エガトリア王国
多数の国々と領土が帝国領となっていく中で唯一植民地として傀儡政権が誕生した地域があった。それがエガトリア王国領である。大陸東部に位置し、大きな木のみのような半島を領土とするこの国は簡潔に言ってしまえば豊かな国であった。
北に位置するアスカル法王国の影響で同じ宗教を国教とする彼らはアスカルの庇護下の元文明と文化を発展させてきた。過ごしやすい穏やかな気候が国を取り囲んでいたことも要因だろう。この国は食料自給率を常に100%以上で維持してきていた。余剰分は備蓄する分と輸出する分で分けられ、輸出される食物は貴重な外貨の獲得源となっていた。
そんな彼らは大戦に参加したアスカル法王国と共に中央ファンタジア帝国の敵となった。エガトリア王国にとっては数十年ぶりとなる本格的な戦争であり、下手をすれば魔導革命後初とも言える大規模な戦争に参戦することとなったが当初のエガトリア王国は大戦に参戦したとは思えない程平穏を保っていた。
それもそのはずであり、当初の見立てでは中央ファンタジア帝国が勝つ事は不可能であり、周辺を敵に囲まれた帝国が半年以内には滅亡すると言われていたのだ。宗主国たるアスカル法王国が参戦を表明したために宣戦布告をしただけのエガトリア王国は一応出兵こそしていたが自分たちの軍勢が戦いに参加するよりも先に中央ファンタジア帝国は滅びると楽観視していたのだ。
しかし、そんな反帝国陣営の期待を裏切ることに最初の戦い、「ミリエラの戦い」が勃発すると状況は一転した。ガネリア共和国軍を中核とする北部連合軍20万を帝国軍7万が強襲し、僅か一日で壊走させたのである。あまりにも素早く、計算された強襲によりガネリア共和国軍の司令部は文字通り壊滅し、総司令官を含む主要指揮官を喪失。死者5万人以上、捕虜10万人以上を出す惨敗を喫したのである。
この戦いは反帝国陣営に対して衝撃を与え、楽観的だった彼らを現実に引き戻したのである。それはエガトリア王国も同じであり、トレスィア大公国の都市シムランに到着し、東部連合軍の一角として進軍の準備を進めていたエガトリア王国軍3万に対して恐怖を植え付けたのだ。
「このままいけば我らも同じ目にあうかもしれない」
その思いがエガトリア王国軍に蔓延し、進軍の意思をくじいていた。所詮は数十年近く戦争を経験していない国の軍隊である。こういった時に二の足を踏むのは当然と言えた。
だが、そんなエガトリア王国軍を帝国軍が待っていてくれるはずもなく、ミリエラの戦いから数日後にはシムランに帝国軍10万が殺到。逃げるまもなく包囲され、攻防戦を繰り広げる事となった。
この時、シムランにはエガトリア王国軍3万の他にギュレタンシュライン共和国軍2万、トレスィア大公国軍4万、中小国連合1万の計10万がいた。同数同士の攻防であれば圧倒的に防御側が有利であったが烏合の衆というべき連合軍はその数を全く生かすことが出来なかった。
シムラン攻防戦は3日に渡り行われた。この3日に渡る攻防は帝国軍による連合軍の虐殺の歴史であった。1日目、前衛として直接帝国軍と戦ったトレスィア大公国4万は半日で壊滅し、都市部内での攻防を余儀なくさせた。2日目、都市部はほぼ敵の手に落ち、半日の戦いで東部連合軍は3万にまで数を減らしてしまっていた。3日目、正午を迎える前に連合軍は降伏した。
この戦いでの連合軍の死者は5万を超えると予想されているがその実半数近くは逃亡兵であり、醜聞が悪いために虐殺されたと言われるようになっていた。そして、エガトリア王国軍は投降時には1万にまで数を減らし、その全てが帝国軍の捕虜となった。
この戦いによりエガトリア王国は軍のほぼ全てを喪失したうえに帝国に対する恐怖心を植え付けられることとなった。以来エガトリア王国は防衛に徹し、戦いには参戦することは無く終戦を迎える事となった。エガトリア王国は戦後処理において賠償金を払う程度で済んだが宗主国たるアスカル法王国はエガトリア王国に対して怒りをあらわにしていた。
何しろアスカル法王国は終戦直前まで帝国軍と戦っており、首都を奪われる直前までいっていたのだ。そんな宗主国の窮地にもエガトリア王国は何もしないで自国の防衛に専念していたのだ。怒るなという方が無理があるだろう。
終戦の1年後、アスカル法王国は5万の軍勢でもってエガトリア王国に侵攻した。唐突の侵攻にエガトリア王国は反応できず国土をひと月で征服されると王族は皆殺しにされ、法王国から派遣されてきた人員により植民地運営が開始された。法王国の復興の為に酷使されるエガトリア王国の民はアスカル法王国に対して反感を持ち、各地で反乱が発生するなど国内は混沌とし始めていたがそんなエガトリアに手を貸したのが中央ファンタジア帝国だった。帝国は虐殺される前に国外へ脱出できた王族の一部を匿い、彼らを旗頭にエガトリアに上陸したのである。
「エガトリアをあるべき姿に」
その言葉と共にやって来た軍勢はエガトリアの民にとっては神の軍勢の如きであった。帝国軍はアスカル法王国軍をひと月で駆逐し、エガトリア王国の領土を回復すると国王の娘を女王としてエガトリア帝国の建国を宣言した。これを民たちは歓喜を持って受け入れたが当然ながら他国の力を借りた以上代償は存在した。
女王の配偶者は帝国の皇族から選ばれることとなった。王族は象徴的存在とされ、帝国議会が発足し、そこに権力が与えられた。この議会は各地から集められたエガトリアの民が選出されたと言われているがその実態は全員が帝国から派遣されてきた官僚たちである。民たちが全てを知った時にはエガトリアは帝国の植民地帝国となり、帝国が望む政策をするようになってしまっていた。
エガトリアの文化は帝国の文化に浸食されていき、帝国らしい町並みとなっていく。帝国は文化を侵食する一方で富も与え、彼らに一定の満足感を与えつつ同化政策を実施したのである。
「エガトリア植民地帝国は中央ファンタジア帝国の飛び地である」
大戦の終結より10年。そのころにはそう言われる程にエガトリアの特徴は消え去り、帝国らしい姿となってしまっていた。エガトリアの民は自らの裕福さと引き換えにエガトリアとしてのプライドと文化を吐き捨ててしまったのだ。無論、それが帝国の狙いであり、エガトリアも反抗しなかったわけではない。
だが、エガトリア程度の反抗など帝国の前には無意味でしかなかったのだ。
今後、エガトリアが自分たちの誇りを取り戻し、独立を果たす日が訪れるのかは、今の彼らを見れば一目瞭然であるのだった。




