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1-01「少年兵」

 少年は目の前に迫る物体目掛け、槍を突き出した。槍の穂先は狙い通りに突き刺さり、物体の勢いを止めた。

 腹を刺された敵兵は、振り上げていた剣を少年目掛け振り下ろす。しかし間合いの外にいる少年には届かない。

 盾を捨て、腹に刺さる槍を引き抜こうと槍を掴んだ瞬間、刺さっていた穂先は捻りが加えられ、ゆっくりと腹を裂きながら引き抜かれていく。

 敵兵は膝から崩れ落ち、必死に両の手で垂れ落ちる臓を抑える。それが無駄だと悟ると怨嗟の目を少年に向けた。

 その目に少年は無表情で槍を構え直す。

「見るな」

 槍を再び物体に突き刺し、止めを刺した。

 固くて柔らかい物体の感触が残る槍を引き抜き、動かなくなった物体を一瞥する。

「まだ見てる」

 少年はその目が嫌いだった。

 誰かに強制されたかもしれない。自分で選んできたかもしれない。少年には分からない。

 だが、戦場に立って殺し合いをしているのだ。殺し殺される。分かっている癖に、死ぬと分かるといつもこの目が少年に向けられる。

「嫌なら、来るなよ」

 そう吐き捨てて、少年は次の物体に向かう。

 慣れるまではその目に戸惑い、怯え、槍伝いに伝わってくる命が零れる感触に恐怖した。

 二度目は吐いた。三度目は絶望した。四度目からは何も覚えていない。

 寝る度に、夢にあの目が現れるようになった。それに恐怖し眠れない日が続いた。

 しかし、何時しか何も感じなくなった。夢に現れても、ただ無表情に見詰め返した。

 慣れたのか?麻痺したのか?それとも、壊れたのか。

 少年には分からない。

 分からないまま戦場に立つ。ただひたすらに目の前の「物体」に槍を突き刺し、生き延びるためだけに。



 夕暮れが近づき、後退の合図が戦場に鳴り響いた。

 そこでようやく、自分がまだ生きていることを兵士達は実感する。


「おぉ、少年よ。生きていたか」


 体にこびり付いた血糊や土埃を洗い流すため、野営地の各所に設けられた小さな洗い場に向かう途中、気さくな声に呼び止められた。

 声のした方に顔を向けると、年若い青年将校の姿があった。

 少年はうんざりしていた。会う度に話しかけて来るのはまだ許せる。

 だが、土埃以外に目立った汚れ一つなく、磨かれ、見事な装飾が施された鎧。それを毎回見せつけられる側からすれば、迷惑以外の言葉が思い浮かばない。

 何より、今の少年と青年の社会的立場の違いを考えれば、憐みの目で少年は見られているに違いないからだ。

 

 貴族。彼ら彼女らはガルド王国の支配階級に位置する者達。少年の目の前に居る青年もおそらくその一人。

 声を掛けられた手前、無視して歩くのは駄目だろう。特に相手が貴族なら。もし機嫌を損ねた場合、何をされるか分からないから。

 仕方なく少年は足を止めて青年に向き直った。これが何時もの事である。

 従者と騎士を従えた青年は、名をバルザックというらしい。傍に仕える従者や騎士がそう呼んでいた。家名は名乗らなかったので分からない。

 名乗られたとしても、貴族の家名などほとんど知らない平民の少年には、あまり意味がないかもしれない。

 付き従う者達も立派な装飾が施された衣服や鎧を身に着けている。それだけでも、この年若い青年将校がかなりの上位に位置する者であることは、少年にも何となく分かっていた。

「・・・」

「バルザック様が、態々声をお掛けになっているのだぞ」

 バルザックに無言で答えた少年に対し、脇に控える騎士が偉そうに注意をしてきた。

 それを煩わしいと言わんばかりに、少年はうんざりとした顔を騎士に向けながら、兜を乱雑に脱ぎ、伸びた髪をかき上げ、片手で口を広げて見せた。

 兜と髪で隠れて見えていなかったが、少年の右頬は赤紫の毒々しい色に変色し腫れている。口内を覗き見れば、歯も真っ赤に染まっていた。


 今日は特に疲れていた。何時もなら睨み合いで数時間が過ぎるはずが、陣形が整ったと同時に敵軍が攻勢に出てきたからだ。そのせいで朝から延々と戦い続けるはめになった。

 途中で隣の味方部隊が崩れ、自分も死にそうになった。運良く、剣で殴られただけで済んだが、口内は傷だらけになっていた。

 血こそ止まっているが、今もヒリヒリとした痛みが続き、不快でしかない。

 既に少年は心身共に限界だった。

「このっ」

 少年の態度が気に食わなかった騎士は、拳を振り上げる。

「待て」

「でん。バルザック様、しかし」

「体を拭きに行くのだろう。私のことは気にせず、行くといい。口内の傷は軍医に診て貰いなさい」

 バルザックは騎士を無視して、少年に優しく語り掛けた。

 少年は一切躊躇することなく、青年に背を向けて歩き出した。

 去って行く少年の背を見詰め、バルザックは少し申し訳なく思った。

 少年のその先に目をやれば、既に多くの兵士が汚れを洗い流すため、水場に殺到している光景が広がっていたからだ。

 今からあの中に入っても、汚れた水で汚れを落とすことになるのだろう。

 少年もそれに気付いたのか、半身だけ振り返り不貞腐れた顔でこちらを睨んでいる。その顔は「お前のせいだぞ」と言っていた。

「ふふふ。悪いことをしてしまったな」

 青年を貴族と分かったうえで、わざと不貞腐れた顔で睨む少年。その太々しい顔は笑いを誘っているかのようだった。

「気になさることではありません。それよりも」

「あぁ、そうだな。行こうか」

 騎士に促され、歩き出した青年はもう一度少年に目を向ける。自分を睨んでいた少年は、既に兵士達の波の中に消え、その姿を見つけることはできなかった。



 仰向けに倒れたレグナの視界には、目の端に広がる凄惨な光景とは真逆の綺麗な空が広がっている。このままのんびりと昼寝をしたくなるほどきれいな空だった。

「レグナっ!さっさと立てっ!死にてぇのか!」

 頭を殴られ、意識が飛びかけていたレグナの耳に声が届く。折角のお昼寝を邪魔するのは誰だと心の中で怒りを覚えつつ、視線だけを声のした方に向けた。

 視線の先には隊長のルッツが、敵兵を一人斬り伏せている所だった。

 そこで頭が此処が戦場であることに気付き、レグナは慌てて手放した槍を探し始める。

 すぐに手探りで掴んだ槍を持って立ち上がったが、少し視界は歪んでいる。今すぐ座って休みたい気持ちになった。

 だが、そんな事を言っても目の前の敵兵は待ってくれない。今も自分を見るその目は、獲物を前にした獰猛な獣そのものだった。

「死ね、ガキ」

 未だ意識がはっきりとしないレグナの腹目掛け、敵の槍が真っすぐに伸びて来る。胸当てこそ鉄製の防具を身に着けているが、腹まで覆う防具は用意できていない。それは目の前の敵も同じだった。

 咄嗟に短く持ち替えた槍を、伸びてくる槍に添うように重ね、軌道を逸らす。そして足を一歩前に踏み出し、相手の懐に入る様に身を捻る。狙い通り敵の槍はさっきまで自分がいた場所で空を突き刺し、自分の槍は敵兵の腹に穴を穿った。

「くそが、きが」

「・・・」

 何時もの様に刺さった槍を捻りながら引き抜き、穂先で腹を切り裂く。これが戦場でレグナがよく使う技であり、これまで生き延びて来れた理由でもあった。

 一般兵の主な武装は、長槍と呼ばれる5mを超える槍、2m前後の標準な槍のどちらか。それに加えて乱戦用の短剣だ。

 長槍は敵歩兵を威圧し騎馬の突撃を防ぐことが目的だが、長い分重く扱いも難しい。小柄なレグナには扱えなかった。

 かといって、標準の長さの槍もレグナには長く、訓練でもその長さに体が振り回されていた。

 それを見かねた教官が、彼に渡したのは1.5mの短槍。個人訓練では小柄な体型を活かして、相手の懐に入り相手の槍を無効化する戦法を徹底的に叩きこんだ。

 死にたくない。ただその思いで磨き続け、今では意識せずとも身体が勝手に動くまでに、その技は磨かれていた。

 そして今日もまた、日暮れと共に野営地に帰っていくのだった。


 野営地内は小隊単位で区画が割り振られ、隊単位で固まって生活がされている。

「おう、ルッツ。混ざるぞ」

 十人の隊を率いる隊長ルッツは、焚火を隊員たちと囲んで談笑をしていた。そこに小隊長のガッツが声を掛けて来た。

「旦那か。いいぜ」

 ガッツが空いている丸太に腰かけ、持って来た酒瓶を開けて一口飲んだ。酒瓶は隣のルッツに渡され、ルッツも一口飲むと隣の部下に。それが繰り返され、焚火を囲む全員が飲み終えると、酒瓶は再びガッツの手に戻った。

「あのクソガキはどうした?」

「あいつなら、便所番に行ってるぜ。愚痴りながらも真面目にやってるよ」

「そうか。・・・ちっ、思い出しただけで腹が立って来た」

「ははははははははははははは」

 全員がガッツの悪態に笑い、ガッツは青筋を浮かべながら酒瓶を傾けた。

「そりゃ、旦那も悪いぜ。あの時、ジャンの馬鹿を締めとけば良かったんだ。面倒だからって放置した結果だぜ」

「ちっ。んなこたぁ、言われんでも分かってる。くっそ、ちょっと世の中の理不尽ってやつを大人として優しく教えてやったのに、あのクソガキときやがったら、恩を仇で返しやがって」

「ははははははははは、確かに誰も予想してなかったからな。まさか隊長の秘蔵の酒を盗んで、飲み干すなんてな。はははははは」

 腹を抱えて笑う部下たちを苦々しく思いながらも、自分にも非があることは分かっている。が、それでも自分が大切に寝かしていた酒を飲み干されたことに、未だに怒りが湧き続けていた。


 ある日、レグナがテントをジャイに盗まれたとガッツに訴えて来た。

 本来新兵であるレグナは、同じ新兵あるいは軍歴二年内の兵士と共に、四人用共同テントで寝起きをするはずなのだが、ある事情により小さい個人テントで生活をしていた。そのテントが盗まれたことで野宿生活になっていた。

 物資が盗まれることなど、戦場ではよくあることだった。戦場に来たばかりの新人は、まだ新しい寝袋や日用品を持っていることが多い。たとえ使い古された物でも、擦り切れた物よりもましだからだ。

 古参兵は戦場で隣り合う味方の重要性を理解しているが、ジャイの様な軍歴が2年くらいの中途半端な者は、新人を体の良い物資補充要員と勘違いしていることが多い。かくいう若い頃のガッツも同じだった。

 何よりレグナには、新人の中でも特に狙われやすい事情もあった。

 ガルド軍は一部の例外を除けば、17歳以上でしか徴兵または志願が出来ない。だが、レグナが此処に来た時の歳はまだ14になる前だった。

 小隊の誰もレグナの歳について言及はしなかった。ジャイでさえそこには触れていない。

 何故なら、確実に貴族子弟の身代わりであり、触れてはいけない事情もあるからだ。

 ガッツは小隊長として、上官である大隊長からある程度の事情を聞かされている。助けても良かったのだが、立場とその事情によりできなかった。

 そこで、あえて突き放すことにした。世の理不尽の何たるかを教えるために、犯人のジャイを含めた部下たちのいる前で「盗まれるお前が悪い」と。

 しかし数日後、ガッツはそっくりそのまま言い返される嵌めになった

 寝かせていた高級酒をレグナに盗まれ、空っぽの瓶だけが手元に戻って来たのだ。そして酔ったレグナに「盗まれるお前が悪い」と大勢の部下たちの前で言われ、恥をかくことになった。

 だが、盗んだ酒を独り占めすることなく、世話になっている隊員と飲んでいた事を考慮して、罰は三日間の便所番に抑えた。本来は鞭打ちなどの体罰が一般的な中、かなり優しい罰である。

 それでも酔っていたレグナは、横暴だとガッツにぶつくさと文句を言い続けた。罰の便所番が一週間に延びたところで、大人しくなった。

 ガッツ達古参兵は、この出来事でレグナのことをそれなりに評価していた。初陣からこの数か月で、感情が乏しくなっていることは不安要素だが、酔っていたとはいえガッツに言い返す度胸は、他の新兵には無いものだった。

 手癖が悪いこと自体も戦場では悪いことではない。敵の武器を拾って戦うなど日常茶飯事。朝手に持っていた武器は何時の間にか何処かに消え、見知らぬ誰かの武器を持って野営地に帰ることは何時もの事。

 レグナの槍も既に何代目か本人も分かっていない。


「それでよ、旦那」

「何だ?」

「レグナはあれだろ?でも、どういう訳か大将に目を掛けられてる。何でだ?」

 ルッツの言う大将は、レグナを見かける度に声を掛ける青年将校の事である。平民からすれば天上人である青年将校に、レグナはぞんざいな態度で何時も接している。

 初めてそれを目撃した時、ガッツは自分の首が飛んだと思った。

 しかし、不思議な事に今もガッツとレグナの首は繋がったままである。

 後にルッツから聞けば、あれが初めてではないと聞き、余計に心配事が増えた。すぐに上官である中隊長のダンテに相談に行った。だが。

「何だ。知らなかったのか?私の耳にも届いているぞ。まぁ、安心しろ。お前の首も私の首も飛ぶことは無い。ははははははは」

 理由は分からないが、青年はレグナの態度を笑いながら許し、今もそれを面白がっているようだった。

「さぁな。一応、上もあのガキが違法に徴兵されていることに気付いてる。だが、どうするつもりかは知らん。それに一般兵の事情なんぞ、上の人間からすれば知った事じゃねぇからな」

「まぁ、それはそうだがよ。あいつ此処に来てもう三か月経つくせに、支給された防具から一つも買い替えねぇからよ。この間も腹に鉄板仕込めって言ってやったばかりなんだが」

 ガルド軍では最低限の装備は支給される。しかし、ほとんどの者は二か月くらいで胴体防具だけは買い替えるか付け足す。支給された防具では胸は守れても、腹は革製のためほとんど役目をはたしていないからだ。

 それを理解している軍は、わざと最初の三か月間の給与を高めに払っている。そして軍の委託を受けた商人や商会が毎月、新兵に防具を売るのだ。

 この売り上げの一部は、紹介料として軍に返って来る仕組みである。

「はぁ。あいつに関しては裏があるのは何となく分かってるな?」

「・・・あぁ。あのジャンの馬鹿でも気付いて、そこには触れないからな」

「親無し、罪人、借金付きのボン、キュッ、ボンだ」

「・・・そうかぁ。ガキ相手にえげつねぇことするな」

 ガッツの説明にその場にいる全員が全てを察し、沈黙した。

 ルッツ達はレグナが罪を着せられ、貴族子弟の身代わりに無理やり徴兵されていると気づいた。

 貴族子弟の代わりに徴兵を受けることはよくある話。小隊内にも五人いる。

 通常は貴族から報酬を受け取って、代わりに徴兵を受けることが本来の身代わりである。

 この仕組みは国も認めており、申請さえすれば問題にはされない。しかし、レグナの場合は違う。

 罪を着せられ、罪人として徴兵され、ついでに身代わりになっている。

 レグナに入るはずの兵役給与は、ほぼ全てがレグナに罪を着せた貴族家と法衣貴族に入っているのだろう。

 つまり、レグナは徴兵されて以降、ほぼ無給で戦い続けているということになる。

 ガッツはルッツ達が都合のいい勘違いをしている事を尻目に、あるものをルッツに渡した。

「これをあいつに渡してやれ」

 ガッツは酒瓶と一緒に持って来た大きめの手提げを、そのままルッツに渡した。

 中を確認したルッツはにやりと口角を上げ、揶揄うようにガッツを見た。

「旦那もなんだかんだ優しいねぇ。これどうしたんだ?」

「知り合いのものだ。処分するものを譲ってもらった。あいつも少しは背が伸びて来たから、少し詰めれば使えるだろ。駄目ならヒルダの店に行け」

「へへへ、わかった。渡して置くよ」

 ルッツの持つ大きめの手提げから覗くのは、内側に革が貼り付けられたベスト型の鉄鎧。そして籠手と脛当て。今のレグナではまだ大きいが、内に何かを詰めれば使えるだろう。

 態々誰かに届けさせたであろう少し古い鉄鎧。油が塗られ、手入れも行き届いている。これなら今すぐにでも使える。処分するといいながら、真新しい補修跡も残る鎧。ガッツの思い出の品かもしれない。

 照れ隠しなのか、酒瓶を高く傾ける隊長の姿に、皆が茶化す様に笑い合うのだった。

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