表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/43

地下施設R

階段を降りた瞬間、空気が変わった。

 湿気、薬品、そして生臭い鉄のような匂い。

 美香は懐中電灯を手に、無意識に息を浅くする。


 地下施設は死んではいなかった。

 照明は点灯し、通路の奥からは機械の駆動音と、何人かの研究員たちの会話が微かに響いていた。


 「……No.11、また拒絶反応……」

 「筋繊維崩壊、投与中止」

 「リツ3は安定。データ取得優先」


 ──番号? リツ……?


 美香は息を呑んだ。

 リツという名が、固有名ではなく分類名として使われている。


 扉のガラス窓から見えた研究室の中では、白衣の研究員たちがモニターを前に、無表情で作業していた。

 奥の観察室には複数の個体がいた。

 皮膚が変色し、骨格が異常に肥大化した人間の“なれの果て”。

 床に座り込み、時折痙攣しながら呻いている。


 それらの檻には、それぞれ番号が貼られていた。


 No.6、No.12、No.24──

 皆、薬に適合できなかった“外れ”だ。


 一方で──ある部屋のプレートには、こう記されていた。


 《リツ1個体:特別収容》


 美香の心が、ざわついた。

 リツ。父が言っていたその名。そして、母の可能性。


 扉がわずかに開いていた。

 恐る恐る中へ足を踏み入れる。


     *


 そこは一際広い観察室だった。

 中央には強化ガラスの隔離檻。

 その中に──一人の女性が、膝を抱えて座っていた。


 髪は長く、黒く、顔は伏せられていた。

 痩せ細った体は、骨が浮き出るほどで、腕や背中には投薬痕のような黒い斑点が無数に残っている。


 静かに、檻の中の“彼女”が顔を上げた。


 次の瞬間──


 「アアアアアアアア!!」


 咆哮。

 耳を劈くような低音が、空間を揺るがす。

 思わず美香は耳を塞ぎ、尻もちをついた。


 ──人間じゃない。声が違う。目が違う。


 だけど。


 その顔を、どこかで知っている気がした。

 写真も、記憶も、何一つ持っていないのに、心の奥が叫んでいた。


 ──これは、母だ。


 咆哮を止め、再び顔を伏せたその唇が、わずかに動いた。

 ひび割れた声、かすれるような、壊れかけた人の声。


 「……ミ……カ……?」


 美香の心臓が跳ねた。

 たしかに、そう言った。


 「……お母さん……!」


 駆け寄ろうとした、その瞬間──

 母が再び目を見開き、暴れ始めた。


 「ウゥ……グルァアアアアアア!!」


 腕がガラスに叩きつけられ、センサーが警告音を鳴らし始める。


 《警告:リツ1、反応レベル上昇。拘束処置準備──》


 背後の通路から、研究員の怒鳴り声が迫ってきた。


 「誰か入ったか!?施設センサーが反応してるぞ!」

 「隔離室!誰か入った形跡がある!」


 まずい。


 美香は、涙を飲み込み、檻を離れ、走り出した。


 母が、リツ1個体として生きていた。

 けれど、記憶も言葉も、すべてを薬に奪われていた。


 ──なのに、「美香」という名前だけは、まだ残っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ