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Make NewWorld /VR /Online;  作者: 山河有耶
4.ReturnWater
45/59

Catch[3]="ウォータの街の片隅で";

 その翌日。ようやく起きた俺は、マイケルの家の台所で遅い昼食の用意をしていた。


 連日神殿に通っているので普段ほど料理に時間を割けないはずなのだが、世話焼きのマイケルは居候を放っておけないのだろう、暖炉には茸と鶏っぽい肉のスープの鍋が掛かっていた。温めて食べることにしよう。


 台所の奥は昼間でも陽が届かないので薄暗い。灯りの代わりに《ライト》を唱え、ついでに貯蔵庫を覗く。棚の分かりやすいところに、平たいパン、バターとジャム、燻製、チーズ、野菜のピクルスなどが、いかにも食えといった感じに取り分けてあった。ありがたくいただくことにする。

 燻製を軽く炙り、温まったスープをよそうと、なかなか豪勢な食事になった。マイケルさまさまだ。


 さあ食べようと思ったところで、ぱたぱたと飛んできた影がある。ディーかと思ったが、妖精は《ライト》の光球を見上げると、怪訝そうに言った。


「……おぬし、魔法が使えるのか?」

「ああ、フェンか。おはよう。え、得意じゃないけど、普通には使えるけど?」

 フェンは知らなかったか? そんなはずないと思うんだが。いや、聞きたかったのはそういうことじゃないのか?

 まあいい。フェンがそれ以上聞かないのをいいことに、俺は朝食にとりかかった。


//--------


『やあ、そこのきみ! お困りのようだが、僕の手助けが必要かな?』

 大目玉に睨まれて指一本動かせず、絶体絶命の危機に陥った俺の上に声が降ってきた。声と同時に、俺を取り囲むように風が渦を巻く。渦はそのまま膨らんで、竜巻のようにむくむくと巻き上がった。

 俺に向かって伸びてきた触手は、竜巻に触れたとたん、切り裂かれて四散した。よどんだ紫色の体液が飛び散って、身動きできない俺に容赦なく降りかかる。


(うげえ……)


 内心で悲鳴をあげるが、どうしようもない。

 と、目の前に、ひらりと何かが飛び降りた。それと同時に、巨大な目玉がリンゴのように切られて落ちた。先ほどの比ではない気持ち悪い液が飛んできて、まともに食らった俺はよろけて尻餅をついた。


 ……って、あれ、動ける?


 垂れ落ちる紫色の液を拭いながら顔を上げる。飛び降りてきた影は、頭からかぶった白い布をばさっと払い、こちらを見た。右手に嵌まった銀色の篭手がきらりと光る。俺より大目玉に近かったはずなのに、この気持ち悪い体液をまったく浴びていないようで、装備にはしみひとつない。

 浅黒い肌に白い歯を光らせ、そいつは言った。

「やあ、お役に立てたようだね? いや、気にすることはない、民を救うのはぼくの仕事だ、きみだって同じことだよ、カツミ」


//--------


 思い出したら気持ち悪くなってきて、思わず顔を拭った。大目玉の体液はしばらくすると蒸発して後には残らなかったのだが、それまでが臭いうえにねばねばして最悪だったのだ。

 まあ、文句を言えた筋合いではない。あそこで助けてもらえなければ、俺は確実に死んでいたのだ。

「っていうかさ、俺も間抜けだったけど、あれで助けてもらえなかったら俺、絶対死んでたよね!?」

 恨みがましく呟くと、チーズに齧りついていたフェンが顔を上げて、小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「横槍が入ることも想定のうちじゃ、馬鹿者」

「え、嘘」

 驚く。

「なんであんなやつらが来るとか分かったのさ? あんなの、どう考えてもたまたま通りがかっただけじゃないの?」

 そう言うと、フェンは心底呆れたような目で俺を見た。

「阿呆。自分が“最強を退けた男”だという自覚もないのか」

「ええ?」

 フェンは大きな溜め息をつき、噛んで含めるような口調で言った。

「我が半身はな、剣を取ってこのかた、誰にも、毛筋ほども傷つけられたことはなかったのだ。それに傷を負わせ、双頭のひとつを失わしめたというのがどれほどのことか、おぬしは分かっておるのか。リゥ=バゥに傷をつけた者の動向を、世界中が見守っておるのだ」

「えええええ!?!?」

 予想外の言葉に動揺する。

「割って入ったのは三人組であったろ? ヒトと、トリと、犬といったところか」

「何で分かるの? ていうか見てたんだろ!?」

「見んでも分かる」

「ええええええええええ!?」


//--------


 切り捨てられた大目玉は紫色の液の中に沈んでいた。さっきと似たような光景だ。大丈夫だろうか。

「何も心配することはないよ。核を潰したから、もう再生などしないさ」

 さわやかな声で男は言い、俺に片手を差し伸べた。


 砂漠の民族衣装のように白い布を頭からかぶり、それを額の輪で留めている。

 白い布の服の上に簡単な革の鎧。

 ズボンは膝丈で、足元は紐をぐるぐる巻き付けて履くサンダルだ。


「遠慮しなくてもいいよ、僕は誰にだって手を貸すんだから」

 男が言う。

 遠慮していたわけではなく、状況についていけていないだけなのだが、反論はせず、おとなしく助け起こしてもらった。

 細いが、えらく筋肉質な腕だ。腕だけではなく、むき出しの臑も、決して太くはないが引き締まっている。無駄のない、鍛え上げられた身体だ。

 改めて見ると、男はなかなかの男前だった。肩のあたりまで伸びた、癖のあるつややかな黒髪が、浅黒い肌を縁取っている。彫りの深い、はっきりした顔立ち、きらきら光る漆黒の瞳。年は二十代の半ばぐらいだろうか。


「僕に見とれているのかい? 良ければいくらでも見てくれたまえ。僕という存在は大地に生み出された奇跡のようなものだからね、見とれるのも無理はないさ」

 そう言うと男は顔にかかる髪を払いのけ、またさわやかに笑った。

 俺は唖然とした。


(いや、確かに男前だと思って見てはいたが、自分でそこまで言うか?)


「何バカなこと言ってんのよ。あんたがあんまりバカなこと言ってるから、その子可哀想に、呆れてものも言えないでいるじゃない」

 背後から女の子の高い声がして、ぎょっとして振り向いた俺は、振り向いてさらに驚いた。

 岩の壁が張り出して庇のようになったところに、女の子がぶら下がっている。


 ふんわりした黒い髪は、起き上がっていれば顎のあたりくらいの長さだろうか。

 ぴったりしたラインの黒い上着。

 黒いスカートは、逆さになっているのに、なぜか脚をきっちり覆っている。

 太ももから下は黒いブーツ。その先が爪のようになっていて、それで岩を摑んでいるらしい。


「僕のこの顔! この体! 声といい身のこなしといい、圧倒されるのも無理はない! だけど、引け目に思うことはないのだよ、ただ僕がすばらしすぎるだけなのだから……」

 思わず視線を戻したが、男はまったく気にしている様子ではなかった。情感たっぷりに両手を広げ、何かに酔っている。ミュージカルにでも出てくるような、きざで派手な仕草だ。

 俺は今度こそ呆れて何も言えなくなった。いや、確かに、甘いマスクのいい男だと思うし、いい体をしているが、

「そぉんなこと、自分で言われても困るわよねーえ?」

「のぉおおぅああああ!?」

 耳に息のかかるような距離からささやかれて、俺は仰天して飛び退いた。いつの間にか、背後に人が立っていたのだ。


 ……いや、人ではない。

 ぴんと立った耳に金色の瞳。

 大きく裂けた口。

 全身を覆う蒼灰色の毛皮。

 この世界で見るのは初めてだが、俺は知っている。これは狼、人狼(デモン)族だ。


 狼は太い爪のついた毛だらけの指を口に当て、低い声で心外そうに言った。


「あーら、そんなに驚かなくてもいいじゃなぁい?」

 いや、これが驚かずにいられようか。

 俺が背後を振り向き、視線を戻したほんの少しの間に、触れるか触れないかの距離まで近寄られていたのだ。しかも、こんなに大きな狼に。


 ていうか、何なんだこの口調は。

 俺がイベントで見たデモン族は厳格で高潔な種族とされていて、威厳たっぷりの堂々とした喋り方をしていたのだが。この狼も低くてよく響く立派な声をしているのだが、それだけにこんなくねくねした喋り方をされると力が抜ける。

「あーら、あなたよく見たらいい男ね? まだまだ可愛いらしい坊やだけど、そのうち素敵な大人の男になるわ、きっと。でも、ぽかんと開いたそのお口は、閉じておいたほうがよくってよ?」

 狼の指が唇に伸びてきて、俺は慌てて口を閉じながら後ずさった。


「おや、彼女たちがすっかりきみを驚かせてしまったようだね? まあ、今日はご挨拶と言ったところで、このくらいにしておこう。では、また会うまで壮健なれ、カツミ。大地の祝福は我らと共に!」

 そう言うと、男は一瞬身構え、跳躍した。岩壁の上に姿が消える。

「ちょっと待ちなさいよ、もう!」

 声とともにつむじ風が巻き起こり、振り向くと逆さ少女はもういなかった。

「やだわぁ、若い子たちはせっかちね。あたしも行くわ、カツミちゃん、じゃあねぇ」

 低い声だけを残して、狼も姿を消した。誰もいなくなった岩山の隙間に、茫然と立ちすくむ俺と大目玉の残骸だけが取り残されていた。


//--------


「ヒトは、グランデの第一王子じゃな」

 こともなげにフェンが言った。俺は仰天した。

「グランデって、ウォータともう一つの人間の国だろ? その国の、第一王子!?」

「そうじゃ。銀の篭手をしておっただろう? あれはグランデの王家に代々伝わる秘蔵の品じゃ。グランデの第一王子は十年ほど前に出奔して、以来行方が知れんと言われておる。おそらく篭手もそのときに持ち出したのであろ」

 なんと。ミュージカルに出てくる王子様みたいだとは思っていたのだが、まさか本当に王子だとは思わなかった。

「トリは風神の巫女じゃな。鳥というより蝙蝠じゃから、周りからの当たりも強いようだが、風の力では一族の中でも及ぶものはおらん。歴代の風の巫女の中でも屈指の傑物じゃ」

 なるほど、蝙蝠だからあんな風にぶら下がっていたのか。ただの気の強そうな女の子にしか見えなかったのに、そんなにすごい能力の持ち主だったとは驚きだ。スカートがめくれなかったのも風の力なんだろうか。

「犬はデモン族の伯爵じゃな。第三位、ウァサゴじゃろう。諜報を主にしておるはずじゃ。あんな形じゃがなかなか腕は立つし、逃げ足は相当のものじゃな。一度我らと出会うたことがあるが、戦いになる前に逃げ切りおった」

 リゥ将軍と出会って、戦いになる前に逃げ切ったとは驚きだ。フェンがこういう言い方をするってことはそれなりに接近したんだろうし、本気を出していなかったとしても、「運が良ければ逃げられる」なんて言われるリゥ=バゥが相手だ。ちょっとやそっとの逃げ足じゃないだろう。

 

「なんでそんな大物ばっかり集まってたんだろうな?」

 素直に思ったことを口にしたら、

「馬鹿者」

 怒られた。

「帝国は着々と力を増しておる。これに対抗するためにはどうすれば良いか。余程の阿呆でもなければ、残る勢力が手を結ぶしかないと考えるであろ」

 蔑む目で言われた。悪かったな、余程の阿呆で。

「ああ、それで、人狼族(デモン)と、鳥人族(ハーピー)と、土の民(グランデ)か。あれ、魚人族(マーマン)はどうしてるのかな……で、なんでそれで俺のところに来たんだろう」

 尋ねると、フェンは心底あきれ果てたという顔で俺を見た。

「トリと犬と、土のヒトが連れ立って、水の国まで来た。この国で最も強いものといえば」

「ルサ=ルカ?」

 ウォータで最も強いといえば彼女に決まっているだろうと思ったのだが、フェンはちらりと俺を見、深い溜め息をついて、そのまま言葉を続けた。

「……………あの《最強》に傷をつけた男、カツミに決まっておるだろうが」

「ええええええええええええええええ!?!?!?」


 驚いた俺はしばらくの間、酸欠の金魚のように口をぱくぱくさせていた。

「え、そんな、だってなんで俺が」

「じゃから、先ほども言ったであろう。我らに傷を負わせたというのがどれほどのことか、おぬし自覚しておらんのか。わしが情けないわ」

 ……そういえば、俺はリゥ将軍に傷をつけたというか、フェンを殺したんだよな。首を引っこ抜いて喰ったのはリゥ将軍だけど、その前に脳髄を貫いたのは俺だ。フェンの言いたかったのだろうこととは別の方向で、ちょっと居心地が悪くなる。

「え、でもだって、俺はたまたま倒し方を知ってただけだし、それだってよくやれたなってくらいギリギリだったし、それ以外の戦闘なんかこないだから変な罠に引っかかりっぱなしだし、剣の腕ではルサ=ルカに全然敵わないし、ルサ=ルカ将軍はノリは変だけどたぶん頭もいいし、ウォータで一番強いのってどう考えてもルサ=ルカだろ!?」

 慌てて弁明するが、フェンは鼻で嗤った。

「わしもそう思うが、おぬしが普段どれほど迂闊で考えなしで間が抜けているかなど、いちいち噂で流れてくるわけがなかろう」

 ……何もそこまで言わなくてもいいじゃないか。


「《最強を退けた男》、カツミの動向を見守るものは少なくない。窮地に陥れば、恩を売るのも兼ねて誰かが接触してくる。となると、出てくるのはあの三人しかなかろう」

 ……そういうことだったのか。フェンの読みの深さに改めて驚く。この口ぶりだと、ほかにどんな奴らが俺を見張っているのかあらかた分かっていそうな気がしたが、怖いので詳しくは聞かないことにした。素直に教えてくれるとも思えないし。

 ……しかし、ということは、フェンは俺が大目玉の罠に引っかかることもお見通しだったというわけか。無性に悔しくなる。いや、まあ、実際に見事に引っかかったわけで、見くびられていたわけでも何でもない、そのものずばりの正しい評価だったわけだが、もうちょっと期待してくれたっていいじゃないか。くそ、次回こそはフェンの予想を裏切るような結果を出してみせるからな。


 俺がパンを握りしめながら密かに決意を固めていると、入り口のほうからどたんばたんと派手な音がした。フェンはちらりとこちらを見ると俺の懐に飛び込み、俺はフェンの使っていた皿を自分の方に引き寄せた。

「た……っ、大変だ!」

 マイケルだ。えらく慌ててどうしたんだろう。

 転げるように台所に入ってきたマイケルは、よろけながら椅子に倒れ込み、俺を見上げた。

「おかえりマイケル。どうしたの? ああ、ごはん貰ってるよ。おいしかったよ、ありがとう」

「……っれどこ……じゃね……んだ!」

 息も絶え絶えで何を言っているのか分からない。水瓶から水を汲んで手渡すと、一気に飲み干したマイケルはジョッキを置いて叫んだ。

「サヤが……〈水の巫女〉を継ぐらしい!!」


「へえ……そうなんだ。凄いな。おめでとう」

 俺が答えると、マイケルは凄い顔になってきっと俺を睨んだ。

「馬鹿野郎……カツミ、おまえ〈水の巫女〉になるってのはどういうことか、分かってんのか!?」

「え、〈水の巫女〉だろ? 神殿のいちばん偉い人だろ? その仕事を継ぐってことじゃないの?」

 実際にサヤの中に〈水神(みずかみ)〉がいるわけだし、おかしなことじゃない気がするんだが……と思いながら問い返すと、マイケルは気を落ち着けようとするように大きく息を吐いた。

「……そうか、カツミはウォータの人間じゃないから知らないんだな。〈水の巫女〉ってのはな、水に囲まれた小さい部屋に住んでて、一生そこから出てこないものなんだ。親兄弟とも友達とも離れて、神殿の神官の、それもお偉いさんの何人かとしか会わなくて、何か大きなことがあったときにウォータ軍の将軍がお目通り願えるくらいの高貴なお方なんだ。それをサヤが継ぐってーと、……どういうことになるか、分かるな?」

「えっ……サヤはもう一生神殿から出てこられない……ってことなの!?」

 動揺して叫ぶと、マイケルは苦渋に満ちた顔で頷いた。


「俺だってウォータの人間だ、〈水神〉様がサヤを巫女にってお望みになるなら、それを断ったりなんかできねえ。できねえけどよ……もう一生サヤに会えないなんてよぉ……それも、遠くで幸せに暮らしてるならともかく、ろくに人とも会えねえ寂しいとこで一生過ごすなんて、そんなのあんまり可哀想じゃねえか……俺の妹にそんな思いさせたかねえよ……でも〈水神〉様のよぉ……」


 〈水神〉か。

 俺は以前対峙した『彼女』を思い出す。

 ……そうか、あれはウォータの民だったらものすごく有り難い体験だったんだろうな。

 俺はなんだか、ぎりぎり拘束されて怒られた印象しかない。


 ……そういえば〈水神〉は、「今のウォータを治めているのは〈水の巫女〉の代理の者」と言っていた。「私利私欲でその地位にいるわけではなく、最も敬虔な信徒だ」とも。だから〈水の巫女〉は、真の〈水の巫女〉であるサヤに、その地位を譲りたいんだろう。それで、水に囲まれた部屋に閉じこもって、親しい人間にも会えないことになるっていうのはどうかと思うけど。


……うん、そうだ。水に囲まれた小さい部屋に住んで、一生そこから出てこないって、ほとんど牢屋に入れられてるのと変わらないじゃないか。それはあんまりサヤが可哀想だ。


 俺は〈水神〉になったサヤの表情を思い出す。あのときの〈水神〉は、ほとんどサヤの保護者みたいな雰囲気だった。神殿に閉じ込められて一生を過ごすなんて、そんなのサヤの望んでることじゃないって伝えれば、〈水神〉も諦めてくれるんじゃないだろうか? 直談判するにはちょっと……かなり怖い相手だが。

 ……あれ、サヤを〈水の巫女〉にって望んでいるのは〈水神〉なのか、それとも先代の〈水の巫女〉なのか? どうも話が微妙に分からない。そうだ、それに肝心のサヤ本人はどうなんだ? サヤが水神の神殿で一生を過ごしたいって思ってるなんてそんなことは……ないと思うんだが。


 とにかく、サヤに会わなければ。会って、サヤと〈水神〉の考えを確かめなくてはいけない。


「マイケル、いまサヤに会うって……」

「うぃーす」

 言いかけたところで、暢気な声と共に扉が開いた。


「いやーもう、いくらお嬢のお供とはいえ、毎日毎日神殿通いで嫌になっちまうぜ。せめてうまいものが食いてえなってことでヴォルドさんがやってきましたよー。おお、うまそうなのが並んでんじゃねぇか、相変わらずおまえはまめだなぁ。料理の腕くらい剣も使えれば言うことねぇんだがな」

 喋りながらヴォルドはどしんと椅子に腰を下ろし、テーブルの上のパンに手を伸ばすと、ハムをのせてむしゃむしゃ食べ始めた。ルサ=ルカもヴォルドもずっと神殿に通っているのか。俺の知り合いばっかりいそうな雰囲気だな。


「副長、勘弁してくださいよ、いや確かに副長に比べたら足元にも及びませんけど……あ、スープもありますけど食べます? パンのおかわりもありますよ」

 言いながらマイケルはお椀にスープをよそい、パンを盛った籠を出してきた。


 (生き生きしてるなぁ。やっぱり人の世話を焼くのが好きなんだな)


「この飯くらい剣が使えたら、俺はおまえに後を任せて楽隠居できるんだがなー。あー生き返るわ、やっぱり俺ああいう辛気くさいところ無理だわ」

 スープのお椀を空にしながらヴォルドが言う。聞く限り神殿はなかなか面倒くさそうなところだし、磊落(らいらく)な性格のヴォルドには余計に合わないのだろう。


 ……そこまで考えて、当面の問題を思い出す。


「マイケル、今サヤに会うことって……」

 言いかけると、ヴォルドの後ろに立っていたマイケルははっと俺のほうを見、両手で口を塞いでぶんぶんとかぶりを振り、ヴォルドを指差し背後の壁を振り向いてまた指差し、わたわたと手を振り回した。

「……?」

 よく分からないが、喋らせたくないらしいことは察せられたので黙る。


「ああああ副長、俺の果実酒でも飲みませんか、疲れが取れるって前に言ってましたよね、かかかカツミ、ちょっと手伝ってくれねえか」

 あからさまに不審な態度のマイケルは、貯蔵庫に俺を連れ込むと押し殺した声で言った。

「今な、サヤが〈水の巫女〉になるかもってことで、警護がついててな、その役目に当たってるのがうちの部隊なんだよ。俺は一応身内ってことで顔を合わせることはできるけど、それでも勝手に会いに行くのは無理で必ず許可を取らないと駄目だし、連れ出したりするのは絶対無理だ、将軍に阻止されちまう」

 なるほど。サヤ、ルサ=ルカ、ヴォルドと、知り合いが神殿集まっているのはそういうわけか。

「でも、このままだとサヤは〈水の巫女〉にされちゃうんだろ!?」

「だからなんとかサヤを連れ出したいんだけどよ……」

 ただ連れ出すだけでも無理難題なのに、よりによって警護に当たっているのが身内だというのが最大の難関らしい。上司の顔を潰すことになるわけだから、確かに困る。事が〈水の巫女〉では、なあなあで済ませてもらえなさそうだし。


 二人で考え込んでいると、台所から暢気な声がした。


「うぉーい、マイケル、このパンうめえな、チーズかなんか載せて食いてえんだけどよぉ」

 マイケルは目に見えるくらいびくんとして裏返った声を出した。

「はっ、はいっ、副長、ただいまっ」

 ……いやしかし、どうしたものだろう。なんとか事を荒立てずにサヤを連れ出せたらいいのだが。一回家に帰らせてもらえたりとか……しないんだろうな。

 俺が悩んでいると、チーズを載せたパンと果実酒を代わる代わる口に運びながら、ヴォルドが暢気な口調で言った。

「そういえば、サヤちゃんはそろそろ移動するってお嬢が言ってたなあ」

 俺とマイケルは揃って身を強張らせた。

「明日から〈水神の間〉に入るんだったかなぁ……あそこに入っちまったら、警護は神殿騎士団がやるから、俺らはお役御免だな。なんたって部屋自体がややこしいとこにあるから、まあ普通に侵入されることもねえしなあ」

 ちょっと待て。その〈水神の間〉っていうのは、マイケルが言っていた『水で囲まれた小さな部屋』なのか? だったら、サヤが〈水の巫女〉になるっていうのはもう決定事項なのか!?


「誰かが忍び込んで悪さするとしたら今晩限りだろうから、そこだけ気をつけときゃいいんだよなぁ。まあ、とは言っても、こんな土壇場で何も起こんねえだろうって、みんなもう気が緩んじゃってるんだけどさぁ」

 そう言うとヴォルドは果実酒を飲み干し、にやりと笑った。

「サヤちゃんと何か個人的に話したいって思ってるやつがいるなら、今晩が最後のチャンスだろうなぁ?」

 俺とマイケルは顔を見合わせた。


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