第2話 朝の光と小さな革命
城塞の扉が開くと、淡い朝日が大理石の廊下を照らし出した。重厚な石壁の向こうには、いまやかすかなざわめきの音が響いている。美咲はそっと扉を押し開き、子どもたちの歓声が漏れる旧侍女宿舎へと足を運んだ。
「おはよう、みんな」
「おはようございます、継母様!」
廊下を抜けると、明るく改装された一室に十名ほどの子どもたちが手をつないで輪になっていた。年齢は五歳から十歳まで。小さな机の上には、色とりどりの鉛筆とスケッチブックが並ぶ。壁には美咲手製の絵本や医療ハーブの図版が所狭しと貼られ、家庭的な温もりに満ちている。
「さあ、今日はみんなでお絵描きをしましょう。好きなものを自由に描いていいわよ」
声をかけると、子どもたちは一斉にぺんを手に机についた。遠慮がちな笑顔がパッと開き、教室の空気がふんわりと和らいでいく。
――かつて孤児院で過ごした日々を思い出す。狭い部屋で几帳面に並べた図鑑と、子どもたちのはしゃぐ声。あの頃は、とにかく“居場所”をつくることが最優先だった。
美咲はそっと隣の子の描いた紙に目を落とす。そこには、大きな樹の下で笑う家族の姿が描かれていた。
「これは……素敵な樹だね。これは何の木?」
「おうちの木、って呼んでるよ」
子どもの瞳は真っ直ぐで、描いたものを誇らしげに見せる。その無垢な喜びが、美咲の胸を温かく満たした。
正午前、美咲はレオンを連れて城下の市場へ向かった。道すがら、民衆が手を合わせて礼をする。
「継母様! この前のお菓子、うちの子が大喜びで」
「託児所も助かっております、本当に感謝します」
声をかけられるたびに、美咲は深々と頭を下げた。臣民の信頼は、一朝一夕には得られない。だが、日々の小さな手助けが、確かに人々の背中を押している。
市場の一角に古びた石造りの建物がある。かつては侍女たちの宿舎だったが、いまや子どもたちの笑い声がこだまする「小さな学び舎」となっている。
「ここでね、初等教育を始めようと思うの。識字と算術、薬草学の基礎講座。みんな、午前と午後でローテーションするのよ」
地元の学者や元僧侶を講師に招き、教師として任命した。レオンは新設の教壇を興味深そうに見上げる。
「継母様、僕も将来、ここで勉強できますか?」
「ええ。魔法も学べるよう、特別クラスを用意するつもりよ」
レオンの頬にわずかな期待の色が浮かんだ。かつて孤独だった王子の瞳が、少しずつ輝きを取り戻していくのを、美咲は静かに見守った。
午後の幕が下りかけたころ、あの廊下を通り抜ける足音が二つ、ひそひそと囁きを交わしながら近づいてきた。
「本当に継母令嬢が情報を握ってるらしいな。次の会合で正式に誘拐計画を固める」
「王子殿下が夜の散歩で外に出る癖を狙う。生贄として人質に――」
話し声は低いが、確かに聞こえた。美咲はレオンの手をそっと引き、その場から離れようとしたが、心臓が凍りつくように強く脈打つ。隣には無垢な笑顔を見せる王子がいる。
――これは、“小さな革命”の前兆ではなく、瀬戸際なのだ。
美咲は唇をかみしめ、振り返らずにレオンを抱き寄せた。
「さあ、おうちに帰りましょう。今夜はしっかりお休みを」
その声に、いつもの柔らかさはなかった。胸に宿るのは、母としての本能的な危機感――王子を、そして新たに得た“家族”を守る覚悟。
夜の帳が再び城を包むとき、美咲の中で新たな戦いが始まる。次なる一手を練りつつ、獲得した信頼と絆を盾に、彼女は静かに牙をむくのだった。