シルヴィウス・ロータスという男
ルチアはきょとんとした顔で、悲鳴をあげる姉たちを見ていた。
ロータス公爵という名前をルチアは知らない。そもそもまともな教育を受けていないせいで、料理や洗濯や掃除や縫物、薪割りや火起こし、水汲みや、食べられる野草の採取ぐらいしかルチアには知識がないのだ。
貴族の名など知るはずもなく、姉たちが悲鳴をあげる理由もよくわからない。
ただわかるのは、『ロータス公爵と姉が結婚をする、とてもめでたい』ということぐらいである。
「おめでとうございます、お姉様! 結婚とは、とても尊いことですね!」
愛の女神は、愛を尊ぶ。
恋愛、結婚、出産など──人間たちの営みを、ファルアリリスは祝福していた。
もちろんルチアも同様だ。そう思ったからそう言ったら、ものすごい勢いで姉たちが睨んでくる。
「お前は、本当に不気味で嫌な女だわ!」
「私たちがこんなに辛い思いをしているのに、おめでとうと言うなんて!」
「この馬鹿は、何もわかっていないのよ。何を言われても、何をやらせてもにこにこするばかりで、知恵が足りないに決まっているわ。ジェイソンも可哀想に、こんな子を自分の娘として扱わなくてはいけないなんてね」
姉たちに続いて、カッサンドラが気味の悪い虫でも見るような視線をルチアに向けて、何かしらの悪口を言った。
とはいえ、ルチアにはよくわからない。頭が悪いといわれれば、知らないことが多いのでそうなのだろうと思う。にこにこするのは、人間として生きていることが嬉しいからだ。
不気味だといわれれば、もうしわけないと思うばかりである。
「あんな血みどろ公爵と結婚しなくてはいけないなんて」
「ロータス公爵領は呪われているわ。魔物もとても多くて、土地が呪われているせいでろくに作物もとれないそうよ。公爵は魔物を毎日殺していて、いつも血の匂いがしているというじゃない。お金もなければ、食べることもできない、そして恐ろしい旦那様。そんな結婚、不幸でしかないわ!」
「ジェイソン、今すぐ断って……いえ、断らなくていいわ。そうね、ここにいい結婚相手がいるじゃない」
姉と義母が、そこで一斉にルチアを見た。
ルチアは目をしばたかせて、それから軽く首を傾げる。
「ルチア、約束を反故にはできない。ロータス公爵に嫁いでくれるか?」
そう父に言われて──ルチアは「はい、お父様がそうしてほしいというのなら、もちろんです」と頷いた。
シルヴィウス・ロータス公爵とは、呪われた土地に住む公爵である。
魔物退治に明け暮れる、力だけは強い男だ。血みどろ公爵と、社交界では呼ばれている。
そんな彼にジェイソンは救われて、礼はいらないと言う彼に、娘を嫁にすると約束をしてしまった。
だからルチアは、風呂に入れられおざなりに体を清められて、今までは着たこともなかったドレスを着せられて、ロータス公爵領へと向かうことになった。
「礼はいらないというのだから、いいひとなのではないかしら……?」
馬車の中でぼんやりしながら、ルチアは考える。
ドレスは窮屈で、身動きがとりにくい。この姿では薪割りをするのは難しいだろうが、慣れればなんとでもなるはずだ、きっと。
実を言えば、ルチアは仕事が好きだった。
辛かったのは睡眠不足と空腹ぐらいで、水を汲むのも火を起こすのも、人間として生きているという感じがしてとてもいいのだ。
それに、ロータス公爵の土地が呪われているのもおかしな話だ。
この国の土地は全て、穢れて、呪われている。
今までグランベルズ伯爵家の土地に魔物が出なかったのは、ルチアが祝福を与えていたからである。
ルチアの祝福は土地を浄化して、魔物たちを穏やかにさせる。
それにルチアが説得をすれば、魔物はそれに従った。なんたって愛の女神だ。それぐらいはできる。
「でも、もう私はロータス公爵に嫁ぐのだから、祝福はいらないわね」
そうルチアは、独り言ちた。
前向きで明るい愛の女神は、シルヴィウスとの夫婦生活に思いをはせて胸をときめかせるのだった。




