プライオリティ(ヤマぴー)
続きです。主人公が替わります。
彼女の名前は愛未。で、俺が勝手につけた愛称はエイミー。ほっそりしてるのに、けっこう胸はデカかったりする。ちょっと気が強そうだけど、そこもかわいい。なんで書けば書くほど、俺にぴったりじゃないか。
見た瞬間に心の中でNo Doubtって叫んだ。
本当はイッちゃんやタックンに言われるほど、チャラいわけじゃない。
この一年間だって、誰ともキスすらしていない。ダンスの生徒のお母さんにちょっと誘われかけたこともあったが、思い留まった。これは年齢のせいじゃなくて、単にタイプじゃなかっただせいもあるけど。
あと、元カノのマンションを出てから、あまりにもひどいアパートに住んでいたせいもある。今だってかなりの貧乏だが、家賃がなくなったのと、講師のバイトが少し増えたのでちょっとだけ落ち着いてはいる。
これでもっと彼女と仲良くなって、同棲というのがいつものパターン。今までの俺だったら、当たり前のようにそうしていた。でも、年齢のせいか何かが少しずつ違ってきてる。
恋の予感を喜んでるふりをしてみたけど、どこかで結構冷静な俺がいる。俺の下半身くんは、期待に胸を弾ませているらしく、統率は取れてないこともある。
「独身?」とか「彼女いないの?」とか訊かれて「ソロ活動中」と即言ってしまった。けど、正直「いるよ」って言ったほうがこの先楽な気がした。
なんだ、この面倒臭さは。これが年をとるってことなのか? だってまだ四十代だぞ。バリバリだぞ。だからといって、そう都合のよい友達が現れるわけない。日々、妄想にふけるか、花ちゃん(ラブドール)に手を出すとかが、せいぜいできることだ。
居酒屋のバイトは基本的には金曜日。それに宴会が入っていたりする日は、店を手伝うこともある。昔一緒に踊っていた後輩のはじめた店なので、俺のほうが店主より少し年上だ。
「先輩、あのショートカットの子、今日も来ますかね?」
言われて、ちょっと気にするようになった。はじめは友達と二人で飲みに来ていたけど、店主の翔や俺と喋るようになってからは一人でも来るようになった。
仕事が終わってから来るらしく、いつもけっこう遅い時間だ。
店は小さく、カウンターとテーブルが二つだけ。どこにいてもすぐわかるし、たまにしか来ない客でも覚えてしまう。そもそも女性客のほうが少ないし、いてもほとんど男連れだ。
「やー、美人っすよね。あっちこっちから誘われたりしないんっすか?」
「ないない」
そいつと彼女が喋ってると「既婚で子供も二人いるくせに、色目使うなー」ってそのくらいの感じだった。今だって、夢中とかそんなレベルまでハマってるわけ…じゃない。そのくせ、「俺ずっとフリーでーす」なんて、ふざけてすぐ手を挙げちゃう。
どうせ、こんな中年オヤジのフリーターなんて相手するはずがない、と思ってた。男がいても一人で飲みにくる女はけっこういるし。ふざけて立候補するのも〇〇ハラ?
中身はタッチャンと大して変わらないほど、ちっこいのかもしれない。
「バイト何時に終わるんですかー?」って言われても単なる世間話だと思ってた。翔のはからいで、閉店してからちょっと飲んだこともあった。
「大和さん、ほんっと若く見えますよね」
「かっこいいですよ」
「ダンス見たいですぅ」
お世辞なのか? でも、こんなこと言われて誘わないわけにはいかない。
どうでもよすぎて気付かなかったんだけど、店のカウンターの端に、小さな達磨が置かれているのに気づいた。
「こんなとこに達磨、あった?」
「え、何それ、知らないっすよ」
翔に言うととどうでもよさそうに言った。
「開店の時に、誰かがくれたのかも」
イッちゃんが達磨を抱えていた姿を思い出して、思わず吹いてしまう。ぷぷぷ。
「なんっすか? 何笑ってるんすか?」
「いや、達磨ってちっこくてもエグいよな」
「なんすか、それ? そんなのどうでもいいから、さっさとエミさんとデートしてくださいよ」
翔にチキンになるな、とそそのかされて、店が終わってから朝までやってる近所のバーに行き二人で飲んだ。言われなくたって、やるときゃヤル。
転がっていたボールペンで、達磨にぐりぐりと目玉を入れる。なんとなく、だ。明確なビジョンはない。小さな願いごとには、小さい達磨?
ダンサーになるより、店が大繁盛して毎日バイトできるようになればいいのかもしれないと、ぼんやり思う程度。それより宝くじに当たるほうが嬉しいのかも。いや、5キロ痩せたい。
デートらしきものが三度。その三度目に、やってしまった。
つい、ホテルに誘ってしまった。
ま、成り行き的な感じだったし、話してみたら「しっかりした子」だし、よく見たら痩せてるのに出るとこは出てる。
なんといっても、合わせてくれているのか、似たようなことに興味がある。昔ダンスを習っていたとか、そんな話やら、音楽の話も年が離れてるわりに合うといってもいい。酒も強い。
正直、溺れるほどの恋なんて、ずっとしていない気もするの。息がうまく吸えないほどの、想いなんてもう一生ないのかもしれない。
それでも十二歳も若くて、かわいい女の子と一緒にいるのは楽しかった。
「うまくいかなくて当然」と思えるから、楽なのかもしれない。
「俺、シェアハウス的なのに住んでるから、うちに泊まってく? って言えないけど」
断られても、いいやって、腕をぐって掴んだら、案外素直に付いてきてくれた。
そんなに先のことは考えないで、とりあえず、自分に正直にやってみますか。どっちかが無理やりってワケじゃないし。元気すぎる俺。
久々にキラキラネオンの、不夜城に戦いを挑んでみる。Payとカードがあるので、休憩代くらいは払えそうだった。
そこからは自分的にはけっこう丁寧で濃厚な感じで…。
「なんだろ、この感じ」
はぁ、と大きなため息をつく。鼻息までデカくなる。なんか、細い魚の骨が引っかかったみたいなモヤモヤ感が離れない。
次の日曜日の昼、何故か俺ら三人は羽田空港にいた。
「ヤマぴー、恋しちゃってるね、ため息ついちゃってぇ」
イッちゃんには冷やかされるが、そんな楽しげな感覚でもない。
真っ青な冬の空に、雲一つない晴れ。でも、こっちの気持ちはモヤモヤモクモクな雲だらけ。
冬だってのに、けっこう温かくって、俺的にはTシャツ一枚でもいられそうだ。嫌味なくらいにいい天気。素敵な素敵なデート日和。
「何でどっこも行かないのにー、空港にいるんだぁ?」
飛行機の爆音のため、自然と声がデカくなり、叫んでるみたい。
「………よ」
タッチャンが何か言っているが、聞こえない。たぶん、「勝手に付いてきて何言ってんだよ」か「文句言うなら帰れよ」のどちらかだ。
第一旅客ターミナルの屋上展望デッキで、青春ドラマみたいに三人並んでる。タッチャンは知らないうちに買ってた、ま新しいミラーレス一眼を手に、網にへばり着いてる。なんか高そうなやつ。今どき、スマホでいいじゃん、スマホで。
「やっぱいいね、飛行機は、夢があるよね」
イッちゃんも結構楽しそうに、スマホで写真を撮っている。
「あれはB…」とよく聞こえてない説明を聞いているふりをしているが、心底楽しそうだ。
俺だけが、ほぼ楽しめていなかった。本当は、空港が好きだ。昔ニューヨークに一度行ったきりだけど、海外旅行もたくさん行ってみたい。ハワイも行きたい。遠くの温泉にだって行ってみたい。へんな観光地で、がっかりもしたいし、映えスポットで顔ハメ写真も撮りたい。
空港にしか売ってないレアなお菓子も買いたい。美人の売り子と話もしたい。
土曜の夜「明日は出かけるので酒は少なめにする」とタッチャンが言った。
「珍しい」
「どこ行くの?」
「デートだ、デートだ」
「違うよ」
じゃあ、どこなんだ? ということで白状させたらただの空港だった。旅に出るわけでもなく、ただ飛行機を見に行くのだという。鉄オタと一緒で、飛行機オタというのもあるらしい。本人曰く、そんなふうに名乗れない程度のちっちゃな「好き」らしい。
「確かにキレイっちゃ、キレイだけどね」
陽に光る機体は、ぴかぴかでほんとに眩しい。だけど、今はネットでブルーインパレスでも見るほうがいいかも。そう思っているくせに、なんだか一人で家の中にいるのが虚しかった。
イッちゃんが「寒いから家にいるよ」と言ってくれたら、たぶん一緒にそうしていただろう。でも何故だかこんなときは、従妹にノリノリでくっついて行く。
「空港内いいお店、いっぱいあるんだよね」
そんなことだと思った。
LINEでエイミーが、会おうと言ってきたがなんとなく断ってしまった。別に何かあったわけじゃない。いや、あったのか。本当に好きだったら、毎日顔見てるやつらとデートする方を優先させるわけがない。
ガラスばりのほうのデッキに移動して、より近くで飛行機を撮ってからレストランに行く。
ずっと眉間に皺を寄せていたら、タッチャンがカメラを近づけてきた。
「airhead」
この場にふさわしいことを言ってみる。
「エアヘッドねぇ、どっちかっていうとタックンの頭はぎっしりって感じだけど」
確かに、空っぽ頭は俺のほう。
洋食屋だったので、ハンバーグとかサラダを食いながら、ビールを飲む。
「二人とも、デートとかしないわけ?」
「誘われたんだけど、ちょっと、私も飛行機見たい気分だったんで。夜なら会おうと思えば会えるんだけど」
誘われた? ほんとか? その割にはどうでもよさげな格好をしている。ただ、数回スマホを覗いているところを見ると、何か連絡はあるのかもしれない。
「タックンは?」
「別に」
別にって何だ? 別にって。あれから一度、会社の帰りに飲みに行ったらしいが、どうせ何の進展もないのだろう。
店の窓からも、飛行機が見える設計なので、タッチャンの顔はビールを飲む時もそっちを向いている。それなのに、
「どしたの?」
いつもと違う? と訊かれる。
ええい。仕方がない。言ってみるか。
「あのさ、なんかヘンなんだよね」
「何が?」
「アッチの…」
「え?」
イッちゃんのほうはすぐわかったみたいだけど、タックンはさすがにこちらを向き固まっていた。
「相性的な?」
「じゃなくて、それ以前っていうか…すっごいつまんない」
「マグロ?」
まさかのタックン。昼間なのに、レストランは空いてる、よかった。
「ここ、マグロはないと思うけど」
イッチャンのナイスボケ。
「それを言うか」
「そんなことかぁ。いいじゃん、ピュアでいいじゃない」
イッちゃんは続けてフォローしてくれた。
「そうかなぁ」
「無理矢理ってわけじゃないんでしょ?」
それほど困っちゃいないし、そんな趣味もない。
でもなんだか鬼畜な気分。自分で言ってて嫌になる。確かに意外とまじめそうではあるし、付き合った人も少ないって言ってた。
「そんなに落ち込むなんて、らしくないねぇ」
「俺、臭い? 臭いのか?」
「いや、ぜんぜん」
二人は同時に否定する。とりあえず、よかった。
「え、じゃ、ヘタくそなの俺? 四十年、いや三十近く年やってきたこと、否定されるの?」
「いや、それは誰にもわかんないから」
「あのさ、もしかして、アセクじゃないかって…」
口に出してみると、それは核心に触れた気がして寒気がした。キスすらつらそうだ。話していると楽しいし、良く笑うし、腕を組んでも嫌そうじゃない。まだ知り合って間もないから、といい聞かせてたけどこんな感覚はじめてだ。
「何それ?」
「異性が嫌いってわけじゃないんだけど、全くそういうことに興味がない人のこと」
「え?」
「アロマとかそういうやつ?」
この二人は結婚こそしてないんだけど、どストレートなんで、マイノリティの気持ちは理解できないだろう。
俺はけっこうゲイに迫られるんで、常にいろんなことを理解しようとしてる。こういうことには、研究熱心だし嫌悪感もない。
「でも、好きな気持ちはあるんでしょ?」
「うん。普通にあっちから声かけてきたし」
セックスが、こんなにつまらないと思ったのははじめてだ。病気なら治しようもあるのに。
「聞けないよね、そんなこと」
イッちゃんまで、浮かない顔。
様子を見るしかないのか。いや、一緒にいると楽しい。楽しければいいのか。後天的なものなら、変わるかもしれないという微かな希望を持つべきか。
「しなきゃ、いい」
教祖さまのように、タッチャンがもともと細い目を細めて言った。
「そりゃそうだけど、無理ー! だって、それじゃ、この俺らの関係と何が違うの?」
テーブルの上空40センチで、バミューダトライアングルを描く。
「だね」
「そりゃそうだけど…じゃ、皆で一緒に住んじゃう?」
イッちゃんは笑ってるけど、結局のところ、嫌なら付き合いをやめるか、ガマンして関係を続けるかしかない。でもこのまま続けたら、彼女を苦しめるだけのような気もする。性欲の欠片もない、ヨボヨボじじいになるまで待ってろってか?
「なんかさ、ずっと同じ人と付き合ってたから、新しい出会いって、嬉しさもあるけど、同時に面倒なんだよね。ディスニーランド行ったりとか絶対なかったから」
「わかる」
タックンがハンバーグの脇のコーンを一粒フォークに差しながら言った。
「それ以前にしても、趣味とか相手に合わせたりとか、いちいち何食べるとか、そういうのも」
「そだね」
「プロセスが楽しいはずなのにね」
俺はTDL行ってもいいぞ。
「肉体的にも面倒なのか?」
「うーん、なければないでいいのかも。いや、どうだろ」
イッちゃん、七十歳か?
「わかる」
タックン、仙人か?
「じゃ、じゃ、なにもなくてもずっと付き合えるのかっ?」
そこのところが訊きたい。この中でアンケート取ったからって、どうにかなるもんじゃないけど。
「うーん、めちゃいい人だったら、あるかも」
「うーん…」
「でも病気の人とかで、何もできない人だっているんだよね。そういう人とつきあってる人もいるしね」
「うーん…」
タックンは自分のことのように、うーん、と何度も唸り続けていた。具体的にリリカちゃんを思っているのだろうか。ちっちゃい写真しか見てないけど、案外ああいう若くてふんわりしてて、純情そうなのがbitchだったりするのだ。
という言葉は飲み込んで、タッチャンもボロボロになるような恋愛してほしいなぁ、と親父みたいに思ってた。ぼろぼろになったとこ、見てみたい。
「あ、B737(ナナサンナナ)-800(ハチマルマル)」
突然そういって、着陸したピカピカの飛行機を指さした。こいつは一生結婚なんか、できっこないと、確信する。
絶対に絶対だ。