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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

魔王様の初仕事

作者: 月水

名前で呼んでほしい。目の前に跪いて頭を垂れているヴィジュアル系顔負けの真っ赤なロンゲにそう告げると、少し困ったように微笑んだ。

そっちだって困ってるだろうけど、私だって困ってるんだ。知識として魔法のイメージはあるけどね、まさか実際に使うことになろうとは。

あれよあれよと流されるまま就任式も生活の準備も一般知識の勉強も準備は滞りなく済んで、私はやっと魔王の椅子に座る。

そして始まるのだ、栄光の魔界生活がッ・・・!


栄えある初日の執務。目の前に置かれたのは白い紙の束だった。というか書類?レポート?

魔王様のお仕事だし、まずは勇者をギッタギッタにするのよね!と一生懸命イメトレしてきた私を白い紙の山が嘲笑っている。

いやホント妄想猛々しいといいますか、何も聞かずに想像してた私も悪いけどもよ。


「ヒル族とスライム族の治水工事について、承認の印をいただきたいのですが」


真っ赤なロンゲの無駄に整った顔を見て、無表情で小さく頷く。ごめんねー、もっと可愛く愛想良い子だったら仕事もしやすかっただろうに、性分なんで直しようがない。

努力はしてると思うんだ、うん、多分。

それにしてもヒル族とスライム族ですか、種族名だけ聞いたらRPGなのにやってる仕事が地味すぎる。もっとこうバーッと魔法で面倒事を吹き飛ばしたり……そういえば魔法で印鑑が踊ったりするかな。

黒いネズミがファンタ○アで箒踊らせてたあの要領でさ。

黒塗りの机の上に置いてある同じく黒塗りの少し大きい朱印を取って、印鑑に魔力を注ぎプログラムを組む。プログラムといっても魔力に簡単な指示を付与すると考えると上手くいく感じがするのよ。

現代人に魔力の流れを感じて全ての現象を支配しなさいったって度台無理な話よね、大体日本人はナチュラリズムで通ってるのよ、シャーマンなのよ、精霊信仰なのよ、敬意を持ちなさい敬意を!ということで自然系魔法の要でもある精霊さんとは仲良くさせてもらっております。

で、その精霊さんたちにキャッキャッウフフと見守られながら、精密に命令を組んでいく。よしよし大体こんなもの。

つい、と指を動かすと印鑑がふわりと浮きあがり猛烈な勢いで印を押し始めた。よしよしよし、働き者のええ子じゃええ子じゃ。

ぺぺぺぺっと印刷機のように散らされる承認済み印の押された書類を風の魔法で空の箱におさめていると。


「桜歌様、それでは困るのですが」


端正なお顔がひきつり笑いで歪んでいらっしゃる。何がいかんというのだね何が。だいたいヒル族とスライム族を何も知らない人間が中身を見て判断するより、先代魔王様から仕えているお前さん以下優秀な部下たちが中身を事細かくチェックしたほうがいいと思うんだ。

というかしてると思うんだ、みんな結構働き者。まだ来てから一週間もたってないけど魔界って平和だし、問題がないってことは魔王がいなくてもそこそこ治世がうまくいってたって証拠じゃないか。

まあ最高責任者に就任はしたんだからハンコはするとしてもよ。

どうだね、思考を読んでくれているロンゲ君よ。

体にまとわりつくロンゲ君の魔力をそのままに、どうよ?と首をかしげて見せる。


「そういう訳にはいきません。何も知らないからこそ、書類からデータを読み取っていただかなくては。あと私はロンゲではありません、シュトラウルという立派な名前がございます」


むう、シュト君よ。人生何事も勉強とはよくいったものだ、学校に入りたいくらいだが齢24の成人女性を入れてくれるほど奇特な学校はあるまい。

というか私が嫌だ、女子高生のピッチピチ混じって精力的に授業を受ける気にはならん。むしろイジメだろ、それって。

大した反論材料もなく、ロンゲ君の視線を一身に浴びながらハンコを押し終わった書類をちまちまと読み始める私であった。


あれから3時間ほど。目の疲れを感じて顔をあげると、印鑑はとっくに仕事を終えて机の上で冷たくなっていた。いやもとから命はないけども。

シュー君がいなくなっているが・・・まさか新しい書類を取りにいってはいないだろうね?

決算報告をぺいっと箱に戻して、一つ大きく伸びをする。燦々と降り注ぐ太陽の光に誘われて、部屋の窓辺に立てば風の精霊さんが笑いながら虚空へと去って行った。

呼べば来るがなんと羨ましいことだろう。

そうだ、私もある意味仕事は終わっている、終わり、放課後、休暇、そうしかるべき権利が与えられてもいいはずだ。

私だって完璧超人ではない、しかもフリーターである私に書類仕事をしろだなんてなんという無茶ぶり、熱湯コマーシャルすら逃げ出す無茶っぷりだ。

無茶振りをされたからにはしかるべき権利を主張しようと思う。心の底から。

箱の上に置かれた書類を一枚ぺらりと裏返しにして、ペンに魔力を込めて一文書き留める。

内容は簡潔にわかりやすく。ばりっばりのキャリアウーマンならともかく私は仕事のできない女、休憩しないと仕事の効率が悪くなってしまう、

恨むならこのしょぼくれた脳みそとなんの面白味もなかった私の人生を恨みたまえ。

窓枠に足をかけて、空中に体を躍らせる。背中には黒い翼を六枚ほど生やし風の精霊さんをお供に従えて、さあいざゆかん我が領地へ!

風切音のうしろで何か音がしたような気がしたけど、気のせい気のせい。

あいきゃーんふらーい、という事でいってまいりますシュー君。読むのはいいがいきおいに任せてその書類は破かないように。


スライムとヒルの村


体に万能防御陣『万能君』を風の精霊ごと包み込むように張り、ジェット機なみの速度で空を走行中。速度に目が追い付かないんじゃないかって?

なめてもらっちゃ困る、この万能君が自動で障害物を避けてくれるので、私は目をつぶっていてもいいのだ。

いやいや、漫画知識だが独自の解釈を加えるだけでこんなに便利な魔法ができるとはね。ほくほくしながら大回転したりきりもみをしたりしているとやがて、下界の景色になにやらぷるぷるしたものが映り出した。

おお、あれが噂のスライム君かな。風の精霊に頼んで地面に降ろしてもらう。パンツルックで本当よかった、スカートなんてはいてたら目も当てられないことになってた。

ぽんぽんと服をはたいて周りを見渡すと、いるわいるわ色とりどりの様々な色をしたスライムとヒルたちが少し湿った泥状の道をうじゅるうじゅると這いまわっている。

なに、巨大なナメクジだと思えばそうそう恐ろしくもない。

さて村はどちらかと周囲を見回していると、一匹の赤いスライムが足元によりそってきた。

何かを訴えるようにむいむい唸りながらしきりに反復移動を繰り返しているので、さっきシュト君が使っていた魔法を最低限簡略化したプログラムで発動させる。

翻訳コンニャク~!じゃなくて『読心』発動!えーと、そこの可愛いスライムちゃんなにか御用かね?


『魔王さまー、魔王さまだー。こんにちは魔王さまー』


はい、こんにちは。じゃなくて、何だ冷やかしか。嬉しそうに足元にすり寄ってくる赤いスライムに思わず苦笑いがこぼれた。

そんなに珍しいかね、嬉しいのかね、ほれほれ好きなだけ触るがいいよ。

かがんでぬるぬるしている肌を人差し指でこちょこちょしてやると、体をぷるっぷるさせてむむむと声を震わせている。感情の波から察するに笑っているらしい、面白いやっちゃな。

指でつついて遊んでいると騒ぎを聞きつけたのか他の歩いていたスライムたちもそろってこちらにやってきて、ぷるぷるし始めた。

色鮮やかなスライムたちに囲まれて騒がれていると気分はアイドルのだけど、ちょっと数が多くなってきたかもよ。

次から次へと押し寄せてくるぷるぷるの内の水色スライムを両手で掴んで目の高さまで持ち上げた。


「今、暇?」


『暇だよー、魔王さまどうしたのー?』


「村まで案内して」


『わーい、いこいこー』


やったーだのきゃっほーだの歓声をあげるスライムとヒルたち。水色スライムを地面に下すとモーゼのごとくスライムの群れが二つに分かれた。相変わらずの賑やかさだがこういうのも悪くないかな。

かくして私は可愛い歓声をあげるスライムやヒルたちと短い言葉を交わしつつ、ぞろぞろと集団で村へと向かうのであった。


神社みたいな鳥居がたくさん立っている広場に案内された私は、代表の水色スライムにここで待っててねーと置き去りにされた。他のスライムたちとお行儀よく待っていると、その水色スライムが少し大きめの紫色をしたヒルを連れてきた

まあスライムとヒルの違いなんて細長いか丸いかの違いだけどねえ、対して変わんないっていうか。その二人がしずしずと目の前まで歩いてくると、紫のヒルがずずいっと目の前に出てきた。


『来てくれてありがと、魔王様ありがとー。村をだいひょうしておれいする』


あ、長老キャラなのか。というか本当に長老なのか?生きてきた年齢の重さというか威厳のようなものがちょっとばかし見当たりませんが。ありがとーとか軽すぎだろおいおい。

気にするなと手を振ると、長老様は器用に体を起こしてべこんと頭を下げた。それがお礼、なるほどお礼だ。ちょっと期待してたのとは違うけど。

水の事できたの?と尋ねられたので頷いてみせると、長老があふんとため息をついて地面に崩れた。文字通りずべしゃっといってしまった。


『水無いと枯れる、いちぞくの血をなくしたくない、かみさまがたえろといっても、なにかにすがりたい』


ひくひくと痙攣して、もしかして泣いてる?周りのスライムやヒルたちも心なしかしょんぼりしている。いったい何があったんだろう、確か書類には大規模な地殻変動による川の断裂や溜め池の枯渇だって書いてあったけど。

要するに地震によって池や川が崩れて水が溜められなくなったと、そういう事だと思ってたけど。


『かみさま、あーすどらごんをつかわした。今は卵、でも子どもがかえると狩りが始まる。水が枯れるのは災厄のはじまり、狩られるのは運命』


なんてこったい。さめざめと泣いている長老を見下ろして思わず息をのんだ。

事態は相当深刻だ。場合によっちゃ子どもを守るドラゴンを相手に戦わなくちゃならない。やっぱりあんな書類を読んだだけじゃ詳しいことは分からない様だね、シュト君。

背中に流した長い黒髪を手首に巻いていたゴムでしっかりアップに固定して気合いを入れなおす。

よし、神様よりも身近で強い魔王様がひと肌脱いでやろうじゃないの。目の前の長老をがっしりと掴んで強く思念を送る。

さあ、そのくだらない運命とやらに抗いたいのならさっさと私をそのアースドラゴンのところに案内しなさい。神様よりも身近で頼りになる魔王様がズバッと解決してやろうじゃないの。

やんややんやとスライムとヒルたちから拍手喝采を受けて、背中に羽を生やしながらビビッと敬礼をして見せた。


どろどろの湿地帯を進むこと、半刻。そよそよと甘い香りが漂ってきた。なんていうか甘い甘いハイビスカスのような香りが微かに鼻をくすぐる。

むむむ、良質の魔力のいい匂いがする、金木犀も顔負けの甘い甘い香りだ。なるほどねえ、これがアースドラゴンの気配ってことか、確かにかなり意していないと気が付かないくらい仄かな匂いだ。調査のためだけに来ていた魔族たちが気付かなかったのも頷ける。

あちらも卵温め中ということで相当警戒してるらしい、やれやれお母さんは大変だ。

懐から細い線で模様を描いた名刺サイズの紙を取り出して、必要量の魔力を流し込む。名刺にはあらかじめプログラムを最低限簡略化した魔法陣が書かれており、必要量の魔力を流すことで魔法を使うことができる。呪文やプログラムを新しく組まなくていいので結構楽なのだ、ただし準備するのが面倒なんだけどね。

名刺から変化した手のひらサイズの鳩に魔力の元を探し当てるように伝える。よしよし、行けい我がしもべよ。

式神がこくんと小さく頷いて森の奥へと飛び去っていく。これでアースドラゴンが見つかったら式神の場所に瞬間移動すればいい。瞬間移動のための魔法陣もある。

ということで長老サマ、少し休憩しないかね。

右手に長老をつかんだまま、その辺の地上二メートル付近にある木の枝に跳び上がってそこに腰を下ろした。地面は泥で湿っていて座りたくない。そして遥か彼方から近づいてくる一つの気配。

ふふふ、やっとおでましかねシュト君。

光の精霊と木の精霊に環境を整えてもらい、自分の魔力で完全に姿を消す光学迷彩の結界をプログラムして張る。

高みの見物を決め込んでいる私のすぐ目の前で、背中から赤い蝙蝠羽を生やしたシュト君が優雅に着陸した。

ふむふむ、なかなか魔力の探索性能はいいようだけれど、まだまだ修業が足りぬよ。焦ったようにきょろきょろと周囲を見渡す情けないシュト君に笑みがこぼれる。


「桜歌様!桜歌!くそっ、小娘ごときが……!」


怒りで歪んだ顔は阿修羅の如くってか。悪かったねえ、千年万年生きた老獪な妖女じゃなくてただの人間の小娘さんで。

そばにいるときは涼しげな何でもないような顔をしていたけど、魔王に選ばれなかった悔恨と上級魔族のプライドは健在らしい。

別に隠すことないと思いますけどね、横からぽっと出てきた異世界から召喚された人間に長年の夢だった魔王の座を奪われたんだから。さらに私のやる気がないと来れば腹も立つでしょうよ。

スライムを右手に掴んだまま、はふうとため息一つ。小娘なんて侮られた言い方されて怒りたいのは山々だがあちらのお怒り気分もそれなりに理解できるわけで。

本当にごめんねえ、シュト君。このアースドラゴンの件が終わったら好きなだけお説教聞いてあげるからね、今は私なりのやり方で魔王様の仕事をさせて頂戴。

蝙蝠羽を広げて空を飛ぼうとしているシュト君の背中に合掌……しかけて、光学迷彩の結界を強制的にプログラムを変更させて簡易式万能君を発動させる。こんな木の枝の上じゃ不安定すぎて怖い。右手のスライムを腋に抱え込んで風の精霊に合図して跳躍の準備をする。

地の底から噴火するように湧きあがってくるような甘い香りが、アースドラゴンの警戒レベルが最高潮に達したことを伝えている。

警戒レベル最高潮、つまり不審者の強制排除。姿を現した私にシュト君が憤怒の形相でこちらに走ってくるが、お説教が始まるまでに風の精霊の力を借りてシュト君の体を滑り込みの要領で抱き寄せ空中に避難する。ゴガン!と森全体を揺るがすような打撃音が響き、地面が恐ろしく揺れる。ガンガンと何度か打ち付けるよおうな音がした後、亀裂音をたてて地面が裂けはじめた。

地中からの圧力に押し出されて少しずつ土が盛り上がっていき、耳が割れるほどの轟音と共に鈍色の鱗に包まれた尻尾が姿を現した。わお、なんたる圧巻。まさしくファンタジー世界を代表するものと言ったところだ。

周囲の大木を薙ぎ払い、叩き潰して現れたのはなんとミミズ……いや一応鱗があるからドラゴンか。黄土色とこげ茶色が混ざったような保護色にびっしりと小さな粒のような鱗が生えている。目は瞼が下りているが小さなものが四つ横並びで、スコップを裏返しにしたようなへらべったい顔についている。足は全部で八本で前足四本が異常に長く鋭い爪が生えているのに対して、腹足二本と後ろ足二本は若干短い。

まあどう良くみても気持ちが悪いです。初めてシュモクザメを見たときの気持ちをおもいだした。


「なっ、な、な、どういう事だ!?」


こらこら、肩掴むまでは許すががっくんがっくん揺さぶるのはやめてくれるかねシュト君。というか結構酔っちゃうわけですが、君の力加減だと。アースドラゴンの身じろぎで揺れている地面と揺さぶられる振動で景色が二倍に見えています、止めてね本当に。

体から少量の魔力を出して手を弾くと、右手に掴んだままだった長老をぐいっとシュト君に押し付けた。


「ソレから聞いて」


光り輝く美麗なお顔にべっちょりとヒルを押し付けて嫌がらせしたのはご愛嬌ということで。静かになったシュト君は置いといて、興奮した様子で息も荒く四つのつぶらな瞳をきらめかせてこちらを見つめているアースドラゴンに向き直った。

まあなんてでっかいミミズ……じゃなくてドラゴン。昔やったゲームを思い出してしまう、皮とか剥ぎ取ったら金になるかもしれんね。

防御陣はそのままに、にっこりと笑みを浮かべて地面に降りて服の埃を少し払う。

空から作った式神が急降下してきて、手のひらの前で一片の紙に戻った。はい、お帰りなさい、ご苦労様でした。紙を懐に戻したところで、ドラゴンが大きく避けた口を大きく開けた。


『当代魔王か』



黙って頷くと、値踏みするような視線が降ってくる。おや、この人もしや戴冠式に来なかったな。全国放送されたって言ってたけどこの調子じゃまだまだ魔王が代替わりしたのを知らないモノ達が多そうだ。

それにしても説明しなきゃいけないのにお喋りするのがすっごく億劫だ。懐からさっきとは別の黒い紙を取り出して魔力を込める。さてさてごめんね、アースドラゴンちゃん。

術の発動した紙を風の精霊付きでドラゴンの額目がけてぺいっと飛ばす。軽く音速を超えたそれはドラゴンの顔振りにもめげずに、額のど真ん中にしっかりと着地した。いよっ、風精霊ちゃんいい仕事してる!


さて、これで話が通じるようになったかね?


『……当代魔王は紛らわしい事をするのだな』


うん、うん、よく言われる。まあ気にしないでくれ、声を出すのが面倒なんだ。別に危害を加えようなんて思っていない。

ただちょっと住処を移動してほしいだけで。


『この程よく湿った餌の豊富な楽園をみすみす手放せと』


そうだねえ、きっと貴方にとってはいい土地でしょう。ほどよく調整された湿度に地熱、餌からは報復もない。でも少しやりすぎたね、貴方が巣穴を作る時にうっかりため池を壊しちゃってるんだ。スライム達の命綱であるため池をね。

ただでさえ数が少なくなっているところに、子供の餌だって乱獲されるとスライムとヒルという生物の一番大きい集落が魔界から消えてしまう事態になっちゃうんだよね。それは困るんだ、管理する側としては。スライムやヒルは水精霊に愛されている、水を清らかにして水害が起こらないよう押さえてくれているんだ。

その集落をなくすということは、水精霊に見限られるという事だと思わないかね。


『何故そのような下等な物体に我が思慮せねばならんのだ。水など空から無数に降ってくるではないか』


そうは言ってもそれぞれの個体にはそれぞれの役割があるんだからバランスを取るのも重要だ。アースドラゴンにはアースドラゴンの、スライムにはスライムの存在価値がある。

特にこんな世界じゃどの種族が欠けても取り返しのつかないことになるんだから、あまり下等だのなんだの言わないことだ。

神は平等に生き物を作っていらっしゃる、命に貴賤などないよ。さあ命令だアースドラゴン、この場所を明け渡しなさい、餌が欲しいなら魔王城に来るといい。


『断る、断るぞ当代魔王。我は初めての出産を迎えるのだ、なるべく良い状況下で子育てをしたい。それにこのように肥沃な土地を他のドラゴンが見逃すはずがなかろう、欲しいものは奪い取れと本能が訴えかけている。魔王がどれほどのものか知らぬが我の邪魔はさせぬ』


ふしゅるふしゅると鼻息荒く、静かに戦闘開始を宣言したアースドラゴンにこちらも胸に手を置いて礼を交わす。そうだね、ここは弱肉強食の獣の世界。強いモノが勝利をつかみ、世界を意のままにできる無法地帯。

話し合いなど愚の骨頂ということだねえ。額の名刺は貼り付けたままで魔力を絶って通信をオフにし、胸に隠した戦闘用魔法陣数十枚の名刺全てに魔力を行きわたらせて周りに浮遊させる。防御陣をシュト君と長老の分と私の分に分けて二つ張り、これにて戦闘体制万全。

アースドラゴンの鬨の声ににっこりと笑って見せる。さあ聞き分けのないお姉さまに魔王とはなんたるかを教えてさしあげましょうか。

振りぬかれた尻尾を跳躍で交わして、背中に回り込む。飛んできた礫など万能君の前では目隠しにもならず、細かな鱗に包まれた肩の辺りに威力を抑えた火の魔法陣の魔法その1ファイアボールを叩き込む。変温動物だろうし電気や氷よりは火のほうがマシのような気がする。いやあくまで気がするだけだけど。

振り向きざまに振られた尻尾をファイヤウォールで受け止めて、火で作った蔦を這わせる。鱗が焦げて爆ぜる音と、肉の焦げる香ばしい……いやいや、邪念はいけない。とにかく痛そうな音をたてて焦げ付き暴れ狂っているアースドラゴンの尻尾を風魔法応用でカマイタチを作って根本から切断する。トカゲならぬドラゴンの尻尾切りってね。

バランスを崩して倒れた体の上に重力魔法基本の重力増加をかける。腹に圧力をかけまいと両手両足を突っ張っているのが涙を誘う。うんうん、母は強いぞ、そのまま頑張れ未来のお母様。

さーていつになったら降参するかなーっと鑑賞モードに入りかけて……シュト君と目があった。律儀に長老様を腋に抱えて、じっとりとした視線でこちらを見ている。おやおや、シュト君たら随分熱の籠った視線を送ってくるのだね、まあ無事でなによりだ。

木の魔法基本を発動させ、蔦を絡ませて足元に二人分の腰かけを作る。さあどうぞ、一緒に鑑賞会といこうじゃないか。

ドラゴンの苦悶の声をBGMにおいでおいでとシュト君を隣に座らせる。


「あなたは……心が痛まないのですか。仮にも同族に対してこの様な扱いをして」


では聞くけれど同族でなければ構わないのかな。私がしている事は君たちの遠い先祖が人間たちにした事となんら変わりないじゃないか。人間なら何をしてもかまわない、でも同じ魔族に蛮行を強いるのはダメだなんて差別してはいけないよ。

それに私は彼女のやり方に従っただけなんだよね。アースドラゴンは確かに言った、欲しいものは奪い取れと。彼女が欲しいのは肥沃な大地と出産場所、そして私が欲しいのはスライムたちの平穏。両社の意見がかみ合うことはないね。

微笑みを込めてシュト君を見つめると渋い顔をしたシュト君が長老様を手渡してきた。あらら、無事だったかな長老サン。


「……危険な事はなさらないで下さい。相手は仮にもランクBのドラゴン族です、せめて私なり親衛隊なり連れて歩いていただかないと我らが面子がたちません」


ふむ、シュト君は私にたかだかうすっぺらい面子のために後ろから味方に攻撃されて死んで欲しいといってるのかな?だとしたら随分恐ろしいことを口走っているようだけれど、ご先祖様に挨拶する準備でもできたのかな。

視線はそちらに向けず闇色をした名刺だけをくるりと向けて威嚇する。一瞬シュト君の体がぞわりと総毛立ったが流石は上級魔族、恐怖をすんでの所で堪えている。ふふふ、その頑張りに免じて今回は許してさしあげよう。君は私の心を知らない、私は君の心を知らない、私はこの世界の総意を知らない、どうあるべきかも知らない。

ただ、やりたいままにたゆとうだけの人間だと言うことを忘れないようにすることだね。

八つ当たり気味にアースドラゴンへの負荷を上げると、さらに悲鳴があがる。なかなか根性があるね、そこまでしてこの土地に居座りたいのかね。

耐えかねるといった様子で、シュト君がアースドラゴンの前に歩いていく。何をするのかと見守っていたら、一人と一匹は何やら私にはわからない言葉で話を始めた。

おとなしく話をするのならと重力魔法を解いて、身振り手振りで話すシュト君と弱弱しく体を横たえるアースドラゴンをじっと見守る。腋に抱えたヒルの長老さまを地面におろすと慌てたようにむいむい鳴きながら足に縋ってきた。そんなに心配しなくってもちゃんと守ってあげるから。ぺちょぺちょと長老の頭を撫でて小脇に抱えるとシュト君の隣に立った。

警戒して体を起こしかけるアースドラゴンに手を挙げて、そのままでいるように思考を送る。一瞬シュト君がちらりとこちらを見たが、気にせず言葉をつづけた。


「ですので、どちらにせよ手を入れなければこの池は池として機能しないのです。今現在居心地がよくても近い将来、子どものためにこの土地を捨てることになるでしょう」


目を閉じたままシュト君の長い言葉に静かに耳を傾けるアースドラゴン。上級魔族の言うことはよく聞くのだねえ、やはり人間じゃ説得力に欠けるだろうか。それとも言葉が足りなかったのだろうかね。

この面白くない感情は後でシュト君をいじめることで発散するとしようか。

暇も暇なので長老さまを転がして遊んでいると、やっとあちらの話がついたらしい。アースドラゴンが何かいいたそうな目をしていたが、ただ軽く頭を下げると土の中へ潜っていった。

それを見送るシュト君の傍らに立って、軽く袖を引っ張る。それで、どうなった。


「私の領地の泉のほとりに巣を作るよう了承させました。……魔王様、私の言いたいことがわかりますか」


黙って首を振ると、シュト君があきれましたと言わんばかりに額に手をあてて頭を振った。


「武力行使もいい加減になさい。初めての出産で大いに気が立っているアースドラゴンに喧嘩を吹っ掛けるとは何事ですか、女性会の面々が聞いたらお説教じゃ済みませんよ」


私はお説教もお小言も嫌いだよ。あと聞き分けのないモノものもね。……長老様、これで話は終わりだ。もう少し我慢すれば住処も元通り修復するよ、それまでスライムやヒルたちを頼む。

お礼と共にぺこりと頭を垂れた長老さまに右手をかざして、魔力をわけあたえるとそのまま転移の魔法に乗せた。長老さまが知らせてくれなければどうなっていたことか、ほんの少しだけれどこれは私からの気持ちだよ、ありがとう。

光と共に長老様が消えると、入れ替わりでシュト君が目の前に立った。ん?なんかプルプルしてるような……怒ってるような?

なんじゃいなと相手を見上げると青ざめた顔で全身を震わせている。


「な……お、桜歌様!?就任の時に申し上げませんでしたか、魔力を分け与えるのは魔王のお気に入りと公表したのも同義だということを!こんな辺境のスライムごときに与えていいものでは」

 

やれやれ賑やかだねえ、本当に。懐からカードを一枚取り出して魔力をのせ、目の前で騒ぎ立てているシュト君の額にべちりと貼り付ける。

思考+金縛りの魔法、備えあれば憂いなしってね。

で、シュト君は私の考えを無視して一体何を騒いでいるのかな。大事なことだからもう一回いうけど、私の考えよりも自分の考えの方が正しいと思っているわけなのかな?

就任したての若造だし、昔から続く風習を無視してそういうことをされたら困るって?それとも私を差し置いてそういうことをするのは面子とやらがたたないとかそういう話になるのかな。

口まで閉じられてむいーむいー唸っているシュト君の唇をそっと人差し指でなぞる。

うむうむ、発言のみ許してあげよう。


「そういったことではございません、桜歌様!貴方のその無責任な行動でスライムたちに被害が出るやもしれぬのですよ!理性あるものばかりではありません、対象者を殺して魔力を奪うなどそれこそ神話の時代からなされてきたのです。その対象がスライムたちにかわるかもしれないのですよ!」


ああそうだね……それならその種族自体を強くしてしまえばいい、そうだろう?

唖然とするシュト君ににっこり笑って、スライムとヒル族で魔界全体に検索をかける。ハーフ、クォータその他様々な種類が出てくるがまあ純潔の種族だけでいい。

流石に世界を飛び回るわけにはいかないから、魔力のみを点在するスライムとヒルたちの体内に直接転移させる。体から抜けていく力の量が半端じゃない。少しでも気を緩めば崩れてしまいそうになる足に必死に力を込めて、額から滴る汗をぬぐう。

急激な魔力の放出でがくがくと震える体を両手で抱きしめて、シュト君ににっこりと笑いかける。

こうすればいいだろう?他の種族にも負けないように、永遠に平和に生きられるよう。


「そんな……あなたは」


どうかそんな目で見ないで。誰かが殺されるなんて思いたくない、それが自分の過失なら尚更の事。責任の取り方にはいろいろあるだろう、世界のバランスを崩さないように魔王の意思に逆らわないように、そして私の考えるままに。どうしようなんて迷わないで、ただいつもそばにいて私のワガママな間違いを正してくれればいいんだ。

歳いった熟練の長老たちに埋もれていた君を見つけた時に思ったんだ、見た目もよく似ているし気が強そうな意見を曲げなさそうな奴だって。だから、頑固な私でもうまくやれるかなって。ふふふ、厄介ごとばかり押し付けて悪いね。

額にかかる湿った前髪をかきあげて、笑みを浮かべる。ああ、シュト君の言葉が返ってくる前に仕事が終わりそうだ。

世界の果てに残っていたスライムたちまで魔力が行きわたったのを確認して、今度は全力で放出していた魔力を抑え込んだ。ついでにシュト君にかけていた金縛りも解除する。魔力の状態を維持から回復に移行、残った魔力は全体の30パーセント程度だ。まあそんなもんでしょう、個体数も多かったから。ポケットからハンカチを取り出して、額の汗を拭いているとシュト君が何も言わずに手を差し伸べてきた。


「城へ戻りましょう、とにかく今は体を休めなければなりません。」


失礼、と一言。背中とひざ裏にシュト君の手がいって、そのまま軽々と持ち上げられた。所謂姫抱きというやつだね、カッコいいじゃないかシュト君。

まだ空を飛べるくらいの魔力は残っているがここは素直に甘えるとしよう。ふわふわとハンモックにゆられているような浮遊感と人肌が心地良い。

ちょっと、無理、しすぎたかな。まどろむ意識の中で包んでくれている温かさにほんの少しだけ魔力を分け与えて、眠りについた。


ありがとうございました。

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