15 新、公爵令嬢のお茶会より2
「長期休暇は海路で帰ろうかしら」
「海路ですか?」
他にもトーカロ地方と都をつなぐルートはある、にはある。
海だ。
「小麦とかを向こうから運んで来る船の、復路があるの」
馬車で安全運転とちゃんと休みながらなら三週間ほど。軍馬の強行軍で一週間。
そんな長い期間より、早く作物を運べるのは何にも遮られない、海。
「海路はもっと短いの」
だけどもお天道様と風による。
「一応、ちゃんと確認したかったのよね」
もっとも、貨物船だから、人間は荷物の二の次。
その辺りはお家が貿易をしているマリーナもわかるところ。
それにこの世界、未だ海は危険である。
海は危険がいっぱい。
天気次第で崩れる予定。
海賊に海獣。
そしてときに、迷子。
嵐などにより、予定の航路からはずれ、海図からも位置が割り出せないとき。
一番恐いのは迷子だと、一度なりかけた兄が言った。
どこまでも何も見えない地平線。
じわじわと無くなる水と食料。
倒れていく仲間たち。
幸い、自分家の仲間たちはきちんと上下関係と友好関係を結んでいたから、船上で争いになることはなかったが、そうではない船は、こういうときは地獄になる。
とくに真水。
あたり一面、水があるのに飲めないのは辛い。コップ一杯の水に金貨一枚をつけられても欲しくなる。
それを経験したことがあるベテラン水夫から聞いて、兄は貴重な水分をちびるところだったと笑い話にしてくれたが。
その目の奥の真剣さに、本当に恐いことなのだとマリーナも夜中に何度もお小水に行くことになった。お布団に海図は描きたくなくて。
そう……その間、陸の自分たちも毎日無事を祈願するしかなかった恐怖を幼い頃の記憶を、マリーナも覚えている。
「海は怖くはありませんか?」
近隣の、本当に安全なところまではマリーナも同船したことはあるが。
「まだわからない……というのが、正直なところかしら。だから確認したいの」
自分のところの大事な作物を王都に運ぶ船。
「でも貨物船なのよね……」
寝るところはもちろんあるだろうが、水夫たちとの雑魚寝かもしれない。
それを口にすると、信じられないとフローラの顔が青くなる。
またやっちまったとアネットは反省。お貴族さまのご令嬢にはあり得ないことだろう。自分もお貴族さまだけど。王族だけど。
「いえ、でも……」
大事なことよね。
「従兄弟殿下も帰りは船かもしれない」
そんな話題から始まった海路の話だったが、陸の強行軍よりも大変かもしれないと話は変わっていた。
マリーナはその話を帰宅して兄に話すのだが、それがまた新しい商売になるのだが……それはまた後日。
「マリーナさんのお家は何を扱っていらっしゃるの?」
お茶会とは本来、女たちの情報収集場。
今回は呼ばれたマリーナのお家の話になるのは当然で。マリーナにとっても家業のプレゼンの場。
「はい、様々なものを扱っております。以前は茶葉や、それに連なる茶器なども仕入れておりましたが、今一番力を入れているのは布です」
「布?」
「はい、シルクを」
「まあ」
それは美しい光沢をもつ布で。
この国でもドレス生地として人気の素材。
一度この国でも取り扱えぬかと考えられたことがあるが、水と風が合わぬのか、その素材となる虫――蚕の育成が難しかった。
「あのつるつるした布?」
寒い地方なので、基本的に羊さんからの布地の服が多くあるアネットも、母に仕立てられたことがあるのを思い出した。
何着かは持っておけ。これも女の勝負服だ、と。
「はい」
つるつるは間違いない。
「その手触りや光沢をさらに良くした上品を、とある地方より契約いたしまして……」
もう既に数年前から取り扱いをしているし、契約もしっかりとしてあるから隠すこともない。
それにそればかりに頼ってはいない。
「兄はそろそろ違う商売を考えているようです」
「まぁ、お兄さまは王都にいらっしゃるの?」
「はい、領地と行ったり来たりですが、父たちと連携してそのように」
領地の港と、王都の商工会や卸し先を行ったり来たり。だから王都の家は今はマリーナが主となって管理していた。
地方に領地があるものは社交シーズンに滞在する家を王都に借りたりするが、マリーナの家は商いのために持ち家があった。むしろ他に、そうした社交シーズンのときに使う家を持っていない方々に貸し出す用に、いくつか不動産を持っていたりもする。そちらもちょっとした家業のひとつ、お家賃収入。
「私も同じくでしたが、割合的には王都にて暮らして居る方が長いでしょうか」
それ故に良き師に学べ、王都住まいのラナと友になれたから、そこはありがたいと思っているマリーナだ。
「まだ今は王都にて、父兄の連絡係としか働けてはおりませんが……」
いや、それも大事な役目だろう。
彼女は計算早く、通訳いらずなのだ。商会にてどのように働いているか、すでにうっすらと視える。
そう二人が話せば彼女は謙遜した。
「いいえ、とても兄のようには」
と。
この令嬢の兄ならばさぞや優秀だろう。
ただ、跡取りならば引き抜くのは難しい。それならばそのまま良き商売をしてもらった方が国のためになる。
「この国からは逆に厚手ものが。絨毯などの織物を希望されて他国に売りに行きます」
「まあまあ、絨毯!」
この国の織物を欲しがってくれる国があるとは嬉しいこと。
「あ、おらが村の羊毛さんが」
織物の前に紡ぐ糸や、毛糸も需要ある国があると聞いて。
アネットも卸しているところが繋がりあると聞いて嬉しい。こうして国の中で回っていくのだ。
「マリーナさんは、他にご兄弟は?」
「いえ兄だけです。先日申したように歳も離れておりますが……」
実はもう調べて知ってたけど。一応確認だ。彼女のような優秀なものが他にもいないかと。
そしてそろそろフローラは切り込むことにした。
「そう……マリーナさんにはお兄さまがいらっしゃるのよね。跡取りは当然?」
「はい、兄が」
それはとうの昔に決まっていたし、既に兄は跡継ぎとしても動いている。先のシルクとて、兄が遥々東国まで出向き、契約を結んできたのだ。
「ならば、マリーナさんは卒業後の進路はどうなさるの?」
「卒業後、でございますか?」
まだ入学して数ヶ月だが、もう卒業の話とはと、当然の疑問にマリーナは首を傾げかける。
だが、一応は決まっていた。もうすでに働いているといったほうが正しいか。ひっそりとあの場では黙っていたが、下町にも足を運ぶから、そちらの下々の言葉も使えるマリーナだった。
「はい、家業の手伝いをするつもりでおります」
家の手伝い。
多くの女子はそうであろう。
しかしマリーナのようにしっかりと業務に関わるつもりのものは少なく、結婚まで家で待機なもの。その間に家政のことを改めて学んだり、お相手が決まっていない場合は見合いに備えたり。
「そう、ご家業を……」
彼女ならば即戦力だろうな、とフローラとアネットは頷く。
先日までのやりとりで、彼女の優秀さは改めて。
「結婚は、まだ婚約者の都合もありますから」
そう。
彼女には婚約者がいた。
調査によって知っていたフローラは内心で頷きつつ。先んじて調べられていたとは気がつかれない方が良いだろう。うん、あまり良い気はしないであろうから秘密にだ。
そして内心で舌打ち。
その方面から攻める手が既に塞がっていたとは。
一方その頃。北にて公爵令嬢の婚約者さまは。
「うっま……!」
初めて食べたできたてのバターに、その美味さに言葉もなかった。
「え、え、ただの塩茹での芋が、こんな……!?」
いつも食べている芋。そりゃあ、ただの塩茹でではなく、ハーブをつかったり、さらに揚げたりあれこれとアレンジされた美食を食べていたはずだが。
が。
「ただ茹でてバターのっけただけなのに!?」
今まで食ってきた芋の中でこんな美味い芋は食ったことがない!
こればバターだ。バターの質が違う!
「さあさ、絞りたてのミルクもどんぞぉ」
きみはまだ未成年だからね、と。
ドン、と置かれた小さめの木製ジョッキには真白いミルク。
叔父たちはさっそく大きなジョッキを掲げているが。
「北の地ビール最高!」
「この一杯のために走ってきたであります!」
「このまま北に住みたい!」
「配置換えまだでありますか!」
この一週間で仲良くなった第二騎士団の兄貴たちが実に美味そうに喉を鳴らしている。
おい、そこの護衛騎士。何飲んでる。
「僕もビールがよかったな……うっまぁ!」
王太子は不承不承、お子様と下戸たちに用意されたミルクを口にしたのだが。
ビールじゃなくてもいいや。
すぐに気持ちが変わった。
ミルクも最高。塩茹で芋とバターのマリアージュ。
強行軍で疲れた身体に染み渡る。
「さあさ、肉も焼けたべさ。腸詰めからどんぞー! あ、野菜も食べるだぞ!」
歓声があがる。男だらけの野太い歓声が。
そこには王太子殿下の歓声も混じっていた。
疲労回復には、肉!だよねwww




