烈火の手術
室田邸の最深部――冷却と遮音の層で覆われた巨大な円形収容室。
内部は氷点に近い温度に保たれ、空気が凍るような静けさの中、
中央にはガラス状の縦型拘束カプセルが、まるで祭壇のように設置されている。
その中で、赤黒い棘を持つ異形の存在――Kが、静かに目を閉じていた。
だがただ眠っているのではない。
全身の筋肉はまるで獣のように張り詰め、
微かに揺れる指先は、獲物の呼吸を思い出しているかのようだった。
シュウウ……と、カプセルの冷却ロックが解け、前面が静かに開く。
足音を忍ばせることなく、加賀が現れる。
白衣の上から新たな黒のコートを羽織り、いつもの笑みを浮かべていた。
「……ご機嫌いかがですか、K。今日も見事な“収穫”でしたよ」
Kは目を開けない。けれど、その体からは確かに“殺気”が立ちのぼっていた。
まるで、美香の残り香をまだ体内に刻みつけているように。
加賀は、その様子に満足したように笑う。
「美香は、あなたの毒に耐えました。驚きましたか? それとも、嬉しかったですか?」
わずかに、Kの指がピクリと動く。
「ええ、そう。私も同じ気持ちですよ。……次はもっと面白くなります」
「あなたに“次の戦場”を与えましょう。今度は――“リツの原型”と接触してもらいます」
Kの瞳がゆっくりと開く。
真っ赤な虹彩が、氷のような無感情を宿して、加賀を見据える。
「ええ。もうすぐです。
『鍵』――美香が辿る運命の先に、“あなたの目的”も待っています」
その言葉に反応するように、Kの背から突き出た棘がわずかに動いた。
まるで嬉しそうに、次の“獲物”の匂いを嗅ぎとったかのように。
加賀は満足げに、ポケットから一枚のタブレットを取り出し、表示された画像をKに見せる。
そこには――室田邸の地下に隠された“最終施設”の設計図。
そして、その中央にある“実験槽”の写真には、
とある“もう一人のK”が眠っていた。
「――お前の兄弟だ。次は“融合実験”だぞ。お前の中に、“真のK”を完成させよう」
Kはゆっくりと立ち上がり、音もなく加賀の横に並ぶ。
赤い瞳に、微かに笑みのような歪みが浮かんだ気がした。
それは、獣の笑み。死を与えることにしか歓びを覚えない、純粋な“兵器”の感情だった。
一方、旧本部。
そこに広がる空間の一角が、今や訓練場と化していた。
無残に散った仲間の血を、忘れぬために。
二度と誰も失わないために。
生き残った者たちは、己の武を鍛え直していた。
「……じゃあ今日は、実戦形式でいく。油断したら怪我するぞ」
夜人が短く告げると、京介が無言で銃を構える。
その横では鬼蔵が木刀を振るい、烈火が片腕を庇いながらも足腰を鍛えていた。
訓練は二部制に分けられていた。
午前は銃の訓練、午後は剣術と格闘の訓練。
誰もが黙々と、しかし確実に“強さ”を積み上げていた。
銃撃訓練では、夜人が的の設置から射撃姿勢、呼吸法に至るまで全員に細かく指導を行った。
元・軍のスナイパーでもあった夜人の指導は、軍隊式で容赦がない。
「引き金を引く前に心を静めろ。焦りは、殺し合いじゃ致命傷になる」
京介はその隣で、片手撃ち、両手撃ち、背面撃ちなどの実践技術を見せつけた。
それを真似しようとした烈火が、腕に響く痛みに顔をしかめながらも耐えていた。
「くっ……ちくしょう、まだ全快じゃねえけど……無駄にできる時間なんてねぇしな」
鬼蔵は銃には触れず、代わりに背中に担いだ“訓練用の重い木刀”を背負ったまま素振りを繰り返していた。
汗が地面に滴り落ち、足元には踏み締めた跡が無数に残っていた。
午後になると、剣術と格闘訓練へと移る。
今は亡き影丸が生前に残した指南書を元に、美香と鬼蔵が中心となって技術の伝承を行っていた。
「剣は、力で振るうんじゃない。流れで、斬るんだ」
美香の声は落ち着いていた。
彼女の剣筋はすでに“天賦の力”ではなく、“訓練によって磨かれた意思”を帯びていた。
京介はその美香と木剣で打ち合うが、時折「うぐっ」と短く呻き、後ずさる。
「おい、ちょっと手加減しろって……マジでアバラ持ってかれる」
「手加減してこれなんだけど」
「……マジかよ」
一方、烈火は体幹と脚力のトレーニングに専念していた。
剣も銃も握れない今、できることをすべてやる。それだけだった。
「お前らが剣振ってる間に、俺は脚で相手をぶっ飛ばせるようにしてやるからな……!」
その姿を見ていた鬼蔵が、ふと木刀を立てて言った。
「……こうしてみると、ちゃんと“戦う理由”を持った奴ってのは、強ぇな」
「何だ、急に哲学か?」と京介がぼやく。
「いや、ただ思っただけだ。あの日、ことは姉さんが死んだ時、俺は何もできなかった。今こうして剣を振れてるのが、ただ悔しいだけだった。でも、今は――意味がある気がするんだよな。この剣に」
言葉を受け、美香は静かに頷く。
「だから、守ろう。今度こそ」
仲間の死。痛み。苦しみ。
そのすべてを、力に変えて――。
太陽がゆっくりと傾いていく。
訓練は今日も終わらない。
だがその先には、確かに“勝利”という未来が見え始めていた。
烈火は、浩一郎の定期健診にある場所に来ていた。
旧本部の地下にある、仮設の医療室。
蛍光灯の青白い光が、静かに天井から降り注ぐ。
「腕は……もう限界まで回復してる。今なら、いける」
浩一郎は聴診器を外し、診察用手袋を外しながら静かに言った。
「ありがとう、浩一郎先生」
烈火は、微かに笑みを浮かべて立ち上がった。
仲間が生死の狭間で叫んでいた、あの手術室。
自分も、あそこに入る番が来た。
「覚悟は?」
浩一郎の問いに、烈火は静かに頷いた。
「……あの時は、ただ怖かった。でも、今は違う。
誰かが傷つくのは、もう見たくねぇ。だから俺は、変わる」
手術着に着替えた烈火が、手術台に横たわる。
周囲の医療器具が、静かに動き出す音がする。
美香、夜人、京介、鬼蔵。
みんなが一度は死にかけ、それでも帰ってきた。
自分だけ逃げていていいはずがない。
麻酔が打たれる。
意識が薄れていく中で、烈火の脳裏に浮かぶのは――
死にゆく影丸の背中。
泣き叫ぶことはの声。
Kの不気味な仮面。
そして、美香が血まみれでなお戦い続けていた姿。
「俺は……ここで終わらねぇぞ……」
――静寂。
機械音が鳴り響く。
モニターが心拍を刻む中、浩一郎が手術に入った。
「魔丸は、左腕の神経網の奥深くに沈んでいる。
少しでもミスれば、神経断裂で腕が使えなくなる。最悪、心停止だ……」
看護助手に指示を飛ばしながら、浩一郎の額にはじっとりと汗がにじむ。
彼の指先は震えていない。
だが、心は張り詰めていた。
(……お前まで、失うわけにはいかない)
魔丸は、まるで生きているかのように反応し、烈火の体内で脈動していた。
一部は筋繊維と結合し、肉と同化している。
「くそっ、予想以上に侵食が進んでいる……!」
メスが細かく走り、ピンセットが魔丸の一部を摘出する。
血液の代わりに、黒い瘴気のような液が滲み出た。
――烈火の全身が、ビクンと痙攣する。
「モニター、急降下! 心拍数低下!」
「アドレナリン投与。酸素濃度上げろ!」
浩一郎は叫びながら、魔丸の中核に到達する。
それは、微かに赤く光る小さな“核”だった。
「こいつが……魔丸の心臓か……!」
刃先を合わせ、絶妙な角度で摘出――
「っ……取ったぞ!」
直後、烈火の身体から真っ黒な煙のような気が吹き出し、天井に向かって消えていく。
毒素が抜け、身体が元に戻ろうとしていた。
「……安定してきた。呼吸、正常に戻る」
助手が息を飲む。
浩一郎は無言のまま、ゆっくりと道具を置いた。
術後の烈火は、ぐったりとした表情のまま眠っていたが――
その顔は、どこか晴れやかだった。
その夜
術後室で眠る烈火の傍らに、美香がそっと座っていた。
「やっと、みんなと同じ場所に立てたね」
彼女は、誰に聞かせるでもなく呟いた。
烈火の手術は、成功。
これで、再び“全員”で前に進める。
闇に覆われた夜の旧本部に、静かな希望が灯り始めていた。