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第1話 継母令嬢の夜回り

 薄闇に沈む城壁。その頂を渡る夜風は、微かに春の余韻を運んでくる。城門をくぐった美咲みさきは、深い息をついた。見上げると、星座がきらめき、遠くで花蓮はなれん河のせせらぎさえ聞こえてくるようだ。


「――ここが、私の新しい“家”なんですね」


 美咲は儀礼的に着飾られたローブの縁をそっと整え、隣を歩く小さな影に目を向けた。王子レオンは、栗色の巻き毛を夜風に揺らしながら、少し俯いている。手には槍試し用の小盾がひっそりと抱えられていた。


「あの……お姫様、お散歩は、あまり……」


 レオンの声は、遠慮と警戒が混じっていた。彼はわずか八歳ながら、城内の者たちから「継母令嬢」と呼ばれる美咲を、少し距離を置いて見ていたのだ。


「大丈夫。怖いところには連れていかないわ。今日はね、初めて二人きりで歩く記念に、王立庭園まで足を伸ばそうと思うの」


 美咲は優しく微笑んで、そっとレオンの手を差し出した。

 その掌は子どもにしては細く、これまで誰にも握られずにいたような冷たさを保っている。


「……でも、暗くて危ないよ?」


「だから、私がついているでしょう?」


 手を取られたレオンは、一瞬驚いたように眉を上げた。やがて、小さく息を吐くと、美咲のか細い指先をそっと握り返す。


「じゃあ……ついていく」


 ――その瞬間、胸の奥に押し込めていた不安と寂しさが、ふわりとほどけていくのを、美咲は感じた。


 ---


 石畳の小径を進むたび、城灯りのやわらかな光が二人の影を延ばしていく。夜闇に沈んだ城郭は普段の豪華絢爛とは違い、どこか静謐だ。


「継母って、どんな人なのかなって思ってた」


 レオンはつぶやくように言った。声に含まれるのは、好奇心と、ほんの少しの恐れ。


「私はね、小さなときに家族を失ったの。病気で、お父さんとお母さんと弟が、一度にいなくなったのよ」


 美咲は遠い記憶を辿るように視線を宙に泳がせた。

 幼いころ、兄弟を抱きしめながらも、どうすることもできなかった痛み。


「そのあと、私は孤児院で育てられたんだけど、子どもたちを守る大変さを知って――だから、今度は誰かの“家族”になりたいと思ったの」


 レオンは黙って頷く。

 小さな背中にそっと手を添えると、美咲の言葉が、真夜中の冷たい空気よりもずっと暖かかった。


「継母様は、僕のことも守ってくれる?」


「もちろん」


 美咲は背筋を伸ばし、凛とした声で答えた。

 その胸には、かつての孤児院で誓った誓い――「守るべき命は、自分が責任を持つ」という覚悟があった。


 ---


 程なくして、石造りのアーチをくぐり抜けると、王立庭園の入り口が顔を覗かせた。夜露に濡れた花壇には、淡い月光を映す花びらがそっと落ちている。


「わあ……きれい」


 レオンの瞳が星のように輝いた。四季折々の草花が整えられたこの庭園は、昼間にも王族や貴族が散策を楽しむ場所だが、夜の静寂は格別だ。


「これは、クレマチス。魔力吸収に長けた花で、腹痛や発熱を和らげる薬草としても使えるのよ」


 美咲は懐から小さなノートを取り出し、指先でクレマチスの名を書き示した。次いで、庭園に設置されたベンチへと二人を誘導する。


「ここで、作ってきたお菓子を食べましょうか」


 そう言って、美咲は籠から小ぶりの焼き菓子を取り出した。蜂蜜とレモンの香りが夜風に混じり、甘酸っぱい余韻を残す。


「継母様のお菓子、初めて……」


 レオンはそっと一つつまみ、慎重に頬張る。目を閉じると、こぼれんばかりの微笑みが浮かんだ。


「おいしい……!」


「でしょ? このレシピは、旧世界でボランティアしていた孤児院の子どもたちにも好評だったの」


 美咲は心底嬉しそうに笑った。その笑顔の奥には、かつての悲しみを乗り越え、「誰かを笑顔にしたい」という強い思いが宿っている。


 ---


 深夜も更け、時刻は夜十一時を回ろうとしている。

 美咲は立ち上がり、そっと夜空を見上げた。


「今日はここまでにしましょう。寝室へ戻りますよ」


 レオンは名残惜しそうに立ち上がり、ベンチを後にした。再び手をつないだ二人の足取りは、もう最初のぎこちなさを失い、どこか自然体だった。


「継母様……ありがとう。今日は、楽しかった」


「私も、とても楽しかったわ」


 振り返ると、美咲の瞳にも小さな涙が光っていた。

 それは、かつて味わったことのない、安堵と幸福の涙。


「おやすみ、レオン」

「おやすみ、継母様」


 静寂の城内に、二人の寝息がすっと溶けていく。


 ――新たな家族の物語は、まだ始まったばかりだ。次の朝、王国を揺るがす影が動き出すことなど、この夜の夢にも思わずに。


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