決意
夜更け。月は雲の合間をすり抜けて、地上を鈍く照らしていた。
ヨシカゲ隊の旧本部へと続く林道を、少女がひとり歩いていた。
その背には、血まみれの男性――ヨシカゲ隊の隊長、吉田影丸。
肩で息をしながらも、彼女は止まらなかった。
両の腕も足も、擦り傷と返り血に塗れていた。
その姿を、誰もまだ知らない。
――だが、旧本部ではその異変に気付いた者がいた。
「……おかしい」
本部地下、探知室の奥でひとり座っていた伊集院夜人が、顔をしかめていた。
「潜入部隊の気配が……薄い。いや……消えた……?」
彼は、肩に乗せていた白い鳥型の使い魔を放つと同時に、席を飛び出した。
「まさか……何があった……!」
その気配に気付いたもうひとりがいた。
「おい夜人、どこ行くんだ」
部屋の前に座っていた柊京介が、眠そうな目を開ける。
「潜入部隊に異変。……美香の位置に向かう」
その一言で京介の目が冴えた。
「……ったく、面倒ごとばっかだな」
そう呟いて、彼も夜人の後を追い走り出す。
数分後。夜の森に2人の足音が響く。
「……あれか」
夜人の視線の先、月明かりの中に、ひとつの影が見えた。
少女、美香。
その背には血塗れの影丸を背負い、うつむいたまま歩いていた。
「美香……!?」
声をかけながら駆け寄る夜人。京介も後ろに続く。
しかし――その場に到着した瞬間、2人は息を呑んだ。
そこにいたのは、美香と……影丸の亡骸だけではなかった。
地面には、迅、ことは、他の仲間たちの遺体が並んでいた。
だが――それだけではない。
「……なんだこれ」
京介が顔をしかめる。
“動かない”
風が止まっている。空気が重い。まるで時が止まったような感覚。
夜人と京介には、美香以外の“気配”がまったく感じ取れなかった。
いや――違う。
正確には、“美香以外すべてが死んでいる”かのような、異常な静寂。
夜人が美香に近づこうと一歩足を踏み出す。
その瞬間、ビリ、と空気が弾けたような音がして、美香が顔を上げた。
涙に濡れた目。
その奥には、怒りとも悲しみともつかぬ光が揺れていた。
「……遅かったんだね、夜人……京介」
そう呟く声は、掠れていた。
美香の両足はふらついている。だが、倒れない。
背中に影丸の体を背負ったまま、立ち続けていた。
「……何があったんだ……」
夜人の問いに、美香はぽつりと答える。
「……K。完成体。……みんな、あいつにやられた。……でも……私は、止められなかった……」
その場に立ち尽くす夜人と京介。
森の中に、重たい沈黙が降りた。
静寂を切り裂く扉の音が、旧本部に響いた。
扉を開いたのは、美香だった。
その肩には、もう動かない影丸の体。
その背後には、ことはと迅の亡骸を乗せた運搬台が、京介と夜人によって押されていた。
誰も声を発しなかった。
ただ、目を見開いたまま立ち尽くす烈火と鬼蔵。
そして、歩いてきた彼らを出迎えたのは、白衣を着た医師――浩一郎だった。
「……浩一郎先生……頼む」
夜人が押し殺した声で言った。
浩一郎は無言で頷くと、運ばれた三人の体をひとつずつ、確かめていく。
――影丸の胸に、深く貫かれた棘の痕。
――ことはの背中に無数の穿孔。
――迅の腹部には、裂かれたような傷。
浩一郎は、震える手で彼らの眼を閉じた。
そして、深く、長く、息を吐いた。
「……全員……死亡だ」
誰かが、短く息を呑んだ。
烈火が地面に膝をついた。
鬼蔵は拳を震わせながら、唇を噛んだ。
夜人は目を閉じ、眉間に深く皺を寄せたまま、ただ立ち尽くす。
京介だけは何も言わず、壁に背を預けて天井を見つめていた。
「……そんな……嘘だろ……隊長……ことは……迅……」
烈火の声が、絞り出すように空気に溶けた。
そして、美香が一歩、前に出た。
「……私、全部話す」
静かな決意の声だった。
皆の視線が、美香に集まる。
美香は唇を噛みしめ、時に涙を流しながら、研究所で起きたことをすべて語った。
加賀の登場。
自らの血液から生み出された、新たな“リツ”――**完成体『K』**の存在。
枝分かれした無数の“棘”のような尻尾に刺されることで、魔丸摂取者は即死するという異常な能力。
「Kは……加賀の命令で動いてる。室田一族の命令にも従うって……。でも、あれは……“生き物”じゃなかった。感情も……表情もなかった。ただ、加賀に言われるままに、仲間を……殺したの」
美香の手は震えていた。
背中には、今もなお痛みが残っている。
Kの棘に刺された部分が、まだ熱を帯びているように疼いていた。
「……だから、刺されても私だけは死ななかった。リツ一族の血を引いてるから。でも……」
言葉が詰まる。
浩一郎が、そっと肩に手を置いた。
「よく戻ってきたな……美香」
その一言に、美香の瞳から、また新たな涙が溢れた。
そのときだった。
「浩一郎先生」
夜人が静かに言った。
その声は、今まで聞いたことのないほど真剣で、切実だった。
「俺たちを……“魔丸”から解放してくれ」
「……!」
鬼蔵、烈火、京介も顔を上げ、次々に口を開いた。
「俺も……俺は、怖ぇよ。あのトゲに刺されたら……死ぬんだろ? 俺たち、あんなのに勝てねぇよ……!」
「魔丸は力をくれた……でも今は呪いだ。俺は……“魔丸無し”で戦えるようになりたい」
「みんなの無念を、迅の無念を晴らしてやりたい」
浩一郎は、彼らの顔をひとりひとり見渡した。
どの瞳も、本気だった。
ただの恐怖ではない。仲間を失った悲しみと、そしてこれ以上仲間を失いたくないという強い意思があった。
浩一郎は、目を閉じ、静かに頷いた。
「……ただの除去では済まない。お前たちの体にはもう、“変化”が定着している。完全除去となれば、一時的な昏睡や記憶混濁、神経破損のリスクもある。それでもいいのか?」
「……いい。やってくれ」
夜人が即答する。
その言葉に、他の3人も頷いた。
美香は、ただ黙って彼らの横顔を見ていた。
その表情には、決意と痛みが入り混じっていた。
“今度こそ、守る”
“もう誰も死なせない”
それが、仲間たちの中に灯った火だった。
浩一郎は、白衣を翻して医療室へと向かう。
それぞれの思いを胸に、再起への準備が始まるのだった。