Catch[0]="ウッディーの森で";
手首に鈍い痛みが走り、俺は木剣を取り落とした。練習用とはいえ、頑丈な木で作られた槍にはそれなりの威力がある。それで勢いよく打ち込まれると相当痛い。木剣を拾おうとして摑み損ね、そのまま地面に崩れ落ちる。落ち葉の匂いが鼻につく。
「そろそろ休憩するかい?」
涼しい顔でヴォルドが言う。
「お、おねがいします……」
息も絶え絶えにそう呟くと、ヴォルドは軽く笑って森の奥へと歩いていった。俺は大きく息を吐いて、地面につっぷした。地面は湿っているが、気にするどころじゃない。
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あれから一週間。俺はウォータでちょっとした有名人になってしまっていた。『水神の力を借りてオーク軍を退け、敵の大将を討ち取った英雄』として。
まあ事実ではあるのだが、意図的に隠されている内容もある。それは、サヤが“真の”〈水の巫女〉であるということだ。
サヤが真の〈水の巫女〉だと公表されると、それまでウォータの元首だった〈水の巫女〉は偽物だということが明らかになる。〈水の巫女〉は、世界に一人しか存在しないからだ。
今の〈水の巫女〉が本物でないことは、ウォータの上層部では公然の秘密だったそうだ。ルサ=ルカは事情を知らされていたわけではないが、薄々察してはいたらしい。だが、何も私欲で詐称していたわけではなく、オーク軍の侵攻という国難に際して、〈水の巫女〉が不在では国のまとまりを欠くと考えてのことだったのだろうと、ルサ=ルカ将軍は俺に説明した。まあ、〈水の巫女〉がいなければ大きな顔ができないという、神殿の意図も絡んではいたようだが。
そういった事情で現在の地位にいる〈水の巫女〉としては、真の巫女たるサヤに権限を返すにやぶさかではない、いやむしろ返したい。だが、目の前の脅威が去ったこの状況でで嘘を明かせば、神殿への不信が募るのは必至、いらない争いを招いて、下手をすると国が割れてしまいかねない。だから、いまはサヤのことは伏せておき、然るべきタイミングで巫女の座を譲り渡したい。
よって、今回のオーク軍との戦いは、俺が水神の助力を得てオーク軍を撃退したということにしてはもらえないか、というのが、ルサ=ルカからの提案だった。
俺は政治に興味はないのでその辺りはどうでも良かったし、皆の前でオーガの将を倒した以上、英雄扱いが避けられないのも分かる。俺が目立つことで揉め事を回避できるなら、ということで、了承した。サヤも似たようなものらしかった。
そこまでは非常にスムーズにいったのだが、問題はその後だった。
俺の元に来客が殺到した。
救国の英雄を一介の冒険者のままにしておくわけにはいかない是非うちの部隊に来たまえ、という軍のお偉いさんやら、最近いきなり名前を聞くようになったカツミとはいったい何者だ、と見物にきた知らない冒険者やら、話を聞かせてくれついでにうちの孫の婿にどうだという近所のご老人やら。ついにはホームの前に列ができる有様で、これでは他の冒険者にも迷惑だし、何より俺の神経が持たない。見かねたマイケルの提案で、俺は当面マイケルの家に泊めてもらうことになった。
が、変に顔が売れてしまったので、迂闊に出歩くこともできない。サヤもディーもいるとはいえ、マイケルの家に籠っているのも三日で飽きた。
仕方ないとはいえ、堪えるなあ……とぼやいていたら、マイケルが言った。
「じゃあ、ゴブリン退治ってのはどうだ?」
「ゴブリン退治?」
それは別に構わないが、なんでまた。怪訝に思う俺に向かって、マイケルが続ける。
「ウォータの正門から出て、壁沿いにずーっと行ったとこな、そこに『アル・オースティンの森』ってとこがあってよ。ウッディーがいっぱい棲み着いてるんで、通称『ウッディーの森』って」
「行きます!」
ばん、と食卓を叩いて叫んだのは、俺ではなくサヤだった。
「ちょ、俺はおまえじゃなくカツミに話を」
「行くと言ったら行きます! というかどうしてそんな素敵な場所のことを今まで黙っていやがりましたかお兄様」
「そりゃ話したら行くっつって聞かねえからに決まって……あいや、冒険者でも知らない奴は多いとこだ、お前が知らなくても不思議はねえだろ」
「詭弁です! さてはお兄様、私に黙って〈ウッディーの皮〉を一人占めしようと思ってやがりましたね!?」
「〈ウッディーの皮〉なんて、溜め込んで喜ぶのはお前くらいだろ! んでなカツミ、そこ、元々は、魔物と言えばウッディーしかいないようなとこだったんだけどよ、最近になってゴブリンが出るようになったらしくてな」
「ウッディーしかいない! 素敵! 夢みたいなところです!」
「だから最近はゴブリンが出るって言ってんだろ! んで、やっぱりウォータの近くに集落を作られちまうとまずいだろ、早いうちに手を打たにゃならんのよ」
「じゃあどうしてゴブリンが出る前に教えやがりませんでしたかこの役立たず! ウッディーしかいない森なんて、あるって知ってたら私は絶対通いつめたのに!」
「通いつめるっつーか、夢中になりすぎて帰ってこないのが目に見えてたからだろ! で、そこならちょっと分かりにくい場所にあるんでな、人目にもつかないし俺らも助かるし、ちょうどいいんじゃないかと」
「やっぱりわざと隠してやがりましたねこのコンコンチキ! “私の”〈ウッディーの皮〉を一人占めしようったって、そうは問屋が卸さないんですからね!」
「だから、あんなもの要らねえっつってんだろ!」
「あんなもの!? 〈ウッディーの皮〉をあんなもの呼ばわりしました!?」
……きりがない。マイケルに掴みかかる勢いのサヤを制して、椅子に座らせる。
「俺でよければ行くよ。サヤも連れてけばいいんだろ?」
というか、置いていくのは無理だろう、これは。
ゴブリンとウッディーならそんなに苦労もしないだろうし……と思ったのだが、マイケルはなぜか難しい顔をしている。
「いや……言ってはみたが、お前ら二人だけっていうのは、ちょっと不用心かもしれねぇな。俺も行けるように許可を取ってから……あぁ、でもそうすっと明日は無理だな……三日後くらいには何とか……」
三日後か。マイケルも忙しいのだろうが、いったんすることができたと喜んだだけに、あと三日も無聊をかこつのは辛い。二人で苦戦するような敵でもなさそうなのだが。
「三日も待てと言いますかこの木食い虫! やっぱりお兄様は〈ウッディーの皮〉を一人占めしようとしやがっていますね!?」
「なんでそうなる! 頼まれたって要らねぇよ!」
再び言い合いに突入した兄妹をどう宥めようかと頭を抱えたところで、背後から声がかかった。
「じゃあ、俺が連れていこうか?」
俺たち三人が一斉に振り向くと、呆れたような顔をしたヴォルドが、マイケルへの届け物らしき筒を手に立っていた。
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そんなわけで、俺とサヤは、翌日からヴォルドに引率されてウッディーの森に通うことになった。人に出会わないよう、夜明け前に街を出て、日が暮れてから帰ってくる。
もっとも、肝心のゴブリンは、初日の早いうちにサヤが倒してしまった。岩場の間に隠された森の中で、潜んでいたゴブリンと出くわした瞬間に、サヤの体を覆うように青い光が放たれ、気の毒なゴブリンたちは、全員が即死してしまったのだ。どうやら水神の加護だったらしい。
せっかくの気晴らしも一日限りかと思ったが、他のゴブリンどもがやってこないようにしばらく偵察を続けるとヴォルドは言った。
「用が済んだからはいおしまい、なんて言ったら、サヤちゃんに呪われちまいそうだしな」
嬉々としてウッディーを追いかけ回すサヤを横目に、ヴォルドは笑った。
「いやまあそれは俺も思いますけど……でも、ゴブリンが出てこないか、毎日ぐるぐる見て歩くんですか?」
それはなかなか面倒そうだな……と思ったのが顔に出たのか、ヴォルドはにっと笑うと、足元に落ちていた木の枝を放って寄越した。
「それでもいいけどよ、ちょっと退屈すぎるからなぁ。せっかくだし、ちょっと稽古でもしようか、なんてなー」
そういうわけで、翌日からは、木剣を持って早起きしてウッディーの森で稽古、ということになったのだった。
「なんじゃそのざまは。情けない」
可愛い声で可愛くない台詞。フェンだ。つっぷしたまま目だけ上げると、低い枝に座ったフェンが蔑む目で俺を見ていた。
「言ったであろう。命がけでない修行に意味など無いと。さっきの戦いはなんじゃ?」
「そんなこと言われても……」
もごもごと返事する。
分かってはいたつもりだが、ヴォルドの腕は相当なものだった。槍と短剣短刀ではリーチが違うということを差し引いても、まるで歯が立たない。かかって行っても楽にいなされ、回避したつもりが思わぬタイミングで攻撃が来る。また、一撃一撃がものすごく強い。厳つい外見は伊達じゃない。これで本職は回復役なのだ。ルサ=ルカの側近たちはなかなか奥が深い。
「お前は勝ちたいと言ったが、本当に勝つ、……そう、“殺す”気はあるのか?」
「……そんなの、無理だよ」
言い返す。オーガの訓練方法はこの間聞いたが、俺にそれができるとは思えない。
「ひゃひゃ、ならばこの訓練は無駄じゃな」
そう言うと、フェンはまた消えてしまったようだった。
そのまましばしの安息をむさぼっていると、森の奥からサヤとヴォルドの声が近づいてきた。
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さて、俺がヴォルドにこてんぱんにやられている間、サヤは水の魔法の訓練と称してウッディー狩りにいそしんでいた。
これまで火の魔法ばかり使っていたサヤは、水の力に目覚めたのはいいが、水魔法を使い慣れていない。魔法というものは、覚えるだけではなく、使ってみないと威力や魔法の癖が分からないし、使っていかないと魔法のレベルは上がらない。なので、訓練するのは良いことだ。
だが、サヤの水魔法はどうやら桁外れの威力を持っていたようだ。初級魔法から始めてみたはいいが、サヤの放った《ウォーターボール》は、一撃でウッディーを吹き飛ばした。皮を取るどころの騒ぎではないくらい、完膚なきまでに粉砕されたらしい。
水がだめなら火で! と《ファイアボール》を使ってみたところ、こちらはそんな非常識な威力ではなかったようだが、一連の戦いでサヤ自身のレベルが上がっていたこともあり、ウッディーが燃えてしまって、やはり皮を取るどころではない。危うく火事になりかけて、水魔法で消火、そしてウッディーは粉々になった。
「ウッディーがこんなにいるのに、一枚も皮が取れないなんて! どうしてなんですか!」
戻ってきたサヤは、半泣きを通り越していまにも泣き出しそうだった。
「ものすごく大きいウッディーがいたんです! 普通の倍くらいの背丈のある! なのに、《ウォーターボール》を使ったら、跡形も残らなくて!」
「そんな大きいウッディーなんているのか……?」
そう口走って、思い出した。
「あ、でも噂は聞いたことあるかもしれない。“エルダーウッディー”って」
「あー、そういや聞いたことあんなぁ……」
ヴォルドも頷いている。
「でもあれって、初級レベルだけどボス敵だったんじゃ……」
言いかけた俺を遮るように、サヤが言う。
「エルダーでもおるだーでも何でもいいんですけど! 絶対、大きくて素敵な皮が取れるはずだったのに! 粉々になって、何にも残らなかったんです! 私の〈ウッディーの皮〉が! ひどいです!」
ついにさめざめと泣き出したサヤを宥めるために、その後しばらく、俺とヴォルドは交互にウッディーを狩って、サヤにその皮を献上する羽目になったのだった。
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その日の夜。
眠りについた俺が目を覚ますと、目の前に“見慣れた”天井があった。壊れかけたエアコンの少し不快な音。シンプルなデジタル表示の時計。
(また、かよ……)
驚きはしないが、昼間あれだけ動いて疲れたのだから、ゆっくり寝たかった気がする。“夢”の中まで疲労は持ち越されないのか、体は辛くないのだが、気分的にしんどい。
起き上がると、勉強机の椅子にディー、いやフェンが腰掛けていた。床に着かない足をぶらぶらさせる様子が、嫌らしい表情と実にミスマッチだ。
「“意味のある”訓練をしてやる」
顔を合わせた途端、フェンは偉そうにそう言った。
「“意味のある”訓練?」
おうむ返しに問い返すが、フェンは答えず、椅子からぴょんと飛び降りてすたすた歩き、部屋の扉を開けた。視線でついてこいと促す。
フェンに続いて一歩踏み出す。と、そこは廊下ではなく、水の滴る暗い洞窟だった。なんだか酷い匂いがする。
驚いて振り返ったが、俺の部屋はもう跡形もなかった。慌てて視線を戻すと、フェンの姿もない。
「え、ここ、どこ?」
思わず口走ると、どこからともなくフェンの声がした。
「わしが再現した、〈苦悶の海の魔女〉の洞窟じゃ」
その声と同時に、風を切る音がして、背後から何かが襲いかかってきた。




