12 識りたがり
「マリーナさんには、別に何か詫びをお贈りしたいのだけど……」
もちろん金銭で片付くことでもないが、公にできぬ以上、それしかないのだ。
しかし、マリーナはそれでもう充分だと首を横に振った。
「いえ、私は言葉によって嫌なことはありましたが、金銭的にはまだ何もでしたから」
陰口や、面と向かって嫌がらせを言われたが。そして皆が図らずもこの国の次代の危機になってしまったが。
「流行の小説にあるよう、教科書や私物を壊されたりは、まだしていませんから……」
それに噴水に突き飛ばされたり、恐ろしい階段落ちも……――。
それはまだ、ギリギリ間に合ったからだろう。アネットが気がつくのが、声をかけるのが遅かったら……。
本当に間に合ったと――公爵令嬢は内心で冷や汗を流し再び頭を下げていた。
「それに、お礼と言われるなら、この数日間で……」
「え?」
マリーナの視線はアネット。
「アネット殿下とのお話で、充分でございます」
「わたくし?」
「はい」
何だろう、と。アネットもまた首を傾げる。
「ああ……識りたがりのマリーナ……」
小さくラナがつぶやいたのが、静けさが落ちてしまった生徒会室に響いてしまい。
「識りたがり?」
「あ」
自分の声が思ったより響いてしまったと、ラナがさっと顔を青くする。マリーナが慌てて、そんな友人をかばった。
「わ、私のあだ名でして。家族や友人から」
「あだ名?」
きょとんとされる王族と上位貴族の方々に、子爵令嬢と伯爵令嬢は内心がくがくだ。
「わ、私は幼い頃から、気になることがあると調べずにはおられぬ性質でして! 家族に尋ね過ぎだと飽きられておりまして、あ、兄より!」
その言い方はあんまりであろうと、今度はラナがフォローに回る。自分がつぶやいたのが原因であるし。
「彼女は知識欲が素晴らしく、褒め言葉としてのあだ名でございます!」
「褒め言葉」
それなら良かった。
「はい、兄とは八歳ほど年が離れております。だからこそでしょうか、昔から何か気になる度に質問しても、面倒がらず可愛がってもらえて……」
年がそれだけ離れていると、かえって喧嘩もなく。マリーナの兄は幼子の相手も楽しみのひとつにしていたのだろう。何か尋ねられる度「マリーナは知りたがりだねぇ。色んなことに興味を持つことは偉いことだよ」と褒めて。そして今では妹の優秀さに「我が妹は本当に識に富みまして」と褒めちぎる。
私が育てましたな微笑みで。
それが混じったか「識りたがり」とマリーナは家族や親しいものに。
そう、そのあだ名は彼女を褒めて、少しばかりからかう親しみだった。
そしてマリーナが知りたいこと。
それは――まさに、識に偏っていた。
「あ、じゃあ算盤は……」
王太子が思い出した。さろばーんではなく。
「はい、それも兄と兄の知り合いの商人さんから教わりました」
家業が貿易でありますので、他国の商人にも会う機会があったと。
気になっていたのが、あっさり判明した。なるほど、ご家業。
今までこんな会話できなかったのは、生徒会業務中に家庭のことは話すことではないと、マリーナの恐縮だ。今も内心でがくがくぶるぶるしてる。
「わたくしとの会話?」
それが褒美になるのだべか、とアネットが首を傾げる。
「はい、トーカロや北方の方言を直にお聞きすることをできました」
「方言?」
確かに、気を抜くとバリバリ方言でてしまうが。
「そげなもんで良かったんだべ?」
「はい!」
アネットの口調に、マリーナはきらきらと目を輝かせている。
生徒会室にいて――初めて。
子爵令嬢がようやくそんな姿をみせてくれたと――この数ヶ月間、頑張って歩み寄っていた王太子は、無意識にショックを受けた。まぁ、それは置いておく。放置。
「私、今は他国の言語より、国内の地方独特の言葉や訛りが気になっておりまして……」
「訛り」
まさに。アネットを皆は見る。
「この国もこの都で使われる標準語の他に、数多くの地方独特な言語がございます」
例えるならば、まさに今ここにいるアネットのトーカロ地方を主とした北方言語。
「まぁ、本気でしゃべったら現地のおっちゃんたちとしか通じねぇ時もあるべさ」
「そう、同じ国内でも言葉が違うことが、今は興味がありまして……」
「なるほどなぁ……おらも南の方面のおひとらぁとは、話通じねぇもん」
学園には南方出身のものもいる。真珠で有名なその地方の学生も、同じことをアネットに言った。自分も北の方々の訛りはわからない、と。
ちなみに同じクラスで地方者同士仲が良い方だ。
「こないだまで恐ろしいを意味する「おっとろしい」を「おっとろこしい」と、間違えておりましたの。まだまだ勉強中です。アネット殿下とミネル様のおかげで直せました」
「あれかぁ……」
「同じ言葉でも、また少し地方がずれると意味合いも変わられるとか。ミネル様は面倒だというときにも使われると……」
マリーナが南方の言葉を気にしていたら、その南方出身のミネルがたまにそれを口にするのを知っていたアネットに、偶然にも教えて頂けたのだ。そして改めて確認したマリーナ。小さな発音間違いを直すことができたし、意味もまた。
「なんもぉ。それでも通じるべさ」
自分たちには通じないが。
だが、それはなんだか気になることでもあり。
「そうか……地方では独特の言語がある、よな……」
王太子は改めて大事なことに気がついた。将来、もし地方の視察などがあったら、地方の方言がわかった方がより深く理解できることもあるだろう。
フローラも同時にそれに気がついた。王太子妃にも地方の巡回はある。むしろ妃の方が王よりも。災害時の手配や、慰問などで。
ふと、この子爵令嬢を――この、人材は……。
「恩師にもいざというとき、大事なのは自国の言葉とも言われたので」
「恩師?」
「はい。私のマナーや基礎学力を見てくださった方です」
兄にすべてを学んでいたわけではない。女性専用の知識や、マナーなどの立ち振る舞いもあるのだから。
それは元はラナも習っていた方。
そのおかげでふたりは友になった。
互いに慕って、今でも文通は続いている。
「恩師が話してくれた昔の物語のように、田舎の言葉がわからなかった貴族が……――」
話はじめて、はっとしてマリーナは顔を青くした。
それは実話を元にした物語だったからだ。
「マリーナさん?」
「あ、あの……」
マリーナの様子に、気がついたのは侯爵子息のリオンだった。
彼もその話を知っていた。
彼は気をつかって代わりに話した。
「僕も知っています。戦乱の時代にとある貴族が都をはなれて逃れるときに、服をみすぼらしくしても、その仕草や、特に言葉まではつくろえなかったという教訓話ですね」
それは実話を元に。
戦乱の時代に。
――国を捨てて逃げた王族が、地方の民に殺された物語。
おっとろしいは、本当に南の方の言葉ですが、まぁ、なんちゃって創作地方ですから。なんちゃって方言はお気になさらず。話の都合てやつでさね。




