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大悪令嬢 ー最凶の悪鬼と貧弱令嬢ー  作者: ぐんそう
第一章 砂糖菓子の夢に溺れて死ね
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エピローグ  灰は灰に

 燃え盛るベルン領の夜空を遠目に眺めながら、帝国軍指揮官であるレゼン将軍は、ひどく冷めた声で撤退の号令を下した。


「……退け。これ以上は無駄な血が流れるだけだ」


 その言葉通り、帝国軍の被害はレゼンの想定を遥かに超えていた。

 辺境の小領主一つをすり潰すだけの、簡単な作戦のつもりだった。だが、蓋を開けてみれば『黒曜の牙』による鬼神の如き抵抗によって、前線部隊は文字通り挽肉へと変えられてしまった。


 (王国の辺境が、ここまで手強いとはな。……盤面を見誤った。私の油断だ)


 レゼンの顔が、微かな自嘲に歪む。

 だが、収穫が全くなかったわけではない。彼らの部隊が今回試験的に投入した新兵器『火弾槍』――魔力を物理的な爆発力に変換して撃ち出すその兵装は、実戦において十分な破壊力を証明した。

 三度の連射で槍身が熱を持ち暴発するという致命的な欠陥も露呈したが、それもこの実地データがあれば本国で改良できる。


王国ユベールの狸オヤジに、これ以上都合よく使われてやる義理はない。我々は帰還する」


 レゼンはマントを翻し、馬首を反した。

 彼らが去った後には、屋敷以外の全てが灰燼に帰したベルンの惨状だけが残されていた。


 ◆


 一方その頃。戦火から遠く離れた安全な陣営で、ユベール公爵は優雅に赤ワインのグラスを揺らしていた。

 彼のもとへ、血相を変えた伝令が駆け込んできたのは、ちょうどその時だった。


「ほ、報告いたします! 帝国軍がベルン領への攻撃を停止! 全軍、国境を越えて撤退を開始した模様です!」

「ほう」


 ユベールは満足げに目を細め、グラスに口をつけた。

 マーサの働きで手薄になったベルンを帝国が食い破り、疲弊した帝国が引いていく。公爵軍が帝国を打ち滅ぼすというシナリオからは外れてしまったが、結果としては悪くない。


「ご苦労だった。ベルンの田舎男も、帝国の恐ろしさを骨の髄まで味わったことだろう。……で、私の花嫁アデレータはいつこちらへ到着する? マーサからの連絡は?」

「そ、それが……」


 伝令の兵士は、まるで死刑宣告を待つ罪人のように激しく震え、顔面を蒼白にしていた。


「焼け落ちたベルンの家屋の傍で、ご遺体が、発見されまして……」

「……遺体だと?」


 ユベールの声から、温度が消えた。


「は、はい。ひどく焼け焦げており、その、お顔の判別はつきませんでしたが……残された金糸の髪と、身につけていた貴族のドレスから、間違いなく、その……エ、エルマ・ベルン、いやアデレータ令嬢のものかと……っ!」


 ガシャンッ!!


 硬質な破砕音が、静まり返った天幕に響き渡った。

 ユベールの手から滑り落ちたグラスが粉々に砕け散り、極上の赤ワインが、まるで血溜まりのように絨毯を赤く染めていく。


「な、なにを、言っている……? 死んだ? 誰が? 私の、アデレータが?」


 公爵の顔から表情が抜け落ちた。虚ろな瞳が、足元の赤い染みをじっと見つめている。

 ダイナとエルマが服を交換して逃げたことなど、狂気に呑まれた男が知る由もない。見つかったのは金糸の髪とドレス。それすなわち、彼が執着し、手に入れるはずだった『過去の幻影』の完全な喪失を意味していた。


「アァ……あぁぁぁああああっ!! アデレータ!! アデレータァァァアアアッ!!!!」


 ユベールは絨毯に這いつくばり、割れたグラスの破片で手を血だらけにしながら、喉が張り裂けんばかりの絶叫を上げた。

 辺境の小娘などではない。彼にとってそれは、最愛の幻影が再び理不尽な暴力(帝国)によって奪われた瞬間だった。


「許さん……許さんぞ!!」


 血まみれの手で己の顔を掻き毟り、ユベール公爵は夜の闇に向かって獣のように吠え猛った。


「帝国ゥゥウウウッ!! 私の愛を! アデレータを奪った野蛮な獣どもめ!! 一人残らず、根絶やしにしてくれるわぁぁぁあああッ!!」


 身勝手な欲望でベルンを裏切り、死地へ追いやった男は、自らの謀略が引き起こした炎によって、自らの精神を焼き尽くし、ただの狂人へと成り果てた。


 かくして、彼らの与り知らぬ暗闇の森の奥底で、すべてを失い、すべてを憎悪する『黒曜の牙』が産声を上げたことなど露知らず。

 狂気と謀略、そして新たな復讐の連鎖を孕んだまま、第一章の幕は重々しく下りるのだった。


 ◆


 (こっちだ)

『ああ』


 夜の森を駆ける一つの影があった。

 泥と返り血に塗れ、ボロボロの真っ赤なドレスを纏うその姿は、かつての泣き虫な令嬢の面影を、すでに微塵も残していない。

 不揃いに切り落とされた金糸の髪が、獣のように夜風を切り裂く。暗闇の中、彼女の右目は本来の菫色を湛え、左目は悪鬼の狂気を孕んだ黄金色に爛々と輝いていた。相反する二つの光が、どこまでも続く漆黒の森の先を鋭く見据えている。


 (アズガルド山脈には、裏社会の連中しか知らねぇ獣道がある)

『……帝国へ向かうのね』


 肺は焼け付くように痛み、傷だらけの足は泥にまみれている。それでも、小柄な身体を突き動かすその足取りには、一切の迷いも恐怖もなかった。


 (そうさ、小娘。楽しい楽しい外遊さ)


 脳内で響き渡る、血に飢えた悪鬼の凶悪な哄笑。

 それに呼応するように、すべてを喪失した少女の血塗られた唇が、夜の闇に紛れてひっそりと、三日月のように吊り上がった。だが、それはまだひどく不自然であった。

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