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転生女神は人間を知りたい〜助けてくれた貧乏公爵に最大級の加護を与えます〜  作者: 束原ミヤコ


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1/3

序章 愛の女神はどうやら転生したらしい



 天窓から朝靄のかかるうすぼんやりとした光が閉じた瞼に降り注ぎ、ルチア・グランベルズはぱちりと目を覚ました。

 大きく伸びをして、寝乱れた金の髪を手櫛でささっと整える。

 長い睫に縁どられた青い瞳をしばたかせ、大きくあくびを一つ。

 骨ばかりのがりがりにやせ細った体に質素で汚れた使用人の服を着たまま眠っていたルチアは、床からぎしぎしと軋む体を強引に起きあがらせた。


「今日もいい朝ね!」


 狭い、寒い、埃っぽい、何もない──と、住居としては粗末に過ぎる屋根裏の床の上で、夜半過ぎに眠りについて短い睡眠をとったルチアは、目の下に大きく隈を作りながらも明るく笑う。

 そして、昨日命令されていた仕事を行うために、屋根裏から階下へと降りた。


 裏庭に出ると、少し癖のある長い金髪が風に揺れる。空腹を紛らわせるために、ルチアは井戸に向かい、汲みあげた井戸水を口にした。

 冷たい水が臓腑に染みわたる。小鳥たちが寄ってきて、ルチアの周囲を飛び回った。

 花が咲き乱れて、草木は青々と生い茂っている。ルチアに撫でて欲しいと言わんばかりにそばに寄ってくる鳥たちと笑いながら遊んでいたルチアは、我に返ったようにはっとして、慌てて水汲みをはじめる。


「水汲み、お姉様たちのドレスの手直し、壁の色を塗り替えて、廊下のお掃除。人間ってとっても忙しいわ」


 水甕の水をいっぱいにするために井戸と調理場を往復しながら、ルチアは呟く。

 そう──ルチアは人間ではない。正確には、人間ではない頃の記憶がある。


 あれは今は昔。おおよそ五百年も前のことである。

 ルチアは主神アレンデールと、宇宙を巡る星の娘レラの間に生まれた、三人の娘のうちの一人だった。

 愛の女神ファルアリリス。それがルチアの前世だ。

 ルチアが今いる地上からは手の届かない場所──天国の門を通り過ぎた先にある死者の楽園エデンで、ファルアリリスは暮らしていた。

 地上とは、アレンデールの作り出した箱庭のようなものである。そこには多くの動物たちや人間たちが暮らしていた。この動物や人間というものは、ファルアリリスたちと違ってすぐに死ぬ。死ぬと、魂は天国の門を通りエデンへとやってくる。

 これを受け入れ、新たな魂へと循環させるのがアレンデールの退屈凌ぎの仕事であった。

 

 神々は人々に興味を持たなかった。だが、ファルアリリスは地上の人々を眺めているうちに愛着を持つようになった。

 ある日ファルアリリスは地上に降りて、人々の己の知恵と神秘の力を与えた。

 それが原因で争いが起き──ファルアリリスは命を落としたのである。


 アレンデールは嘆き悲しみ怒り、天国の門を閉じた。

 それが、五百年前。だから今の地上には、手を差し伸べてくれる神がいない。

 神々の黄昏と呼ばれるその事変が起きてから五百年。ファルアリリスはどういうわけか──ロランティア王国のグランベルズ伯爵家の長女として生を受けたのである。

 

 物心ついた時には、ルチアにはファルアリリスだった時の記憶があった。

 といっても全て覚えているわけではない。記憶は肉体年齢のほうに引きずられるのだ。幼いルチアには、女神の記憶をそっくりそのまま受け入れることは不可能だった。

 だから覚えているのは、自分がかつては愛の女神だったこと、自分のせいで父神アレンデールが人間に対して怒髪天をつくぐらいにブチ切れて天国の門を閉じたこと、ぐらいである。

 

 アレンデールが神々の黄昏を地上にもたらしたのはファルアリリスの死後だ。だから記憶があるのも妙な話なのだが、天国の門が閉じられて地上に呪いが溢れる光景を、ファルアリリスはおそらく魂だけの存在になって見ていたのだろう。

 不死である神たる己にも魂があることが不思議だったものの。

 そういえば、不死であるはずなのに人間に殺されたというのもおかしな話ではあるものの。


 ともかく──今のファルアリリスはルチアという名で、グランベルズ伯爵家の長女であり、この家の下働きである。

 ルチアが物心ついた、あれは確か五歳の時。すでに母は他界していた。

 そして父は後妻を娶った。彼女は国王陛下の妾の一人で、すでにルチアよりも大きな娘が二人いた。

 国王は、妾を手放したくて父に彼女を押し付けたのである。


 もちろん父は断ることなどできない。国王が手放したくなるほどの妾であるので、彼女は美しかったもののひどく苛烈な性分だった。父は仕事を理由に徐々に家に帰らなくなった。

 そのために、グランベルズ家は後妻と二人の娘の天下になったのだ。


 カッサンドラと、そしてルチアよりも二つ年上のロラーナと、一つ年上のジーナ。

 彼女たちには、王の妾だった、そして王の子種で生まれた王家の血筋であるという自尊心があった。

 ルチアには、よくわからないことだ。血はただの血だ。人間の血は赤く、神々の血は黄金色をしている。

 ただそれだけのことなのに、国王だから偉い、その血を受けているから偉いのだと言われても、いまいちピンとこない。


 ともかくとして、そのために彼女のたちは伯爵家の本来の後継者であるルチアを煙たがり、屋根裏に追いやったのだ。

 それはルチアが、六歳になった時のことだった。


 ルチアの一番古い記憶は、ファルアリリスだった時のことを除けば、カッサンドラたちがやってきてしばらく共に暮らし、父が仕事でいなくなった時に屋根裏に連れてこられた時のことだ。

 カッサンドラはまるで子猫を掴むようにルチアの体を持ちあげるように使用人に命じると、埃まみれで何もない屋根裏部屋へとルチアをぽいっと放り投げ捨てさせたのである。


 それからルチアはしばらく、よくわからないまま屋敷の中で暮らしていた。

 屋根裏から出ていけば、カッサンドラに怒鳴られる。ロラーナとジーナも、ルチアに物を投げたり転ばせたりして、けらけらと笑った。

 ルチアはひたすら空腹に耐える日々を送っていた。人の目を盗んで調理場をあさり、乾燥したパンや野菜屑を食べた。もっと腹が減った時は、野草やら、食べられそうな果物やらを口にした。

 

 女神だった時は、食事など必要としていなかったのに、人間とはなんと不自由なのかと思いながら。

 十歳になるとカッサンドラに「働かないくせに食べるなんてありえない」と言われて、雑用を命じられるようになった。だから今、ルチアはグランベルズ伯爵家の雑用係である。

 そうして気づけば、八年の月日が経っていた。父はルチアの不遇に気づいていたが、カッサンドラを恐れて見て見ぬふりをしているようだった。

 

 貿易商を営んでいる父は、他国に出かけることも多くほとんど家にいないのである。

 時折帰ってきても、数日でまた出かけてしまう。カッサンドラたちは、父の稼いだ豊かな資金を食い潰しながら遊んで暮らしていた。


 さて、今日も一日、色々とやることがある。昨日も結局、眠りについたのは日付が今日に変わってからのことだった。

 それぐらい、カッサンドラやロラーナ、ジーナに言いつけられる仕事が多いのだ。

 最近ではお城で王子様とやらが花嫁を探しているらしい。

 その王子様は、ロラーナやジーナの腹違いの兄であるが、それでも彼女たちは妙に浮き足立っていた。

 王子様とは結婚できなくても、その花嫁選びのパーティで素敵な結婚相手を見つけるのだと、毎日ドレスの手入れをルチアに命じて、それを着込んでは夜会に出かけていく。

 帰ってきた彼女たちのドレスを脱がせて湯浴みをさせるのも、結構な重労働である。


 女神だった時はお風呂になんて入らなくてもいつでも体が綺麗だったのに、人間って不便ね──と、思わずにはいられない。


「でも、働くのはいいこと。お母様やお姉様たちは私に仕事を与えてくれて、とってもいい人たちだわ」


 ルチアは額の汗を、汚れた服で拭った。

 水瓶の水をいっぱいにして、それから竈門に薪をくべて火を入れようとしたところで、屋敷の前から馬のいななきが聞こえた。

 執事長が「旦那様がお帰りになった!」と大きな声で言って、皆に知らせるベルの音が屋敷の中に大きく響いた。






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