
低く構えた刃の前に、反転した槍の穂が差し込まれる。
(弾かれる!)
私は歯をくいしばった。防がせてなどやるものか。
偃月刀の刃がヴォルドの槍に迫る。上段から振り下ろされた槍の勢いに、私の勢いが勝った。弾き飛ばされた槍が空を舞う。
(まだだ、まだ届かない!)
これでは足りない。このままでは、この男を倒せない!
このまま負けるのかと思った瞬間、激しい怒りが湧きおこった。ヴォルドへ、カツミへ、ここまでの屈辱を許した自分へ、そして、そこまでしても届かないお嬢様への……
激情のままに、私は剣を振り抜いた。
いままで生きてきて、これほどの力を出したことがあっただろうか。
右腕から鈍い音がしたが、痛みは感じなかった。ただ持てる力のすべてを、握った刃に乗せんとした。
渾身の力を込めた一撃がヴォルドに届こうとしたところで、青い光が目前に広がった。強い衝撃と共に何かに叩きつけられる。
「なっ……」
言葉は、声にならなかった。その瞬間、私は海の中にいた。まるで高いところから海の中に飛び込んだようだった。
どこまでも続く深い青。重たくのしかかられるようなのに、宙に浮かんでいるような不思議な感覚。開いた口から泡が立ちのぼり、塩辛い水が入ってくる。
(溺れる!)
だが、それはほんの一瞬のことだった。次の瞬間、私は床に転がっていた。
//--------
「いやあ、さすが俺……」
かすれた声が耳に届く。あまりにしわがれているので誰かと思ったが、ヴォルドだと気づいた。
「俺じゃなかったら死んじまうとこだったぜ……」
体が重くて起き上がる気になれない。目だけ上げると、少し離れたところ、壊れた椅子と机の間にヴォルドが倒れていた。
そのまま目だけ動かして、自分がまだ水神の神殿の中にいることに気づく。どこにも移動してなどいない。ここはさっきの控えの間だ。
「移動の魔法じゃなかったんですか……?」
尋ねてみる。喉に何かが絡んでいて、ヴォルドのことは言えないくらいにひどい声だ。
「移動の魔法だったら、おまえと一緒に移動しちまうから、俺、いまごろ死んでるだろ? あれは、水の魔法の奥義っぽいやつの一つで、本当だったらあの中に、人を閉じ込めたりとか、できるんだけど、俺じゃ壁にするのが精一杯だわ……」
大の字になったヴォルドが切れ切れに言う。
「じゃあ、最初からああやって攻撃させるつもりで……?」
問いかけると、ヴォルドは少し笑ったようだった。
「すっきりしただろ?」
言われて気づく。ひどい疲労感のせいかもしれないが、ついさっきまで抱えていたもやもやした気持ちは、どこかへ行ってしまったようだった。
カツミやヴォルドが妬ましいというよりは、お嬢様に届かない自分が悔しかった。そんな自分にお構いなしに進んでいくお嬢様が恨めしかった。
長いこと私の中にわだかまっていたものは、結局、言葉にすれば笑ってしまうような、そんなちっぽけな気持ちだったということか。
それをヴォルドに見抜かれていて、こうやって解消させられてしまったのも悔しいような気がするが……結局、自分はまだまだ子供で、ヴォルドは大きな修羅場をくぐった大人だったということなのだろう。
それにしても、
「そのために、わざわざ? こんな大掛かりなことを?」
「そりゃ、一緒に酒でも飲んで、愚痴って楽になるような、素直なやつならそうしたけどよ?」
意味ありげな口調でヴォルドが言う。そう言われればその通りなのだが、悔しいのでそれには答えないことにした。
「下手したら死んでましたよ?」
「死なねえよ、俺って天才だし? まあ、誰かさんが暴れるから、三日貯めた魔力をすっからかんにして守る羽目になったけどな?」
そんなに前から準備していたのか。本当に……食えない男だ。
「おまえさ、ああやって、後先考えずに突っ込む戦い方のほうが向いてるよ。お嬢もそうだし親父っさんもじい様もそうだけど、おまえもやっぱりそういう性格してんだよ。背中は俺らに任しときゃいいからよ、それでやってみたらいいじゃん」
ヴォルドの言う親父っさんとじい様とは、伯父と祖父のことだ。その三人と並べられるような無茶な性格はしていないつもりだが……自分の中にそういう部分があるのなら、そういう生き方をしてみてもいいような気がした。
ごろりと仰向けになる。明かりがまぶしくて、右腕を持ち上げようとしてみるが、動かない。意識したら、だんだん痛み出した。腱が切れているようだ。
が、まあ構わない。このくらいなら、しばらくすれば治る。オーガの血を引いて生まれた特権だ。
そういう戦い方が私にはできる。
「それよりどうするんです、この部屋」
「あー、これは神殿に大目玉食らうだろうな……どうすっかな……」
「後先考えずに突っ込む役は果たしましたので、背中のことはお願いしますね」
「ちょ、おまえ、そういうのありかよ? ここは一緒に叱られるところだろ!?」
答えずに、動く左手を目の上に載せる。このままここで寝られそうなほど疲れた。
「お?」
ヴォルドが声をあげた。奥の扉に顔を向ける。
「あっちの用は済んだのかねえ?」
ヴォルドと同じものを、私の耳も捉えていた。体重の軽い足音。それがたどたどしい歩き方で近づいてくる。
いつもの歩き方とはずいぶん違う。それでも誰のものか、はっきりと分かる。
「何か無茶なことしたみたいですけど?」
「おまえだって他人のこと言えねえだろ?」
「その言葉はそっくりそのままお返ししたいですね」
軽口を叩き合いながら、私とヴォルドは、扉が開くのを待った。