3 アネット殿下の事情
「いやいや、わたくしが気さくすぎるってのはしょうがないと思うわけ?」
恐れ多いですと控える二人に、アネット殿下は手をパタパタと横に振る。
アネット殿下と待ち合わせしていた、ここは図書館の中にある個別の学習室。入り口の端に護衛の騎士様がいらっしゃるのはアネット殿下の立場から仕方なく。
「だって、わたくし、トーカロ伯爵家よ?」
トーカロ伯爵家。
そちらのお家は……。
「ど田舎、よ?」
移動は王都からは馬車で約三週間。
特産は牛と羊と、ちょこっと馬。そして麦と芋。
風光明媚というか、自然しかない――ど田舎地方である。
「そんな近所の家にはロバでも使わないとン時間かかる処にすんでるんだから」
ロバ。馬でもなし。
「だって馬ておっきいから、馬小屋ない家にお邪魔するとき迷惑だし。あと、ロバかわいいし」
ロバのかわいいことは納得しておいといて。
つまり、アネット殿下は田舎のご令嬢であった。油断すると訛りがばりばりの。
と、いうのも。
アネット殿下の母の王妹殿下は、身体の弱い方であった。
部位的には、呼吸系が。
――埃による粉塵アレルギーであった。
王都は産業も所々で進んでいる。
大きな工場はほとんどは郊外でも、小さな町工場を無下にはできず。
石炭の煙はご家庭でも燃やすもので。
彼女は赤い目と鼻で訴えた。
そろそろ年頃だから嫁ぎ先を……と、王都に召喚した両親、時の国王夫妻に。
療養先であったトーカロ地方か、それ以上のど田舎の国じゃないと、無理!
田舎から出たら、死ぬわ、と。
ずびずび鼻をすすり、ずびっとかみながらの訴えに、国王は娘かわいさもあり、国から出すのはやめた。ぶっちゃけトーカロ以上のど田舎な国交を結べそうな国はない。それにあったとしてもそんな国と国交を結んでも今のところ利益無し。
それならば王女をトーカロとのつなぎに置く方が自国の強化になる。
トーカロをど田舎と馬鹿にするものはいるが――実のところは、国最大の穀物庫だ。国の麦の七割はこの地方でつくられている。そして乳製品も。
それで王妹殿下のお身体は……と皆はアネットの出産時など、ことあるごとに心配をしたのだが。
「母なら元気に羊の毛刈りしてるわ」
と、ふわっふわっの極上の羊毛を手土産に上京してきたアネット殿下であった。
王妹殿下は、毛の方面のアレルギーは出なかったと、日々幸せいっぱいの深呼吸をなさってる。
牛ふんの薫りは牛さんの健康のバロメーター。大事な畑の肥料。
麦わら帽子に首にかけた手ぬぐいがトーカロ地方のトレンディ。
そんなアネット殿下であったが、さすがは王族。ど田舎にも王家からマナーをはじめ、様々な教師が派遣されていた。
「一応うちは貴族だから、そったらことも覚えておかなくちゃなんだべさ」
と、家族に言われて「そうなんだ。貴族てめんどいもんだなぁ」と幼少期から色々、仕込まれた彼女であった。隣(距離徒歩一時間以上)のケイシーちゃんたちは勉強時間少なくていいなぁ、わたしも羊追っかけたいと、うらやんだりして。
まさかその教育が、母が王族だからのレベルだとは。
たまに来て馬を爆走させてるおいちゃんは母の弟だとは知ってはいたが。親戚のおじさんの感覚で気やすくしていたら、姉の様子を見に来ている――まさか王弟殿下であったとは。そんな偉い人だったとは。
一応、幼いころに何度か、
「お前は実はお姫さまなんだよ」
と、微笑ましく大人たちが。
――が。
アネットは初めのうちは子供らしく信じてはしゃいでいても、長じるにつれて、こんなど田舎に牛ふんや馬ふんにまみれたお姫さまがおるかいな、と……友達と遊んでいてうっかり畑に落ちたときに、改めて思った。現実を見た。
それは大人のかわいがり、お世辞、冗談である、と。
なので、つい数ヶ月前に「学園に入学中は、寮じゃなくて王城から通いなさいって」と、母が兄から――現王からの手紙を見せてきたとき、好物の肉団子の入ったミルクシチューを吹き出した。もったいなかった。
「おかーちゃん、お姫さまってまじだったのか!?」
ついでに、学園に入らなくてはならないのもその時聞いた。春先の農家は忙し過ぎて。
「お城なんて無理だべさ!?」
「大丈夫、なんのためにちんまいときからしつけって……なんのために幼いころからマナーから色々、学ばせていたと思っているの?」
一応、うちもお貴族さまだからだべ?
そう思っていた時もありました。
知らないうちに英才教育でした。
「貴女も一応王族だから王族枠で入ることになるし、学園とお城では立場上殿下と呼ばれるのは我慢なさいね。皆が呼び方困るから。一応王族なんだから」
「一応が繰り返したべ?」
「口調だけはお気をつけなさい」
普段、おかーちゃんもなまってっべ……。
「あ、王様ってのはあんたが小さいころにカエルみせて驚かせた上のおいちゃんね」
妹を心配して、視察がてらきたことありました。姪っ子はアレルギーもなくでかいカエルをわしづかみするほど逞しく育っていて嬉しかった王様です。カエルは逃がしてあげて。
下のおいちゃんはたまに都会のお菓子持ってきてくれる――王弟殿下にして、騎士団のなかで一番の戦力と謳われる第二騎士団の長。
都会では愛馬をおもいっきり走らせてやれぬと、むしろ様子見よりそれが目的だろうとアネットはそろそろ悟っている馬らぶのおいちゃん。
「あ、昔私が住んでいた部屋ですって」
「おかーちゃん――お母さまの、お部屋……」
王城に部屋を。
それは警護の問題もあるから。
寮では他の生徒の迷惑にもなったから。
まぁ、王家としても、王妹殿下は王都でお暮らしになられるのは体調の方から無理としていた。それでも、貴重な王族と血筋だから、それとなく護られてはいたわけだが。
牛の世話したり、畑の麦刈りしてるおじちゃんたちが、いまも現役の騎士たちとか、しらんかったがな。
のどかなど田舎で育ったアネット殿下は「おら、都会で暮らすなんて無理だべさ!」と、なりながらも、王族じゃなくても学園に一度席を置くのは貴族の義務だからと、親に説得されて上京してきた。
「おとーちゃんも、ちゃんと三年通ったんだべ」
偉大なる先人がいたため。トーカロ伯爵その人が。
「そんなわたくしに、従兄弟殿下が気やすいからどうにかと言われてましても……無理だべさ」
――最後の訛りにマリーナはひっそりと目を輝かせる。
「まぁ、誰にもお優しいことは、悪いことではございませんもの……」
ラナの麦の穂のような髪色に懐かしさを覚えたのか、アネット殿下はふぅと小さくため息を疲れた。
「でもマリーナさんが、何でそんなに槍玉みたいになっているのかしら?」
従兄弟も自分も、マリーナだけに気やすいわけではないと思うのだが。
「それは……」
マリーナとラナはアネット殿下の前だから我慢していたため息をつきたくなりつつ。
「それは、昨今流行の恋愛小説が原因でございます」
だから図書館で待ち合わせ。
トーカロ地方は創作地方なので、訛りも創作でござるよ。違和感は愛嬌。
昔書いていた小説からリメイクキャラ。差し水キャラが欲しくてね。
ひっそり英才教育。王太子のスペアとまでちょこっとされている人。