室田邸5
広間に満ちていた静寂は、加賀の登場によって一瞬で切り裂かれた。
その姿は夜の闇そのものをまとったかのようで、全身からは冷酷な自信と狂気が溢れ出ていた。
彼の靴音が大理石の床に響くたび、生き残りの者たちの心臓が嫌な音を立てるようだった。
「お前たち……よくぞここまでたどり着いたものだ」
低く、しかしはっきりとした声。
その一語一句が人の心を嘲笑い、試すように突き刺さる。
鬼蔵が歯を食いしばり、前に出た。
「加賀ァ……ッ! ここで終わらせてやる……!」
烈火がその隣に立つ。腕には手術痕がまだ痛みとして残っていたが、瞳には炎のような決意が燃えている。
「俺たちを何だと思ってやがる……! 仲間を弄んで、命を奪って……許さねぇ!」
加賀は、冷笑を崩さない。
「許す? ふん、くだらん感情だ。命はただの資源。研究の燃料に過ぎん」
「黙れッ!」
京介が叫び、剣を抜いた。その刃先は震えているが、恐怖からではなかった。怒りと悔しさで抑えが効かないのだ。
美香は震える息を吐き出し、足を前に進める。
「……加賀。アンタのせいで、影丸も、迅も、全部……全部奪われた……!」
声が震え、瞳が潤む。
「もう……誰も、私から奪わせないッ!!」
――戦いが始まった。
轟音と共に、加賀が地を蹴った。
その動きは人間の域をはるかに超えていた。影のように床を滑り、烈火へ拳を叩き込む。
烈火は咄嗟に腕を交差して防御するが――衝撃で全身が浮き上がり、背後の柱に叩きつけられた。
「ぐああああッ!」
骨が軋み、口から血が飛ぶ。
「烈火ッ!」美香が叫ぶ。
その隙を狙って鬼蔵が突撃する。大剣を振り下ろし、全力で加賀を叩き潰そうとした。
だが加賀はあざ笑うように軽く手を上げ、指先で刃を弾く。
「無駄だ」
ギィン、と金属音が広間に響き、鬼蔵の体は弾き飛ばされた。
その巨体が床に叩きつけられ、石床が大きくひび割れる。
「クソッ……化け物め……!」
京介が横から斬りかかる。剣技は鋭く、今までの戦いで磨かれた彼の全身全霊の一撃だった。
だが――。
「遅い」
加賀の拳が横薙ぎに走る。
京介の体が宙を舞い、壁に叩きつけられた。
「がはっ……!」
口から鮮血が噴き出す。
美香は歯を食いしばった。
「みんな……!」
怒りに任せて突撃したい衝動を抑え、冷静に加賀の動きを観察する。
――速い。強い。だが、それだけではない。
奴の拳や足が動くたび、空気そのものが圧縮されるような衝撃が走っていた。
あれは、人間の肉体が持ち得る力ではない。
「気づいたか」
加賀が美香の視線に気づき、口角を上げる。
「そうだ……私はすでに人の域を超えている。お前たちが忌み嫌う“リツの血”を、この身に取り込んだからな」
「なに……?」
美香の心臓が強く跳ねた。
加賀は堂々と胸を叩きながら言い放つ。
「実験は成功した。リツの力を人の枠に収め、さらに超えた存在に昇華する。それが私だ」
「……ふざけんなッ!」
烈火が這いずりながら立ち上がり、叫ぶ。
「その力は……人を救うためにあるはずのもんだろ……! 仲間を……奪うためじゃねぇッ!」
加賀は鼻で笑った。
「救い? くだらんな。進化に救いなど不要だ。弱者は淘汰され、強者だけが残る……それが真理だ」
その瞬間――美香の中で何かが弾けた。
怒りと憎しみ、そして仲間たちへの想いが、力となって迸る。
全身が赤黒い光に包まれ、彼女の瞳が深紅に輝いた。
「……じゃあ、私がその“真理”をぶち壊す!」
美香が叫び、加賀へと突撃した。
衝撃が広間を揺らす。
拳と拳がぶつかり合い、轟音が広がる。
加賀の目が驚きに揺れた。
「なに……!?」
美香の力は、確かに彼の肉体を押し返していた。
「これは……仲間の想い……! 烈火の叫び! 鬼蔵の誓い! 京介の勇気! みんなの命が、私に力をくれてるッ!」
「戯言を……!」
加賀は怒声を上げ、力を込める。
二人の衝突は、空間を震わせるほどの衝撃を生んだ。
床が割れ、壁に亀裂が走る。
烈火が必死に声を張り上げる。
「美香ァッ! 決めろッ!!」
鬼蔵が血まみれの体で剣を突き立てながら吼える。
「俺たちの……魂を託すッ!」
京介が倒れながらも微笑む。
「美香……頼む……」
美香は仲間たちの声を背に、最後の力を振り絞った。
「これで……終わりだァァァァァッ!!!」
渾身の拳が加賀の胸を貫いた。
加賀の瞳が見開かれ、血が口から溢れる。
「な……なぜだ……! 道具でしかないお前が……私を……!」
美香は涙を流しながら叫んだ。
「私は……仲間と一緒に生きてきたッ! アンタなんかに……負けないッ!!」
ドン、と爆ぜるように加賀の体が吹き飛び、壁に叩きつけられる。
黒衣が裂け、血が床に広がった。
「……ぐ、あぁ……」
加賀は膝をつき、最後に歪んだ笑みを浮かべた。
「これが……リツの……力……か……」
その目から光が消え、彼の体は床に崩れ落ちた。
――加賀、死す。
広間には静寂が戻った。
だがその空気は、決して安堵ではなかった。
誰もが知っていた。この戦いはまだ終わっていない、と。
美香は息を荒げ、血にまみれた拳を握りしめながら呟いた。
「……これで……まだ……」
その時。
奥の闇から、新たな気配が歩み出た。
「……よくぞここまで来たな」
現れたのは――室田銀治。
長い年月を生きてきた老人、その瞳には深い闇と歴史が宿っていた。