Catch[1]="夢の中の洞窟で";
とっさに身をかがめ、背後からの攻撃をなんとか避けた。
夢の中の俺は部屋着だったはずだが、気がつけば普段の装備を身につけていた。〈アルミュス〉を抜き、体勢を立て直しながら距離を取り、敵に向き直る。嫌な匂いからなんとなく見当はついていたが、案の定、そこにいたのは不死の怪物だった。
アンデッドと言ってもいろいろあるが、襲いかかってきたのはいわゆる生ける屍だ。もともとはマーマンだったらしい。腐ってはいるが、魚の頭が見てとれる。
幸いなことに、ゾンビは一体だけで、それほど動きが早いわけでもなかった。緩慢な攻撃をかわしながら胴体を切りつけ、どうにか息の根を止める。いや、息はもともとしてなかったか。まあそのへんはどうでもいい。
フェンが舞い降りてきた。夢の部屋では幼女サイズだったが、いつもの大きさに戻ったらしい。
「何だよ、フェンが再現した〈苦悶の海の魔女〉の洞窟、って」
乱れた息の下から問いかける。
〈苦悶の海の魔女〉の洞窟、という場所は知っていた。オーク帝国よりまだ北、〈ウォータ〉からだとずいぶん遠い。ゲーム中、けっこうレベルが上がってから、パーティの皆で船を借りて行こうとしたことがあるのだが、海流が邪魔をしてたどりつくことができなかった。
「フェンは行ったことあるのか?」
「ない。……じゃが、聞いた話をつなぎ合わせて推測すればだいたい分かる」
無愛想にフェンが言う。
分かる……ものなのか。とはいえ、フェンは〈最強〉の片割れなのだ。俺には想像がつかないが、推測でそういうことができてもおかしくない。
「フェンが再現した、っていうのはどういう意味なんだ?」
さらに尋ねると、フェンはふんと鼻を鳴らした。
「この夢は、〈知識の聖者〉の作り出した世界だと言ったじゃろう? そして、〈パヴロスリング〉は『過去の所有者の知識を利用できる』という力を持っておる。じゃから、この夢の中に、わしが持っている知識によって、架空の空間を再現してみた。架空の空間だが、おそらく現実の〈苦悶の海の魔女〉の洞窟とそう違いはせん」
なるほど。〈パヴロスリング〉とフェンによって作られたVRの世界、と思えばいいのか。
そこまでは分かったが、分からないことがまだある。
「それは分かったけど、何だってこんなものを」
「おぬしが不甲斐ないからに決まっておる」
ぴしりとフェンが言った。俺は思わず首をすくめた。
「あのような生温いやりかたしかできぬようでは、我が半身と再び見える前に、どこぞの雑魚にやられるのが関の山よ。それではあまりに情けないので、命がけで戦える場所を作ってやったわ。……死ぬ気でやってみよ」
そう言うと、フェンは再び空中に舞い上がった。
昼間散々稽古して疲れて、帰ってきてやっと寝られると思ったら夢の中でまで訓練だという。頼んでもないのに無理矢理始まっているというのが気に食わない。だが、場所はゲームではたどりつけなかった〈苦悶の海の魔女〉の洞窟なのだ。現実ではないとはいえ、フェンが言うのだからそれなりの再現度に違いない。せっかくの機会だから楽しむことにしよう。
水の滴る洞窟を進んでいく。洞窟には淡く光る苔が生えていて、灯を持っていなくても周囲を見るのには十分な明るさがあった。
天井はまあまあ高く、幅もそれなりにある。剣を振り回すのに差し障りがないのはいいが、ところどころに水たまりがあって足が滑る。そして、……すごい腐臭。フェンが再現した世界は、VRのゲームよりも現実に近かった。というか、感覚的には”現実”だ。
(このへんは再現してくれなくてもよかったんだけどなぁ)
と、目の前の水たまりがごぼごぼと音を立てはじめた。嫌な予感がして一歩下がる。盛大に汚水が噴き上がり、その中心にゾンビが現れた。俺も盛大に汚水を被った。一歩どころじゃ全然足りなかった。
「いいんだけどさ、ちょっとグロいよな……」
目の前に立ちふさがるゾンビを見て、溜息をつく。ゲームでは、奴らの容姿は簡素化されていたのだと今更ながらに認識した。飛び出した眼球、露出した内蔵、そしてこの”匂い”。このへんは再現しないでいいとフェンに言いたいところだが、……一喝されて終わりだろうな。
なんとなく近寄りたくなくて、〈アルミュス〉を槍に変える。リーチのある武器で近寄らずに済ませようと思ったのだが、アンデッドだけに一発では死んでくれない。そうすると、攻撃後の隙の大きい槍は不利だ。
苦戦していると、背後でごぼごぼと嫌な音がした。振り向くと、ゾンビが湧いている。しかも二匹。
「最悪……」
正面のゾンビをどうにか倒し、振り返る。本来、動きの鈍いゾンビは俺のような回避タイプの得意とする敵なのだが、匂いといい見た目といい、どうにも気持ち悪くてつい動きが鈍る。そうなると、得意とは言えない槍ではうまくさばけない。仕方なく二刀流に戻して応戦していたら、さらに湧いた。きりがない。
//--------
「はぁ、はぁ、痛ってぇ」
五分か、十分か。いや、もっとかかったかもしれない。次々湧いてくるゾンビの群れを全滅させたときには、体力が尽きかけていた。全身傷だらけで、このまま死にそうだ。
「なんというざまじゃ。お前はそれでも“最強を倒した男”か?」
倒れこんだ俺の頭上から声がする。フェンが蔑むような眼差しで俺を見下ろしていた。
「そんなこと言ったって……」
いくら動きが遅いとはいえ、あれだけの数に襲われてはどうしようもない。それに、奴らは自らの身を顧みず、全力で攻撃してくるのだ。一発でもまともにくらえば立っていられないだろう。“傷”で済ませられただけ、よしとしたいのだが。
「ふん、その様では訓練にならぬな。……仕方がない、ほれ」
その声と共に、急に体が軽くなった。驚いて見回すと、体の傷が一瞬にして消えている。
いや、傷だけじゃない。疲労感もない。
戸惑う俺に、フェンの声が降ってきた。
「ここはわしの再現した世界だと言ったであろう。おまえの体もわしが再現しておる。状態を操ることなど造作もない」
そう言うと、フェンは嫌らしい笑い声をあげた。
「ひゃひゃひゃ。そういうわけでの、ここでは死んでも死なぬ。“死ぬほど痛い”だけじゃ。存分に戦うがよいぞ」
死ぬほど痛い……のは嫌だな。夢の中でまで訓練、おまけに死ぬほど痛いとか、何の罰ゲームだ。
え、……だけど、死んでも死なない、って言ったよな?
「そっか。ここでは“死なない”のか……」
なんだかきゅうに、目の前が明るくなったような気がした。
フェンに無理やり放り込まれたこのダンジョン。
……そうだ、つまりこれは仮想現実なのだ。俺が八年間慣れ親しんだゲームと同じ、“VR”なのだ。
しかも、実際の装備が使えて、フェンが回復までしてくれる、俺得仕様のシミュレータだ。
そう思うと、楽しくなってきた。
腐臭の漂う洞窟をずんずん進む。
歩きながら、ステータスを確認してみた。
HP:100%
ME:100%
SE:100%
フル回復している。それだけじゃない。見間違いかと思って確認してみたが、間違いない、SEも満タンだ。
ゲームでは、SEは敵に攻撃を当てることでしか貯まらず、新規イベントが始まったり武器を持ち変えるとなくなるし、戦闘を終えて休憩を取っていても自然減少するものだった。この世界に来てからは、自然減少することはなく、一旦貯まったSEは使わなければ減らなくなっているのだが、それでも「敵に攻撃を当てないと貯まらない」という性質は変わらず、HPやMEのように回復はしない。
どうやら、この空間でのフェンの回復魔法は、ゲームより、この世界の現実よりよっぽど至れり尽くせりであるらしい。
しかし……“死んでも死なない”、おまけにSEが完全回復する、となると、試してみたいことがある。
しばらく進んだところで、ゾンビの一群に出くわした。現金なもので、この状況だと、アンデッドとの遭遇も楽しく思えてくる。
まずは〈アルミュス〉を槍に変える。《ハイ・チャージ》で突進し、ヒットと同時に弓に変えて《アローレイン》を打つ。この間やった一人連携だ。……やはりまぐれではなかったらしい。普通の敵よりタフなアンデッドとはいえ、弓と槍のコンボの前にはひとたまりもなかった。というか、本来ならゾンビ風情には大盤振る舞いもいいところの大技だ。SEが完全回復するという前提でなければ、さすがにもったいない。
ゾンビ軍団がひるんだところで、今度は大剣に持ち変える。手近のゾンビに向けて《パワースラッシュ》、すかさず短剣に変化させて《ラッシュ》。ルサ=ルカとやったコンボだ。そういえばあれがこの世界に来てから初めての連携だったか。
結果はやはり成功。コンボは、最後の技の最後の攻撃着弾後、一定の時間以内に次の技を当てなければ発動しない。早すぎても遅すぎてもだめで、有効時間はおよそ0.1秒というシビアなものなのだが、どうやら体に染み付いているらしく、問題なくやれる。これなら、使ったことのある技ならほとんど問題なさそうだ。
//-------
記憶にあるコンボの組み合わせを片っ端から試していたら、いつの間にかゾンビの群れは消滅していた。
「まだやってないのがあったのに……」
文句を言ってみたが、気がつけば細かな傷がけっこうできている。俺にしては珍しく、回避は二の次で連携を繰り出していたせいだろう。
フェンが舞い降りてきた。同時に、体が軽くなる。
「ありがと」
「…………」
フェンはじっと俺を見た。めずらしくもの言いたげな顔をしながら、しかし何も言わない。
「何だよ?」
「……いや。そのまま続けるがよい」
フェンが通路の奥を顎で指した。新たなゾンビの一群が現れたところだった。
今度は<アルミュス>を斧に変える。まず使うのは《アイアンサイクロン》、一回転して攻撃することで周囲の敵を吹き飛ばす技だ。威力は高くないが、範囲攻撃ができる。
斧を振り回しながら、<アルミュス>を短剣に変える。続いての技は《リングスライサー》、一回転して攻撃することでリング状の真空波を飛ばすという技だ。これはこの世界でも使ったことがあったか。
リングスライサーの真空波が、近くにいたゾンビを切り裂く。そこから竜巻が発生し、ゾンビたちを巻き込んで、真空の刃が容赦なく奴らをなぎ倒していった。
「まずった……」
累々たるゾンビの残骸の中で、俺は深々と後悔した。《アイアンサイクロン》と《リングスライサー》の連携、敵にヒットしたところから小規模の竜巻が発生し、更に周囲を吹き飛ばす。範囲攻撃と遠隔攻撃のコンボの範囲攻撃なので、雑魚敵が大量にいるときに有効、まさにこういうときのための技……なのだが。
忘れていた、相手はアンデッドなのだった。触れるものを切り裂く真空の竜巻ということは、つまり、肉片がものすごく飛び散る。
要するに、おそろしく臭い。
「こういうときは、ゲームのほうが良かったって思うよな……」
飛び散った体液と腐りはてた肉片。ダッシュで遠ざかりたいところだったが、そこらじゅうに腐肉が飛び散っている。滑らないようにつま先立ちでぴょんぴょん跳ねながら、その場を逃げ出した。
さらに進むと、またゾンビが湧いてきた。いったい、どのくらいいるんだろう。
が、うんざりはしない。連携に関連して、<アルミュス>の能力に関しても、試してみたいことがあったのだ。慣れている《パワースラッシュ》と《ラッシュ》で実験してみることにする。
<アルミュス>を大剣に変化させる。武器の変形には五〜六秒かかるのだが、これが「変化した」と判定されるタイミングはいつなのか。つまり、大剣を短剣に変化させたとき、いつまで大剣の技が使えていつから短剣の技が使えるのか。これが分かっていれば、ぎりぎりの局面でも技を使うことができる。
技を使うタイミングを、変形の終了から少しずつ前倒ししていく。結果、武器が変化したと判定されるのは、変形を念じるのと同時であることが判明した。これは……なかなか便利かもしれない。
あれこれタイミングを試しているうちに、気づけばSEが残り少なくなっていた。ついでにHPもけっこう減っている。
「フェン! 回復!」
叫んでから、しまったかなと思う。なんとなく、SAVRをやっているときの感覚で回復役を呼んでしまったのだが、直後に体が軽くなった。
「サンキュ!」
空中に呼びかけてみたが、返事はなかった。まあ、いいことにする。
新たな一群を倒し、回復してもらいついでにステータスを確認する。レベルが上がってもいいくらい倒したと思うのだが、HPやSEは変化するのに、レベルは動かない。フェンが作ったシミュレータだからなのだろうか。
そんなことを考えていたら、首筋にいやな感触が走った。気のせいと思ってしまいそうな、わずかな悪寒。
寒気を感じると同時に飛び退り、さっきまでいた場所に向き直る。だが、そこには何もいなかった。
「気のせい……? いや、そんな……っ痛!」
ナニカがあるはずの暗闇に目を凝らしていたら、今度は足に微かな痛みが走った。いや、痛みというにも足りない、一瞬の痺れのようなものだ。
(気のせいじゃない、何かいる!)
何も見えないが、とっさに気配のした方向に向かって切りつける。と、何もないはずの空間に確かな手応えがあり、切られたナニカは光の粒になって飛び散り、消えていった。
「何だったんだ、今の……」
もしかして、毒か麻痺か? 慌ててステータスを確認したが、状態異常の表示はないようだ。
念のため、体を動かしながらしばらく様子をみたが、何も起こらなかった。いかにシミュレータとはいえ、身動きが取れなくなったところを袋叩きにされる、なんて目には遭いたくなかったので、ほっとする。
とりあえず状態異常系の何かではなかったようだが、無害なものだとは考えにくい。一瞬の接触では何もなかった、ということは……。
「……あれに捕まり続けると何かある、ということか」
呟くと、俺は洞窟の最奥部へと足を進めた。
//--------
洞窟が大きくカーブした先に扉があり、その前に魚人と鳥人が一匹ずつ立ちはだかっていた。もちろんアンデッドだ。いままで遭遇してきたものよりも一回り大きく、装備も良い。
カーブの手前からそれを確認して、俺は軽く息を吐いた。いよいよ、この向こうに苦悶の海の魔女がいるらしい。とすれば、門番らしきあのアンデッドたちも、そう簡単には倒されてくれないだろう。場合によってはそのままボス戦になだれこむかもしれないし、ここは慎重にいきたい。
体格と装備から考えて、HPはいままでの雑魚敵の二倍から三倍くらいあると考えていいだろう。攻撃力は二倍くらいか。回避は、ゾンビだからものすごく高いということはないだろう。特殊技能については考えても仕方ないので、警戒するしかない。どのくらい温存して挑めばいいのか悩むところだが、
「フェンー、ボス戦の前に回復ってある?」
虚空を見上げて問いかけると、しばらくの沈黙があって、声が返ってきた。
「……してやる」
なんだか諦めているような調子なのが気にならないではないが、まあいい、回復してもらえるなら心置きなく戦うことにしよう。
後で回復してもらえるとはいえ、二匹を同時に相手するのは避けたい。SEの大半を消費してでも、一体目はできればすぐに倒したい。せめて身動きできない状態にはしておきたい。
そこで思い出した。<アルミュス>を斧に変え、斧の背が下にくるように握り直す。
深呼吸して、一気に駆け出した。同時に叫ぶ。
「《ブレインクラッシュ》!!」
振りかざした斧を叩き付ける。斬るのではなく、斧の背をを鈍器にして、殴り潰す技だ。技を使うと打撃の威力が増し、それにスタンの効果が加わる。
俺のいたパーティーにいた筋肉バカの斧使いがこの技が好きで、無駄にモーションの大きいこの技を多用して呆れられていた。そして、呆れながらもタイミングを合わせてコタローが入れていたのがこれ、
「《パワースラッシュ》!!」
鋼鉄の塊が魚人の頭を叩き割る、その瞬間を狙って変化を念じる。斧から、大剣へ。思いっきり振り下ろした両手が技の力で振りかぶられる。
と、何か青白い光のようなものが、魚人の首のあたりから噴き出した。ぎょっとしたが、発動した技の勢いは止まらない。振り上げた大剣が、魚人の脳天に再び振り下ろされる。
俺が転がるようにして魚人たちから距離をとるのと同時に、頭上から衝撃波が降ってきた。これが連携の効果、斧と大剣の攻撃をあわせたものと同じだけのダメージが、追加で与えられる。
魚人が崩れるように倒れたのを視野の端に入れて、鳥人に斬りかかる。今度は短剣で通常攻撃。魚人が倒せたのか、スタンの効果で気絶しているだけなのかわからないが、しばらくは動けないだろう。
さすがに他のアンデッドよりは動きも早く、一撃の威力も大きい。だが、避けながら俺は僅かな違和感をおぼえていた。何だろう、この感じは、そう、
(……ゲームっぽい)
何というか、敵の攻撃に個性がない。さっきから、出会うモンスターの攻撃がみんな同じように感じられる。それはこの世界がフェンの作りだした架空の世界だからなのか、それとも……。
倒れている魚人に目をやる。やはり倒したらしく、動き出す気配はない。確かに大技は使ったが、あれは連携が効いたというより、最初の一撃で倒せていたのではないだろうか?
(確証はないけど……、試してみてもいい気がする)
敵の攻撃をかわし、技を使う。
「《バックアタック》! 《連撃の壱》、《ピアシングアタック》!」
コンボではない、単なる連続技だ。《バックアタック》を利用して敵の背後上部、に移動。攻撃を《連撃の壱》でキャンセルして、《ピアシングアタック》で防御無視の貫通攻撃。
鳥人の頭部に短剣を突き刺しながら、そういえばこれはリゥ将軍戦のときに使った技だったなと思い出す。あのときは《ラッシュ》と《連撃の弐》が間に挟まっていたが、大筋は同じだ。それをフェンの前で披露するのは、何というか、ちょっと微妙な気分だ。フェンはきっと気にしないのだろうが。
手応えを感じるのと同時に、鳥人の首筋から青白い光が噴き出した。それを見ながら背後に着地。すかさず距離を取り、しばらく様子をうかがったが、魚人、鳥人共に、起き上がってくる気配はなかった。どうやら無事に倒せたらしい。
予想よりずいぶん呆気なかった。反撃らしい反撃もないまま倒せてしまったのだから。だが、あの動きの単調さ、二匹そろって首筋から噴き出した光。
「何かに、操られている……?」
操られているから動きが単調なのだとしたら、頷ける気がする。
そしてさっきの得体の知れない何か。あれが操るための手段なのだとしたら……。
俺はごくりと唾を呑んだ。
//--------
扉をそっと開けると、暗い洞窟に光の筋が差した。眩しい。どういう構造になっているのか、ボスの間には、天井からさんさんと光が降り注いでいた。照明ではなく、太陽光のようだ。外は昼間だったのか。
左右にきらきらしているのは水たまりらしい。その間のスペースの、何か楕円形の石のようなもののかたわらに、一体の魚人がたたずんでいる。
と、そこまで見て取ったところで、ざわざわと不穏な音がした。大人の腕ほどもありそうな黒い触手が迫ってくる。
襲いかかる触手を短剣で薙ぐ。正面から大振りの攻撃、続いて左からの攻撃、避けたところで右から鋭い一撃。かわしたところで、今度は上下から同時に。動きの鈍いアンデッドばかり相手にしていたので、どうも気持ちが切り替わらない
が、そんなことを言っている場合でも
ない。
「できれば、この続きはまた明日、とかにしてほしかったんだけどなー……」
そもそも、昼間の訓練の続きにむりやり放り込まれたダンジョンなんだった。思い出したらなんだか疲れてきたが、そんなことを言って聞いてくれるフェンではないだろう。仕方ない、できるだけ、いつもの感覚を取り戻そうと努力する。全身をセンサーにして攻撃の気配を感じ取り、考える前に動く。
攻撃をかわしながらじりじりと広間の中央に進む努力をするが、なかなか埒があかない。
ちらりと広間の中央を見る。何か石のようなものの傍らにたたずむ魚人、あれがきっと〈苦悶の海の魔女〉だろう。何者かに操られているようなアンデッドたちの挙動、俺を捉えようとしてきた姿の見えないナニカ、そしてこの触手。これらを操っているのがあの〈魔女〉なのだとしたら、こいつらにかかずらっていても時間の無駄だ。俺は荒技に出ることにした。さっき回復してもらったので、幸いなことにSEはまだまだある。
「よーし、いくぜぇ!」
声を上げて、《リングスライサー》と《アイアンサイクロン》のコンビネーションを発動させる。真空波の竜巻が触手を薙ぎ払い、一瞬目の前に道が開けた。すかさず<アルミュス>を短剣に持ち替えて〈魔女〉に駆け寄り、斬りつける。
〈魔女〉は、いままでのアンデッドたちとは違い、ところどころ腐りかけてはいるものの、マーマンの形をはっきりと残していた。下半身は魚、どちらかというと動きは蛇に似ている。
人間の上半身には、軽そうな鎧をまとっていた。見た目より防御力が高いのか、短剣が当たりはしたものの、あまりダメージを与えられた様子はない。
〈魔女〉は威嚇するような唸り声を上げ、長い爪を振りかざして反撃してくる。その隙をかいくぐってなんとか当てようとするが、魚の下半身は案外固くて攻撃が通らない。苦戦しているうちに、また触手が湧き出てきて、俺はじりじりと壁際まで押し戻されてしまった。
せっかく接近できたのに、チャンスを活かせなかったのは痛い。触手の攻撃をかわしながら、次の手を考える。
「一人っていうのが辛いよな……」
思わず愚痴が洩れる。これだけ距離があるなら遠隔攻撃でどうにかしたいものだが、あの防御の固さでは通常攻撃では歯が立ちそうになく、遠隔攻撃同士の連携技というのがSAVRには存在しないのだ。どうしても敵に近寄らねばならない。
(いや……待てよ?)
そこまで考えて、ふと気がついた。遠隔攻撃同士の連携技は存在しないが、近寄らずに使える連携技ならある。遠距離攻撃と魔法の連携だ。
魔法は詠唱に時間がかかるから、物理攻撃が先の連携技はタイミング的に間に合わない。カンストするくらい高レベルの魔法使いなら、一瞬で魔法を発動させられる〈高速詠唱〉が使えるのだが、魔法が本職じゃない俺にできるわけがない。ここは魔法先行の連携でいくしかない。
俺の覚えている魔法と技の組み合わせだと、そこまで強力なものがないのが残念だが……技としては弱くても、この敵には向いているかもしれない連携がひとつ、ある。
再び、《リングスライサー》と《アイアンサイクロン》の連携を発動させる。触手を退けた一瞬の隙に、魔法を準備する。
「《ウォーターボール》!」
相手がマーマンなのでファイアボールのほうが効果がありそうなのだが、俺の装備している<天水分石>には、水属性攻撃高速発動の効果がある。一瞬でも時間は惜しいので、こちらを選択した。
唱えると同時に<アルミュス>を変化させる。今度は、弓へ。素早く狙いを定めて、矢を放つ。
「《ピアシングショット》!」
《ピアシングショット》は、ダガーの技の弓版だ。効果は「防御無視」、その分与えられるダメージが少ないのが難点で、単独では使いにくい技だが、防御力の高い敵には向いている。
指先から放たれた水の弾は、思ったよりもかなり大きかった。それを追って放たれた矢が、〈魔女〉の首筋に突き刺さる。その瞬間、水球が回転しながら一気に膨れあがり、音にならない音をあげて飛び散った。部屋が明るいせいではっきりとはわからないが、光のようなものが一気に噴き出したのが見えた気がした。
「すっげ……」
自分でやって自分で驚いていれば世話はないが、本当に驚いてしまった。いままで見たことのある中でも一、二を争うくらいの威力だ。水神の装備の効果なのか。叱られてばかりでちょっと苦手意識の強い水神だが、もっと感謝しないといけないのかもしれない。
俺に襲いかかっていた触手たちは消え去り、広間の真ん中に魔女が崩れ落ちていた。
「まさか一撃で倒せるとはな……」
<アルミュス>で歯が立たなかった敵を一撃で、とは。《ピアシングショット》の防御無視が効いているのもあるだろうが、水神の装備の効果がこんなにあるとは思っていなかった。水属性の攻撃をもっと使おうと心に決める。
起き上がる気配がないのを確認して、〈魔女〉に歩み寄る。矢は首筋に突き刺さっていて、連携の効果なのかなんなのか、その周りがぽっかりと抉れていた。なかなかにグロい。
動かない魔女の足元には、ぽつんと楕円形の石が残されていた。
「何なんだろうな、これ」
宝のようには見えない。ボスの間にあるんだから何かのアイテムかもしれない。興味がないといえば嘘になるが、ここはフェンの再現した世界、調べてみて何か良いアイテムだったとしても、手に入るわけではなく、だったら見ないほうがいい。
さて、今度こそ帰って寝よう。何時間寝られるのか分からないが。
「勝ったぞ、フェン!」
魔女に背を向け、空に呼びかける。褒めてくれるなんて期待しちゃいないが、いきなり放り込まれた過酷な訓練を一度でクリアしたのだ、ちょっとくらい評価してくれてもいいだろう。
が、あの皮肉な声は返ってこない。
「フェン?」
どうしたのだろう。まさか自力で洞窟から出るところまでが訓練とかいうのか? さすがにそれは面倒くさすぎる、と思ったところで、背後から何かにしたたかに殴りつけられた。
「がは……っっ……」
激しい衝撃。
吹っ飛んだ俺が床に叩きつけられながら見たものは、俺の腹を突き破った半透明の触手、その先は、ぱっくりと割れたあの楕円形の石に続いている。
(何なんだ、これは!?)
「敵の意図を読まぬからじゃ、この間抜けめ。死ぬ気でやれと言ったじゃろう?」
呆れたようなフェンの声を最後に、
意識が、
途切れた。
フェン先生のスパルタ修行 その壱