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達磨の体操  作者: まさきさほ
5/7

シンクロ(タックン)

続きです。主人公が替わります。

両親が死んで、友人も少なく、他人に自慢できるようなたいした特技もない。きっと周りから見たら、かなり残念な独身男なのだろう。


朝髭を剃る時に、鏡を見ると、今日も貧相な中年が映っていた。鏡はいつものように、歯磨き粉の飛び散った跡が、あちこち景気よく付いている。タオルを掛ける場所が少ないので、買った床置きタオルハンガーに掛かっている、ネットで買った鏡磨きクロスで毎朝磨く。

以前は、その作業は週に一度くらいでよかったのだが、今は毎日だ。夜寝る前に、残りの三人のうちの誰かが、いや、もしかすると全員が盛大に歯磨き粉の泡と涎を飛ばしておいてくれるからだ。

拭けって言っても無駄だろう。ただ、このクロスは優れものだから、一瞬できれいになるのが気持ちいい。


「よし」


顔も鏡もぴかぴかだ。

イッちゃんの使っていた、女性用の洗顔料を借りてみたら、割と良かったので、それ以来自分でも購入している。棚の別の段に入っているので、間違えはしないのだが、何故か減りが早い。それについては追及するほどの金額ではないが、そのうち聞いてみよう。


タオルも銘々で別の色のモノを使っていて、叔母さんが洗ってくれている。自分で洗っていたときは柔軟剤を入れていたので「ふかふか」していたのだが、洗ってもらうと「ごわごわ」している。これが本当の母だったら「ちゃんと柔軟剤入れてよー」と言えるのかもしれないが、最近はトランクスと一緒に週末に自分で洗うことにした。


いくら親戚だって、恋人でもない男の下着と一緒に洗われるのはイッちゃんでも嫌だろう。などと考えてぼーっとしていた。


「あー、俺ってイイ男だなぁ、今日もエモいぜって?」


後ろで声がして、ヤマぴーが立っていた。


「んなこと…」思うわけない。

起きてくるのが早い。いつもならこの時間は寝ているのに。


「鏡の前でじーっと顔見てるから、うっとりしてるのかと思ったよ」

「早い」

「俺だって、たまーには朝から用事のある日もあるよ、あ、空いた? そこ」


返事をする前から、洗面台の横にきてピンクの歯ブラシを取り出す。百円で買えそうな無骨な形状だ。ヤマぴーの歯ブラシは三か月間一度も変えていないので、広がりまくっている。

なんだか結局自分の顔に見とれていたみたいになって、気恥ずかしい。そのまますごすごと退散するのだが、実はちょっと気になっていることがあった。開けっ放しのドアの外にでて、閉めようとしたのだが、ふっと振り返った。


「あのさ、変わったかな、俺?」と訊いてみた。

「へ? ろしたろ?」


歯ブラシを咥えながら、冬眠から覚めた熊のような顔でこちらを見る。


「いや、いい」


そんなわけがない。マッチョになったわけでも、急に目が大きくなったわけでもないことはわかっている。そして相変わらず、そこはかとなく暗さが漂うところも変わらない。


「へんらろー」


そうだ、変な感じなのだ。僕がモテるわけがない。顎に手をやると、飛び地のごとく一か所だけ髭が残っているところがあった。

いけない。一家の(あるじ)たるもの、しっかりしないとな。


本当は二人に相談したいことがあった。相談、なのか、報告なのかはわからないようなことだ。


いつも通りの電車に乗り、いつも通りの道を歩いて、会社に向かう。都心の大きな駅で乗り換えて、地下鉄で2駅。歩く距離は7分の高層ビルだ。最近、歩いているとやけに同じ女の子に会う。違うフロアではあるが同じ会社の女の子だから、会うのは当然だ。


「おはようございまーす」


そしていつも、向こうから声をかけてくれる。別の人にも声をかけているのだから、あたり前だろう。そう思っていたが近頃違う。


「涼しくなりましたね」などと、季節の話題や、

「電車遅れてませんでしたか」などと、通勤の話題や、

「どこから通ってるんですか」などというプライベートな話になった。


それでも、勘違いしてはいけないと、自分に言い聞かせていた。

何故なら、彼女は若い。大げさに言えば娘に近い年齢だ。入社してから、まだあまり経っていないはずだから、二十歳近くは違うはずである。加えて、アイドルのように可愛らしい顔をしていた。ファッションにはあまり詳しくないが、いつも淡い色の服を着ていて、おしゃれで清楚な感じがした。自分から名乗ってくれたのでお互い「この人の名前知らない」という気まずさからは、解消された。


イッちゃんの、鼠色もしくは紺色のリクルートスタイルばかりみているせいか、OLというより、女子アナのように見える。そしてお譲さんぽい。

若いというのはそれだけでいいものだ、と思うが、思っただけで、イッちゃんに怒られそうだ。

何もかもが、相手が僕を好きになる要素からかけ離れていた。こちらは「女性」というふうに見ただけで、セクハラと訴えられそうになるほどの距離を感じる相手だ。


いつも「はぁ」とか「へぇ」とか、短い答えしかできない、中年男に好感を抱く女などいるものか。たとえ、それが同じくらいの年齢のバツ1子持ちの、ひどく見た目の悪い女の人でも、自分のことを相手にするわけがないのは知っている。


それが、なんと、ある朝、

「LINEやってます?」と訊かれた。


「え?」

「友達になってくださいー」

「あ…はい」


言われるままに、胸ポケットのスマホを渡すと、連絡先を交換したらしい。自分だと五分はかかる。そこまでが一瞬の早業だ。


「ありがとうございます。あとで、トモダチ申請送りますね」


彼女は、小走りで行ってしまった。

あっけにとられて、ビルの中のコンビニの前で数十秒固まった。

あまりにも「友だち」の数が少なくて、しかも居候の会以外は、ほぼ企業コラボの何かだったので、よく考えたら恥ずかしくなる。

でも、ただのLINE友達だもんな。そのくらい、のこともあるかもしれない。


いや、でもここ数年間、上司に勧められたお見合い相手と、数回やり取りしただけで、恋のコの字の話もなかった。会社の後輩女子の電話番号も一応登録はしてあるが、一、二度仕事の件でやり取りしただけだ。

十年ぐらい前に、二年間つきあった相手に、突然振られた。美人じゃないけど、明るくて、よく気が付く感じの良い女の人だった。正直こちらはしばらくしたら結婚してもいいと思っていたのだが、向こうは別に良い相手が見つかったらしい。よく考えたら、突然、でもなかったのかもしれない。少しずつ距離ができていた。


「タクミくんって、ほんと自分から誘ったりとかしないよね」


はじめから変わっていないことを言われたりもした。確かにそうだし、「OK」とか「了解」とか「残業」とか「休み」とか、二文字以上のことはほぼ送ったことがなかった。その中に「好き」は入っていない。そして返信までの時間もかなりかかる。

でも、ディズニーランドは一緒に行った。


各種イベントなども苦手で、覚えていても向こうから言われるのを待っているばかりだ。

今も似たようなもので、スタンプなど使ったことがない。それでも、三人に関しては用事は済む。帰りの買い物や、買い物や、買い物、を頼まれて了承するだけ。


これでわくわくしながら申請が来るのを待ったりする自分も、情けない。

こんなこと誰にも言えるわけがない。でも、打ち明けて誰かに打ち消してほしかった。

「タックン、勘違いすんなよ」「からかわれてるね」と笑ってほしかった。 一日中「どうせ社交辞令」と思いながら半分期待してしまい、仕事が手につかない。もともと覇気がないので、元気がないね? などと言われないのが救いだった。


その日の夜、いつものプチ宴会が終わり、食器を洗っていると申請がきた。ジーパンの尻ポケットにスマホは入れたままだった。濡れた手も拭かずに見てしまう。

こういう場合、すぐOKするべきか、しばらく待つべきか、悩む。がつがつしていると思われないだろうか? それとも明日朝、会った時に訊いてみたほうがよいのだろうか。

訊く、って何を?


「俺、僕、いやいや、私とトモダチになってくれませんか?」


わー、キモい。これが三十歳でも気持ち悪いだろう。

スマホをポケットに戻して、皿洗いを再開する。ぼーっとして、小鉢を皿の上に落としてしまい、角が欠けてしまう。イッちゃん達が家から持ってきたやつだ。気づかれるか? とりあえず放っておくか。

結局、部屋に戻ると申請を許可してしまった。大きな溜息をつきながら、いったい自分は何歳なんだ? と情けなくなり、風呂に入って布団を敷くまで、スマホは見ないことにした。今時、七十歳じいさんだって、もっと上手くやりそうだ。


風呂から戻ると『ありがとうございました 今度ご飯食べにに行きましょうね』と来ていた。

そうかー! 何のことはない、奢って欲しいだけなのだな。それでちょっと気が楽になり『了解』と送ろうとして『わかりました。よろしくお願いします』と送る。

二文字はいけないが、はじめからスタンプ、というのもちょっとよくない気がするので、そのまま送った。彼女が好きだとか、そんなふうには思えないのだが、なんとなく総ての収まりが悪いような感じがする。ムズムズするが、気持ちが悪いというほどでもない。

「。」をつけなかったのは、おじさん構文を意識してみた。


その後、イッちゃんとヤマぴーにバレてしまうことになる。マコさんにも後から「なんかイイ子がいるんだって?」とか言われる始末。その後「ひとのこと言えないじゃん」のような状態になる経緯は次に記す。


夕飯時。四人揃っている。マコさんの作った肉じゃがと野菜炒めと、チンしたポテトと乾燥ぎみの柿ピーを食べていた。例により、あまり食べずに柿ピーの(せんべい)だけをぼそぼそと食べていた。


「なんか、ヘン」


 とイッちゃんが言い出す。


「ピーナッツが湿気て…」

まずいので()けている。


「じゃなくてさ、スマホ、ずっと気にしてるよね」

「え?」

「いつも、そんなとこに置いてないもん」


最近、炬燵布団を掛けはじめたのだが、さりげなく手元に置いて、その上に布団を掛けてあるのがバレた。ポケットに入れておくべきだったが、ごつごつしているし、圧がかかるのがよくない気がして出しておいた。知らないうちに、ちらちらと見ていたのかもしれない。


いつもテーブルの上に堂々とスマホを置いておくのは、ヤマぴーだけだった。


「え、何? なんかメールとか電話とか待っちゃったりしてるの?」嬉しそうにヤマぴーが言う。


「ちが…」

「うっそだねー」

「え、そうなの? なんか待ってるの?」

「別に」

「いいじゃーん、教えてよ」

「まだ…」


わかんないんだけど。

ちらっとマコさんのほうを見ると、ご飯が半分くらい残っていたのを「わしわし」と食べて、「ごちそうさま」と言う。


「お茶いるなら自分で入れてねぇ」


気をきかせたのだろう。確かに、叔母さんにはなんとなく話しにくかった。

あれから約束したわけではないが、数日朝会うだけで、LINEのトークは何も来なかった。

「従妹と住んでるんですか?」という話をしただけだ。


ヤマぴーにスマホを取り上げられる。

「Ririka、りりかちゃーん! え、写真が小さすぎてよくわかんないけど。キラキラじゃん、さすが」

「見せて、見せて。え、これだけ?」


 実際、一言で終わっていた。


「かわいい? いくつ? 会社の子?」

「タッチャンからくどいたの?」


 次々にストレートな玉が飛んできた。


「え、会社の」

「会社の子なんだぁ、いくつ」

「二十三くらい」

「わっかーい!」というイッちゃんと「ムスメじゃーん」というヤマぴーの声が重なる。

「やるぅ」というイッちゃんと「エモっ」というヤマぴーの声が重なる。


「いいから誘いなよ」

「そうそう、ここで止まってちゃだめだよ」

「でも、別に…」好き、とかそんなのではない。

「とりあえず、一回飲みに行けば?」


二人は言うが、そういうものなのだろうか。少しでも「かわいい」とか気になるところがあればそうしてもいいのかもしれないが、それは今のところない気がする。

そういうことをあれこれ考えているから、この年齢まで独りなんだろうか。独りが長かったから、こんなふうなうじうじした人間になってしまったのだろうか。そもそも、こういう機会が他の人より圧倒的に少ない気がするのは誰のせいなんだろうか。


思っていたら突然「じゃーん」とヤマぴーが自分のスマホの写真を見せて来た。ショートカットですっとした、美人が写っている。パーカーのようなカジュアルな服でメイクも薄かったので、年齢不詳だった。


「誰?」

「ぐふふ、いいっしょ」気味悪くヤマぴーが笑った。

「『居酒屋あらじん)』の常連さんなんだけど、最近店終わったら飲みに行ったりしてるんだよね」

「えー、デート?」

「ま、まぁね。ぐふふ」


なんと、ヤマぴーに彼女が! と驚くほどではない。僕と違って、彼女いない歴たったの一年なのだ。そういえば、最近明け方帰ってくることが何度かあったと、思い出す。


「そうなの? なんだー。うん、きれいな人」


スマホを食い入るように見るイッちゃん。こういう時は素直に褒めるんだな。

お似合いかといわれれば微妙だったが、ヤマぴーの好きなタレントに似ている気がした。親子に見えないだけまだいい。


自分が全く何もなかったりすると、それを羨んだり、妬ましかったりするのだろうか。もう、そういった感情が湧かない年齢になってしまったのか。驚きもそれほどでもない。この写真が、実は男というのだったら少しは驚くかもしれない。彼女もまた二十九歳と、自分達と少し年齢が離れてはいたが、それくらいなら昨今、許容範囲という気もした。

よかったよかった、と好々爺的に頷く。


「マコさんの肉じゃが、味濃いけど旨いよな」


またぐふふと不気味に笑うヤマぴー。


「実はね」

「え?」


イッちゃんまで、突然の発表か。


「私もちょっと、ありまして」

「なんなのそれ、オトコ?」


イッちゃんまで、もじもじして照れくさそうに「まだどうなるか、わかんないんだけどね」と言う。


「やっぱ、ないわ。今の忘れて」


撤回した。何だ何だ? 人の話だけ、聞いておいて。


「気になる! 教えて」

「…」


そうだ、教えて教えて。


「前よく行ってた居酒屋で、バイトしてた子に偶然会って」


LINEのやりとりをしていたら、飲もうってことになって一度だけ飲みに行ったのだという。そういえば珍しく、帰りの遅い日があった。


「つきあうの?」と訊いてみた。

「あータックンが喋った!」


喋るよそりゃ。


「で?」

「別に何もないよ。だって、十六も下なんだもん」


「え」と「げ」が混じったような声が出ると、ヤマぴーも同じ音を発した。

同じような年齢差だったとしても、何故女性が上だと驚いてしまうのだろう。困ったような、嬉しいような顔をした三人がしまりのない感じで笑っていた。


「イケメン? で、やっちゃったの? ね?ね?」


下世話丸出しのヤマぴーを無視して、イッちゃんは溜息をつく。これが若かったらお互いに、極普通に高揚するのかもしれない。それとも、年相応の相手だったら、積極的に先へ進もうとするのかもしれない。へらへらしているのは、約一名だけだが本心は計り知れない。


「三人とも、けっこうな歳の差だね」


イッちゃんが大きなため息をつく。


「しかも同時期に」


山ピーがにやにやする。

ダンスだったら見事なシンクロ具合で、それこそヤマピーの得意とするところだろう。


「でも、まだなんにもないし」


そのあと言い訳がましく言うので、「うん」と便乗してみた。イッちゃんはついこの間まで、別れた相手に未練たらたらに見えた。もしかするとそれはまだ変わっていないのかもしれない。まだ、まだだ。


はい、次! と言えるのは、年齢なのか、性格なのか、ブランクの長さなのか。

人にはがんがんいきなよ、と言っておいてイッちゃんはそんなことできなそうだった。相手に年齢以外の、何かひっかかるところがあるのかもしれない。


「俺は、恋してるぞぉ。イェーぃ!」


ヤマぴーの声が、ちょっと戸惑いがちだったのは、気のせいだろうか。

こうなってくると、二人に遅れてはいけない気がしたが、それも酔っているせいなのだろう。予感めいたことを言えば、自分以外の二人は、相手と上手く付き合っていくのかもしれないと思った。

やっぱり自分には、彼女というより、恋愛そのものが無理なような気がする。


これも達磨の目を描いた叔母さんのおかげなのかもしれないが、どうせだれかと出会うなら、達磨様にはもっと可能性の高そうな人と会わせてほしかった気がする。これも贅沢かな。


「転ばないでくれー」


二階にある達磨にお願いしてみた。


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