9 叱るべき!
「先触れもなしにごめんあそばせ?」
扉の向こうにいたのだ。きっとこちらの会話は聞こえいないはず。偶然のはず。
「急いでいたもので、ごめんなさいね? 田舎でも、普段はちゃんと確認するのですけれど?」
きっと、うん。
「あ、アネット殿下。至急の御用とは?」
固まっている主たちのかわりに、リオンが代わりに用件を尋ねた。片眉をあげ、こちらを見下ろす王姪殿下に。
「お人払い、お願いできて?」
「は……?」
「……従兄弟殿下の進退に関わる用件ぞ?」
「――ッ!?」
それは……。
自分の騎士たちも下がらせると先んじられては、こちらも従うしかない。
リオンはクラーリィに目配せして確認し、護衛騎士たちに引くように指事をする。
アネットも王族だから、この城内においてどの貴族、騎士にも命令権はある。
彼女もクラーリィと同じ立場だ。
――王位継承権保持者。
クラーリィが現王の子として僅かに優位であるが、隠居されているとはいえ、先王はご存命である。王妹殿下もまた直系の血筋なのだ。その子であるアネットも、また。
ただ、普通は先触れして、許可されてから入室するものだから、護衛騎士たちの対応も、間違ってはいない。決して。
護衛騎士たちが気絶した仲間を担いで行く。医務室に行くよう許可を出した。扉を拾って来たのはアネット殿下の護衛。彼らもまた、下がった。扉を立て掛けて、一応直してから。
「貴方は?」
出て行かないのかとリオンを見たアネットの問いかけに、クラーリィがようやく復活した。
「い、いや。彼は私の側近だから。何かあれば彼に指揮をとってもらうことになるし……」
「そう」
生徒会にて一応顔見知りである。
それならばいた方が話が早かろうと、アネットは同席を許した。
場は、アネットに支配されていた。
王太子の部屋なのに。
アネットは机上に出されたままのネックレスたちをみて、ふっと目を細めた。
薄い青色の宝石。
机にあるドレスのデザイン画を見て、アネットは静かに話し始めた。
「きっと、わたくしにはわからない大事なお仕事なんでしょう。お役目なのでしょう」
こんなところでのんきに服の話をしていて、アネットを待たせようとしたことを責められていると気が付いた。
だが、彼女の言うように、大事な役目だ。
「だけど、その色、二度と見えなくなってもよろしいの?」
続けられて、王太子と婚約者は首を傾げた。
「子爵令嬢のマリーナさん、ご存じよね?」
話が急に変わって、また首を傾げながらもクラーリィは頷いた。
「ああ、もちろん知ってるよ」
「今年度の首席さんですわよね?」
フローラも王太子妃教育を受けながら学園にも通っている。義弟からも話を聞いたこともある名前だ。
「そうそう、彼女すごいんだよ! 知ってる? 東方のさろばーんて計算機。その使い手なんだ!」
「殿下、さろばーんではなく、算盤です」
リオンが間延びしたのを訂正する。
彼も生徒会役員だったから、知っていた。マリーナとも、何度となく、役員活動を共に……。
「そう、算盤。木製のビーズが並んだ箱なんだけど、それを使うと計算すごく早くて!」
「まぁ、確かそれですわ。セオドアも褒めてましたわ」
「どうやって算盤を学んだのとかお話聞きたいんだけど、彼女は人見知りみたいでさぁ」
「まぁ、人見知りさん?」
「廊下ですれ違ったときに挨拶しても、固まっちゃうんだよね。子爵令嬢といったって、同じ生徒会役員なんだからもっと気楽でいいのに」
それに下位貴族の話ももっと聞きたいんだと言う。
その心がけは立派かもしれなかった。
「殿下からお声かけているのに、そのような……」
「いいんだ。きっともう少し時間かけたら慣れてくれるよ! 生徒会の仕事が長引いたときも、遅くなったから送ろうかと提案しても、絶対遠慮するんだよね。でも危ないからさ、馬車乗り場まで送ってるよ」
――それを他者に見られて、相手がどれほど迷惑しているかも知らないで。
僕は紳士だからと威張る婚約者に、フローラはお優しいと微笑んだ。他の女性を心配されるのは少しばかり嫉妬するが、自分たちの絆はそんな程度では揺るがない。
だから、その子爵令嬢のことは、婚約者からも、義弟からも、ちらほらあちこちから話題になっても気にしていなかった。
気にしなければならなかった。
「しかしね、急用って? 学園のことは学園で……」
そんなことを話に来たのかと苦笑してしまう。やれやれ、と。
彼はしっかりと区切りをつけていたのに。
学園のことは学園で。生徒会の仕事は学園内で。
逆に王太子の仕事は学園に持ち込まないように。
しかし、アネットの冷めた瞳に、苦笑は引っ込んだ。
「もうそんな状態じゃないわ」
そして差し出された資料。
マリーナの、記録――証拠。
「貴方が望んでも、子爵令嬢がそう気楽に話しかけられるわけないのが、何故わからないのですか?」
子爵令嬢だけがこの状況の危うさを気が付いていた。騒がないでくれていた。
王太子と婚約者の立場のために。
「最近では、持ち物を不敬だと言いがかりをつけられる状況にまでなっているわ。多くの目撃者もいる」
王族である彼はすぐに思い至る。それは彼の大国での逸話が……。
「貴方の色だからって」
資料を――マリーナの証拠を見せられて、王太子と婚約者の顔色が見る見るうちに悪くなっていく。
この国より遥かに大きな国で禁じられていることを――属国の王子の末路よ。
アネットは再び繰り返し尋ねた。
「その色、二度と見えなくなってもよろしいの?」
そういうことよ?
机の上には――薄いブルー。王太子殿下の瞳の色。
「き、気がついてなくて……まさか、こんなことになるなん、いや、なっているだなんて……ッ!」
その瞳を忙しなく瞬かせて王太子は資料をさらに確認する。
ほとんどが自分が気やすく――彼女の立場を考えずに話かけたりしていたせいだ。
彼は、下々のものたちから、もっと、暮らしなどの日々のことをはじめ、様々な話を聞きたいと――その声に耳を傾けられるような、そんな国王になりたい。そんな理想があったから……。だから、気兼ねなく自分にも接して欲しかっただけで……。
悪気はなかった。
今までは良かった。
気さくな王子さまだと、民からは人気もあった。
だが、自分により悪意が生まれることを、知っておかねばならなかった。自ら学んでおかねばならなかった。把握しておかねばならなかった。
「殿下……わ、わたくしが……」
それはすべて同じく、伴侶となる彼女も。
そうだ。
そもそも王太子が悪いが、貴族たちをまとめられなかったフローラも悪い。
いや、フローラこそが上手く立ち回らなければならなかった。
彼女はただの優秀な生徒で、ただの生徒会役員だと自分が――婚約者が、王太子殿下のお近くに居ることを認めている存在だとしなければならなかった。皆に、周知しておかねばならなかった。
気がつかねばならなかった。
いや、こんなことを欠片も起こしてはならなかった。
自分の存在を隠れ蓑などにして、そんな虐めをしているものたちがいたことを。
そんなものたちをのさばらせてしまうことすら、もう既に後手。はじめから存在させてはならなかった。
それができずして、何が王族の婚約者か。いや、上位貴族の高位にあるということにおいても。
何より、彼の大国の逸話がある以上。
これは王族として致命的。恥以上だ。
見るものが見ればこんな危険な状況になってると、子爵令嬢が公にしないでくれたから、まだ――かろうじて。間に合うか……間に合わせなければ。
自分たちは彼女に救われた。
もし彼女が、解らないで、騒いで、どこかにでも訴えていたら。
それが王太子の反対派であれば。婚約者のハイドラン公爵家を面白く思っていない勢力にでも知られたら。
この近隣諸国に伝わり、この国は「女帝の緑」が解らぬ者が、次代だと侮られたら!
そしてこの恐れ多くも勝手に下に見ていた……田舎の、血統に――。
「……それにしても、素晴らしくまとめてある」
撃沈している二人から資料を受け取り、リオンもまた……自分も早く気がつかねばならなかったと反省していた。
同性同士の嫌がらせだから、男である彼が察するのは難しかったかもしれないが、側近ならば、だ。
そして側近としての視点で、そのことには気がついた。
何て読みやすく解りやすい証拠の数々。名と日付と、その内容。しかもいざというときの証言者まで確保してある。
彼女は計算だけでなく。
「ええ、完璧。受け取って、手直ししようがないと思ったわ」
それはよく気がついたとアネットはリオンを見直した。まぁ、お前も王太子たちと立場変わらんからな、という視線のままだが。
どうしたらと思考が凍り付き、項垂れる二人に、アネットは舌打ちした。
何をしている、こいつらは。
だから、叫んだ。
雷を落とした。
「お前ら、何のんびりとしとんだべさー!!」
これは、マリーナの分だ。
「さっさと行動さしれ!」
「は、はい!?」
「早くその証拠の裏取りして、さっさと悪ぃことしとるもんさら止めるんだ!」
「は、はいいぃ!!」
ガタガタと立ち上がった二人、いや三人に、アネットは「早よ早よ」と手を叩いてさらに加速させる。
「そんで……――」
まだあるのかと身構えた三人に。
「早く彼女に謝るだ」
――一番大事なことを。
ちなみにマリーナちゃんの名前は瞳の色のアクアマリンから(やっと宝石名出せたので)。子爵家の領地には海があり、貿易もしている関係で。算盤は他国からきた商人さんから教わった。