1-05「鎧Ⅲ」
ルッツ達が談笑をしている間、ヒルダは奥の部屋で体を横にして休んでいた。
(まいったね。私の方が先に根を上げることになるなんて初めての事だよ。それに、あの坊や…はぁ、厄介事に巻き込まれちまったね)
「それにしても、ガッツも素直じゃないねぇ。あの子が着れない事が分かってて、あの鎧を渡したね・・・」
「もういいのか?」
三十分ほどで帰って来たヒルダに、ロベルは心配そうに声を掛ける。彼はバルザック付きの騎士。魔法に関する知識も術者にかかる負担を知っているのだろう。
ヒルダが言った通り、魔法は万能ではない。魔術と違って術者の中で完結する力。そのため、魔術よりも魔力も気力も消費する。
ヒルダの魔法はその中でも、魔力の消費が激しい。ヒルダ個人の魔力が高いからこそ、二時間以上の術の行使が可能となっている。
しかし、一流と呼ばれる調整士でさえ30分程で根を上げる作業。彼女の負担は相当なものであることは想像に難くない。
「大丈夫だよ。私を誰だと思ってるんだい。これでも、この国一番の調整士と自負してるんだけどねぇ」
ヒルダの自信は決して間違いではない。彼女の緻密な魔法制御は王国内でも五指に入るほど高い。その腕を買われ、王家秘蔵の装飾品の調整を任されたこともあるほどだ。
その彼女の誇りが、たかが二時間の作業如きで根を上げる事を許さないかった。何より、あの鎧には少しばかり縁があることも彼女の背中を押したのかもしれない。
「さて、続きをやるよ。ここからは一時間も掛からないはずさ」
疲れを感じさせない軽い口調で告げ、鎧に手を添えた。
「少し余裕を持たせて調整したからね。ここからは内に革を貼り付けるか、下に革ベストを着るか、それともその両方かを決めようか」
ヒルダの宣言通り、再会から一時間程で作業は終わった。
隙間はまだ残っているが、成長期のレグナの事を考えて余裕を残して完了させたのだ。
「とりあえず、この革ベストを着て、その上から鎧を着てみな」
ヒルダから渡された革ベストは、動きが阻害されないように柔らかい仕上げがされていた。
実際に着てみるとさらにその感触に感動し、レグナは軽く体を動かした。
「支給品、硬い」
「?」
ヒルダはレグナの呟きに疑問符を浮かべる。それに気付いたルッツから通訳に入った。
「同じ様な革鎧が軍の支給品あるんだが、これがまぁ硬すぎて使えねぇんだ。川に漬けて踏んだり曲げたりして柔らかくしていくのが、新兵の最初の仕事とまで言われてる。だが、二か月もしないうちに低価格の鎧に買い替えるんだがな」
「まぁ、革鎧じゃ剣や槍の突きには無力だろうからね。鉄も薄けりゃあんまり意味ないけど。気に入ったならそれはあげるよ。それじゃ、鎧を着てみようか」
「感謝致す」
レグナはヒルダの心遣いに、ロベルの言い方を真似して謝辞を示した。
「ははは。そのくらい別に構やしないよ。お代は貰ってるからね」
ヒルダの調整は絶妙だった。革ベストの上から鎧を着ると、革一枚程の隙間があるだけで、着心地は調整前と比べて天と地ほどの差があった。
「これなら鎧の内側に革を貼り付けるだけでいけるね。坊やの得物は何だい?」
「短槍」
工房内にあった長めの棒をレグナは渡された。少し短いが動きを再現するだけなら問題無いだろう。
レグナはクルトから教わった基礎の型から始めた。一つ一つの動作を確かめるようにゆっくりと。
次第にそれぞれの型から変化を加えて複雑な動きに変わる。一通りの動きを確かめたレグナは動きを止めて、鎧の試着を終えた。
「あたしは素人だからね。今の動きはどうなんだい?」
ヒルダの問は一緒に見ていた保護者の二人に向けられたもの。
問われた二人は目配せして、ルッツから口を開いた。
「まぁまぁだな。俺達兵士は騎士や貴族、その私兵と違って、泥臭い戦い方が基本だ。言い換えれば、生き残る戦い方と言った方がいいな。型稽古を否定してるわけじゃないぜ。基礎を固める上で重要な鍛錬だからな。ただ、勘違いしてるやつが多いだよな。特に若手騎士や貴族の坊ちゃんだったりな」
「勘違い?」
「祭りの演武とかで披露するなら、見栄えもあっていいんだけどな。型は体と道具の使い方を覚えて、使える様にするためのものだからな。実戦で型通りに相手が攻撃してくる事なんて稀だぜ。逆に型通りの動きは、熟練からすると対処しやすい。次に何をしてくるか分かるからな」
「その通りだな。大事な事ではあるが、その通りの動きをすればよいと思っている者が意外と多い。剣の素振りが良い例だな。ただ振り下ろせばいいだけではない。少し借りるぞ少年」
ロベルはレグナから棒を受け取ると、棒を剣に見立て中段に構える。
ヒュン
綺麗な型通りの中段振り下ろし。しかし、そこからが圧巻だった。同じ構えから様々な角度、軌道で棒が振り下ろされ、斬り上げられる。
一通りの動きを終えたロベルが動きを止めると、工房内に自然と拍手が起こる。
「見事なもんだな。クソガキ。あれが本物だ。もっと鍛錬を積めよ」
「ルッツもね」
「このクソガキぃ」
ルッツはロベルの動きを見て一瞬で理解した。自分では勝てないことを。それを素直に受け止め賞賛を贈るが、レグナはそれに茶々をいれて終わる。何時もの流れが出来上がっていた。
「ははは。あまり見せられる物ではなかったと思ったが、喜んで貰えたなら良かったよ」
ロベル本人は納得のいかない動きだったのだろうが、彼の若さを考えれば、並大抵の鍛錬ではできない動きであったことは、誰の目から見ても明らかだった。
「聞いてもいいかい?」
ヒルダは武術には疎い事は自覚している。そんな彼女の目から見ても、ロベルの動きは美しかった。本質は分からなかった。
「どうぞ」
「あたしの目には全部違う動きに見えたけど、今のが同じなのかい?」
「正確には少し違う。だが今見せた全ての素振りは、同じ中段基礎の構えから派生させたものだ。全体を見ると違う様に見えるが、一つ一つの動きは中段基礎が出来ていないと出来ない動きになっている。これは型にも同じことが言える。型の動きをなぞるだけならば誰でも出来る。型を自在に使えるようになって、初めて型稽古は意味を成すということだな」
「・・・悪いね。あたしにはさっぱりだったよ。折角見せてくれたのに悪いね」
「いや、気に病むような事ではないよ。これはあくまで説明のためのものだからね」
ヒルダは申し訳なさそうにしているが、ロベルは気にした様子はない。どちらかと言えば、ヒルダではなくレグナに見せるために行ったからだ。
「・・・包丁」
「何だクソガキ?」
「野菜。切る」
「あぁ、そいう事か。確かに例えるならそっちの方が分かりやすいか」
お守りを押し付けられたルッツは、この三か月という短い間である程度レグナの言いたいことが分かる様になっていた。
「どいう事か説明してくれるかな」
今度はロベルが頭に疑問符を浮かべることになる。
「違う形の野菜を切るときでも、包丁の使い方は同じだろ。これが素振りだ。野菜の種類や形によっても違うが、切り方にはいろいろある。丸い形、半月、扇。その切り方を型に見立ててるんだよ」
「・・・その、すまない。悪い意味に捉えないでもらいたいのだが、私は料理を一度もしたことが無いんだ。その例えが全く分からない」
「「「「・・・・・・・・」」」」
少し恥ずかしそうに告白するロベルと、笑っていいのか分からず固まる四人が其処にはいた。
「さっきの包丁の例えなら何となく分かったよ。それで、坊や。一番気になったところはどこだい?」
ヒルダからの問に、レグナは身体を捻る動きに違和感を覚えた事を動きを交えながら説明する。それをルッツが翻訳し、ヒルダに伝えた。
「なるほどね。でも今の坊やはまだ身長も伸びてるし、筋肉もまだつくだろうからね。今は革を追加で内側に貼り付けて、鎧がずれないように調整しようかね」
そこからは魔法ではなく、手作業で革の切れ端を仮着けし、レグナが着て動きを確かめる。その都度革の位置や厚みを調整する地味な作業が繰り返された。
「よし、あとはこっちで革を張っておくから預かるよ。何時までいるんだい?」
「3日だ。4日目の朝早くに此処を出る予定だ」
「それなら十分間に合うね。二日後に鎧を取りに来な。それで、こっちはどうする?」
ヒルダが指差したのは籠手や脛当てなどの防具。
「太腿」
レグナは並べられている下半身防具の中から、太腿を守る腿当てを指差しながら答えた。
「これが気になるんだね。ジュエ」
「はい、師匠」
呼ばれたジュエは期待を目に宿し、ヒルダに近寄った。
「この坊やから話を聞きながら、各部の調整をやってごらん。この腿当てだけ魔法を使って調整してみな。他の部位は手作業で仕立て直すんだよ。わかったかい?」
「はい。頑張ります!」
魔法を使う仕事を任され、ジュエの返事には飛び上がらんばかりの喜びが表れていた。
「時間が掛かっても良い。今日中に終わらなくても良い。三日間使っても良い。だから、一つ一つ丁寧に仕上げな。命が掛かる仕事に失敗は許されない。いいね」
「はい!えっと、私、頑張るから!」
「よろしく」
ジュエの方が年上だが、傍から見ればその精神年齢は逆に見える。いや、レグナが冷静過ぎるのかもしれない。
自分の命を護る防具を新人や見習いに任せたい者はいない。だが、この短い時間でレグナはヒルダの腕を目の当たりにしていた。そのヒルダが任せると明言したのだ。
だから口を挟まない。防具についてはレグナよりジュエの方が解っているはずだから。
その光景を大人達は微笑ましく見守るのだった。
大人組は少し離れて、二人が見える場所でお茶を楽しんでいた。
「度胸もあるね」
「「?」」
「ジュエに任せると言った時、あの子は「よろしく」と一言だけ返した。戦場に居て防具の重要性を知らない訳じゃないだろう?」
「あぁ、当たり前だ。よく戦場で転がっている防具を拾っては自分に合わせては捨てを繰り返していたからな」
「三か月くらいいたなら、防具の一つくらい買えるだろ?あのくらいの子の防具もこの街にもあるしね」
「・・・訳ありだって言っただろ。あいつには給金がほとんど支払われていないらしい」
「えげつないことするねぇ。まだ成人前の子供だろうに・・・ねぇ」
ヒルダはわざとらしくロベルに話を振った。その目はどうにかしてやれと訴えている。
「・・・私もあの少年の事情はほとんど知らされていないので」
ヒルダの鋭い眼光を涼しげな顔で受け流し、ロベルはレグナとジュエの遣り取りを微笑ましく眺めている
「・・・・・・・・・・はぁ、そういう事にしとけってことね」
「御配慮、感謝致す」
恨めし気な顔のヒルダは、何かを思い付いたのかいやらしい顔に変わる。
「少し高く付くと言ったけどね。もう少し高くして上げるよ。手直しついでに強化も付与しておこうかね~」
先程までの涼し気な顔は何処へやら、ロベルは真顔になってヒルダを見詰め直す。
「それは少々やり過ぎではないだろうか?そうなると金額は如何ほどになるだろうか?」
「さぁねぇ~。付与の度合いによるとしか言えないねぇ~」
「・・・姉御、ぼったくる気満々だな。ロベル、俺は助けねぇぞ。こっちまで飛び火したら、溜まったもんじゃねぇからな」
「はぁ、仕方ない。いいだろう。ただし、お手柔らかに頼むぞ」
「毎度有り~」
嬉々とした表情で算盤を弾き始めるヒルダを横目に、ロベルはルッツに視線を向けた。
「それにしても、君は酷い男だな。あの少年は大事な部下だろうに」
ルッツは顔全体に皺を寄せて、悍ましさを全身で表現した。
「冗談はよせや。俺はガッツの旦那にあいつの世話を押し付けられたんだ。それなのに、クルトの奴に懐きやがって。恩を仇で返すようなガキだぞ」
イライラしたルッツは、懐から小さな酒瓶を出してグラスに注ぎだした。それを見ていた二人は苦笑いを浮かべつつ、グラスを空にしてルッツの前に出した。
「おいおいおい。俺より稼いでる奴等が集るつもりかよ」
「ケチなこと言うんじゃないよ。次来た時に良い酒出してあげるよ。それより、それジーンだろ。あたしにもおくれよ」
「私も頂こう。生産が減って以降、中々手に入らない銘酒だろう?」
ルッツが出した酒は王国北部で造られているの銘酒ジーン。戦争に入ってからは生産が縮小され、代わりに安価な酒を兵士に提供してくれているため、数が少ない銘柄となっていた。
「くそっ。油断したぜ。欲しいなら自分で注げ」
ルッツはテーブルの真ん中に酒瓶を強く置くと、ぐちぐちと何かを呟きながらグラスを傾けるのだった。