13 終幕「真実、ただの噂である」と明らかに
「恩師は、元は侯爵家の方でした」
名前を聞くとリオンも知っている方だった。
早くに旦那様を亡くされ、その後は独り身を貫いている方だ。貴族の婚姻は政略を含むが、彼女の場合は跡継ぎの弟が理解があり、亡くなった夫君を彼も慕っていたこともあり、姉が再婚しないことを許したという。
しかし本人は弟に養われるをよしとなされず、その身分の高さなれども家庭教師として己の培った教養を世の女子に伝える道を選ばれた。
そして夫君が亡くなったのは――争いによって。
当時、この国と近隣の国で、とある水源をめぐって争っていた。
騎士であった夫君は、その戦いで亡くなった。
この戦いでは、王族も亡くなっていた。夫君はその王族を護って亡くなったのだ。
――近衛騎士だった。
結局、第三国の仲裁によりその諍いは一応は終幕したが。
この国は、少しばかり緊張関係のあるご近所さんがあるのだ。
「そんな恩師ですから、戦乱が起きぬよう……起きた時はどうするか、というお話しもよくしてくださいました」
そして他国で起きたその教訓話。
とある小国であったが、城を攻められた王族は、農民の姿になって逃げだしたけど、言葉までは農民になれず、たどり着いた国の端、田舎であやしいやつめと、己の国の民に殺され、隠し持っていた財宝を奪われた。村はそのおかげで、財宝を攻めてきた敵に渡して助かった――という。
それを元にした童話本がある。
当時は王族や貴族を皮肉った内容だったが、時代とともに過激な部分――王族が惨殺されるところ――などは省かれ、いつしか子供向けにも。
それはその王族が自国のものたちから慕われてなかったということ。自国の言葉もわからなかった。
王族ばかりに限らない。貴族もだ。
己の領地のものたちに、なにかしらあったときに助けて助けられる関係であるようにという教訓。
「おら、大丈夫な気がする」
「そうだね……」
アネット殿下はその辺りはなにかしらあっても絶対大丈夫だ。
「僕、それ読んでみたい。取り寄せられる?」
「わ、わたくしも」
俄然気になった王太子殿下とその婚約者。
「他国の、海を挟んだ国の昔話ですから、どうでしょう?」
そも、それほど有名なお話でもない。
マリーナとラナが顔を見合わせたら、リオンが大丈夫だとうなずいた。
「僕が昔に読んだのは確か王城の図書室です。司書さんに尋ねてみましょう」
灯台もと暗し。
自分家にあるとは。
「帰ったら図書室いく」
「お供つかまつります」
婚約者も、護衛の騎士さんたちもうなずいた。
リオンは王太子殿下の側近として、幼い頃からそうしたところへの入室の許可があったのだ。そしてある程度の地位があれば図書室の入室許可はおりる。
かの恩師もそうだったのだろう。
それらの話を聞いて、フローラは彼女の真意にたどり着いた。
「ああ、だからマリーナさんは、耐えてくださったのね……」
「……はい」
解ってくださったと、マリーナはほっと肩の力を抜いた。
マリーナが虐めを耐えたのは、機を待ったのは。
王太子殿下の醜聞にならぬよう。次期王太子妃に冤罪をかけぬよう。
この国を思えばこそ。
「末端の一子爵家ではございますが……」
恩師に習ったことを忘れず。
戦さにならぬよう。この国が不利とならぬよう。
彼女のような哀しい想いをするひとを出さぬよう――。
――例え一欠片でも、次代たちの未来の陰にならぬよう。
「いや、その忠心、お見事……!」
護衛の騎士が、思わずこぼした感嘆に、皆もうなずいた。
ようやくすべてを理解できた。
彼女のおかげで、自分たちの首はつながった。それを真に。
マリーナは褒めてくれた騎士に礼を。
静かに、しかし優雅に美しく。
それは上位貴族に勝る、なんと麗しい姿勢。
――さすがだ。
この少女のおかげで、どれほど救われたものがあるか。
その日、この部屋に集まった次代を担うものたちは、改めて身を、気を、引き締めたのだった。
そうして入学から始まる、子爵令嬢に対する理不尽は終幕を――そして。新たな幕が上がった。
「――素晴らしいわ」
取るに足らぬ子爵令嬢と思っていた。
政略により結ばれたものではあれど、自分たちの絆に割り込むことなどできぬだろうに……と、噂を気にもしていなかった。
むしろ哀れと――愚かと。
だが。
聞こえていたではないか。
今年度の首席。
義弟からもその評価を。
謝罪の日より数日後。処罰をあらかた済ましたフローラは自室にて改めて反省していた。
「何故、気にしなかったのかしら……」
数日前までの自分を叱りつけたい。
何のんびりと、しとん……なんだったかしら。
きっと、それすらもあの子爵令嬢は理解している。方言、訛り。自国の。
これからフローラが次代を繋ぐ国の。
もしや下位貴族だというだけで無意識に省いていたのなら、なおさらに自分自身を叱らなければ。
いや実に傲慢であったのだ。
己の現状は、地位は揺るがぬと、あぐらをかいていた。
フローラは改めて調べたマリーナの調査報告に、あの時の護衛の騎士ではないが感嘆にうめく。
「周辺諸国の五カ国は発音まで完璧。他に、あの難しい神聖ローラン語とカロナ語は読み書きまで……」
彼女は「今は自国の言葉に」と言っていた。そこが気になっていた。
その前は何を、と。
主だった他国の言葉をマスターしたから、改めて自国に目を向けたのだ。
貿易をしている家業もあっただろう。
だとしても、なんて有能な人材。
くだらぬ感情で彼女を虐めていた自分の取り巻きになっていたものたちの愚かさと、こうなるまで気がつかなかった己の愚かさに。
この素晴らしい人材を、あんなくだらぬ噂話で潰してしまっていたとしたら。
いやそれよりも、今回のことで彼女の方に王家が見放されていたら。
何という大損失であったか。
自分も少しばかり言葉が苦手な国がある。確認のために通訳を挟まなければならない。
――その通訳をいつも手元に置いておけたら?
しかも五カ国は同時にできる逸材。
この国においても神聖ローラン語にて書かれた古い契約書もある。他国にても同じく。
だが、最も古く、そして力の強い古語だ。未だにそれでなければ結べない契りとてある。
もちろんフローラとて学んでいるが、絶対は、ない。
――それを不意に持ち出されたら?
即座に対応できる者が、確認できる者が、側に控えてくれていたら。
そしてそれらより気になること。
「自国の言葉……」
王妃が自国のものと話すときに、もしや内容が、訛りでわからぬではどうする。それこそ腹心の通訳か……。
城にて読んだ教訓話。
もしも己の子が。
将来産むことになる、王家の子が。
言葉が通じぬからと自国のものに……――。
脳裏に浮かぶは、王姪殿下。
「……素晴らしい」
繰り返す独り言。
ここ数日で、フローラはすっかりと彼女に惚れ込んでいた。
護られているだけの「血」でなかった。
護らなくてはならない「血」であった。
そして、護ってくださっている「血」――と「力」。
むしろ北の地にて王家の血統を維持すると共に、この国を護ってくださっていた。
ようやく理解したかと、父母たちには叱られた。自分の代わりに跡継ぎとなるため、自分の側にてあの謝罪の場に立ち会ってくれた義弟も。しかと覚えた。
北方はこの国の食料庫であることの方が今や有名だけど。もちろんそれも大事だけども。
むしろそうあるよう、上が歴史を薄れさせてきたが。
しかし、同時に――。
――何故王弟が、この国最大の武力を誇る第二騎士団の長が、年に何度も出向かれるかを。考えれば見えてくる――。
その上、彼女につけられた教師たちが北の地に移り住んだのも解る。
彼らはまた、時に政治、軍略の玄人でもあり……――。
……教師。
いやまずは、目先を整理しよう。
未来を考えながらも。
「まずは侍女、いえ、秘書官にかしら……欲しいわ」
あの言語能力。計算も得意とは尚更においしい。
「それに目立たないようにしていたけど、あの伯爵令嬢も……」
そちらも調べた。
同じ師についていたからか、彼女のマナーも上位貴族の高位そのものであった。彼女は家格も既に満たしている。
どちらも欲しい。
これから人手不足するのが解りきっている。
そうしてやがて……。
「……いずれ、教師になっていただけないかしら?」
いつか産むことになる――王となる子の。
自国の言葉を、教えて欲しい。
教訓となる話を、語って欲しい。
彼女の恩師のように、戦にならぬ心構えを伝えて欲しい。
新たなる幕が開けた。
とある子爵令嬢が王太子殿下よりお声を頂戴していたから始まった「噂話」は、王太子殿下の婚約者である公爵令嬢から「真実、ただの噂である」と明らかにされた。
それどころか。
その話には後日談がついたのだ。
優秀な子爵令嬢を真に気に入ったのは、実は公爵令嬢の方であったという――。
これにて第1幕。
まだ続きますべ。よしなに。
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