父の帰還と血みどろ公爵
ルチアの父、ジェイソン・グランベルズは、四十の坂を超えようとしている年齢よりもずっと老け込んで見える、やせぎすの男である。
ルチアは食べていないので細いのだが、ジェイソンは食べているのに細い。
昔はそうではなかった──ような気もするのだが、ルチアはよく覚えていない。
ルチアと同じ金の髪はくすんで見え、灰色の瞳には光がない。細い顔には深い皺が刻まれている。
品のあるスリーピースのスーツにシルクハットを被った紳士である。
「お父様、お帰りなさい!」
「ルチア……」
ジェイソンが返ってくるのは一年ぶりだ。さっそく玄関に出迎えに向かったルチアの姿を一瞥すると、ジェイソンは何か言いたげな表情を浮かべでルチアの名を呼んだ。
しかし次に言おうとした言葉は、艶と張りと迫力のある声によって遮られる。
「ジェイソン、一年ぶりね! 仕事はどうなの? 順調なのかしら」
十年前は妖艶な美女だった王の妾──元王立劇場の有名女優だったカッサンドラは、多少肉付きのよくなった体を窮屈そうにドレスに押し込んだ姿で、玄関のホールから上階へと続く階段の上から現れる。
カツカツとヒールで床を踏み鳴らし、寝起きだというのにクジャクの羽で作った扇を持ち顔を仰いでいる。
ルチアはそんなカッサンドラの姿を見るたびに『いつも暑そうな人ね』と思っている。
「カッサンドラさん、久しぶりです」
ちなみに、ジェイソンはいつもカッサンドラに敬語である。カッサンドラがジェイソンよりも五つも年上であるから、尊敬をしているのだろう。
夫婦というものはお互いに尊敬をして愛し合うものだと、ルチアの──ファルアリリスの記憶にはあるのだから、間違いない。
「お父様、お帰りなさい!」
「お父様、お帰りなさいまし」
「あら、綿埃、いたの」
「綿埃、邪魔よ、どきなさい」
二人の姉たちがカッサンドラの後から現れて、ジェイソンの前にいたルチアを突き飛ばした。
ロラーナはひょろりと細く、ジーナは小柄で豊かな体型をしている。
そんな二人に突き飛ばされて、ルチアは床にびたんと倒れてころころ転がった。
人間の体というのは貧弱にできているのだ。ファルアリリスだったときは、突き飛ばされて床に転がるようなことはなかったのにと、痛む腰をさすりながらルチアは──人間である己を思い知り、浮足立った気持ちになった。
たぶんファルアリリスだった自分は、人間になりたかったのだ。
人間を愛し、人間を知りたかた。だが、結局人間を知ることができないまま、ファルアリリスは命を落とした。
だからきっと、自分は望んでルチアという人間になったのだろう。
「二人とも、やめなさい。ルチアは、綿埃という名ではない」
「あら、お父様。何か文句があるの?」
「お父様、綿埃に同情をしているの? お父様は私たちの……私たちだけのお父様でしょう?」
ロラーナとジーナに両腕にしがみつかれて、ジェイソンはうんざりしたように頭を振った。
だがそれ以上彼女たちを咎めることはしなかった。
ルチアにとってジェイソンとは、血のつながりのない娘たちも大切に育てる、とてもよい父である。
一応、ルチアのことを庇おうとしてくれるのだが、いかんせん家にいる時間が短すぎて、ルチアはジェイソンとほとんど交流をしたことがない。
それでも父である。生物学上での父。血のつながりがある。
ルチアの家族だ。家族というものは大切にしなくてはいけないと、ルチアは知っている。
「お前たちに話がある。家に帰る途中、私の馬車が魔物に襲われてな」
「まぁ……」
ルチアは小さな声で呟いた。
神々の黄昏が起こり、地上では魂の循環がうまくいかなくなっている。
そのせいで大地は呪われて、魔物が現れたのだ。
魔物とは死んだ人間の行く場のない魂のなれの果てである。全ては、アレンデールが天国の門を閉じてしまったから起こった災厄。
魔物は人を襲う、脅威となっている。
「それを、ロータス公爵に助けてもらった。その礼に、娘を彼の妻にするという約束をした」
ロータス公爵とう名を聞いた途端に、姉たちから悲鳴があがった。




