ベアトリス 1
本日二回目の更新です!
ベアトリス・モランが、ヘンウッド国第一王女――すなわちベアトリス・マクブライド=ウォリナー=ヘンウッド第一王女であったときの話をしよう。
ベアトリスは母譲りの金髪碧眼の、けれども顔立ちはどちらかと言えば父方寄りの、可愛いと言うよりは美しいと評されることが多い顔立ちの娘だった。
ベアトリスはヘンウッド国王――誕生当時はまだ王太子だったが――父フランクと、母アナスタージアの間に生まれた。
アナスタージアは王家とも深いつながりのあるミューア公爵令嬢であり、父と母は王族には珍しい恋愛結婚だったそうだ。とはいえ、そこに政略的な思惑がまったく含まれなかったのかと問えば否となるが。
四歳上に兄ニコラスがおり、生まれた当初はベアトリスを取り巻く環境はまだ平和的だったと言えよう。
変化の兆しが感じられたのは、ベアトリスが五歳になった頃からだろうか。
当時国王の椅子に座っていた祖父が体調に変調をきたしてから、少しずつ城内の雰囲気が変わっていた。
父の従兄であり、祖父にとっては甥にあたるデイヴィッド・プリチェット公爵が、早世した彼の父に代わり宰相の椅子に座ってからと言い換えることもできる。
祖父の体調が思わしくなくなる少し前からデイヴィッドは宰相の位を得、少しずつ城内で幅をきかせるようになっていた。
とはいえ、王家の血を引く彼は、宰相の座を得る前から頻繁に城に出入りしていたし、彼の娘であるアンジェリカ・プリチェットもまた、我が物顔で城の中を闊歩していたが。
ベアトリスにとって、このアンジェリカというのがどうにも面倒な相手だった。
年はベアトリスと同じ。
アンジェリカとベアトリスがはじめて顔を合わせたのは四歳だったろうか。
どういうわけかアンジェリカはそれ以来ずっとベアトリスを目の敵にしており、口を開けば「わたくしが王女だったのに!」とよくわからないことを口走っては癇癪を起す子供だった。
それは、ベアトリスが七歳になっても変わらなかった。
というか、日を追うごとにエスカレートしていた。
最初は癇癪を起して喚くだけだったアンジェリカが、手を出すと言う原始的な方法を思いついたが、ちょうどこのころの頃だ。
最初の事件は、ベアトリスが世話役の侍女と共に庭を散歩しているときに起きた。
父親にくっついて城を訪れていたアンジェリカは、その日、実に機嫌が悪かった。
というのも彼女は物心ついたときからベアトリスの兄ニコラスの婚約者の座を狙っていた。
アンジェリカは幼い頃から野心家で、どうすれば自分がこの国で一番になれるかをずっと模索していた。そこで思いついたのが未来の王妃というわけである。
しかしながら、兄は癇癪持ちで我儘で、さらには妹であるベアトリスになにかと意地悪をするアンジェリカのことを煙たがっており、まったく相手にしていなかった。
どうやらその日もニコラスに突撃し、すげなく撃退された後だったのだろう。
機嫌の悪いアンジェリカは、ベアトリスを見つけて憂さ晴らしを考えたらしい。
いきなり進行方向に立ちふさがったアンジェリカは、腰に手を当て、七歳の子供可愛らしさなんてどこかに忘れてきたかのような意地の悪そうな笑みを浮かべ、傲慢な態度で言い放った。
「邪魔よベアトリス! わたくしの道を塞がないでくれる?」
ベアトリスはその時、東庭に作られた人工的な小路を歩いていた。
赤茶色の煉瓦を敷き詰めて作られた、緩やかに蛇行する小路だ。
散歩用に作られたものである。
その道に、芝生を横切って表れて通せんぼをしたのはアンジェリカの方であるのに、彼女はさもベアトリスが道を塞いだかのような態度だった。
(プリチェット公爵は、娘の教育に興味がない人なのかしら?)
七歳と言えば、そろそろ分別を身に着けてもいい頃だろうに。
ベアトリスが言い返す前に、世話役の侍女が眉を寄せてアンジェリカの前に立ちはだかった。
「王女殿下に対して無礼ですよ、アンジェリカ・プリチェット公爵令嬢」
たしなめられて、アンジェリカの顔に朱が走った。
「わたくしが無礼ですって⁉ わたくしはこの国の王女よ‼」
補足しておくならば、確かに王族の血を引く子供が王女や王子を名乗るのを許可されることはままある。
しかし先王だった曽祖父は自身の子供のうち、臣下に下った者の子に王子や王女を名乗らせなかった。
つまり、デイヴィッド・プリチェットの父親は王子を名乗っていたが、その子供であるデイヴィッドは王子という敬称はついておらず、デイヴィッドの娘であるアンジェリカもまた同じである。
王子や王女という敬称は、王が認めた者にしか名乗る許可はない。
なるほど、アンジェリカは確かに、もし曽祖父がデイヴィッドに王子を名乗る許可を与えていたら、もしかしたら王女という呼称を得ることが可能だったかもしれない。
けれど現実はそうではなく、許されていないものが王女を名乗ることは不可能だ。
アンジェリカが自分は王女だと口にすることは過去にも何度かあったが、これまでは幼い子供の戯言だと軽く注意されるだけで済んでいた。
だが、七歳を数えた今となっては事情は変わって来る。そろそろ分別がわかってもいい頃だ。
案の定、ベアトリスの世話役の侍女はこれをよしとはしなかった。
淡々とアンジェリカを見下ろして言う。
「この国で現在王女殿下を名乗ることを許されているのは、ベアトリス様だけでございます。アンジェリカ・プリチェット公爵令嬢は王女ではありません」
その言葉が、アンジェリカの逆鱗に触れた。
癇癪持ちの彼女は、侍女の足元まで走っていくと、思いっ切りその向う脛を蹴とばしたのだ。
子供の力とはいえ、向う脛を蹴とばされたら痛い。
侍女が思わずその場にしゃがみ込むと、アンジェリカはその横を走り抜け、ベアトリスに向かって思いっ切り大きく手を振りかぶった。
パシン!
乾いた音がする。
アンジェリカに頬を思い切り殴られたベアトリスは茫然とした。
アンジェリカはその勢いのままベアトリスの髪を掴んでまくしたてた。
「わたくしが王女よ! あんたが、あんたなんかが生まれたからわたくしが王女を名乗れなくなったのよ! 恥を知りなさい! この、どろぼう‼」
めちゃくちゃである。
髪を思いっ切り引っ張られて、ベアトリスは必死に抵抗した。
幸いにして騒ぎを聞きつけた衛兵が駆けてきてアンジェリカを引き離してくれたので大怪我をしなくてすんだが、生まれてこの方誰かに乱暴を働かれたことのなかったベアトリスは衝撃を受けた。
そして、ベアトリスはこれまで曖昧の元に置いておいたアンジェリカに対する線引きを、確かにした。
アンジェリカは、敵である。
さらにその後、驚くべきことが起きた。
王女に暴力を振るったアンジェリカが、その罪を不問とされたのである。
子供とはいえ、さすがに王女に手を出せば謹慎処分程度は言い渡されるだろう。
だと言うのに、娘の罪をプリチェット公爵があの手この手でもみ消し、「子供だから」という理由ですべてを不問にさせた。
まあ、それであっても、個別に国王である祖父に――アンジェリカにとっては大伯父に――呼び出されて説教されるという憂き目にはあったようだが、王女を殴り髪を引っ張ったにしては甘い処置と言えるだろう。
ベアトリスは子供ながらに、何かがおかしいと感じた。
それは漠然とした勘でもあった。
プリチェット公爵の意見に同調する貴族が、思いのほか多かったように感じたからだ。
その瞬間、ベアトリスはプリチェット公爵を要注意人物と定め――それからしばらくして、ベアトリスは己の勘が正しかったことを悟ったのだ。
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