Try[6]="帰着";
――それは、単なる気まぐれだった。
一番歳の近い妹に、戦術の手ほどきをしてやった。気に障ったからだったのかもしれない。あまりに酷くて、同じ血を引いているとはとても思えなかったのだ――
目の前で、浅黒い肌の幼子が床に何かを書いていた。見たこともない風景。不思議な色の家具が並ぶ部屋の中。……霞がかかっているかのように視界がはっきりしない。
――他人にものを教えようなどと思ったのは、それが初めてだった。酷い奴はいくらでもいたのに、他の奴には教えようと思ったことすらなかったのだから、今にして思えば、やはりそれなりに気に入っていたのかもしれない。
――妹には、才能はなかった。“我ら”にしてみれば誰も彼も似たようなものだが、それにしてもとりたてて優れているところなどなかった。ただ、諦めは悪かった。一日でできなければ一〇日で、一〇日でできなければ一月でと、時間をかけて習得していった。覚えろと言ったことは絶対に覚えてきた。
――教わりたいと寄って来たのは、その妹だけではなかった。他の妹達も、その友人たちも、“我ら”が教師の真似事をはじめたと知ると、我も我もと集まってきた。強くないオーガに出世の道などない。このあたりに住んでいるような金も地位もないオーガにとって、強くなることは唯一の望みだったから、まあ無理もない。
――だが結局、続いたのは一番上の妹だけだった。他の者達はすぐに根をあげ諦めたのに、一番上の妹だけは、努力に努力を重ねてついてきた。遥か及ばないにしても、“我ら”と同じ道を歩んでいた。
――気づけば、暇を見つけて課題を与えてやるようになっていた。我が半身は「おまえは物好きだ」と言って笑っていたが、とりたてて反対はしなかった。なんだかんだで、あ奴も妹を気に入っていたのだろう。“我ら”の前には敵はおらず、後ろに付き従う者も皆無だったのだから、ついて来ようとするだけで価値があった――
(これは……夢、か? でも、誰の?)
まるで、ナレーションつきの映画でも見ているかのようだ。ぽつりぽつりと、過去を思い起こすように語られるその口調は、とても優しかった。
早送りで時間が流れ、小さなオーガはいつの間にか大人になっていた。
――何時まで経っても追いついてこないと思っていたが、若手の中ではそれなりに優秀な方だったらしい。軍に入って数年で帝の親衛隊に選ばれた、と部下から聞いた。それとなく聞いてみると、まだまだ及びませんが、などとはにかんで笑った。奇形でもないオーガの中では史上最年少だったそうだ。だが、驕ることなどなく、与えた課題は必ずものにして成果を見せてきた。気紛れで始めた教師ごっこは、いつのまにか数少ない楽しみの一つとなっていた――
(これは、……フェンの記憶、か)
遅まきながら気づく。“我ら”とは、リゥ将軍とフェンのことなのだろう。
若いオーガは、軍の職務の合間をぬって課題を提出しにきた。フェンは、若いオーガがクリアできるぎりぎりのレベルを見極め、それに合った課題を与えているようだった。内容は多岐に渡った。武術、戦術、魔法をはじめ、サバイバル技術や学問まで。フェンが“足りない”と思ったものをその場で教えていく。
――いつものように勝って帰り、報告に来た王城で妹に出くわした。そこで、辺境ではあるが将軍に任命されたと聞いた。
夢の中の〈自分〉が、ちょうど手に持っていた輝石を差し出すと、若いオーガはひどく驚き、それからゆっくりと腑に落ちたように笑った。オーガの細かい表情など読み取れるはずもない俺にも分かる、輝くような笑顔だった。
――そういえば、物を贈ってやったことなんて一度もなかったか。だが、喜んではくれたようで、首飾りにして肌身離さず身につけるようになった。そこまで大事にするのなら、もうちょっと良い物を選んでやればよかったかもしれない。効果も分からない微妙な秘宝だったから、これならくれてやっても帝も文句も言いはすまい、と思っただけだったから――
(なぜ俺はこんなものを見ているのだろう?)
意外と面倒見の良いフェンの一面に驚きながら、同時にそう思う。いや、フェンは意地が悪いだけで面倒見は良い。改めて認識した。
だが、俺がこの映像を見ている理由が分からない。フェンが自分から昔語りをするとは思えないが、ただの夢にしてはえらく詳細だ。
そして、それとは別に、俺はなぜかこのオーガに見覚えがあるような気がしはじめていた。妹というわりに、リゥ将軍には似ていない。何かのイベントで見たんだろうか?
俺の疑問を置き去りに、さらに場面は移り変わる。次に映し出されたのは、簡素な家具が置かれた石造りの部屋だった。城か、砦か。小さく切られた窓の外に、一面の砂地が広がっている。
――何処に行ってもつまらない戦いばかりだったので、暇を見つけて妹の任地へ出向いてやった。ヒューマン共の砦を落とすには兵力が足りない、などと言うので、ホブゴブリン共の使い方を教え、ついでに部下の一人をつけてやった。甘やかしすぎかとも思ったが、ヒューマンごときならどうせ時間の問題なのだ。とっとと片付けて犬共の相手をさせてやったほうがこいつのためだと思った――
(対ヒューマン軍の指揮官、だって?)
フェンと向かい合うオーガ。その装備に見覚えがあった。それは、さっきまで戦っていた……。
――目の前に、体中を槍で貫かれた、変わり果てた妹がいる。他の誰でもない、“自分”がそうさせたのだ。
「馬鹿なやつだ。……本当に最後まで馬鹿なやつだ」
ディーの声で、“自分”が言った。
――弱いのだから、意地汚く生き残れば良かったものを。『流石は〈最強〉の妹』という評価を受け、それを誇りに思っていることは知っていた。それが向上心の源なのだろうと思って何も言わなかったが、やはり教えておくべきだったか。
「強者とは、最後に立っているもののことを言うのだ。死んだものは全て弱者だ。そんなことも分からぬなど。……本当に、馬鹿なやつだよ、お前は」
そう言ってフェンは妹の顔に触れ、優しく撫でた。……そこで、映像は終わった。
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「ここは、どこだ?」
目を覚ますと見覚えのない部屋。石造りの無骨な雰囲気に、一瞬、牢屋にでも入れられたのかと思ったが、肌触りの良い毛布や、少ないながらも置いてある高そうな家具を見て、そうではないと判断する。
「お、目を覚ましたか! 心配したんだぜ? あぁ、良い、良いって。お前にもいろいろあったんだろう? 分かってる、分かってるさ」
辺りを見回していると、ちょうど、扉からマイケルが入ってきた。相変わらず、俺が返事もしないうちに話を進めていく。何でもいいが、髪の毛をかき回すのはやめて欲しい。
「まず、言わせてくれ。……サヤを助けてくれてありがとう」
「え? ……あぁ、あの時のことか。たまたま、俺が助けることができた、それだけだよ」
俺が動けたのは、『言葉がわかったから』だ。でなければ間に合わなかっただろう。それは〈十三聖者〉の力であって、俺の能力じゃない。
「……いや、俺は何も出来なかった。サヤを守るって決めていたのにっ!」
「……マイケル」
握りしめた拳が震えている。いつになく真剣な表情に、かける言葉が見つからない。
「おまえとサヤは、俺の手の届かないところを歩きはじめてるのかもな……」
ふと遠い目になって、マイケルが呟いた。
「……え?」
「……はは、いや、何でもない。それよりカツミ、腹減ってんだろ?」
「あ、あぁ。そういえばそうだな」
「待ってな、スープでも作ってきてやるよ」
言い終わるや否や、マイケルは入ってきた扉から返事も聞かずに出ていってしまった。
「あ。サヤのこと、聞きそびれたな」
まぁ、向こうから何も言って来なかったってことはなにもないのだろうが、気になる。おまけにここが何処かも分からない。
「サヤちゃんはうぉーたのまちにいっているのですよ。そしてここはとりでのなかなのです」
聞き慣れた声。見ると枕元に俺の相棒が、ちょこんと座っていた。マイケルが出て行ったので、安心して出てきたらしい。……心なしか、前より少し大きく見えるんだが、気のせいか? 何か食べ過ぎて太ったのか?
「ディー。……おはよう、俺は何日ぐらい寝ていたんだ?」
「うーんと、……まるふつかぐらい、ですね」
「そう、か」
思ったよりは時間が経っていなかった。前に意識を失くした時は一週間だったから、今回もそれぐらいだと勝手に思っていた。
ゆっくりと伸びをして、ベッドから降りる。少し目眩がしたが、一人で立てないほどじゃない。前はルサ=ルカの肩を借りる事になったことを思えば、ずいぶんマシだ。
静かな部屋。ほとんど物音が聞こえない。
少し高いところにある木窓を開けると、砂丘が見渡せた。いや、砂丘だった場所、というべきか。砂が水を含んで、太陽を受けてきらきら光っている。まるで波打ち際か浅瀬のようだ。
その向こうに、虹をまとって浮かぶ、水の神殿。
たった二日前までこの場所で命がけの闘いが繰り広げられてた、なんて、到底思えないような、静かな光景だった。
「勝ったんだな、俺は」
ぽつりと呟く。いろいろありすぎて実感が湧かないが、この景色はまぎれもなく、俺とサヤが作り出したものだった。
「あ、そうだ。ボスさんからこんなものを拾えたのですよっ」
窓辺に立つ俺のもとへ、ディーがぱたぱたと近寄ってくる。満面の笑顔で差し出された宝石、いやネックレスを見て、俺は雷に打たれたかのような衝撃を受けた。
……それは、つい先ほどの夢で見た、フェンが妹へ贈った秘宝だったからだ。
「どう、なされたのですか?」
ディーが俺のただならぬ様子を心配している。だが俺には、ディーを気遣うような余裕がなかった。
「夢じゃなかったのか? あのボスは、フェンの妹だったというのか?」
夢にしては妙にリアルで、俺の知らないことだらけだとは思っていた。でも。……でも!
「おかしいじゃないか! だって、あいつを殺せといったのはフェン自身だ。あんなにかわいがっていた妹を、なんでっ」
そう。フェンが何も言わなければ、勝っていたのはオーク軍だった。ウォータ軍はせいぜい時間稼ぎぐらいしかできず、その間に俺たちが逃げ出すのが限度だったはず。俺たちを生き残らせるだけなら、あいつを殺す必要は無かった。
「決まっておる。それがオーガの戦いだからじゃよ」
ディーの声で紡がれた台詞。だが口調が違う。そこにいるのは、いつもどおりの嘲笑を浮かべたフェンだった。
「お主らと一緒にいて、分かった事がある。……お主らの訓練は温い、とな」
驚いた俺を無視してフェンは飛び上がる。そして俺を見下しながら、そう言った。
「訓練用の武器、などという存在を知った時には目眩がしたものだがな。だが、納得もした。人間どもの、いや、オーガ以外の種族の弱さの理由がわかったからだ。……命を賭けぬ訓練ばかりしている奴らに、負ける訳など無い」
「訓練に、命を賭ける?」
「そうじゃよ。我らの訓練は、お主らで言う『実戦形式の試合』というやつじゃな。その訓練のルールは一つだけ。距離を置いて線を引き、そこまで逃げた者の負けじゃ」
「え? ……押し出すのか?」
相撲みたいなものだろうか? だが、それだと実戦形式とは言わない気がするが……。
「ふむ。まぁそれでも勝ちにはなるが、そこまで面倒なことをする奴はおらんな。もっと簡単な方法があるだろう。……その場で殺してしまえば、当然勝ちだ」
「……え。訓練で、殺す、のか?」
固まった俺を一瞥して、フェンはふんと鼻を鳴らした。
「儂らにとっては、そちらのほうが疑問じゃがな? 訓練で殺し合いをせずに、どうやって『殺し合いの練習』ができるのだ。死にたくなければ逃げれば良い。その程度の判断もつかぬ奴は、死ねばよい」
「……だから、殺せと、言ったのか」
「そうじゃ。……奴は二度、判断を誤った。一つは将軍として、一つは戦士としてだ。お前には分かるか?」
少し考える。
「いや……。結果だけ見れば、勝つには勝ったけど、一歩でも間違えれば負けていたような、そんな勝利だったと思う」
だから、相手がそんなに間違っているようにも思えなかった。俺たちが勝てたのは、水神とフェンの助力があって、更に運がよかったから、としか思えない。
「そうじゃな。お前らから見ればそうじゃろう。だが、奴は違う。圧倒的優位な状態。数も力も上回った状態で、『万に一つも負けが有ってはならない』のだ。将軍として間違ったのは、水の神殿が浮上する、と言った『不測の事態』に対処できなかったことだな」
「え、いやでも、あんなの俺たちも予想できなかったんだし、しょうがないんじゃ……」
本物の神の奇跡。予測できないからこそ、奇跡と言うんじゃないだろうか?
「ふん、だからお主らは温いといっている。『しょうがない』で死ぬのか? ……はん、そんなもの、儂らは許容せぬ。受け入れぬ! 運命の神の機嫌を伺わなければ生きて行けぬ程度の強さなど、儂らは強さとは言わぬ」
フェンは嗤った。
「我らは当然、そのつもりで生きておる。相手が誰であろうと、……そう、たとえ神であろうと、我らは生き残り、殺し、勝ち残る。そうでなくて、何が“最強”だ? 神の掌の上で踊らされている程度で最強など、滑稽なだけではないか」
「神を、……殺す?」
首筋に、刃物を突きつけられたような、そんな気が、した。
「そうじゃ。……なぜ、儂らオーガが力を求めるのか知っているか? 秘宝を集めているのか知っているか? あの忌まわしきシャンバラの門、そしてその先。そこにいる神共を皆殺しにするためだ。奴らの都合でこの狭い世界に追い落とされた我らの宿願じゃよ。……そう、我らの敵は“神”、そのものなのだ。ならば運命の神ごときに負けるような奴など、足手まといにほかならぬではないか!」
そう言うと、フェンは小さな指を俺につきつけた。
「覚えておけ、小僧。お前が挑む相手は、そのオーガの中でも史上最強の我が半身じゃ。……覚悟せよ、カツミ。お主は神を殺そうとするオーガを超えねばならぬ。ならば最低でも、“運命の神程度”には負けぬ程度の強さを得よ。それがお前が生き残るための、唯一の術じゃ」
そう言うと、窓のところまで舞い上がる。逆光で表情が見えない。
「最後にひとつ、言っておいてやる。……もし罪悪感があるのならば、強くなれ。お前がそこらの雑魚どもに負けぬこと、殺した相手が弱くなかったという事実。それのみが、死んだオーガに対する唯一のたむけじゃよ」
言うだけ言って、フェンは引っ込んだようだった。いつの間にか宙に浮いていることに驚いたようで、ディーがほわほわと声をあげている。
(……フェンなりの気遣い、なんだろうな)
今の言葉に嘘はない。だが、なんだかんだで面倒見の良いフェンのことだ、俺の悩みの答えを教えてくれたに違いない。そしてなにより、あの最強の片割れに『面倒を見ても良い』と思わせられる程度には頑張れているという事実が、嬉しかった。
(殺してしまった事実は変えようがない。なら、フェンの言うとおり、前に進むしかないんだ)