第7話 水の影に潜む毒
朝靄が晴れた城下の診療所前広場で、美咲はエリオット医師と共に最新の農村医療隊報告書を朗読していた。遠くの山あいの村々へ派遣した隊が、昨日までに延べ百名以上の住民を診察し、簡易処置と予防接種を行ったという。
「非常に順調です。このペースなら来月にはすべての集落へ到達できます」
エリオットが晴れやかに微笑むと、周囲の役人たちも安心の表情を浮かべた。
ところが、その時――
若き薬剤師が慌てて書類を携え駆け込んできた。
「美咲様! 報告書に異変が……先ほど送られてきた村の検査データで、水質検査の項目が全域で“急激に基準値を超えた”とあります!」
「水源に何らかの毒物が混入された可能性があります。今すぐ調査を──!」
美咲は即座に顔色を引き締め、エリオットとともに資料に目を落とした。
――クーデターの余燼は消えたと思いきや、保守派の重臣たちは直接手を汚すまいと、こうした陰湿な妨害工作を仕掛けてくる。
「薬草学や水質浄化の知見を使っても、原因不明の合成毒では初動が遅れます。急いで中和剤を調合しましょう」
エリオットは用意されていた研究用試薬を取り出し、卓上の蒸留器へと手早く向かった。
「私も現地の衛兵隊を率いて水源を封鎖します。再発防止のため、関係者を洗い出さねば」
美咲は隣の役人に指示を飛ばしつつ、レオンの顔を思い浮かべた。
――どこであっても、命を守るのが継母としての仕事。
数時間後、山あいの渓流で――
美咲は軽装の騎士たちとともに、村の生活用水が引かれる取水口に立っていた。樋口から染み出す水は、いつもなら澄み切っているはずが、鉛色に濁っている。
「ここです。一滴でも飲めば重篤になるレベルです」
駆けつけた村長が俯きながら報告する。
「すぐに臨時浄水装置を設置してください。薬草のアルカロイドを応急処置として流せば、来るまでの間は被害を抑えられます」
美咲は持参した浄化キットを取り出し、薬草エキスを少量ずつ投入。騎士たちも手伝い、駆け足で作業が進む。
診療所に戻ると、怪我や病気の治療で忙殺される中、エリオットが調合した中和剤が到着していた。会議室の長机には、保守派の影を示す証拠を集めた書類が山積みされている。
「調査の結果、毒物には近隣国由来の不純物が混入されています。裏で手を引いているのは、あの伯爵一派の影が濃厚です」
情報屋から得た密書を手にした侍女長が、低い声で報告した。
「彼らは正面衝突を避け、住民を苦しめることで民心を削ごうとしている。──許せないわ」
美咲の瞳には怒りが宿る。しかし、その横顔には冷静な計算も混じっている。
「エリオット、治療班と浄化班をもう一隊編成して。私は宮廷へ戻り、王と評議会に事実を示します。民が安全を実感して初めて、改革は“真の安定”を手に入れられる」
「かしこまりました、美咲様。すぐに手配します」
深夜、書斎の机に広げられた書類を前に、美咲は一筆書き込んだ。
「伯爵以下重臣五名を告発し、国家転覆未遂の疑いで追及を開始する。命を狙われても、私は民と王子のために前へ進む」
手紙を封じると、青い蝋印をぎゅっと押し、床の星図を見つめた。
――夜空に瞬く水星が、ひそかな合図のように輝いている。彼女はその光を胸に、次なる戦いへと歩を進めた。
第四層の策謀を断ち切り、真のぬくもり溢れる王国を築くために――。