手術
三人の亡骸は、旧本部の広間に並べられていた。
影丸、ことは、迅――。
それぞれの棺には、隊の象徴である黒布がかけられ、花の代わりに仲間たちが持ち寄った私物や武具が静かに添えられていた。
「……もっとちゃんとした葬儀をしてやりてぇけど、今はこれが精一杯だな……」
鬼蔵が、手を合わせながら呟いた。
「うん……でも、ちゃんと……見送ろう」
烈火が、鼻をすすりながら涙をこらえる。
広間には焚かれた香の匂いと、誰ともなく口ずさむ祈りの旋律だけが漂っていた。
それは簡素だが、確かに仲間を想う者たちの葬送だった。
一同が黙祷を終えたあと、不意に烈火が口を開いた。
「なあ……“リツ”って、なんなんだろうな。俺たちが戦ってきた相手……全部、そう呼ばれてたけど……結局よく分からねぇ」
沈黙が落ちた。
答えられる者はいなかった。
だが、その沈黙を破ったのは、ひとりの少年だった。
島で保護された少年――そうま。
今は旧本部の隅で暮らしているが、その目には静かに知性が宿っていた。
「……村では、こんな言い伝えが残ってるよ」
皆が振り返る。
「――昔、この世の“頂点に立つ者たち”に仕えていた一族がいた。
その者たちは、異常なほどの武力と、天才的な頭脳を持っていて。
人間とは思えないような力を発揮していた。
その力の秘密は“一族の血”にあると言われ、それは代々、固く秘されていたんだ」
「一族の血……」
夜人が低く呟いた。
「でも、ある時……その秘密を、ひとりの女性に知られてしまった。
その女は――“その一族は化け物の血を引いている。だから異常な力と頭脳を持っている”と広めてしまった。
結果、一族は追放され、隠れて生きるしかなくなったんだ」
烈火が目を見開く。
「おい、それってまさか――」
「うん……。その“追放された一族”が、リツ一族。
そして、“その女”こそが――室田家の先祖だって、村では言われてる」
にわかには信じがたい話だった。
だが、その場にいた誰もが、口を挟めずにいた。
今までの戦いと符合する点が多すぎたのだ。
「それが本当なら……俺たちは、何百年も前から、血で繋がった争いをしてきたってことになる……?」
鬼蔵が低く言う。
夜人も頷いた。
「古代の“呪い”が、今も続いてるってわけか……」
「真実かどうかはわからない。言い伝えの域は出てない。でも――」
美香が皆を見渡す。
「――その答えは、きっと室田邸にある。
加賀が戻る場所。あいつらの本拠地。そして……私の“終わらせなきゃいけない場所”。
そこに向かう準備をしよう。……もう、誰も死なせたくないから」
誰も異を唱えなかった。
いや――誰も、もう“見て見ぬふり”をしようとは思わなかった。
手術前夜
その夜、旧本部の医療室にて――。
浩一郎が、改めて説明する。
「魔丸の完全除去は、軽い処置ではない。
体内に定着している因子を強制排出させるため、肉体への激痛と神経への干渉が伴う。
場合によっては昏睡、神経断裂、記憶障害……死に至るケースもある。
それでも……やるか?」
夜人が即答した。
「構わない」
京介が肩をすくめる。
「どうせ……このままじゃ、刺されて即死だろ。マシな方を選ぶ」
鬼蔵が歯を食いしばる。
「死ぬ気はねぇ……生きて、あの野郎らに一発ぶちかますまではな!」
浩一郎は頷き、三人のスケジュールを決定した。
だが――
「待ってくれ、俺は……!」
烈火が腕を押さえて前に出る。
包帯に滲む血の色が、生々しい。
浩一郎は静かに言った。
「烈火……お前の右腕は、骨ごと深く損傷している。
この状態で手術をすれば、処置の激痛に耐えられず、死亡率が飛躍的に上がる」
「そ、そんな……!」
「完治を待ってからにしろ。それが、お前が生きて戦う唯一の選択肢だ」
烈火は唇を噛み、壁を殴るように拳を握った。
だが、ようやく小さく頷いた。
「わかった……絶対、あとから追いつくからな」
手術開始
翌日。
夜明け前。
手術室には、機械の音と白い光が支配していた。
手術台には、夜人・京介・鬼蔵がそれぞれ横たわり、静脈から麻酔が注入されていく。
浩一郎の手元には、魔丸因子を追跡し排出するためのナノ器具と神経切断予防装置。
それでも完璧な安全は保証できなかった。
麻酔が効いてきたころ――
「う、あ……ぐあああああッ!!」
――悲鳴が響いた。
夜人の口から漏れた、抑えきれない叫び。
麻酔のはずが、神経が焼かれるような激痛が全身を走らせている。
「ッ、な……ぜ麻酔が……!」
助手が目を見開く。
浩一郎が素早く神経安定剤を追加。
それでも――
「うわあああああッ!! くっそぉぉぉぉおおおおおおお!!」
京介の怒号が響き渡った。
口元から泡を吹き、ベッドの上で全身を痙攣させながら、体をのけぞらせる。
鬼蔵は無言だった。
歯を食いしばったまま、汗が滝のように流れ、白目を剥きながら体を震わせていた。
それはまるで、体内の“何か”が叫んでいるかのような苦しみだった。
「神経反射が通常の四倍……! 魔丸因子が神経と連動して暴走してる!」
「先生、処置を中止すべきでは――!」
「いいや、もう後戻りはできん! ここで止めたら……三人とも死ぬ!」
浩一郎の声が、凍りついた手術室に響き渡る。
やがて――
“消えろ……”
“俺の中から……出ていけぇぇぇぇッ!!”
そんな叫びが確かにあった。
誰のものかは、もう誰にもわからなかった。
手術室の扉が重々しく閉じられたまま、何時間が経ったのだろうか。烈火は廊下の長椅子に腰を下ろしていたが、じっとしていることができず、何度も立ち上がっては歩き回っていた。
「……クソッ……なんで俺だけ……」
悔しさと情けなさが入り混じった声が喉の奥から漏れる。自分だけが手術を受けられなかったことが、烈火の胸を苛んでいた。医療班の隊員から「今の状態で手術を受ければ、苦痛で心臓が止まる恐れがある」と言われ、浩一郎にも静かに「今はその時ではない」と断言されていた。理解はできる、だが納得などできるはずもなかった。
(夜人も、京介も、鬼蔵も……あんな顔で、あんな覚悟で、あの部屋に入っていったんだ。なのに俺は……俺は……!)
烈火の右腕は未だに包帯で巻かれ、動かすたびに鈍く痛んだ。それでも彼は何度も拳を握りしめては開いた。何もできない自分が、ただただ情けなかった。
「頼む……」
ぽつりと、誰にともなく呟く。
「死ぬなよ……。俺を……一人にするなよ……」
三人が手術室に入ってから、すでに五時間以上が経過していた。扉の奥からは、時折うめき声のようなものが漏れてきた。麻酔が効いているはずなのに、それを突き破るような苦痛の叫び。まるで命そのものを削っているような音。
(本当に、あの魔丸ってのは……人の命を喰らう毒みてえなもんなんだな)
烈火は天井を見上げた。旧本部の薄暗い照明のせいで、周囲の空気は一層沈んで感じられた。誰も声を発さず、ただ、時間だけが重たく流れていた。
足音が近づいてきた。浩一郎が血のついた手袋を脱ぎながら、静かに歩いてくる。その表情に安堵はなかった。
「どうだったんだ……!?」
烈火が立ち上がり、思わず掴みかかる勢いで訊ねる。
浩一郎は短く息を吐いた。
「……まだ、予断は許さない」
その言葉に、烈火は思わず力が抜け、壁にもたれかかった。
「それでも……生きてるんだな? まだ……!」
「今のところはな。ただ、魔丸の浄化は命を削る行為だ。予想以上に深く浸食されていた。三人とも、今は昏睡状態だ」
「クソッ……!」
烈火は拳を壁に叩きつけた。乾いた音が響く。
(俺は……何をしてる……? 仲間を助けたいって言ったくせに、自分は何もできてねえ……!)
その時、ふと美香の姿が思い浮かんだ。仲間の死を背負い、Kと戦い、そして今も何かを背負い続けている少女。美香は泣かなかった。だからこそ、烈火は泣けなかった。
「俺だって、負けてられねえよな……」
烈火は呟き、包帯の下の腕を見つめる。
(絶対に治す。治して、次は絶対……一緒に戦う。加賀も、Kも……このまま好き勝手させてたまるかよ)
そして、仲間が目を覚ました時に笑って迎えられるように、烈火は静かに椅子に腰を下ろし、祈るように目を閉じた。