イカれた王女サマの笑い声は 〜あなた方が断罪した王女、世界最高の殺し屋ですよ?〜
努力を怠る者が愛されることはない、というのがシャルラーチェの持論だ。
そして愛されぬ者がするべきは、自分で自分を愛し慈しむことだけだというのも、シャルラーチェの持論だ。
「シャルラーチェ・シェルメル・マアルラ王女! 王女という地位を盾にセシル・ケイティ男爵令嬢への数々の嫌がらせ行為を、今この場で断罪する!」
「…………へぇ」
公爵令息が高らかに叫ぶのを、シャルラーチェはどこが愉しそうに見つめた。
ひどく美しい少女だった。サラリと靡く白金の髪に、澄んだ翡翠色の瞳。恐ろしく整った顔立ちで、紅の髪飾り――王女の証である薔薇の花が、とてもよく似合っている。
黒というパーティーには相応しくないドレスが、彼女を異質に見せていた。
手にした鉄扇をチャキリと開いて、歪んだ唇を隠すように口元へ持ってくる。
「レイズ様。嫌がらせ行為とは、一体なんでしょう? わたくし、身に覚えがありませんわ」
レイズと呼ばれたのは、茶髪に翠眼の令息だ。胸元あるライラックを模したブローチは、公爵家の証。
彼は不快そうに顔を顰める。
「ふざけるのも大概にしていただきたい。非道な行為の数々、それをすべて隠せるという油断が、貴様を破滅させたのだ!」
「まあ……わたくしが破滅? 面白いことをおっしゃいますのね。ですがそんな不吉な単語、婚約者にかけるものではありませんわよ」
レイズの顔が歪む。
幼い頃、無理矢理結ばれた婚約は、彼の人生の汚点であり、嫌悪するべきことだった。
それに、とシャルラーチェは微笑む。
「せっかくの卒業パーティーだというのに、つまらない茶番は場を冷ますだけですわ」
そう、今は王立学園の卒業パーティー中だった。
輝くシャンデリアに、豪勢な料理。磨かれたグラス。
周囲には着飾った生徒たち。教師はおらず、完全に生徒だけの会場だった。
その時、冷笑するシャルラーチェに新たな声がかかる。
「せっかくの卒業パーティーだからこそ、キミを断罪するんだよ、シャルラーチェ」
「あら、シャルル兄様。それに、シャマル兄様も」
レイズの元へ歩みを進める美青年。
蒼の薔薇の首飾りを付けた、金髪碧眼の彼は、シャルラーチェの兄であり、この国の第一王子であるシャルル。
その冷たい美貌に怒りを滲ませ、自分の妹を鋭く睨む。
その後ろには、シャルルより高圧的な雰囲気の、黄色い薔薇のブレスレットの、金髪碧眼の美青年――シャマル第二王子が続く。
意外な人物たちの登場に、シャルラーチェは、こてん、と小首を傾げる。
「なぜ、兄様方がこちらに? 王立学園は、もうとっくに卒業されていますわよね?」
「お前を断罪するために、わざわざ来てやったんだよ」
高圧的に言ったシャマルに「まあ、そうでしたか」と穏やかな声色で微笑むシャルラーチェ。
余裕を感じさせる様子に、レイズは苛立ったような、だがどこか自慢気な声を上げる。
「卒業パーティーという晴れ舞台。そこで貴様を断罪してこそ、本当の自由を手にしたこととなる――セシルがそう言ったのだ。貴様なんかよりも強かで、可憐なセシルがな!」
やたらと持ち上げるな、と思っているシャルラーチェの目の前に、桃色のドレスを纏った可憐な少女が現れる。
ずっとレイズの背に庇われていたのだろう彼女が、セシル・ケイティ男爵令嬢。
ふわふわとしたブラウンの髪、白い肌に映えるローズピンクの瞳。
ハーフアップにされた髪には、チューリップの髪飾りが付けてあった。
庇護欲を唆る可憐な顔立ちは、しかし今日ばかりは、強い決意を固めたように力強かった。
シャルルとシャマルがセシルの横に立ち、牽制するようにシャルラーチェを睨め付ける。
その真剣な様子に、クスリと笑ってしまった。
「ご機嫌よう、ケイティさん。一体いつぶりかしら?」
「シャルラーチェ様……わたしは、もうあなたには負けません! たとえ何を言われようと、何をされようと、決して屈しませんっ!」
勇ましく叫ぶセシルに、周囲の生徒たちから感嘆の息が漏れる。
セシルがシャルラーチェに虐められているというのは、学園中が知っていた。それほどまでに有名で、卑劣な行為ばかりだったのだ。
曰く、シャルルが送った大切なハンカチを、目の前で切り刻んだ。
曰く、嫌がるセシルに無理矢理泥水を飲ませようとした。
曰く、――先日、学園の階段から突き落とした。
特に最後が酷い。非道で、最悪で、まさに悪魔の所業。
“悪魔の王女”、“非道で残忍な王女”――それが学園中の認識であり、見ている事実だった。
だが罪を語られてもなお、シャルラーチェは表情を崩さなかった。
「まあ……それは酷いこと。ですが、その犯人はわたくしではありませんわ。そもそもわたくしがつい一昨日まで学園私休んでいましたことを、お忘れなのですか?」
「ああ、お前が二ヶ月近くも休校していたことか」
嫌味ったらしく吐き捨てるシャマルに、クスクスと笑う。その様子に、周囲の生徒たちは彼女に、批判するような視線を送る。
シャマルは、味方が増えた昂揚ゆえか、上機嫌に笑って告げる。
「お前が直接手を下したんじゃない。取り巻きにやらせたんだ。セシルを突き落とせとな!」
大きな声で言われた言葉に、なるほどという空気が広がる。
「アリバイ作りの意味合いもあったのだろうな。だが、人選を誤ったな」
シャルルが鼻で笑う。すると、傍観していた生徒たちの中から、気の弱そうな女子生徒がゆっくりと出てきた。
オドオドと周りを見渡しながら、シャルルの斜め後ろに立つ。
それを満足そうに見ながら、陶酔したような声色でレイズは言う。
「彼女がセシルを突き落とした張本人だ。そして貴様を告発してくれた、勇気ある令嬢だ!」
“シャルラーチェを告発した”という事実に、周囲に彼女――マリー子爵令嬢に勇気ある行動だと讃える空気が広がる。
対するシャルラーチェは、表情が抜け落ちていた。“無表情”という表情すら削げ落ちたような、何も浮かばない表情。
レイズたちはそれを傷付いたと勘違いした。
マリーが、勇気を振り絞るような声を出す。
「も、申し訳ありません、シャルラーチェ様。で、でもっ、もう、セシルさんを虐めたくないんです!」
「マリーさん……わたしは、あなたを許します。だから、わたしとお友だちになってくれませんか?」
叫ぶマリーに、セシルは優しい言葉をかける。
マリーはそれを泣いて受け止めて、「はい……っ、もちろんです!」と笑った。
「どうだ? お前にはない、セシルの優しさが、お前の罪を露見させたんだ!」
シャルラーチェは何の反応も返さなかった。口元に鉄扇を掲げながら、場を静観している。
さらに、とシャマルは続ける。
「お前の正体について、俺は真実を掴んだ」
「まあ、真実? 一体何ですの?」
ようやく反応した彼女は、完璧に作られた笑みを浮かべる。
その笑みを引き剥がしてやる、とシャマルは叫ぶ。
「――お前は、王家の人間ではない!」
指を突きつけながら、嘲笑を浮かべている。悪者を成敗する自身に酔いしれていた。
彼の衝撃的な言葉に、観衆がざわめく。一方でシャルルたちはすでに聞かされていたようで、未だ鋭くシャルラーチェを睨んだままだ。
そういえば、と誰かが呟く。
「王家がシャルラーチェ王女を公表したのって、シャルラーチェ王女が十二歳の時のことだったよな……あまりにも遅すぎないか?」
「それに、王女の瞳は翡翠色だ。歴代の王族にだって、翡翠の瞳の人間はいなかったぞ」
「まさか、本当に……?」
疑惑の声は確信に変わり、今まで王女だと思っていた少女に非難する視線を送り始める。
“王女でもない偽者なのに、傲慢に振る舞っていたのか”――そう視線が語っている。
シャルラーチェは肯定しないが、否定もしない。無言で兄たちを見ている。
しばらくの沈黙の後、彼女は微笑みながら口を開く。
「まあ、シャマル兄様。何をありえないことを……きっと、セシルさんに吹き込まれたのですね」
「言い訳か? 見苦しいな」
ハッと鼻で笑って、情報源をあっさりと明かす。
「この情報は、【LIAR】によるものだ」
その瞬間、この場の勝者は確定した。
――王家直属暗殺組織【LIAR】とは、この国が大国であれる要因ともいえる小型組織だ。
組織には〈零〉から〈漆〉までのランクが存在し、最低ランクの〈漆〉でさえ、恐ろしいまでの戦闘能力と暗殺技術を有している。
特に〈零〉の人間は、恐ろしく冷徹で、人間離れした身体能力を有しているという。
『三日月』や『狂桜』、『歌姫』といったランク〈零〉の中でも実力者な者たちは、表の世界にもその名が轟いているほどである。
また、【LIAR】は王家直属ではあるが、決して国王に忠誠を誓っているわけではない。
彼らは、【LIAR】のためのみに行動する。王家だろうと止められない、百にも満たない世界最高峰の殺し屋たちで成り立っている。
そんな【LIAR】は、王家直属というほどで、最高幹部たるランク〈零〉の人間の発言権は、国王に並ぶほどだ。
彼らの仕事は暗殺。仕事を失敗することはなく、鮮やかな手口で必ず任務を完遂する。
この国が最も信頼している、最も有名で優秀な組織――それが【LIAR】だ。
そんな【LIAR】からの情報となれば、信憑性は高い――いや、ほぼ百パーセント真実と言っていいだろう。
ゆえに会場の形勢は、シャマルたちに一気に傾いた。
「シャルラーチェ王女……いや、シャルラーチェ。俺は今まで、王家に結ばされた婚約ゆえに、何も言えなかった。だが貴様が王族でないのなら話は別だ。俺の長年の願いを叶えさせてもらう!」
「長年の願い……ですか」
心底嬉しそうな表情で、レイズは口にする。
「俺と、婚約破棄してもらおうか!」
彼の侍従らしき人物がシャルラーチェの元に、紙を一枚運んで来る。
見ると、婚約破棄に関する書類だった。あとはシャルラーチェがサインすれば婚約破棄ができる、というところまで埋めてあった。
シャルラーチェがそれを受け取らずにいると、彼女の兄たちがここぞとばかりに追撃する。
「それから、キミを王家から追放してもらうように、父上に頼んでおこう。これでもう、キミは僕たちの妹ではないな」
「もう“兄様”だなんて呼ぶなよ。呼ばれるたびに吐き気がしてたから、清々するなあ!」
着実に退路が塞がれていく。これまでシャルラーチェがしてきた行為が、断罪という形で返ってくる。
侍従が、もう一枚書類を差し出す。こちらは王家追放についてで、シャルラーチェが署名すれば、その瞬間彼女は王家の人間ではなくなる。
無言で二枚の書類を眺める彼女に、慈愛の笑みを讃えたセシルが一歩近く。
止めようとするシャルルたちを手で制して、まるで聖女のような清らかな瞳で、シャルラーチェを見る。
「シャルラーチェ様、一言だけでいいんです。一言だけ、謝ってくだされば……わたしたちは、あなたを許します」
寛大な言葉に、周囲から彼女を褒め称える声が聞こえてくる。
だがシャルラーチェは、冷たい表情で彼女を突き放す。
「お断りしますわ。どうしてわたくしが、あなたみたいな小娘に謝罪しなければなりませんの?」
自分の立場がわかっていないような傲慢な物言いに、遂に周囲は罵声を浴びせ始める。
「ケイティ嬢になんてことを言うんだ、この性悪女!」
「自分の立場をお分かりでないのかしら!?」
「いますぐ土下座しろ!」
鬱陶しそうに目を細め、周囲を見回すシャルラーチェ。
だが味方は見当たらず、不機嫌そうに舌打ちする。
それから諦めたように息を吐き、鉄扇を閉じて差し出された羽ペンを取る。迷いのない手つきで二枚の書類にサインする。
羽ペンを投げ捨てて、目を細めながら兄たちを見る。
「これで満足かしら?」
シャルルたちは不満感を露わにしながらも、まあいいとでもいうように頷く。
これでもう、シャルラーチェは王女ではなくなった。
そこにいるのは、あまりに傲慢で醜い、男爵令嬢以下の女だった。
シャルルたちは彼女を放って、セシルを取り囲んだ。
「セシル、もう大丈夫だ。キミを害する者はどこにもいない」
「今までよく頑張ったな。お前は強い女だ」
「はい……っ、ありがとうございます!」
絵になる美男美女たちの会話に、周囲は羨望の感情を向ける。
対してシャルラーチェには、冷たい嘲りを向ける。
もう王女でない女に、堂々と遠慮なく罵声をかける。
『卑しい女ね。王女のふりをして好き放題だなんて……』『いくら美人でも、あの性格の悪さじゃな……』『クソビッチすぎでしょ、あいつ。自業自得じゃん?』
数多の悪意に、沈黙して俯くシャルラーチェ。
傷ついたか、と周囲が思ったその時だった。
「――――あひゃ」
一瞬、なんなのか、誰にもわからなかった。
音の――声の出所を探る。自然と視線は、会場の中央を向いた。
俯いたまま、鉄扇を持つ手を開く。金属音を立てて床に落ちる。
空いた両手をゆっくりと持ち上げて、口元に当てる。
「あひゃ、あひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃっ」
嗜虐的な笑い声が響く。狂ったような笑い方だった。
一度笑いを止めたシャルラーチェは、あひゃっと妖しい笑みを作る。
「――ああ、今日はなんて、いい日なんだろうなァ」
理解できない言葉を吐く。
“いい日”? 今までの罪を突きつけられ、これから平民の生活を送らなければならないのに。
誰もが呆然と彼女を見つめる。
シャルルたちも、呆けた顔をする。
「シャル、ラーチェ? ……お前、何を……」
「あー、そういうのいいから。ってか、ワタシを舐めすぎじゃない? オマエら」
歪んだ笑顔で、気怠そうに吐き捨てる。
突然の変貌に、誰もついていけない。
シャルラーチェは心底愉しそうに、薔薇の髪飾りを床に捨てた。
「Break it!」
勢いよく踏み潰された紅い薔薇は、高い音を立てて粉々に砕け散った。
鋭い破片が飛び散り、周囲から悲鳴が上がった。
「な、何をしているんだ!? それは王族の人間が代々守ってきた、大切な証の髪飾りで――」
「ええー? ワタシに説教? ありえないんですけど、シャルルおにーサマ」
喚くシャルルを放って、シャルラーチェはセシルと目を合わせる。
未だ呆然としているこの女は、やはり馬鹿なんだなと彼女は思う。
すべて図られたことだとは知らずに、お気楽な女だと嘲笑した。
その時、パーティー会場の扉が勢いよく開く。
現れたのは、金髪碧眼、胸に紫の薔薇のブローチを付けた中年の男――この国の王である、シャクリューレだった。
酷く焦っているようだった。大量の汗をかき、それでも構わず、会場の中央へ走ってくる。
「あ、ち、父上!」
空気の読めないシャマルが、自分たちの手柄を誇らしそうに報告する。
「聞いてください、父上! この女を、王家から追放してやりましたよ! この女は王族を騙った極悪人で、父上もずっと騙されて――」
「なんてことをしてくれたんだ!!」
え、と間の抜けた声を出した息子を押し退けて、国王はシャルラーチェの前に行き、膝を付いた。
「シャルラーチェ! 頼む、王家を、いや、彼女を見捨てないでくれ!! 頼む、なんでもするから、だから、あいつを、ミシュリーを――」
「……ミシュリー……?」
聞き慣れない名前を父親の口から出されたシャルルが復唱すると、国王はサッと顔を青くする。
あひゃ、とシャルラーチェは嗜虐的に笑った。
自分よりも低い目線にいる国王に合わせて、軽く腰を曲げる。
「助けるわけねーじゃねぇかよ、ゴミ王が。どの面下げて言ってんのぉ?」
父であり、この国の王である男に、容赦なく罵声を浴びせる。
不敬罪と言われてもおかしくない所業だった。
だが国王は権力を振り翳すこともなく、さらに必死そうに懇願し始める。
「お、お前にとっても、母親だろう!? か、家族なんだから、助けてやってくれ!!」
「はァ? 意味わかんなーい。オマエら、一度だってワタシを家族扱いなんてしたことあるぅ? それなのに今更家族とかさァ。バッカじゃないの?」
“家族”という彼女の最も嫌う言葉を吐きながら、縋り付いてくる国王。
我慢の限界に達したシャルラーチェは、自然な動作でドレスの裾を摘み上げ、黒のヒールを履いた足をのぞかせる。
そのまま一瞬、ヒールの踵が浮いたかと思うと――国王の身体が吹き飛んだ。
数メートルほど飛んだ国王は、料理の皿が乗ったテーブルに直撃する。大きな音を立てて、料理に塗れた無様な男が出来上がった。
この国の頂点に立つ人物の有り様に、周囲は絶叫し、何をしたんだと畏怖の視線をシャルラーチェへ向ける。
「ムカつく単語出すんじゃねぇよ、親父気取りか? 吐き気がするね」
イカれた笑顔を浮かべた女は、そんな視線をどうでもいいとでもいうかのように無視して、みっともなく胃液を吐く己の父親を詰る。
「いい機会だし、暴露してあげよっか? オマエの秘密」
「国王陛下の、秘密……?」
誰かが呟く。
誰一人として、未だにシャルラーチェの変貌ぶりについていけていなかった。だが国王の秘密という単語に、誰もが否応なしに反応する。
「そのためにはまず、この国の秘密から話そっかあ。あひゃっ、感謝してよね、クソッタレども」
とびっきりの笑顔で、シャルラーチェは口にする。
「――ワタシは、王家直属暗殺組織【LIAR】の最高幹部、ランク〈零〉のコードネーム『歌姫』でーすっ!」
すべての音が消えた。
息が詰まるほどの沈黙が満ちて、誰もが驚愕の目で彼女を見る。
馬鹿げた、ありえないようなこと――だが、そうは言えない、異様な空気が彼女にはあった。
「………………だろ」
「んえー? なんて?」
シャルルが、目を見開いて大声で捲し立てる。
「ありえないだろ!! 王族が殺し屋組織の一員だなんて、ありえない!! 嘘を吐き散らすな!!」
「Sharap。うるさーい」
心底煩わしそうに、両耳に手を当てる。
「ほんとのことだよー。この国――ナックルス王国では、王家と【LIAR】の友好関係を維持するため、代々王族から見込みのある子を一人、【LIAR】に輩出するしきたりなんだよ。で、今代の見込みのある子がワタシ」
おにーサマたちはいらないって言ってたよ、と弧を描いた目で告げる。
「ワタシは十二歳になるまで、表舞台に顔を出すことができなかった。なぜなら、ずっと殺し屋としての訓練を受けていたから。オマエたちがテーブルマナーを学んでいる間、ずぅっと人を殺す技術を学んでたんだよ」
国の秘密を語る彼女を、国王は止めない。止められない。止めれば、すぐにでも彼女が殺されてしまうから。
シャルラーチェが、くるりと一回転する。
ドレスの裾が優雅に広がって、元の形に戻った。
「で、こっからは国王サマの秘密ね。――コイツ、娼館の女と子供を産んだんだよ」
予想外の告白に、誰もが息を呑む。
本人は何か言おうとしているのか、口をはくはくと忙しなく動かしている。だが、声が漏れることはない。
「で、その子供ってのがワタシね。この目はおかーサマ譲りなんだァ」
あひゃっと笑って、長い爪の付いた人差し指を、右目の瞼に当てる。
柔く爪を立てる。
「抉り出したいほど嫌いな色だよ」
嫌悪に塗れた声で吐き捨てる。
よく見ると、口の端が不快そうに歪んでいた。
「あの女ねぇ、ワタシ大っ嫌いなんだよ。国王サマのお気に入りになって、調子に乗ってたんだろうね。アイツ、三歳のワタシに王家に入れ、自分は側室になるとか抜かしやがった」
歳の割に聡かったシャルラーチェはそれを拒否した。嫌な予感がしたのだ。
「で、無理矢理連れて行かれて、殺し屋にされた。国王サマ、自慢の息子たちを殺し屋にしたくなかったんだって」
国王はシャルラーチェを王家に繋ぎ止めるために、公爵令息の婚約者という肩書きまで用意した。
雁字搦めの、人を殺す毎日が続いた。
何よりも、王家に名を連ねながら、表舞台に出ず一生を終えなければいけない、道具のような運命。
シャルラーチェには、それが我慢ならなかった。
「脅したんだよ、おとーサマをさ」
とんでもないことを抜かして、歌うように語り続ける。
「おかーサマを人質にして、逆らえばおかーサマを殺す、ってさ。無様だったよぉ? 一国の王が、殺さないでくれって泣き叫ぶ様は。――お気に入りの女が殺されるの、嫌だったんだよねェ?」
「あ、ああ……ミシュリー……」
先程出てきた名前をもう一度口にする国王。話の流れからして、お気に入りだという娼館の女か。
シャルラーチェは母親を人質にして、十二歳で表舞台に姿を現したのだ。
現在母親は、【LIAR】の所有する古い塔に監禁されている。
「父上……」
シャルルが呆然と呟く。シャマルも呆気に取られていた。
尊敬していた父の行為が信じられないのだろう。周囲も皆、沈黙している。
シャルラーチェが薄く笑った。
「ねぇ、おとーサマ。ワタシ、もう王族じゃないんですよ。知ってるとは思いますけどね?」
その意味が理解できない愚鈍な王子たちは、察しのいい国王とは違って、必死さを見せなかった。
ゆえにシャルラーチェは笑う。
「――【LIAR】は、今この瞬間を持ってして、王家を見限りまーす!」
驚愕と動揺が、会場に迸った。
「ど、どうしてだ!」
すぐにレイズが喚き出す。
「なぜだ!? なぜ、王家を……っ。【LIAR】がいなければ、この国は終わりなんだぞ!!」
「はァ? ほんっと愚かだね、クソッタレが」
それを彼女はせせらと笑う。
「言ったでしょ? 王家は代々、【LIAR】との関係を繋げ続けるために、王族を輩出していた。でもワタシは、もう王族じゃない。オマエらが追放したもんね?」
一言一言が、鉛玉のようにレイズの心を抉る。
自分たちがどれだけのことをしたのか、ようやくわかった。
「――オマエらの愚行のせいで、この国は滅びるんだよ」
王家が王家であれるのは、【LIAR】のおかげだ。彼らがいなければ、この国はとっくに腐れ落ちている。
【LIAR】が王家直属という肩書きを有しているのは、王家の人間が組織にいるから。
そして今、唯一いた王女は追放され――【LIAR】が王家に繋ぎ止められる口実はなくなった。
絶叫が響いた。シャマルのものだった。
シャルルとレイズは、あまりの罪の重さに、崩れ落ちて微動だにしない。
周囲も責めるように彼らを罵り出す。
先程までシャルラーチェの追放を喜んでいたのに、醜い所業だった。
シャルラーチェは、ずっと無言で硬直しているセシルに近づいた。
「だいじょーぶっ? セシルさーん?」
「…………んで」
「ん?」
聞き返すと、セシルは今までの印象を覆す勢いで喚いた。
「なんで!? どういうこと!? こんなの知らない!! こんなシナリオ、ゲームにはなかった!!」
「あひゃっ。やっぱり馬鹿な女」
何もわかってない、と嘲笑う。
セシルが醜い形相で睨んでくる。
「なによ……なによ、なによっ!! 悪役令嬢のくせにっ!!」
「えー、うそ。ここまで来ても気づかないのー?」
小馬鹿にするように首を傾げる。
「ねぇ、“転生者”のセシルさん?」
そこに来てようやく、セシルにも理解ができた。
セシル・ケイティは転生者だった。
十六歳でトラックに轢かれて死んで、この世界に生まれ変わった。
成長するにつれ、周りに既視感を覚えた。
どこかで聞いたような自分の名前、国の名前、王子の名前。
十歳の誕生日、唐突に気づいたのだ。――この世界が、前世でやり込んでいた乙女ゲーム『花の君と恋をする 〜咲き誇る愛は誰のもの?〜』、略して『ハナコイ』の世界だと。
そして自分が、そのゲームのヒロインだと。
セシルはこの事実を喜んだ。
大好きなゲームのヒロインに転生だなんて、夢のような話だった。
第一、第二王子や公爵令息――攻略対象たちに積極的に関わって、難関のハーレムエンドを目指した。
後は悪役令嬢であるシャルラーチェ・シェルメル・マアルラを断罪すれば、晴れてハーレムエンドだった。そこまで来ていたのだ。
だが、今この状況は、セシルの知らない、シナリオにない展開。
どうしてこんなことになったのか、ようやくわかった。
「まさか……あんた……」
「うん。ワタシも転生者でーす!」
絶句し、目を見開くセシル。
あひゃっと嗜虐的な声が耳障りだった。
シャルラーチェは続ける。
「といっても、この世界のことなんて全く知らないけどねぇ。乙女ゲームとか興味なかったし」
「なら……なんで……」
「部屋に妄想まみれの日記を置くのはよしたほうがいい、とだけ言っとこっかなァ! あひゃ、あひゃひゃひゃひゃっ!」
セシルは転生を自覚してから、日記を付けていた。そしてそこには、この世界のこと、つまり乙女ゲームのことも――
――もしそれを、盗み見られていたなら?
「都合が良すぎるとは思わなかったのぉ?」
考えてもみないことだった。呆然とした頭でそんなことを思う。
「いてほしくない時にワタシがいなくて、ワタシとばったり出会ってすぐ、攻略対象が来たり。ぜーんぶ、ワタシが仕組んだことだったんだよっ?」
「……い、意味わかんない! なんで自ら断罪されるように仕組むわけ!? あんた、イカれてる!!」
「うん、知ってる」
暴言を肯定しながら、イカれた元王女はにっこりと笑う。
「だって、断罪してもらえれば――王家を出られるでしょ?」
シャルラーチェはずっと、この国が嫌いだった。貴族ばかりが私腹を肥やし、貧民街の子供が餓死するこの国が。
【LIAR】の構成員たちも同じ気持ちだった。ずっと縁を切りたかったが、王族がいる以上は無理だった。
だから考えた。王家と縁を切る方法を。
十二の時から、ずっと。
もう【LIAR】に王家の人間はいない。これで国を心置きなく見捨てられる。
「…………イカれてる……………」
「よく言われるー。ねぇ、セシルさん。ワタシ、実はあなたのこと、結構気に入ってたんだよ?」
シャルラーチェは意外なことを口にした。うずくまるセシルに視点を合わせて、可愛らしく微笑む。
「『努力を怠る者が愛されることはない』――あなたは、愛されようとしてたもんねェ? ワタシを陥れてまで。それを自分の努力の結果だと思っているところが、とぉっても愚かで可愛いなーって、いっつも思ってたの」
「…………な、なら、わたしだけでも助けてよ!! 同郷なんだから!!」
「セシル!?」
シャルルが驚いたように叫ぶが、彼女は必死にシャルラーチェに縋り付く。
【LIAR】がいなくなったこの国は、すぐに滅びてしまう。ならば、このままここに留まっていたら、死んでしまうかもしれなかった。
悪魔のような女は、自身のもう一つの持論を口にする。
「『愛されぬ者がするべきは、自分で自分を愛し慈しむことだけ』――ワタシは昔、愛されることを諦め、努力を怠った。だから今のワタシは、自分で自分を愛して愛して愛して愛して愛してる。――あなたは、他人を陥れる自分を愛することはできるの?」
「………………ぁ」
小さな声を最後に、それからセシルが何か言うことはなかった。
縋り付いてきた手を振り払うと、あっけなく離れる。人形のようにダラリと腕が垂れていた。
それをどうでもいいと無視して、腹を蹴り飛ばす。レイズを巻き込んで壁にぶつかり、二人揃って気絶した。
それをよそに、すべて片付いたとばかりにうんっと伸びをする。
そんなシャルラーチェに、馴染み深い声がかかった。
「相変わらずイカれとるなぁ、シャラ」
彼女をそんな愛称で呼ぶのは、この世で一人だけだ。
振り返ると、天井近い窓の縁に、青年と言える年齢の男が腰掛けていた。
男は軽やかな身のこなしで飛び降りて、小さな音を立てて着地する。
周囲の視線をものともせず、ゆったりとした足取りでシャルラーチェへ近付いていく。
退廃的な色香を纏った男だった。さらさらとした濡れ羽色の髪。黒曜石のような瞳の奥には、三日月が浮かんでいる。
端正な顔立ちの中で、ゆぅるりと弧を描く口元にあるホクロが、驚くほど色っぽかった。
彼は、【LIAR】の一員――ランク〈零〉のコードネーム『三日月』だった。
「あ、ルーナじゃん」
ルーナと呼ばれた男――ルーヴィーナは、シャルラーチェに親しげに顔を寄せて、当然のように腰を抱いた。
「お前に会いたくて、ここまで来たんやで? そしたらなんやおもろいことやっとるやないか」
「うん、面白いでしょー? 愚かな人間の末路ってやつだねェ。……というか、遅いんだけどぉ」
ぷくぅと頬を膨らませて怒ってますアピールをする彼女に、ルーヴィーナは苦笑する。
「ごめんなぁ。あの女を殺すのに、手間取ってしもうてな」
「はァ? 一般人殺すのに手間取るってどーゆーこと?」
「喚く泣き出す罵倒するで、ほんま大変だったんや。許してくれへん?」
甘く微笑むルーヴィーナに「しょうがないなァ」と渋々許しを出す。なんだかんだでシャルラーチェは、この男に甘いのだ。
ずっと場を傍観していた国王が、顔面蒼白になって口を挟む。
「あ、あの女……? まさか…………」
「おん、ええと、ミシュリー言うたか? 殺したで」
愛する者の死をあっさりと告げられて、かろうじて残っていた心が音を立てて壊れる。
赤子のように絶叫する国王。
周囲もあまりの恐怖に、急いで会場を出ようと扉に駆け寄る。
「いや! いやあああああああ!! 死にたくない、死にたくない!!」
「おい、どけっ!! 邪魔だっ!!」
「どうして!? 扉が開かないわ!!」
「俺たちが何をしたっていうんだ!!」
混沌とした空気が満ちて、開くことのない扉に縋る生徒たち。
その憐れな姿に、シャルラーチェはあひゃっと愉しげに笑い声を上げた。
「あひゃ、あひゃひゃひゃひゃっ。“俺たちが何をしたんだ”だって! ふざけてんのかな、このクソッタレどもが」
「自分らの罪をわかってないんやなぁ。いっそ憐れや」
ルーヴィーナも仄暗い光を瞳に宿しながら、自分よりも低い位置にある小ぶりな頭に、頬を擦り寄せる。
「シャラを嘲笑ったことが、何よりも罪やのに」
「ねぇ? ま、愚鈍だから仕方ないかあ!」
そのまま二人は、まるで恋人のように寄り添いながら会場を後にしようとする。
混乱する生徒たちを置いて、ルーヴィーナが入って来た窓から出ようとする。
シャルラーチェはドレス姿なので、ルーヴィーナに横抱き――いわゆる『お姫様抱っこ』をしてもらった。人ひとりを軽々と抱えて、彼は壁を垂直に駆け上がり、勢いのまま窓から外に飛び出す。
降ろしてもらったシャルラーチェは礼を言って、そのまますぐに会場の敷地を出る。
「あ、黒猫だ。かわいー」
「はよ帰ろうや。ドミニクがケーキ作って待っとるらしいで」
「え、ほんと? ミルフィーユ?」
「せやで」
やったあと無邪気に喜ぶ姿は、先程国を終わらせた悪魔のような女とは思えない。
ルーヴィーナは知っている。シャルラーチェは悪魔のような残酷で無慈悲な女だが、本当は純真無垢で可愛らしい少女なのだと。
彼女の母親は、自分の命を握る娘を化け物と罵った。父親は媚びへつらい、愛情を向けることはなかった。
だからシャルラーチェは、諦めた。
誰かに愛されることを。
愛されることを期待するのを。
吹っ切れたように嗜虐的に笑い、自分で自分を深く愛すると決めた。
自分のためだけに行動する究極の自己中心主義者になった。
そこにあるのは、あまりに真っ直ぐな純愛。他人をかえりみない、子供のように無垢な心だった。
自身を取り巻く全てを拒絶し、ただ一心に、己へ愛を捧げる。
裏路地に入ったところで、ルーヴィーナが何かを差し出して来た。
「ん?」
「ずっと渡そうと思ってたんや」
黒百合と三日月が揺れる、優美な簪だった。
「Cute!」
好みど真ん中のデザインだったのか、シャルラーチェの瞳が輝く。
さっそくとばかりに付けて、嬉しそうな笑顔を見せる。
「ありがと、ルーナ」
「どういたしましてや」
シャルラーチェは上機嫌に微笑みながら、仲間の待つ本拠地へと歩みを進めた。
どんなお返しをしようか、と三日月を眺めて考えながら。
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……もし読者さんの反応がよければ、連載版とか書こっかなあ、って思ってます。