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Make NewWorld /VR /Online;  作者: 山河有耶
4.ReturnWater
44/59

Catch[2]="一つ目の岩山で";

 目を開けると、見慣れた景色。マイケルの家の、俺が仮住まいしている部屋だ。


「つ、疲れた……」

 ぼやきながら体を起こす。まったく、昼間も稽古、夢の中でも訓練なんて、ひどいスパルタ教育だ。


「にしてもなー……」

 最後のあれは何だったんだ。〈魔女〉はまだ死んでいなかったのか? とどめを刺したと思ったのに。

 フェンに文句を言おうと思いながらベッドから下りると、布団の足元からころんと転がり落ちたものがある。


「ふぁ……、ご主人様ぁ、おはようございまふ……」

 ディーだ。俺の足元で熟睡していたらしい。よほど眠いのか、寝ぼけ声でそう言いながら、また寝入ろうとしている。どうやらフェンは出てくる気がないようだ。


「逃げたな……」

 フェンが逃げるなんて可愛い性格をしていないことは分かっているが、そんな気分にはなる。とりあえず、言いたいことはフェンが現れるまで溜めておくしかないらしい。


//--------


「ああ、ちょうど良かった、起こそうかどうしようかと思ってたんだ」

 食堂兼台所に入ると、外出の支度をしたマイケルが声をかけてきた。


「おはようマイケル。……どうしたの?」

 尋ねたのは、マイケルの格好がいつもより改まって見えたからだ。着飾っているわけではないが、普段の服装とは違う。


「いや、実はな、サヤが神殿に呼ばれてよ。で、俺はその付き添いってわけだ」

 自分の格好を見下ろしながらマイケルが言う。


「〈水の巫女〉様が、サヤといろいろ話すことがあるらしくてな。サヤはしばらく神殿に籠りっきりだし、俺も神殿と家とを行ったり来たりになりそうなのよ」

 なるほど。ウォータ市民としては、神殿で〈水の巫女〉に会うとなると、それなりの格好をしないといけないのだろうか。いや、マイケルはウォータ軍の人間だから、その関係かもしれない。

マイケルは少し申し訳なさそうな顔になって言った。

「そういうわけで、サヤは当分帰ってこられないし、俺も家にいたりいなかったりなんで、適当にやっててもらっていいか? 飯とか面倒見られなくて申し訳ねえんだが」

「あー、いいよいいよ。気にしないで」

 軽く手を振って答える。俺は居候なのだ。家にいさせてもらえるだけで有難いのに、謝ってもらうようなことじゃない。


「簡単なものしかねえけど、今日の朝飯は用意してあっからな。お、パンあっためるか?  ハムもあるぞ、あと野菜の煮込みな、これだけしかねえけどな」

 せわしなく動きまわりながら、朝食を出してくれる。まるで母親だ。いや、うちの母さんはこんなことはしてくれないが。


「貯蔵庫の手前の棚のやつは何でも食っていいからな、パンとか干し肉とか燻製(くんせい)とかな、ピクルスもうまいぞ、あとジャムな、俺ジャム作るの得意なんだよ、バターもあるけどな」

「あー、ありがと、今食べるのはこれだけで十分だよ。それよりマイケル、出かけなくていいの?」

「おう、すぐ出てくから大丈夫。あ、でな、もし暇があったらスカンタの様子見てやってくれな。餌はやってるんだけど、俺じゃ駄目なのかして、食ってねえみたいでよ。元気そうにはしてんだけどな、何なら散歩でも連れてってやってくれ。あ、そうだ、干した芋もあるぞ、これうまいんだ」

「あ、ありがとうマイケル、嬉しいけど今そんなに一度に食べきれないし」

「そうかそうか、じゃあ後で食えな、悪いなほんとに何もしてやれなくて」

「いや、俺のことなら一人でも大丈夫だし、何なら外で飯くらい食えるよ」

「お、そうか? すまないけどよろしく頼むな」

 そう言って出て行きかけてまた戻ってくると、

「そうだ、貯蔵庫の壷に俺の焼いた生姜クッキーもあるぞ、あと果実酒も」

「いいから早く行けって!」


//--------


 朝食を終えて部屋に向かう。

 一人で過ごすのはいいのだが、とくにやることがないのが問題だ。街に出て騒ぎになるのはごめんだし、さてどうしたものか。

 そう思いながら扉を開けると、窓枠にディーが立っていた。外を眺めているようだ。


「ディー、起きたのか。朝飯あるけど食べるか?」

 声をかけると、ゆっくりこちらを振り向いて答えた。

「うむ、食う」

(げっ……!)

 さっきまでディーだったのに、いつの間に入れ替わったのか。そこにいたのはディーではなくフェンだった。

 そもそもフェンが食事をするイメージすらなかったのだが、本人が食べるというのだから食べるのだろう。パンや干し肉、果物などを適当に皿に載せて部屋に運ぶ。マイケルがいきなり戻ってくることはないだろうが、まあ念のためだ。



「……さっきの〈魔女〉、最後のあれって何だったんだ? 反則じゃね?」

 話しかけると、フェンは顔を上げて冷たい眼でこちらを見た。

「あの最後は自業自得じゃ、あれぐらい、あの広間に入ったところで見抜けて当然であろ」

「そんなこと言ったって……」

 見抜けなくてやられた人間に向かって「当然」と言われても困る。


 干し肉を器用に裂きながらフェンが言う。


「洞窟にいた魚人(マーマン)の動きが単調だったことぐらいは気づいておったであろう?」

「ああ。……動きは早かったけど、操られてるっぽいなーとは思ってた」

「分かっていながらあのような隙を見せるな、馬鹿者」

 一刀両断だ。


「おおかたあの人魚が本体だと考えて油断したのだろうが、それが甘いというのだ。おまえは気づいておらんかったようだが、あの人魚は終始卵を守っておった。それを見抜くことができたなら、あんな無様なやられ方はせんかったはずじゃ」

「えー、だってあの人魚は他のマーマンと違って機械的な動きじゃなかったし、あんなボスっぽい部屋にいるし、あれが最後の敵で本体だって思うじゃないか……」

 ぶつぶつ言っていると、パンを両手で抱えたフェンは鼻で嗤った。

「確かにあの人魚は複雑な動きをしておったな。しかしあやつが卵の側を一度でも離れたか? 注意深く観察しておれば、人魚が卵を庇うように動いていたことが見て取れたはずじゃ。あの人魚は卵が自らを守るために側に置いたもの、多様な動きはできたが、遠く離れたらそうはいかなかったじゃろうな」

「あー、なるほど……」

 言われてみれば確かにそうだった気がする。


「でも、初見でそんなの普通分からないって……」

 ぶつぶつ呟いていると、フェンは冷たい眼で俺を一瞥した。

「分からんでも構わんぞ。我が半身はそのような搦め手は使わん。必要ないからのう。だが、そんなことではおぬし、我が半身に再び見える前に死ぬぞ?」

 言葉に詰まる。確かに、フェンの作った架空世界だったからこうやって叱られているが、あれが現実だったら俺はあそこで死んでいたのだ。


「良いか。すべての事象には理由がある。常に”なぜ”と考えろ。何らかの意図によるものかもしれぬ、ただの偶然かもしれぬ、だが読み解く手がかりは必ずある。事象を読み取り、理由を読み解く癖を身につけよ。少なくとも、何も考えずに敵に背を晒すような真似をするな」

 そう言うと、フェンは小さな顎に手を当てた。


「……ふむ。そうじゃな、今度は実戦をやるか。おぬしはどうも訓練、おまえのいう”シミュレータ”だと死に物狂いになれんようだからな」

 俺に拒否権は……あるわけないか。

 溜息をついた俺にフェンが言う。

「まぁ、どれにするかは選ばせてやろう」

 可愛らしい顔に、ますます嫌らしい笑みが浮かぶ。


「”一つ目”と”オオトカゲ”。どっちが良い?」


//--------


 ウォータから北東へ。岩石地帯。スカンタで半日ほど飛んだところに、フェンの言う場所はあった。

 ここに、”一つ目”、と呼ばれるオーガの亜種が棲んでいる。切り立った岩山を石斧で削り、その穴を住居として暮らしているのだそうだ。

 オーガは確かに他の種族にくらべて文明的ではないが、普通はここまで原始的でもない。この種族は戦闘に特化し過ぎた奇形なので、こんなことになっているらしい。

 異端を尊ぶオーガ族だが、さすがにここまでになると他のオーガ族と共同生活ができないほどとなり、この地に半ば追放されて今に至るのだそうだ。


 フェンとの会話を思い出す。


「なぜ”一つ目”を選んだ?」

「んー。どうせお前のことだから“オオトカゲ”はドラゴンなんだろ? “一つ目”は単眼の巨人(サイクロプス)だろうから、まぁドラゴンよりは戦いやすいかな、って」

「ひゃひゃひゃ。……まぁ外れてはおらんな」

 ドラゴンを選ばなかったことについて文句を言われるだろうと身構えていたのだが、予想に反してフェンは嫌らしい笑い声をあげた。

「では、これから言う場所で、おぬしの言うところのサイクロプスを一体倒して帰って来い。倒すまでは帰らんでも良いぞ。ほれ、ここの家主も出かけておるのだ、丁度良かろう」

 そう言われて、追い立てられるようにここに来てしまった、というわけだ。


「一匹狩ればいいんだよなー?」

 俺はサイクロプスと戦ったことはない。ゲーム内で名前を聞いた事があるくらいだ。なのでどんなモンスターなのかよく分からないのだが、単眼の巨人というくらいだし、オーガの亜種だし、小さくはないだろう。というか、フェンから与えられた情報だけで考えると、オーガ以上の筋肉バカという雰囲気だ。集団を相手したくはない。うまいこと単独行動しているところを捕まえたい。

 スカンタに騎乗したまま、空から集落の様子を探ろうとしてみたのだが、岩山の隙間の穴が住処とあって、上空からではほとんど何も分からない。何か大きな生き物が行き来しているのがわずかに見えるくらいだ。仕方ないので、集落の近くに降りて偵察することにした。


 集落のある岩山からやや離れた森の端に下りた。スカンタから下りて、背から荷物を取る。

 スカンタはマイケルにはさっぱり懐かないのだが、俺の言うことはそこそこ聞いてくれていて、移動するのに不自由はないし、相当離れていても呼べば来てくれるのだった。もっとも、サヤといるときのような甘えた様子は見せない。

「んじゃスカンタ、俺はあいつらを偵察してくるから、そのへんで好きにしててくれな」

 ぽんぽんと背を叩いて、スカンタを放す。スカンタは俺を一瞥すると、茂みの中に顔を突っ込んでふんふんと嗅ぎ回っていたが、そのうち飽きたのか、ふわりと飛び立った。さすがにこの大きさだとサイクロプスに見つかるだろうと心配していたので、遊びに行ってくれるほうがいい。


 無駄だろうなと思いながら、念のため隠遁術(ハイディング)を使う。これは姿を消す技だが、ある程度以上強い敵だと見破られてしまう。俺は隠遁術はそんなに得意でないので、本当に気休め程度だが、まあ、やらないよりましだろう。


 足音をひそめてしばらく進んだところで、サイクロプスを見つけた。その数、五体。


 身の丈四メートルほどもあるだろうか。とにかくでかい。普通のオーガの一.五倍くらいある。横幅も相応にでかい。

 肌は青っぽい。獣の皮をまとい、腰のところで紐で括っている。片方の肩と胸はむき出しだ。筋肉ムキムキだが、オーガは基本的に女系一族。シルエットからしても、こいつらは全員女なんだろう。……全然、嬉しくないが。


 ”一つ目”とフェンは言ったが、顔の真ん中よりやや右に大きな目が一つ、左側には、もともと目があったのだろうと思われる痕がある。片目が異様に大きく、もう片目が退化してしまっている感じだ。

 あれだけ特徴的な目があるということは、何らかの能力があるのだろう。麻痺とか石化だと厄介だ。あるいは目からビームが出るとか。

 一匹狩ればいいということだし、この図体を一度に五匹も相手したくはない。どんな動きをするのかも分からないし、そのうち分かれてくれないか期待しながら見守ることにした。


「おっきいですね……!」

 いつのまにやら右肩に這い出たディーが、声をあげた。偵察中なのは理解しているようで声はひそめているが、興奮ぎみだ。

「あんなにおっきいとお腹がすくでしょうね! あのおねーさんたちは何を食べるんでしょうね?」

 なんで食べ物が気になるんだ。おまえ腹減ってるのか。とりあえずサイクロプスをおねーさんと呼ぶのはやめろ。

 そう思いながらサイクロプスの様子を伺い続けていると、一匹がいきなり岩を殴りつけた。

 砂煙が上がる。

 鈍重な動きだが、威力はありそうだ。


 岩を殴ったサイクロプスは何かをつまみ上げ、口に運んだ。食べているようだ。

「おっきいおねーさんはサソリを食べるんですね……ディーはサソリはちょっと苦手なのです……」

 怖々とディーが呟く。

「あれ、サソリなのか?」

「サソリだと思うのです。サソリの匂いがしますぅ……」

 この距離で匂いが分かるのか。食べ物のことだからか?

 一方、別のサイクロプスは地面に胡座をかいて、その姿勢のまま岩の裂け目に手を突っ込み、何かをつかみ出してかぶりついていた。

「あっちのおねーさんはトカゲを食べてます……ディー、あのトカゲもちょっと苦手なのです……」

 あのトカゲ? あれじゃなければ食うのか?


 しばらく様子を伺っていたが、サイクロプスたちはそのあたりをしばらくうろつき、トカゲやサソリなどをつまみ食いして、また集落に戻っていった。

 そのあとも何匹かサイクロプスが現れたが、三匹だったり四匹だったりで、単独行動をしている奴がいない。そのうちに日が傾きだしたので、今日の偵察はこれまでにして、森の端まで戻って野営することにした。


 翌朝は、夜が明けるか明けないかのうちにディーに起こされた。危険が迫っていたとかいうわけではない。腹が減ったらしい。

 すっかりピクニック気分のディーに釣られ、川べりに下りて火をおこし、マイケルのパンやら燻製やらを炙って食べた。ちなみに、火打石を忘れてきたので、ショートソードの技、《ファイアブレード》で火をつけるという荒技を使った。《ファイアボール》でも良さそうなものだが、あれは炎の魔法だが実際に火が出るわけではないので、着火には使えない。サヤがこの間ウッディーを燃やしていたが、《ファイアボール》でなぜ燃えたのか、考えてみると不思議だ。スキルのほうは実際に火が出るので、火種として使える。SEはなくなったが、食事はおいしかった。


 朝食を終えて気分が良くなったところで、偵察を再開した。昨日とは違う岩場に潜んでサイクロプスの様子を窺う。まだ日が昇ったばかりの時間でも、サイクロプスが何匹か連れ立って歩いているのが見える。


「なーんか、あんまり強そうな感じもしないんだけどなー……」

 あくびをかみ殺しながら呟く。

 柄は大きいし力も強いのだが、見ている限り、奴らの動きは鈍重で、どんな攻撃でも避けられそうな気がする。だいたい、サイクロプスのすることといえば、何匹かでだらだら歩くこととサソリやトカゲやネズミを食らうことだけで、『戦闘に特化しすぎた一族』というほど強そうな感じもしない。

「フェンの試練だから何かあるんだろうけどなあ……」

 いや、もしかして、サイクロプスを選ぶかドラゴンを選ぶかが試練のポイントだったとか? そうだったら非常に有り難いのだが。

 とはいえ、単独行動をしてくれないのは困る。場所が悪いのかと思い、観察する位置を変えてみたが、やはり二匹以上の群れしか見ない。

 これはもう仕方ないかと思い、次に二匹の群れを見つけたらそいつらを攻撃しよう、と心に決めたところで、岩の陰からひときわ大きなサイクロプスが一匹で出てきた。

 

 踏みだそうとして、一瞬ためらう。待ちに待った絶好のチャンスだが、ただでさえ巨大なサイクロプスなのに、こいつは群を抜いて大きい。二匹でも小柄な奴を狙ったほうがいいかもしれない。

(だが、そんなに都合良く小柄な二匹グループが出てくるか? それにこいつらは動きが遅い、一匹なら背後を取られる心配もない、アルミュスを手に入れて武器も強くなっている、大きくても十分行ける! ……はずだ)

 様々な考えが脳内を駆け巡り、結局、俺は自分にゴーサインを出した。


 残り時間はまだあるはずだが、念のためもう一度隠遁術(ハイディング)を使った。距離を置いてサイクロプスの後をついていく。集落にあまり近いところだと他の群れと出くわすかもしれないし、助けを呼ばれても面倒だ。

 筋肉の盛り上がった背中を見ながら、どう攻略するか考える。本当はフェンに攻撃方法を教えてもらいたかったのだが、それでは試練にならん、と蔑む目で却下された。

 ゲームなら「一度食らってみる」というのがいちばん手っ取り早いのだが、今回はシミュレーションではないので、そういうわけにもいかない。

 サイクロプスは、時折サソリをつまみ上げたりしながら、のんびりと歩いていく。岩の道はだんだん狭く、入り組んだものになってきた。ちゃんと戻れるかな、と、ちらりと思う。


 と、いきなりサイクロプスが走り出した。重低音と共に砂煙が立つ。この騒々しさだ、見失いはしないだろうが、あんまり離されたくない。あわてて追いかける。

 サイクロプスは、岩と岩の間に駆け込んでいった。

 細い路地のようになったその隙間に足を踏み入れたとたん……


 紫色の光が俺を射た。

(な、何だ!?)


 とっさに身をかわそうとしたが、体が動かない。

 ……いや、動かないわけではない。空気が粘度を増したかのように重くまとわりついて、水のなかにいるような緩慢な動きしかできない。


 傍から見たら何かの冗談だろう、というくらいゆっくりと振り仰ぐ。その先に、大きな目を紫に光らせたさっきのサイクロプスがいた。


「これは……鈍重化(スロウ)か!」

 スロウ。回避が特技の俺には、麻痺と並んで最悪の状態異常だ。現象自体は麻痺よりもましだが、一瞬で効果の切れる麻痺と違って、鈍重化は効果時間が長い。おそらく戦闘が終わるまでこの効果は切れないだろう。


 岩の間の狭い小径。前後には動けるが、左右の幅はちょうどサイクロプスが通り抜けられるくらい、身を隠せるような場所はない。飛び込んだら、視線から逃れることは不可能だ。


 サイクロプスはにやりと笑う。偶然ではない、サイクロプスはわざと隙を見せて俺をおびき寄せ、俺はそれにまんまと引っかかったのだ。ハイディングは完全に無駄だったらしい。


「くそっ……」

(追放されるくらい野蛮な奴らでも、待ち伏せなんて知恵は回るのかよ!)

 毒づこうとしたが、口もうまく回らない。なんてことだ。自分の迂闊さが身にしみるが、後悔している暇などない。


 後ろへ跳ぶ。が、ろくに跳び上がれず、おまけに着地に失敗した。とりあえず転がって避ける。痛いと思う間もなく、目の前に拳が叩きつけられる。

 麻痺とは違い、動くことはできるのだ。だが、もどかしいくらいにゆっくりしか動けない。素早く踏み切れないので、跳躍にも力が入らない。本当に、粘度の高い液体の中にいるような感じだが、重力はいつもと同じように働くわけで、高さは稼げないのに、体勢が整う前に着地してしまうのだ。


 砂煙の合間から、反対側の腕が振り上げられたのが見える。この体勢では飛び退くことはできない。とにかく転がって避ける。


 奴の体はこの小径いっぱいの幅があるが、拳はそれよりは小さい。寄れるかぎり端まで寄ったところで、目の前に拳が降ってきた。頭がくらくらするような振動。細かい石礫と砂煙が顔に当たるが、気にしている場合ではない。後ずさって立ち上がる。


 さらに追撃が来るかと思ったが、来なかった。収まりかけた砂煙の向こうで、サイクロプスがいやらしく笑う。


 ……遊ばれているのだ。


 奴にとって俺は、サソリやトカゲよりは面白い程度の獲物にすぎないのだろう。腹立たしいが、舐めるな、とは言えない。スロウで動きを制限されている今、逃げ切る自信があるとはとても言えない。


 重たい手で、短剣(アルミュス)を抜く。

 風を切って拳が迫る。倒れ込むようにそれを避ける。続く一撃をどうにかかわし、勢いでまた転がる。それを追うように、拳が叩き込まれる。当たりはしないが、胆が冷える。

 本気ならとっくにやられている。とことん遊ぶつもりらしい。腹は立つが、その分猶予ができたということだ。


 来た方向に逃げるのは論外だ。背を向けたが最後、一撃をくらってお陀仏だろう。かといって、奴の足元をくぐるのも難しい。攻撃を受けてみて分かったが、鈍重に見えて、奴の攻撃は決して遅くない。もちろんリゥ将軍ほどではないが、ウッディやゴブリンよりは速い。砦の三つ腕のオーガ(酒天童子)くらいの速度だ。スロウで遅くなった俺など、簡単に捕まえられるだろう。


 技を使おうにも、SEは朝食の調理で使い切っている。さっきからの攻撃の余波の砂煙やら石礫やらを受けて徐々に溜まってはいるが、技を使うにはまだ足りない。MPはあるが、サイクロプス相手に俺の熟練度では目くらまし程度にしか使えないし、スロウのせいで呪文を唱えるのにも時間がかかるときては話にならない。

(何か! 何か使える手はないのか!?)

 と、奴が大きく息を吸った。筋肉に覆われた胸が、蠢くように膨らむ。

 あ、と思ったときには遅かった。

「グアアアアアアアアア!!!」

 咆哮(ハウリング)。オーガの技だ。聞いたものにスタンの効果を与える。

 一瞬、体が固まる。それほど強い効果ではなかったが、今の俺には致命的な隙だ。それを見逃すはずもなく、奴は大きく振りかぶった手のひらで俺をたたき潰しにきた。

(死ぬ!!!!)

 そう思った次の瞬間、俺は奴の後ろに移動していた。短剣を握った右手に、固いものを切り裂く手応えがある。


 《バックアタック》だ。


 何百回、いや何千回と回避に使ってきた技だから、無意識に使ってしまったらしい。ハウリングを食らったことで、ちょうどSEが溜まったのだろう。《バックアタック》がそれほどSEを消費しない技なのも幸いした。これでSEの足りない大技を使っていたら、空振りしてそのまま一巻の終わりだった。


 サイクロプスの背中に盛り上がった瘤を切り裂いて、俺は落下した。着地体勢を取ろうとしたが、やはり動きは重く、間に合わない。


(助かった……けど、まずいな)


 焦りで、胃の底が熱くなる。

 《バックアタック》程度で倒せる敵ではない。もっと強力な技か、連携技でないと無理だろう。だが、さっきの《バックアタック》で、完全にSEを使い切った。もう俺に打てる手はない。

 そして、《バックアタック》で奴の視線の届かないところまで移動したのに、スロウが解けなかった。

 ……予想してはいたが、奴の能力は「相手が視界に入っている間だけ効力を発揮する」というタイプではないらしい。

 魔眼が発動した後、視界に入っている間は効果が延長され、視線から逃れても一定時間は効力が持続するのだろう。ということは、目つぶしでスロウから逃れるのも無理だ。


 サイクロプスが振り向いた。形相が変わっている。いたぶって遊ぶつもりだった獲物に反撃されて、頭に来たらしい。正面にいた俺がなぜ背後に移動して攻撃できたのかを疑問に思うより、自分を傷つけた奴をただひたすら叩きのめしたいという顔だ。


 つまり、絶体絶命だ。


(もうちょっと考えてから追いかけるべきだったよなぁ……)


 魔法は使う暇がない、SEは尽きた。相手は馬鹿力、スロウは解けないこの状態では、リゥ将軍ほどとは言わないけれど相当速度差がある敵。このままやられるしかないのか……と思ったところで、ふと何かが引っかかった。

(リゥ将軍ほどとは言わないけれど、てことは、つまり)


 リゥ=バゥより速くない。リゥ=バゥほど強いはずもない。

 そうだ、俺は、こいつより速いリゥ将軍の攻撃を避けることができたのだ。何百回となくトライして、一撃目だけとはいえ、リゥの攻撃を見切ることが可能になった。

 こいつには、リゥのような無敵の防御はない。力は強いが、あんなに鋭い攻撃ではないし、ありえない方向に曲がるわけでもない。いつもの感覚では動けないが、そのハンデを差し引いても、リゥ将軍と戦うほど困難な相手じゃない。


 俺はリゥ=バゥと戦わねばならないのだ。ここを乗り切れないでどうする。


 サイクロプスを睨んだまま、重心を移動させてみる。右に左に、自分が全力だと思う速度で動いて、頭と体の時差を把握する。

 と、サイクロプスが動いた。振り下ろされた拳を、跳躍して避ける。いつもの感覚で跳ぶから着地に失敗するのであって、このスピードの中で動けば、少なくとも体勢が崩れることはない。まるでスローモーションで踊っているような感じだ。


 手の甲側に逃げた俺を、裏拳が追う。巻き起こる風に乗るようにして、さらに逃げる。


 もう一歩後ろに跳んで壁を蹴り、巨人の腕に斬りつける。が、弾かれた。さすがにこの速度では力が入らないので、通常攻撃は効かないようだ。


 なおも襲いかかる拳をくぐり抜ける。サイクロプスは半裸なので、筋肉の動きが簡単に見て取れる。おかげで、次の攻撃のタイミングが読みやすい。


 追いつめたはずの獲物がちょろちょろ動き回って逃げるので、腹を立てた巨人は辺り一帯を手当たり次第にばんばん殴りだした。が、一撃が重いので、殴った後にできる隙が大きい。連打されてもかならず間ができるので、避けては触れ、避けては触れしてSEを溜める。


 俺は深く反省した。何をって、軽々しく絶体絶命なんて思ったことをだ。


 相手をちゃんと見て、自分の使える手段を全部考えれば、案外打つ手はあるものなんだな。まあ、最初にもう少し考えていれば、こんなややこしいことにもならなかったわけだが。フェンの言いたかったことがちょっと分かった気がする。


(ていうか、俺、ちょっと強くなったんじゃないか?)


 この短い間で驚異的な成長を遂げたのかもしれない。何せサイクロプスの攻撃をかわすのがだんだん楽になってきた。すごいぞ俺、と一瞬浮かれて、我に返る。いくらなんでもそんなはずはない。サイクロプスがほんのわずかだけ、攻撃の手を緩めているのだ。


 ……何故だろう。弱るようなダメージは与えられていないし、この期に及んで仏心を出したとも思えない。油断はせずに、そのまま乗せられてみることにする。


 避けているうちに、サイクロプスは、どうも俺をどこかに誘導しようとしているらしいと気づいた。特に逆らわずに楽なほうへと逃げていると、徐々に後方右側に移動していく。避けながらちらりと目をやると、どうもそちらが袋小路になっているらしい。


(追い込んで退路を断つつもりか?)


 俺はほくそ笑む。顔は思うように動かせないので、心の中で。


 ちょうどいい。利用させてもらおう。



 サイクロプスの誘いに乗せられた風を装って、袋小路に追いつめられていく。攻撃を手控えられているとはいえ、当たったら大ダメージは免れないのでこちらも必死だ。

 技を使えばいつもの速度で攻撃ができるが、技を使った後の回避はスロウの影響下にあるので、逃げるのは無理だ。一撃で決められる大技でないと。

 チャンスは、サイクロプスが大技を使った直後だ。その隙に決めるしかない。


 後ろに出した足が、硬い感触に阻まれる。背に壁が触れる。いよいよ袋小路に追い込まれたのだ。重たい首を動かして見回せば二メートルにもならない横幅、袋小路というか凹みのような場所で、これでは逃げも隠れもできない。勝利を確信したのだろう、サイクロプスの顔に、あざけるような色が浮かぶ。

 にやりと笑いながら、サイクロプスが両手を前で組み合わせた。そのまま大きく振りかぶる。

 迫りくる拳を見つめて、見つめて、ぎりぎりまで引きつけてから念じる。〈アルミュス〉を槍へ、そして《ハイ・チャージ》。

 やはり技はスロウの影響を受けない。槍を右手に、俺は地面を蹴って突進する。ありえないスピードで向かってくる俺に、サイクロプスが驚愕の表情を向ける。

 槍ごと空中に運ばれながら、俺はゆっくりと首をひねる。ターゲットは技が発動したときに決まるから、視線をそらしたところで効果に影響はないはずだ。

 肉を割く手応え。サイクロプスを凝視しながら武器を弓へ。いつもの速度で一呼吸数え、ターゲットがサイクロプスに合っているのを確かめて念じる。


(《アローレイン》!)


 無数の光の矢が弓から放たれたところで、俺はサイクロプスの背後に落っこちた。スローモーションのように顔を上げると、槍に変化した光の矢が巨人の体を貫いていた。


(やった……のか?)


 俺が追いつめられていた袋小路の奥に、サイクロプスは倒れていた。まるで何かにひどく叩きつけられたかのようだ。まるでというか、無数の槍に貫かれたのだから、実際に叩きつけられたようなものか。


 リジェネーションを使えるリゥ将軍の妹ですら倒せたこのコンボだ。サイクロプスが耐え抜けるとは思えないが、一応身構える。スロウの効果は続いているが、動きが少し軽くなった気がする。


 崩れ落ちたサイクロプスの体から、どろりとしたものが流れ出ている。血だろうか。サイクロプスが失血死するかどうかは知らないが、大量出血すれば普通は死ぬだろう。


 様子をうかがっていると、サイクロプスの姿ががくりと沈んだ。どろどろしたものがどんどん広がっていく。溶けているらしい。


 驚いて目をこすってから気づいた。手が楽に動く。スロウの効果も切れている。


「これは……さすがに、倒したと思って間違いないよな……?」

 呟いた。おお、普通に喋れる。当たり前のことにこんなに感動できるとは思わなかったぞ。


 嬉しくなって腕をぐるぐる回してみる。首を回したり、膝を曲げ伸ばしたり、足の筋を伸ばしたり、前屈したり背中を反らしたり、飛び跳ねてみたり。どの動作も支障なく動く。


 一通り体を動かして、サイクロプスの残骸に近づいた。生きているときは青っぽい肌色だったサイクロプスだが、溶け出した液体はくすんだ紫色をしていた。もうすっかり溶け崩れて、固形の部分のほうが少ないくらいだ。まとっていた毛皮の服が、どろりとした液体に沈んでいる。さすがにこれは死んでいるだろう。


「ほええええええええ……」

 思わず安堵の声が漏れた。大きく息を吐きながら天を仰ぐ。岩の間に覗く空が青い。


 それにしても今回の戦いは大変だった。大変といえばリゥ将軍やその妹や砦にいた酒天童子との戦いのほうが大変だったが、今回の大変さはそれとはちょっと違った。実際はそれほど強いわけではないのに、スロウを使われたことでいきなり難易度が上がってしまった。


 だけど、あの状況から勝てたっていうのは、何ていうかすごい達成感だな。あの状況、ゲームだったら間違いなく諦めて死んでいたと思う。そのほうが楽だし。フェンが「訓練だと真剣味が足りない」と言ってたのは、もしかしてそういうことだったんだろうか。実際、必死になって、あの状態でできることを考えたから勝てたわけだしな。


 相手が何を考えているのかを予想して利用する、というのも初めての経験だった。AIはせいぜい単純なフェイントをかけてくるくらいで、プレイヤーを罠にはめたりはしない。ただ繰り出される攻撃を避けるんじゃなく、相手の意図を読んでさらにその先を行くくらいでないと駄目なんだな。


 なかなかハードな演習だったけど、それに見合った成果は得た気がする。フェンはちょっとは褒めてくれるんだろうか?


「……っぷしっ」

 くしゃみが出た。気が緩んだせいか、急に肌寒くなった気がする。これで風邪でも引いたらとんだお笑いぐさだ。「敵を倒して油断しているからそんなことになるのだ」とかフェンに罵倒されそうだ。


(…………?)


 いや、気のせいじゃない、さっきまで気持ちよく晴れていた空も、今は薄暗い。一雨来るのか? と辺りを見渡して、血の気が引いた。


「なんだこれ!?!?!?」

 袋小路の奥のサイクロプスの残骸は、液体を通り越して、よどんだ紫色の気体になっていた。気色悪い靄が蠢いている。それだけではない。サイクロプスの倒れていた場所に吸い寄せられるように、四方八方から暗紫色の靄が集まってきている。空が曇って見えたのは、この靄のせいだったのだ。

 靄はみるみる濃くなり、渦巻いて大きな球形になった。直径は俺の両手を広げたくらい。地面から三十センチくらい浮いているので、やや見上げるような高さになる。

 唖然として見守る俺の前で、淀んだ紫色の球体がぐるりと回転する。


 それと“目が合った”瞬間、俺は文字通り硬直した。


 紫色の靄に包まれていたのは、大きな大きな目玉だった。


 紫色の血管が浮いた白目。


 その中央で紫の光を放つ黒目。



 正面から睨まれて、体が動かせない。


(ちょ……待てよ、こんなのありかよ!?)

 腕も足も動かない。念じてみるが、魔法も技も使えない。瞬きすらできない、正真正銘の完全停止だ。


(サイクロプスって、死んでからこんな変化するモンスターだったか!?)

 思ってから気がついた。フェンは「おぬしの言うところのサイクロプス」とは言ったが、自分では一度も、敵が単眼の巨人(サイクロプス)であるとは言っていない。「”一つ目”を倒してこい」と言ったのだ。

(倒してこいってのは、こいつのことだったのかよ!)

 確かにこの上なく”一つ目”だ。その通りだけど!!


 心の中で歯ぎしりする。フェンの試練だということをもっと真剣に考えるべきだった。

(「何も考えずに敵に背を晒すような真似をするな」とも言われたよな……)

 今度は完膚なきまでに死んでると思ったからなんだけど! と声にならない声で叫ぶと、脳裏に浮かんだフェンの幻が「それはおぬしが迂闊だからじゃ」と嘲笑う。

 ああ、迂闊だったとも。今度こそ胆に銘じたから、何とかしてくれないか、この状況。


 一つ目の周囲の靄が四方八方に細長く伸びた。刺の生えた茨のようなそれが長さを伸ばし、俺のほうに迫ってくる。

(やばい、あれが刺さったら絶対ただじゃすまない)

 思うものの、体はぴくりとも動かない。正真正銘の絶体絶命だ。

 思わず目を閉じた瞬間、場違いなくらい快活なバリトンの声が降ってきた。


「やあ、そこのきみ! お困りのようだが、僕の手助けが必要かな?」


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