Try[4]="神獣";
可愛らしい声に似つかわしくない、見下すような尊大な話しかた。
「……フェン。何か良い考えがあるのか?」
こいつはいつも唐突に現れ、勝手に喋っては去っていく。けど、話す内容はいつもためになることばかりだ、耳を傾けない訳にはいかない。
「まぁなぁ。……少なくともお主らの案よりはましなものがあるぞ? 聞いてみるかね」
「あるのか? ……もったいぶらずに教えてくれ!」
相変わらずの人を試すようなもの言いに、俺はいつも以上に苛立ち、声を荒げてしまう。だがフェンはそんな俺の態度を気にも止めず、そのままの調子で続けた。
「ふむ。ではまず聞いておくがな、水神よ。その娘が死なぬ程度の奇跡とは、どの程度のものかね?」
「……質問の意味が分からないけれど、……今の時点でも、この子以上の水の使い手は存在しないでしょう。歴代の巫女の中でも、これほどの才能をもった者を、私は知りません」
サヤ、いや水神は、急な問いかけに困惑している。……そりゃそうだろう、俺もフェンは何が聞きたいのか分からない。
「それでも、この子の力だけで全てを滅ぼすなんて不可能ですよ?」
そう、どれほど才能があろうとも、いまこの場で為すことができないならば意味が無い。……だがフェンは、俺達の疑惑の目を気にとめる様子もない。
「魚どもよりも、この地を砂に変えた巫女よりもか! それは良いなぁ! 十分過ぎるじゃないか。ひゃひゃ」
えらくご機嫌だ。この状況でいったい何がそんなに嬉しいのか? さっぱりわからない上に、無性に腹が立つ。
「くくく、訳がわからぬ、といった顔じゃの? まぁ落ち着け、この方法ならまだ時間はあるわい」
くそ、お前が落ち着きすぎなんだ。水神ですら焦りの色が見えるというのに、フェンときたら、ふわふわと空中に浮かびながら余裕の表情でこちらを見下ろしている。
「お主らは、極端すぎるのじゃよ。奇跡だけ、軍隊だけではなく、両方使えば良いのじゃ」
両方というと、……共同作戦とでもいうのか? たしかに、それは考えていなかった。……そうか、どちらか一方だけでは太刀打ちできなくても、両方の力を合わせればなんとかなるかもしれない。
だけど。
「それじゃあ被害が……」
思わず口をついて出た言葉に、自分で驚く。
戦えば、無傷ではすまない。子供の喧嘩じゃない、これは、もう始まってしまっている戦争だ。被害が出るのは仕方がない。……そうはいっても簡単に納得なんてできない。俺があの作戦会議でいらないことを言わなければ、こんな事態にはならなかった。
そこまで考えて、いままで形にならなかった自分の気持ちに気がついた。
(……そうか、俺は、できればサヤと自分の力だけで、ウォータ軍に被害を出さずに、この事態を切り抜けたかった。俺のせいで人が死ぬのだという事実に、向かい合いたくなかったんだ……)
「じゃがな、うまくやればほとんど死なずにすむぞ? それこそ、あの砦に篭って戦うよりもな」
そんな俺の心中を知ってか知らずか、フェンは軽くそんなことを言う。
「すごいじゃないか!? ……でも」
本当だとすれば飛びつきたい言葉だ。……でも、そんなことできるのか?
あの砦は被害を最小限に食い止めることだけを目的に作られ、百年という時間の中で強化に強化を重ねてきた。その上地の利もある、守ることに関してはこの世界有数のものだろう。それを使うよりも被害が少なくなんて、どんな手品を用いれば実現できるんだろうか。
「お主、信じておらぬな?」
俺の疑いを察したのか、フェンは心外だと言わんばかりのため息をついた。
「……お前が嘘をつくような奴じゃないとは思っている。けど……」
「策など用いるように見えない、か? ……ふん、我らのことを『将軍』などと呼ぶくせに、ただの戦士か何かと勘違いしておらぬか?」
そういえば、役職、なんだったな。他のゲームじゃ、一人も率いていなくても将軍っていう設定も多いから、あまり気にしたことがなかった。こっちでも、軍を率いている姿なんて見たことがないしな。
「言っておくがな、小僧。我らは最強であった。それは一対一の戦いだけでなく、軍同士の戦いでも、だ。……お主に負けるまで、戦と名のつくもので負けたことなどありはせぬよ」
俺の無言を肯定と受け取ったフェンは、珍しく不機嫌な顔をして反論してきた。けれどそれでもイメージが湧かない。だって、あの『最強』だ。
「お前らの強さなら、単体で全滅させらるんじゃないか?」
正直なところ、本気でやれば一人で人間全員と戦っても勝てるんじゃないかと思ってしまう。〈一騎当千〉との言葉もある。こいつらなら千どころか万でも足りないだろう。それなら策など弄する必要性が感じられない。
「……考えてもみよ、わざわざ雑兵の一人ひとりを殺して回るなどといった面倒な事を毎回するとでも思うのかね? 一度やってみたがな、あれは面白くもない上に疲れるだけじゃ」
「やっぱりできるんじゃないか……」
思わず呟いてしまう。まぁ、数で押したところでなんとかなるようにはとても思えない。そっちのほうはすんなり納得してしまう。なんというか、普通に想像できるんだよな。
「故にな、戦って面白そうな奴らだけを残し、あとは兵どもを指揮して倒していたのじゃよ。もっとも、そういうことはもっぱらわしの役目であったがな」
昔を懐かしむような目をして、フェンはそう答えた。なんとなく、その風景が思い浮かぶ気がする。退屈そうな顔のリゥ将軍、それをなだめすかし、少しは楽しめる敵がやってくるように仕向けるフェン。……あぁなるほど、それなら理解できた。
「……少しは信用できたかね?」
先ほどまでの優しげな表情は、またいつもどおりの嫌らしい笑みに戻っていた。あんな表情をするのは、片割れのことを思い出すときだけ、か。
「では説明してやろう。……なぁに難しいことはないわい。できる範囲で派手に〈奇跡〉を起こし、混乱している隙に頭を潰す。それだけで奴らは軍の体裁を保てなくなるじゃろう」
どうだ簡単だろう、とでも言いうような表情。……確かに、そう聞くと簡単そうに思える。けれど、
「そんなことで、うまくいくのか? そんなの、策でもなんでもないじゃないか」
当然の疑問だろう。たとえフェンが歴戦の将軍なのだとしても、それにしては作戦が単純過ぎる。
「いくとも。要は時と場所。そこを間違わずに突いてやるだけで、勝敗は決まるものじゃ」
「そんな、ものなのか? こんな大規模な戦いなら、もっといろいろしなきゃいけないことがあるんじゃないのか?」
俺が今まで戦った中で大人数の戦闘といえば、四パーティー合同で戦った三十二人が最大、さらに俺はその中でただの一メンバーに過ぎなかった。それに比べて今回、ウォータ軍は総勢万を超え、帝国軍に至ってはその十倍。……桁が違いすぎて想像もできない。それなのに、その人数を俺が動かすのか? 俺の行動が、ウォータの人々の生死を左右するのか?
「わかっとらんな。大規模だからこそ、じゃよ」
恐怖にすくむ俺を、フェンは鼻で笑った。
「そろそろ時間がないぞ? まぁ、騙されたと思ってやってみよ。わしが嘘をついたことなどないであろう? ひゃひゃひゃ」
く、どうする? 正直、うまくいくイメージが湧かない。こういうことの経験がいちばん豊富なのはフェンだ、それは間違いない。だが……。
「ひゃひゃひゃ、そう不安そうな顔をするな。わしは、『我ら』の最強という名に傷をつけるような事はせぬ」
――二度と、『敗北』など味わうものか――
寒気。いつもどおりの嫌らしい表情だというのに、その言葉には怒りが込められていた。俺に対して? ……いや、たぶん違う。
――絶対ニ殺シテヤル。潰シテヤル、滅ホシテヤル。絶対ニ、ダ――
思い出すのは、リゥ将軍の表情。あの時も怒りに満ちていた。それは、片割れを殺した、『仇』に対するものだと思っていた。けど、今わかった。あれは、俺なんかじゃない。そう、『自分たちの敗北』という存在そのものに対する怒りなんだ。
「……わかった、お前の案で行こう」
いまでも勝てる理屈はわからない。でも、こいつも『最強《リゥ=バゥ》』なのだ、それが負けることなどありはしないんだ。
「では、私は何をすれば良いですか?」
「……サヤ?」
いつのまに水神が引っ込んだのか、彼女にはサヤに“戻って”いた。強張った表情で目を見張り、フェンを見つめている。
「私のためにカツミが、……みんなが戦うというのに、私だけ逃げ出すなんてこと、できないから」
決意の言葉を口にする彼女の手は、隠せないほどに震えていた。強く握りしめたそのこぶしに、そっと手を添える。驚き、こちらを見つめた瞳に、頷きで応える。
「……まず、向かうための足が要る。水神よ、聞こえておるのだろう? その娘に『竜』を目覚めさせよ」
「え?」
「今更否はあるまいな? お主の力を使えば飛べるのじゃろうが、間に合わぬぞ?」
震えの収まったサヤの手を離し、大きく開いた窓から外を見る。はるか遠くに見える土煙。両軍の距離はまだ離れているが、ここから両軍の中間地点までの距離よりは近い。今更、どうやってその場所まで行くか考えていなかったことに気づかされる。
「確かに、普通に走って行ったら間に合わないな……」
どうやらこの神殿が浮上してから多少移動しているらしく、歩いて一日程度だったはずの砦が随分と遠くに見える。歩いていては、行くにしても戻るにしても、着いた時には全てが終わっていた、なんてことになりかねない。
「……わかりました、やってみます」
その声に振り返ると、サヤは目を閉じ、〈竜の卵〉に恐る恐る手を添えていた。どうやら水神と何かを話したらしく、先ほどまでのものとは違う緊張を感じる。
サヤの触れた箇所から、〈竜の卵〉は淡い光を放ち始めた。光はしだいに強くなり、風も起きていないのにサヤの髪がぶわっと広がる。まるで、光が圧力を持ったかのようだ。
「……フェン。結局〈七不思議〉ってなんなんだ? それに、どうすれば目覚めるんだ?」
夕日の赤と、〈竜の卵〉の青。二つの光が幻想的に交じり合うその景色に目を奪われながら、知識の聖者に問いかる。フェンは視線を卵から外さずに、少し間を置いてから答えを返した。
「〈聖者〉以上の秘宝は全て同じじゃよ。……触れたものに資格があれば、試練が始まる。それに合格すれば所有者となるのじゃ」
……試練、だって?
「おい、それじゃあサヤが危ないじゃないか!」
思い出すのはアルミュスの試練。結果的に命の危険はなかったが、こいつもそうとは限らない。いや、〈十二騎士〉よりも格上の〈七不思議〉。より危険な可能性が高いじゃないか!
「そうじゃな」
フェンは俺の焦りを無情に肯定した。だが、間をおかずに言葉を続ける。
「じゃが、その娘には水神がついておる」
「え?」
「格上の秘宝はな、格下の秘宝の世界に介入できるのじゃよ。わしの世界にもそやつはおったであろう?」
「そういえば……」
夢のなかにいた、サヤの姿をした水神。……あそこに水神がいたのはそういうわけだったのか。
「ま、〈七不思議〉クラスともなれば簡単にはいかんだろうがな、水神はその娘のことをどういうわけかことのほか気に入っておる。……どんなことをしてでも守るだろうさ」
……確かに、水神がサヤを危険にさらすとは思えない。分かった上でやらせたんだ、大丈夫なんだろう。信じて待つしか、ない、か。
俺の心配とは裏腹に、〈竜の卵〉が放つ光はさらに強くなった。光は輝く糸となり、瞬く間に、まるで繭でも作るかのようにサヤの全身を包み込んだ。
「〈七不思議〉とは何か、といったな?」
目の前の光景に目を放せないでいると、フェンが語りはじめた。
「答えはな、……『分からない』じゃよ。所有者が変わるたびに全く別の姿を取るもの。それは、『所有者が望む生き物』の姿をとると言われておる」
「え? それじゃあ……」
「うむ。だから、この竜は、そう速くないものの可能性もある、人を乗せて移動するに適さない可能性もあるな。……じゃが、この状況で、それはまずないと考えておる。わしは言った、『足がいる』と。それを聞いた今、望む生き物とは何か。よほど強いイメージでもない限り、何かしらの騎乗できる生物であろうさ」
「……なるほど」
そこまで考えて、ああ言ったのか。何気ない一言だと思っていたのに……。
「ま、違ったら違ったで、いくらでもやりようはある。……ほれ、そろそろ出てくるぞ」
声に促され、更に光を増した繭に目をやる。……何が出てくるんだろうか。飛竜あたりか? 水属性だからって水竜あたりの可能性も……。
パリッ
繭が“割れる”音がした。そして割れ目から強い光があふれ出す。目が、開けられないっ!
――クワッ!――
なんとも可愛らしい鳴き声が響く。……頭上、すぐ上から?
「うわっ、な、なんだ?」
急激な浮遊感。いや、引っ張りあげられている? くそ、目がまだ見えないっ!
「ふふっ、随分と気に入られたようですね、カツミ」
「サヤ? いったいどうなっているんだ?」
下から聞こえる楽しげな声。その様子からして危険はないのだろうが、さっぱり状況が見えない。だんだん目が慣れてきたというのに、見えるのははるか遠くまで広がる外の風景だけ。これは……襟首を掴まれて、ぶら下げられているのか?
「スカンタ、そのミノムシさんを下ろしてあげて」
「え? すか、って」
考える間もなく、今度は急に落下した。なんとか転げることなく着地したものの、衝撃で足がじんじんする。
――クワックワッ!――
また、可愛らしい鳴き声。今度こそと声の方向をふり仰ぐ。そこには……、
「ぐり、ふぉん?」
鷲の上半身にライオンの下半身、だったか? 俺をひとくちで飲み込めそうな大きなくちばしに、巨大な翼、ふかふかした金色の胴体と、太い脚。
「どうですか、かわいいでしょう?」
可愛い? 声がか? まぁよく見れば愛嬌のある顔をしてい……るのか? サヤの感覚はよくわからん。
「……あ、あぁそうだな。竜だというから、もっといかついトカゲみたいなのを想像していたよ」
うん、竜よりは可愛いかもしれない。比較の問題で。
「ふふ、よかったね、スカンタ。可愛いだって」
――クワッ!――
サヤの言葉に前足を上げて喜ぶグリフォン。たしかに、動作だけ見れば可愛らしいかもしれない。でかいうえに、どう見ても猛獣だが。
「……スカンタってのは名前か? 乗せてもらうことは……、できるのか?」
――クワッ!!――
俺の言葉に、今度は頭を下げてここに乗れと首を差し出してくる。うん、性格は素直でいい奴だ。……じゃれつかれたら、と思うと、命の危険を感じるが。
「丁度二人乗れそうじゃの、良い良い」
フェンは予想通りの結果に満足したようだ。……何もかもこいつの手の内で踊らされているんじゃないか。そんな気すらしてくる。
「ほれ、早く征け。そうじゃな、帝国軍の後方にまず向かえ」
疑惑の目を無視して指示を出す『最強』の片割れ。……まぁ今は味方なんだ、気にしてもしょうがない、か。
「サヤ、ほら」
「……はい」
まず、サヤを抱き上げて、太い首に跨がらせる。続いて俺も、立派な首の羽根を掴んでよじ登った。首を下げてくれているとはいえ、目線よりも高いところに助走もなしに登るのはきついものがあるな。続けていたら腕が鍛えられそうだ。サヤの後に跨がり、後から覆いかぶさるようにスカンタの首を掴みなおす。この体勢は……まるで後から抱きついているような……。いや、そんなことを気にしている場合じゃない。やるべきことに集中しなくては。
俺の座る位置が決まったところで、フェンが舞い降りてきた。いつものように右肩に腰を下ろす。
「よろしくね、スカンタ。……カツミ」
振り向いたサヤが、緊張を残したままの表情ですこしだけ微笑む。長い黒髪は乱れ、顔も服も汚れているけれど、強い決意を宿したその顔は、とても美しかった。
そうだ、まだ両軍は衝突していない。いまならまだ間に合うんだ。
「飛んでくれ、スカンタ! あの土煙の向こうへ!」
――クワァッ!――
ひときわ高く、グリフォンが声をあげた。
獅子の足が神殿の床を蹴り、鷲の翼が大きく羽ばたく。その瞬間に強い重力。感じた時には雲を追い越した。
グリフォンは空を征く。……虹を纏う空飛ぶ神殿が、ウォータを守る砦が、そして帝国の拠点が、よくできた玩具のように小さくなるまで、瞬きをするほどの時間さえかからなかった。